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2007年02月28日

良い過食症克服体験記を見つけました。
過食症克服体験記

自分を愛すること、自分を許して優しくすること、居直って本気で過食すること
自我の確立を支える良書との出会いなど
私と同じ道筋を辿ったのだなあ、と思います。

ちょっと読みにくいテキストのみの構成で、
ホームへのリンクすらついていないのですが
ホームはこちら→うつ100のサイン
というサイトのようです。

なお、体験記の中で、回復の助けとなった本として
「食も心も食べ物との素敵な関係を楽しむために(スーザン・アルバース著:星和書店)」
という文献が出てきます。
調べてみたのですが、現在は
食も心もマインドフルに―食べ物との素敵な関係を楽しむために
という邦題で出版されているようです。
早速注文してみましたので、読んでみてよいものであればまたここでご紹介させていただきます。

※この記事はジェニーン・ロス著「食べ過ぎることの意味―過食症からの解放 」より
「第三章 ながら食い」を参照しています。※

著者ジェニーンは過食症時代、車の中がいつもお気に入りのレストランであり、
ハンドル操作などに気をとられながら誰にも気づかれずに隠れて食べる物は食べたもののうちに入らないような気がして安心できたと書いています。
食べているけれども関心が他のことに向けられていると、その食べ物に満足できなかったり
罪悪感を感じたり、食べ過ぎたりしてしまう原因となり
そのためにさらにもっと食べてしまうことになります。

次にあげるのは関心を食べることに集中させるために作られたガイドラインです。

1、友人、夫または妻、両親、子供、職場の同僚がはっきりと見ている前で食べましょう。
人の見ている前ではほんの少ししか食べることができない人は、自分が食べることが許されているということを知らないのかもしれません。あなたは許されているのです。
人の前で食べることができないという思いは
「もし本当に私のことを知られてしまったら、もう決して愛してもらえなくなってしまう。私という人間は愛に値しないのだから、外に漏らさず隠しておかなければならない」
という思いとさほどかけ離れていません。
自分は人が見ている前でものを口にするに値しないのだとはっきり自分に言い聞かせるとき、
それは自分は人目に晒され、知られるに値しないのだと自分に言い聞かせているときです。

紙に次のふたつの文章を書いてみてください

・「もし○○が私の食べたものや食べたかったものを本当に知ったとしたら」
○○の部分に友人や家族などの人名を入れ、この文章を完成させてください。
あなたの身近な人があなたがどれほどの量を食べたかを知ったらどのように思うでしょうか

・「私は隠れ食いをします。それはなぜかというと・・・・だからです。」
この文章を完成させてください。あなたはなぜ隠れ食いをするのですか。
もししなかったらどうなりますか

この二つの文章はあなたが隠れて食べることの原因を明らかにするはずです。
著者であるジェニーンは次のように書きました
「もしサラ(親友)が私が本当は何を食べたかったのかを知ってしまったら、
彼女は私のことをもっとよく見るようになり、私はなぜこれほど太っているのか気づくでしょう」
そしてこの文章はジェニーンに次のような気づきをもたらしました。
「ちょっと待って、ジェニーン。あなたは盗み食いをしなければサラはもう愛してくれなくれなくなるのではないかと考え、だから盗み食いをするのね。でも彼女はこれまでも、そして今でもあなたのことを愛してくれているし、あなたの主な性格が変化しない限りこれからも愛してくれるわ。だから盗み食いなんてする必要がないのよ。それでもやっぱりあなたはしたいのかしら」

あなたが終始盗み食いをし、偽り、食べる資格がないと感じているなら、
それには何かもっともな理由があるのです。
その目的を見つけなくてはこれらの行動をやめることはできないということをまず信じてください。
あなたは気が狂っているのでも、異常なのでもありません。
その行動を変えるためには、その行動を通じてあなたが何を表現しようとしているのかを発見する必要があるのです。

2、きちんと席に座って食べましょう
座るという行為は自分は食べることを認めたんだ、自分にそうすることを許可したんだということを意味します。
あなたがものを口にしているとき、立ったままであることに気づいたら
まず、座ってみましょう。そして次のことに着目してください。
自分がしていることに対する感じ方に何か変化があるでしょうか。
急いで食べてしまおうという衝動に何か変化があるでしょうか。
あなたが食べ始める前、いったいどのようなことがありましたか。
立ち食いをすることであなたが得られるものは何ですか。

3、テレビ、新聞、本、ボリュームの大きな音楽など、意識をそらせるものなしに食べましょう。
食べ物以外に意識を集中させながら食べるということには、
盗み食いほどあからさまではありませんが、食べることに対する責任を負ったり、それを自覚する必要をごまかして食べ物を自分の口に運ぶ方法であることに変わりありません。

あなたが断固として食べながら本を読んだりテレビを見たりすることをやめたくないというのなら、
そのこと自体に着目してください。
自分には意識の全てを食べ物に費やす資格などないと感じているからですか。
自分が食べることで時間を無駄にしてしまったように感じるからですか。
食べることに集中することで家族と席を並べて団欒をすることが辛いのでしょうか。

4、食べるときは出切る限り楽しく、栄養になる状況をつくるよう心掛けましょう
来客をもてなすように、準備を整えて自分自身をもてなしましょう。
面倒くさいかもしれませんが、新しいパターンを開拓するためには努力と忍耐は必要です。
あなたが自分にも、このような心遣いを受ける価値があると考えたとき、食事はまったく別のものへと変わるでしょう。

5、食べているときには感情的な会話は避けましょう
食べている間に感情的な会話や緊張した会話にかかわると、食べ物といっしょにその感情をも飲み込んでしまうことになります。


最後にこれらのガイドラインは規則や真実ではありません。
あなた自身にとって有効なものを発見するための実験です。
これらガイドラインが役に立たないならば、何か役立つような別の方法を試してみましょう。

「食べ過ぎることの意味」関連記事一覧
空腹感を知るためのガイドライン
自分の食べたいものを知るためのガイドライン
食べることに関心を集中させるためのガイドライン
充分という感覚を知るためのガイドライン
過食をするときのガイドライン
家庭で食事をする際のガイドライン
社交的な食事を楽しむためのガイドライン
運動を楽しむためのガイドライン
死ぬほど痩せたいという気持ちに注目するためのガイドライン
今手にしているものを知るためのガイドライン
批判に対処するためのガイドライン
自分を信じるためのガイドライン
苦痛を受け入れるためのガイドライン
性的な生活を大切にするためのガイドライン
強迫行動の意味
食べ過ぎることの意味(1 チョコレートに抱き締めてもらいたい気持ち)

食べ過ぎることの意味 (2 二週間のチョコチップクッキー欲求)

2007年02月27日

※この記事はジェニーン・ロス著「食べ過ぎることの意味―過食症からの解放 」より
「第二章 食べたいものを食べる決意」を参照しています。

私たち過食症者が自分の好きなものを食べてもでっぷり太ったりはしないのだと
信じられない理由のひとつとして
自分はあまりにも多くを求めてしまうと信じこんでいる
ことがあげられます。
過去に「食べてはいけない」と信じ我慢してきたものを未だに求め続けていると考えているため
底なしに食べてしまうのではないかと恐ろしくなるのです。

人が際限なくものを欲しがるのは当たり前のことです。
欲しがりすぎるから自分自身に警戒を怠らず用心していなければならないと感じるのなら
それはどこかがおかしいのです。
空腹でない無いのに食べたいと思うとき、唯一問題となるのは
空腹でないのに食べたいと思うはずがないという思い込みです。
私たちは身体的な欲求からだけでなく、情緒的にみも満たされるためにものを食べるのです。

自分への信頼は自分への選択肢が与えられているとき
(この場合は自分の食べたいものを知り、そのことを認め、尚且つ自分にはそれを手に入れる権利もあるのだということを知った上で、それを手にいれるかどうかの判断を自分の声にしたがって下すとき)
自分への信頼は自分を惨めにするのではなく快適にする道を選んだとき、
自分を傷つけるのではなく、いたわる道を選んだ時、進展していくものなのです。


「自分にはこれを食べることが許されていない」という声が聞こえてくる限り
食べ物は葛藤の舞台であり、あなたはその中でもがき苦しまなければなりません。

一年中考えていても一向に痩せないカロリー計算のことはもう忘れてください。
その上で、まずは食べようと決めた食べ物について考えます。
食べたいと思ったものを「騒ぎ立てる食べ物」と「手招きする食べ物」にわけて考えてみます。

騒ぎ立てる食べ物とは
実際にそれが目の前になくても、感触、味、温度を想像できる食べ物で
その瞬間のあなたの空腹にぴったりフィットし情緒的にも、身体的にも、あなたを満足させてくれる食べ物です。
チーズが欲しいときにはチーズなのであって、エクレアでは駄目なのです。
一方、手招きする食べ物とはあなたに向かっておいでおいでと手招きする食べ物です。
見た目の姿や匂いなど外面的な魅力にによってあなたを誘いかけるもので、
そのときのあなたの必要や欲求に相当しているわけではありません。
例えばトースターの前に立ち、数秒ごとに生焼けのパンを取り出し、一口齧っては、また元に戻すことを繰り返しているような状態、これが食べ物が手招きしている状態なのです。

この招きよせの性質を利用して次にこれは本当にあなたが自分の望む食べ物を知るためのガイドラインを挙げます。

あなたが食べる食べ物を生き生きとした活発さ、招きよせの性質に従って段階ごとに評価してみましょう。
・一枚の紙を食品項目、騒ぎたるもの、手招きするもの、の欄に三等分し、自分が食べたものを書き出して
それを手招きするものか、騒ぎたるものか、チェックするのです。

自分が望み、夢み、思い巡らしながらも何年間もたべることを許してこなかった禁じられた食べ物のリストを作ってみてください
・全部挙げたらそのリストの中から毎週ひとつずつ用意して、空腹の時に食べてみましょう。
今現在この時点でどんな味がするのかに注目します。
美味しいか、記憶の中の味やイメージと違っているか、もっと食べたいと思うかに注目します。

大切なのは自分が何を望んでいるのかを知るということです。
それは今自分がどのような状態にあるのか把握することから始まります。
自分が何を食べたいのか分からないのだとしても、
それはあなたに自分の状況を把握する能力が絶望的にかけているということではなく、
あなたがこれまでそのことについてじっくり考えてみる機会が一度もなかった
ということなのです。
あなたが何を食べたいのか分からないのだとしたら
今こそそれを見つけだすときが来ているということです


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強迫行動の意味
食べ過ぎることの意味(1 チョコレートに抱き締めてもらいたい気持ち)

食べ過ぎることの意味 (2 二週間のチョコチップクッキー欲求)

2007年02月26日

※この記事はジェニーン・ロス著「食べ過ぎることの意味―過食症からの解放 」より
「第一章 空腹とは恋をしているようなもの」を参照しています。※

過食症から逃れる第一歩は空腹のときに食べるということです。

私たちは空腹について多くの恐怖を抱いています。
ジェニーンは空腹感に対する恐怖は寂しさに対する恐怖に似ているといいます。
しかし空腹という体験は具体的で直接的な身体の感覚であり、
実際にそれを体験し知ることができます。
空腹感を知るために以下の提案がされます。

1、食べたもの、食べた時刻、そのときの空腹の度合いを表にする
・「こうあるべき」という理想ではなく、ありのままを書きましょう
・表を作成することそのものがどんな感情を引き起こすのかにも注目してください。
檻に閉じ込められる感じ、人から隠さなければならない感じ、「良い状態」「悪い状態」ばかりが気になる、非難の声が聞こえるような気がする、などなど
・空腹のときに何回ほど食事をしていますか?空腹という感じはわかるでしょうか。

2、空腹感を体験するために、いつもの時間に食事をするのを何度かやめてみましょう
・空腹を認識するときの身体の感覚に注意を払ってください。身体のどの部分でどのようにそれを感じますか。
・空腹を1から10までの段階で評価してみてください。1が「がつがつに飢えきった状態」、5が「快適な状態」、10が「首まで食べ物を詰め込まれた状態」です。

3、空腹ではないけれど食べることに決めた場合は次のことに注目してください
・味はどうでしたか
・空腹のときに食べるのと味が違うでしょうか
・空腹のときと同じようにそれを充分に満喫できていますか
・今が空腹ではないなら、それではどんな感じなのでしょうか。
・食事の止め時を、どのようにしりますか。

悲しみや孤独から区別して空腹を感じられるようになるには少し時間がかかるかもしれませんが
これはあなたが空腹を認めることになれていないからであって
あなたの身体がそれを感じていないからではありません。


空腹ではないけれど、周りに美味しそうな食べ物があって「それをぜひ食べなければ」と思ってしまった時はどうでしょうか。
それがあなたが美味しいものを口にできる最後のチャンスではないということを思い出してみましょう。
今それを食べたなかったとしてあなたが取り逃がすものは”空腹のときほどに美味しくはない食べ物”だけです。
それを食べることであなたが取り逃がすものは自分自身をいたわるチャンス、それを食べなかったとしてもこの世の終りになるわけではないということを認識するチャンスです。

空腹感は時としてあまりにも空虚の感覚に似ているので、それを認めるのが恐ろしいのです。
空腹の感覚が空腹の感情を起してくることもありえます。
私たちがそれを恐れおののいて押しやってしまうとき、恐怖は肥大化していくのです。
あなたがそれらを恐れるから、その感情は立ち去ってくれないのです。
自分の身体的空腹は満たされ得るものだということに気づけば、その同じ可能性を精神的空腹にも認めることができます。


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食べ過ぎることの意味(1 チョコレートに抱き締めてもらいたい気持ち)

食べ過ぎることの意味 (2 二週間のチョコチップクッキー欲求)

あなたが色々なルールを作りたがるのは
自分を信じていないからです
何か律するものが無いと
何をやらかすか分からない生き物だと
決め付けているからです

ルールはあなたのうちに初めからきちんとあって
人はやりたい放題やっても
そのルールからはみ出したりはしないのです

過去に誰かがあなたに
私は「何をやらかすか分からない」と
思い込ませてしまったのでしょうか

だったら
あなたは自分の心にかけよって
「そんなことはない、私は信じてる」と
言うべきです

2007年02月25日

ジェニーン・ロス著「食べ過ぎることの意味―過食症からの解放 」第二章「食べたいものを食べる決意」より抜粋

**以下引用文** 

五年前のある日、罪悪感をかんじることなく自分の食べたいものを何でも食べよう、
もう二度とダイエットをするのをやめようと自分に誓ったあの日、目に浮かんだのはチョコチップクッキーの光景でした。オーブンから出されたばかりのアツアツの手作りクッキー。隣同士とろりと溶け合ったクッキーです。
--中略--
次の日、また何を食べたいかと自分に聞いてみました。
心に浮かんできたのは、チョコチップクッキーの生地が一巻き。
今度はそれを厚くスライスして、食べている光景です。
生のチョコチップクッキー生地でしたが、それが私の望むものなら、それでもいい、と思いました。
--中略--
次の日の食事プランも同じでした。その次の日も、そのまた次の日も、やはりそうでした。
二週間もの間、さまざまな形のチョコチップクッキーを食べ、朝食、昼食、夕食、それに間食まで、こだわりは続いたのです。
第二週の四日目に、昼食に卵を一つ食べ、十四日目の夕食には、ルーシーが作ったラザニアをいくらか食べました。
こうしてさまざまにわたってクッキー生地をボール一杯分食べたのです。
しかし十五日目には、さすがにもう二度とチョコチップクッキーを見たいとは思わなくなりました。
--中略--
私が食べたいものは自分で決めることができると、考えさせたものはいったいなんだったんだろう、と不安に思ったりもしました。
私のパンツはだんだんきつくなっていきます。
それに体重も増えてしまいましたから、このままずっと増え続けるのではないかと恐ろしくなりました。
でもいつか、きっといつか、最後には私の身体の自然な知恵が浮かび上がってきてくれることを信じて、本当に自分が食べたいものを食べようと自分に誓ったのです。
--中略--
私は十七年もの間、ダイエットと過食を繰り返してきました。
十七年もの間、体重を減らしたりふやしたりしてきたのです。
だからこそ、自分を信じるのにこれからさらにもう六ヶ月と六・八キロの体重アップが必要というのなら、それは充分に待つに値すると悟ったのです。
--中略--
確かに待つ価値がありました。
私は初め、このチョコチップクッキー欲求を止めてくれるものなど想像もできませんでしたし、自分が何か他のものを求めるようになることも想像できませんでした。
 ところがクッキー欲求のあと、今度は野菜を渇望し始めるようになったのです。

**引用ここまで**

私の好きなエピソードです。
このユーモアを持って書かれた文章を見て
私はいつもジェニーンの生きることに対する勇気に感動します。
人生は失敗してもまたやり直せばよい実験の連続です。
試してみてうまくいかなければそのときまた考えればよいのです。
うまく行ってないのであれば、別の方法を考える。

私はこの文章で垣間見える作者ジェニーンのイメージのように
自分自身の姿を笑って語れるほどのユーモアを持っていたいと思います
シリアスではなく、ロマンチックではなく、ユーモアのある、生身の私。


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食べ過ぎることの意味 (2 二週間のチョコチップクッキー欲求)

2007年02月24日

ジェニーン・ロス著「食べ過ぎることの意味―過食症からの解放 」第一章「空腹とは恋をしているようなもの」より抜粋

**以下引用文** 

これはある晩、私が一人で読書をしていたときのことです。
突如として、圧倒されそうなほどチョコレートへの欲求に襲われました。
そこから二分もかからなかったでしょう。
コートを羽織り、鍵を掴んだ私は、キャドベリーのフルーツとナッツの(ラージサイズの)チョコレートバーを目指して突進していました。
そして玄関のドアを開けつつあったのですが、ドアの外で、ふと足を止めました。
私は空腹なのかしら、自分に聞いてみたのです。
「空腹ではない」。
これが返事でした。
部屋に戻ろう、そして、腰を下ろして数分間、なぜチョコレートを欲しかったのか、
何をしようとしていたのか、もう一度よく考え直してみよう、と思いました。
考え直してみたうえで、それでもまだチョコレートが欲しかったら、
そのときは、今度こそ買いにいこう、そう自分に言い聞かせたのです。
このようなときには、(もしその場に自分一人だけならば)声を出したほうが、なお一層効果的でしょうが、質問・回答形式で自分自身と対話したり、頭のなかできわめて明確に対話を進めてみることが役立つものです。
たとえばこの夜の対話は次のように展開しました。

私:いったいどうしたというの?
私自身:寂しいのよ。抱き締めてもらいたいの。チョコレートがほしいのよ。
私:チョコレートが何をしてくれると思うの?
私自身:あのね、周りに誰もいないから、何もないよりは、チョコレートがあった方がましなのよ。
だってチョコレートは美味しいんだもの。
私:チョコレートには腕と脚があるとでもいうの?
私自身:まあ、おもしろいこと言うのね。
私:ねえ、あるの?
私自身:ないわよ。
私:じゃあ、あなたを抱き締められるのかしら。
私自身:駄目ね、できないわ。

チョコレートを食べたとしても、おそらくその孤独は食べる前と変わらないということ、
そしてチョコレートに対して本当に求めていたのは、
私の側に寄り添い、愛情を込めて抱き締めてもらうことだったことに気がつきました。
食べ物に何をしてもらうとしていたかを明らかにしてみれば、自分が求めていた答えがチョコレートでないことは確かでした。だから私はシャワーを浴び、さっさと寝てしまったのです。
 この出来事に関して衝撃的なのは私にはチョコレートを買おうと決心するまで、自分が寂しいということが「分からなかった」ということです。

**引用ここまで**

私は今でも時々過食をしたい気分になります。
実際にコンビニに行くことも良くあります。
そして「本当に食べたいものを選ぼう」と思って
じっくりと、それこそ舐めるように棚をじっくりと眺めます。
カロリーの低いものでもなく、
値段の安いものでもなく、
本当に自分が満足するもの

そしてじっくりと時には十分を同じ棚を何度も何度も見直した後で
そこには自分を満足させるものはないということを認めます
欲しいものがないのです
そこには自分を満たすものが無いのだと知るのは
空虚で悲しい気持ちがしますが、
少なくても私は間に合わせのもので自分の本当の気持ちから目をそらすことはしなくてすんだと思いながら
何も買わずに、いつも店を出ます
そして家に帰って自分の空っぽの心と向き合うことにするのです


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強迫行動の意味
食べ過ぎることの意味(1 チョコレートに抱き締めてもらいたい気持ち)

食べ過ぎることの意味 (2 二週間のチョコチップクッキー欲求)

こんなことを思い出します

道をあるいていて
急に食べたくなりました
その頃はよく、歩きながら食べていました
ポケットや鞄などに食べ物を隠して
こっそり口に運びながら歩いたものです

そのときも
道を歩いていて食べたくなって
たまたま目の前にあったコンビニに猛然と押し入りました

過食したくなったときの気持ちというのは
自分と食べ物の間にあるもの
たとえそれがどんなものであってもなぎ倒してやろうと
固く決心した荒々しいものです

それから、たぶんチョコレートか何かを選んで
レジの前まで来ました
絶望的なことに
レジには三人ほどの人が並んでいました
仕方なく一番後ろについて並ぼうとしてみました

駄目でした

私はまた猛然とした勢いで
手にしたチョコレートをもとの棚に戻し
どこにあるか分からない次のコンビニをめがけて
足早にその店を出ていったのです

街中のコンビニでしたから
レジ待ちの時間もひとり一分程度でしょう
すぐ終ります
私はそんなにせっかちな方ではないんです
あんまり暢気に信号待ちをしていて、青になっても渡ることを忘れたりするほど
どちらかというとぼーっとしています

それでも
私は普段ならなんとも思わない
その「推定三分」が絶望的に待てなかったのです

外へ出て、詳しくも無い街の道を
またコンビニを探しながら歩くほうが
ずっと時間がかかるということは理解していました
それでも悩む余地すらなく
苛立ちながら店を出たのです

そのときの私のしたかったことが
「チョコレートを食べる」ということであれば
多分ちょっと待ってレジで支払いをするという
より最短で確実なほうを選んだでしょう

ただそのときの私がしたかったのは
「チョコレートを食べる」ことではなく
「感情を食べ物の中に隠す」ことだったのです
怒りだったのか、悲しみだったのか、孤独だったのか
もう今では忘れてしまいました
ただ、街の中を歩いていて
何かが私に過去の思い出したくない感情を思い出させたのです
私はそれを、その心の中の金切り声を沈めるために
食べ物で口を塞いでしまいたいと思ったのです
猛然と食べ物に向かって進んでいく
その行動は心の金切り声を鎮めるのにとてもふさわしいものでした

ただ
レジで待つことは
心の中で竜巻が次々とやってきて
稲妻が光り
雨あられが降り注ぐなかで
静かに前の人を待つことなど
できるはずはなかったのです
そんなところにお行儀良く並んでいては
きっと心の金切り声はますますよく響いて聞こえてきてしまうでしょう

私はこの「待てなかった三分」という出来事をよく覚えています
過食という心の動きを
とてもよくあらわす行動だと
思うものですから

2007年02月23日

食べすぎてしまう女たち―「愛」の依存症
食べすぎてしまう女たち―「愛」の依存症


私は過食症だった頃、一度この本を読んでいます。
著者ジェニーン・ロスの別の本「食べ過ぎることの意味―過食症からの解放 」が
とても素晴らしい本だと思ったからです。
「食べ過ぎることの意味」はぼろぼろになるまで読み、
すでに鉛筆で引いた線でびっしりになっていました。
ジェニーンの他の本も読んでみたくなり見つけたのがこの「食べすぎてしまう女たち」です。

そのとき読んで思ったこと。
ジェニーンの言葉、考え方はやはりとても素晴らしいけれど
この本は私が今求めているものとは書いてある内容が少しずれている、
と感じたのです。
多くは傷ついた幼児体験にページを割いてあるように感じました。
私は過ぎし日の心の傷のことよりも、目の前にある食べ物のことで頭がいっぱいだったのです。
この本は図書館に返し、自分で購入することはありませんでした。

そうして、私は過食症から回復し、再び図書館でこの本に出会いました。
借りて、もう一度読んでみました。
二回立て続けに読み、A4サイズの白紙に抜書きしたメモは14枚にもなりました。

この本はジェニーン自身、過食症から回復した後で
「食生活を改善した際に解決できたと思っていた問題」
にもう一度直面した経験をもとに綴られたものです。

私も同じ事を感じていました。
私が解決できたのは単に「食べ物問題」だけで、
実際は生活の様々な場面で過食症の時に演じたのと全く同じドラマを
未だに行っているということを。
例えば仕事の問題、例えば愛の問題など。

ジェニーンは真剣なパートナーと出会いますが、
彼と一緒にいる間自分が子供に戻ってしまったような気持ちに始終襲われます。
完璧な愛を求めます。
幼い頃両親がしてくれなかったこと全てをしてもらいたいと望みます。
自分が理想とするような愛情を持つように彼をコントロールしたいと思います。
関心を引くために必死にドラマを作ろうとします。
置き去りにされると彼は二度と戻ってこないと感じ、しがみつき、あるいは心を閉ざそうとします。

摂食障害の分野のセラピストとして活動をしているジェニーンは
自らが直面している「愛情」の問題と
過食者たちが悩む「食べ物」の問題が
全く同じ構造をしていることに気づきます。

この本は今食べ物問題に悩む人々の心と
食べ物の問題を解決した後で悩むジェニーンの心を
シンクロさせる形で書いてあります。
舞台は時に「食べ物」であり、
時に「食べ物」を超えてもっと深く人生に広がります。
おそらく摂食障害について語る本の中で
もっとも視野の広いものの中の一冊です。

七章「二人の関係のために道を開く」から、
印象的なエピソードをひとつご紹介します。

ジェニーンはこの著書の中でかつて母親に虐待された多くの思い出を書いています。
(その母親は現在は新しいパートナーと新しい生活を築いており、
その暮らしぶりも穏やかになったことをジェニーンは喜んでいます。)
過去の出来事について書かれたこの本が出版されるにあたり、
ジェニーンは母親の現在のパートナーから呼び出され抗議を受けるのです。

「書きたければ書けばいい、そしてその後それを燃やせばいい。」
「我々はすでに別の人生をはじめているんだ。
現在の生活があるのだから昔のことを蒸し返すべきではない」
「そんなことをすれば母の心はズタズタになるだろう」

ジェニーンは傷つき、抵抗できなかった子供時代を猛烈に思い出し、
自分の身を守れないと感じます。
そして自分の苦痛は彼の責任に思えて彼を傷つけ返したいと願うようになります。
毎日毎日、ジェニーンはそのことについて考えます。

そしてその感情に「怒り」と名づけ、それを感じ、怒り狂い、
それが自然に消えていくのに任せました。
そうしてジェニーンは静かな心で、
母親の幸福に責任を持つのを止め、母親が自分で作り出したとも言える傷から
母親を守ることをやめる決意をします。
母親の苦痛について自分を責めることから逃れることによって、
自分のことについて母親を責めるのをやめます。
ジェニーンはいつまでも「被害者」でいるのではなく、
傷を感じ癒すことによって母親と新しい関係のために道を開くことを選んだのです。

ジェニーンは言います


怒ることは、癒しにとって決定的に重要です。(--中略--)自分自身を守ること、許せることと許せないこととをはっきり分けること、自分の感情を尊重してくれない人との関係にこだわる必要はないと知ること、他人を非難することなく、自分の心の傷や怒りを表現することもなども、同じように重要です。

***

「食べすぎていう女たち」目次

1食べ物に愛を求める女たち
2愛し合うことが不安になるとき
3もし痩せれば、人生は劇的に変化するのか
4禁じられたものへの欲求が
5あなたの中に二人の違う人物がいる
6悲しみの後に何が訪れるのか
7二人の関係のために道を開く
8何が正しい、何が悪いということはない
9「求めている愛」が本当の愛になるとき

なぜダイエットにそんなに夢中になるのか、
分からない人にはまったく分からないことですよね。

私は
「痩せたかった」のではなく
「傷つかないようになりたかった」
のです
痩せたら皆が私を愛し軽んじたり疎んじたりしなくなると思ったのです

テレビで見る痩せた人も
雑誌で見る痩せた人も
デパートで見る痩せた人も
みんないつも常に同じペースで微笑んで
決して涙と鼻水でぐじゃぐじゃになりながら
泣いたりしないからです

私も痩せてきらびやかになって
自分がステータスになったら
傷つかなくなると思ったんです

「痩せたら傷つかなくなる」って
言葉だけ聴いたら荒唐無稽なようですけども
良く見ると
わざとにそういう誤解を起させるように仕向けてある
あれやこれが
実はこの社会にはわんさとあるんですよね
傷つきやすい繊細な人は
無意識にそのメッセージを受け取ってしまうんです

痩せても傷つきます
過食が治っても傷つきます
「この世に太っていること以上の不幸はありえない」というのは嘘です
「過食さえ治れば幸せになれるのに」というのは嘘です

心を持つ以上
傷つかないということは無理なんです

ダイエットをしなければならない
理由がひとつ減りました。

2007年02月21日

過食症だったとき
「どれくらい食べるのが普通なのか」
「どれくらい食べたらよいのか」
がまるで分からなくて困りました


「友達と一緒に食事に行き
その人とだいたい同じくらいの量を食べるようにしたらよいでしょう」
と書かれた過食症治療ガイドを見たことがあります。
今思い出すと笑ってしまうのですが
その時はお医者様の言うことだからと
うっかり信じてしまいました
今だったらそのお医者様に抗議の電話くらいしたくなるところです。
本当にこんなに過食症について分かっていない専門医が大部分なんですよね

このお医者様は
普段から誰かと一緒に食事をして相手の食事風景をじろじろ見て
だいたい同じくらいの量を食べるようにしてるんでしょうか
それとも
自分は「普通」だから食べる量がわかるけど
過食症患者は「病気」だからその判断能力がない
と思ってるのでしょうか

このお医者様もあなたと一緒です
「どのくらい食べるのが普通なのか?」
満足するくらい食べるのが普通です
「どれくらい食べたらよいのか?」
満足するくらい食べたらよいのです

だからその「満足」がわかんないから困るんでしょっ
と、ちょっと怒りを感じましたか?

「満足」は分かってるんですよ
その「満足感」の信号はちゃんと出されています
あなたが耳を塞いでるんです
「腹八分目が良いって言うし・・・」
「こんなに食べたら格好悪いと思われそうだし・・」
「これは体に悪いって言ってたし・・・」
「こんなに食べるから太るんだって思われるだろうし・・・」
そんな言葉があなたの脳裏を飛び交って
あなたの「満足」の信号をかき消します

あなたが
「自分」より「人の言うこと」を信じると
「自分自身の満足」の声は聞こえません

あなたはもう散々「人の言うこと」を信じてきたではないですか
十分努力したんです
でも現状は幸せでないんです
だったら別の方法を試しましょうよ

今度は「自分の言うこと」を信じてみるんです
失敗したって良いじゃないですが
そしたらまた別の方法を試せばいいんですから

今あなたが幸せじゃないなら
別の方法を試す必要があるんです

人の言うことを聞いてうまくいかないなら
自分の言うことを信じてみればいいんです

2007年02月20日

私が食べ物の問題を解決しはじめていた頃のお話です。
精神面以外にも経済面でも様々な問題が起こっていて
その頃私は就職活動をしていました。
第二新卒というには年を取りすぎていて
さりとて何の技術も資格もない
「使い物になるのかどうかよく分からない女の子」として
私はいくつもの会社を面接を受けて廻りました

面接がとてもいやでした
ただでさえ自分に自信が持てないところなのに
知らない人に
「こいつは役にたつのかどうか」という目でじろじろ見られるなんて
もう本当に嫌でした

面接に行くたびに
私はいくつもシュークリームを買いました
地味な色のリクルートスーツを来た若い女が
200万都市の街中の道を、シュークリームを齧りながら歩くんです
ものすごーく、ヘンです
おかしいし、格好悪いです
シュークリームって齧ると中からクリームがはみ出てきたりしますよね
アレを街中でわざわざ歩きながらやってるわけです
恥ずかしいですねぇ

その頃の私はもう少し食べ物に傍にいて欲しかったんです
その日「面接」に行くために
あまりにも沢山の勇気が必要だったので
手を伸ばして自分を甘やかしてくれるような感触のする
甘くて柔らかくてとろけるような甘いお菓子に
傍にいて欲しかったんです
それが勇気付けてくれるのを感じながら
知らない会社への道を一歩一歩進んでいったんです

私は勇気と自信が足りなかったんですが
勇気と自信が足りないまま人生をはじめることを決めたのです

生活の中に食べ物の問題があるときもそうだし
食べ物の問題を解決してからも
人生はあらゆる一瞬一瞬で逃げるか向き合うかの選択の余地があります

いつでも
逃げるための理由は百万くらい見つかるでしょう
「十分に痩せていない」
「十分に強くない」
「十分に美しくない」
「十分な能力がない」
そう、準備が足りない、といえば良いのです
「準備が終わって私が完璧な人間になったらそれをはじめよう」
と言えばいいのです

向き合うための理由は単純です
自分が自分として生き生きとして生きていたいからです
強迫行動の中に逃げて隠れて自分が誰なのかもわからないような人生ではなく
生きて生まれてきた自分というものを謳歌したいという
自然な欲求があるからです

生きることは
いつも準備不足で格好悪いです
リクルートスーツで歩きながらシュークリームを食べるほど
格好悪くて滑稽で傷つきやすいです

過食が消えても
痩せても
美しくなっても
どこまで行っても
人生は滑稽で傷つきやすいものです

どこまで準備しても
準備は終わりません
生きている限り
「昨日より良くなる余地」があるからです
人間は成長するんです
完成するものではありません

2007年02月17日

過食を、したいですか

大丈夫、できますから
焦らないで考えましょう

何が食べたいか
まずちゃんと考えてください
暖かいもの
冷たいもの
硬いもの
柔らかいもの
甘いもの
辛いもの
いろいろありますよね

なんでも良いなんて言ってはいけません
食べること生きることそのものですから
絶対に何でも良くはありません
あるもので間に合わせてはいけません
絶対に今本当に食べたいものを
手に入れて食べてください

それが本当に食べたいものなら
絶対に努力を惜しまないでください

それを食べたら
どんな気持ちになるか考えてみてください
無駄な緊張がほぐれて
リラックスして気持ち良くなりそうでしょうか

もし、
「そんなことはない、気持ち悪くなるだけだ」
と思ったら
あなたが今一番したいことは過食ではないかもしれませんね

それなら
もしかしたら疲れているだけかもしれません
床に寝てみてください
心臓に手をあてて
「私はここにいるだけで価値がある」
と声に出して唱えてみてください
何回も何回も言ってください
気持ちよくなって
眠くなるでしょうか

その後で
気持ち悪くなってもやっぱり過食がしたかったら
思い切り食べましょう
あなたには十分その権利があります
誰だって欲しいものを欲しがっていいのですから

2007年02月16日

過食症のことは諦めました

私が生きていくのに過食症が必要なら、それをやろう
と思うようになりました。
そうすると
「過食したいな」と思ったときの考えることが少し変わるんですよね
「過食したいならしても良いんだけど、
時間かかるし、体つらいし、動きたくなくなるし、
食べ物もそんなに美味しくないし。
今度にしよう。いつでもできるし」


少しずつ思うようになってきました

「過食のことよりも、今哀しいのはなぜだったろう」

私が切なかったのは
「自分には食べることが許されてない」ってことだったんです
自分には食べたいように食べることが許されてない
という思い、剥奪感が
私を「食べたい食べたい」の衝動に駆り立てていたんです

あなたの意識は
あなたの心に協力をするべきです
あなたの心が欲しいものがあれば
それを手に入れるために最善の努力をすることを心に約束すべきです
あなたの心はあなたにとって一番良いことを望むに決まっているのですから
あなたはそれをまず信じることです

あなたの心が疲れ果てて
あれこれの食べ物を欲しがっている時は
できる限りどんな努力でもしてそれを手に入れて
あなたの心を慰めると約束すべきです
本当に欲しいものは何かということを
きちんと心に聞いてあげるべきです

赤ちゃんは抱きしめて欲しい時には泣きます
怒って泣き止ませることはできません
顔が真っ赤になるまで
呼吸が苦しくなるまで
全身全霊で泣きます
それでも
抱きしめてもらって満足さえすれば
自分で泣き止むのです

2007年02月15日

「過食症」と「やけ食い」って
どこが違うのかなあって
考えたんですけど

「やけ食い」って
あーあ、食べちゃったなあって
三分くらい思うけど
あとはちゃんと自分の日常に戻っていくんです

「過食症」って
もうそれで自分の一生が台無しになって
一日でも一年でも十年でも
自分を責めるんです

過食症の人って
集中力があるんですよ
普通の人は
そんなに神経持たないからこそ
「やけ食い」で済んでしまうんですよね

過食症は
罪ではなくて
翼です
あなたの武器ですよ
あなたの優れたところです

ただし
あなたのすることは
「自分を責めること」ではなく
「自分の声に耳を傾けること」です

今日はどうして
過食するほど哀しかったのですか?

2007年02月14日

「どうして普通の人は食べ終り時が分かるんだろう」って
私は思ってました

「もういい。満足。お腹一杯」
という感覚が無いのです。

無いから無限に食べてしまうのです。
地球だって丸呑みしてしまうでしょう。
だから誰かに拘束されて
手かせ足かせ猿轡をされて
洞窟に閉じ込めてもらわなければ
とんでもないことになると思っていました。

でも誰もそうしてくれないから
だから自分で必死に「食べちゃ駄目だ」と思っていました
自分で沢山ルールを作りました
あれはよし、これはだめ
私自身の感覚なんてまったくあてにならないから
自分で厳しく自分を律するしかなかったのです

どうして私には
「もういい。満足。お腹一杯」
がなかったんでしょうか
私が意地汚いからですか?

違います

人はいろんな理由で食べ物を必要とするのです


「お腹が空いたから食べたい」
のであれば
お腹が満たされれば
過食症の人だって
「もういい。満足。お腹一杯」
がわかります。

「寂しくて辛くて孤独で誰も自分を慰めてくれないから
せめて好きな食べ物で自分を暖めたい場合」
これはどうでしょうか

「食べ物が欲しい」
と言ったのは
あなたの胃袋ではなく
あなたの心です
だから
胃袋の声に耳をすましても
「もういい。満足。お腹一杯」
とはいいません

では
寂しさの心に耳を澄まします
それでも
「もういい。満足。お腹一杯」
とは言ってくれません
寂しさの心が欲しかったのは
本当は食べ物ではなく愛情です
だけど、それが与えられないなら
せめて好きな食べ物でリラックスしたいと思ったのです

だから
それを食べることで自分が
どれくらいリラックスできたかに注目してください
甘かったり
暖かかったり
ふんわりしたり
硬かったり
食べ物が持つ感情に注目します
あなたの寂しさと何か会話をしていますか
少し、気持ちよくなれましたでしょうか
食べ物にできるのは、
それで精一杯です

あとは
あなたの孤独を引き受けていくのは
食べ物ではなく
あなたの仕事です

食べ物は
敵じゃありません
あなたを少し勇気付け
できる限り精一杯励ましてくれました
あなたの口から入り
喉を滑り落ち
お腹を暖めてくれることに
注目してください

2007年02月13日

周りの人が見ても、医学的に見ても、太り過ぎとは思えないのに、
「自分は太っている」と感じている女性がとても多い、と言う調査結果が
アンケートなどではとても多いようですね。

アンケートに参加した女性のほぼ100パーセントが
鏡も持ってるでしょうし
体重計も身近にあるでしょうに
なぜ
自分の目で見たものすら信じないのでしょうか

「私は太っているから」
というのはひとつの比喩です。

「私は太っているから」という表現で
女性たちは劣等感を表現します

劣等感はグラムやキロで表現できるものではないですから
体重計の宣告にかかわらず
劣等感の多い人は
「とてもとてもとてもとても私は太っている」
となります

でも実は
体重の正体は劣等感ではありませんので
ダイエットをしても
成功をしても
どこまで痩せても
消えてなくなっても
劣等感だけは
「とてもとてもとても」大きいまま残ってしまいます

あなたは

太っているから劣等感を感じているのではなく
劣等感があるから自分を太っていると感じるのです

「食べちゃいけない、食べちゃいけない」と思って我慢した後で
「でもひとくちだけ」なんて言い訳を見つけて食べ始めた時の、
それでとまらなくなって
「どうせ止まらくて何もかも駄目になったんだから仕方ない、全部たべちゃえ」
と自分をコントロールすることを諦めた瞬間の
あの恍惚とした意識が気持ちよかったんだろうなって思います

「どうせ止まらない」
「どうせ自分は意地汚くて駄目だ」
どうせ、どうせ
問題は全て食べ終わってから考えることにして
さてとりあえず目の前にある分だけは全部食べちまえっていう
あの瞬間が
恍惚だったんですよね

私の頭の中は考えたくないことでいっぱいだったんです

頭の中に考えたくないことがあるとき
みんな色々なことをします
お酒を飲んだり
ギャンブルをしたり
セックスをしたり
やけ食いをしたり
それは結局問題を先送りにしてるだけで
解決はしないのですけども

でももしあなたがまだその問題に直面する勇気がないので
もう少し逃げていたい、という気持ちを持っているのであれば
あなたは逃げ場があって、ラッキーだったってことになります

食べながらで良いから考えてください
今自分はどんな気持ちだろう
どうして哀しいのだろう
って

依存って武器ですよ
物凄い集中力ですから

苦しいのは知ってます
とっても辛いですけども
せっかく過食症になったのなら
過食症と一緒に生きて成長した方が良いと思います

苦しいけど
追い払ったりしないで
がっちり肩を組んで
一緒に人生に取り組みませんか

あなたはきっと何か悲しいのです

過食症の人って勉強家さんが多いような気がします
治りたくて一生懸命たくさん本を読んだりしませんか?
私も随分読みました

摂食障害の本も読んだし
栄養学の本も読みました

どういう人が過食症になりやすいとか
どういう症状になるとか
どんな薬、どんな食べ物、・・・・

なんだかダイエットそのものみたいですよね
結局私たちはノウハウコレクターなのかもしれません
どうするのが正しいのか
を自分ではないほかの誰かに決めてもらいたいんです

私は
諦めた時に治ったんだと思います

過食症は人生の長い期間潜伏して
症状は出たり消えたりしましたが
愛されたい人に、どれだけつくしても愛してもらえなかったとき
どんどん症状が悪くなりました
そして私は自分で見ていました

「仕方ない」
と思ったんです
「仕方ない、今の自分に過食が必要なのならやろう」
「過食をしながら考えていくしかない」
と思ったんです

太って醜いから愛されないんだろう、って
それももちろん思いました
でも食べながら考えました
「私についている何キロかの肉の為にあの人は私を愛することを保留にしているのだろうか」
答えは、ちゃんと初めから知っていたのです
だけど自分でそれを認めるのが辛かったから
過食症の闇に隠れたんです

私は最初から愛されてなどいずに
利用されただけでした
尽くせば尽くすほど
私は軽んじられるだけでした
あまりにも傷ついていたので
今更そんなことに気づくわけにはいかないと
私は目をそむけていたのです

食べながら
泣きながら
私は最初から存在しなかった愛情を諦めました

「今私にとって必要なのことが過食症ならば、仕方ない、それをやろう」
と腹をくくった、あの瞬間は、私のターニングポイントだったように思います。

私は過食症の向こうにある、自分の力を信じ始めていたのです。

2007年02月09日

一日三食野菜を中心にきちんと食べるようにする
それ以外に過食してしまっても
できるだけ自分をせめないようする

とルールを決めて
「よしこれで何もかもうまくいくぞ」と
ほんの一時だけ気分が明るくなったり
だけど「きちんと」食べるはずだった
「野菜を過食」して悲嘆にくれたり

そんなこと
ありませんか

不思議ですけど
野菜って正義のイメージですよね
ちゃんとしてて、正しくて、間違ってなくて、
それに対して好きなものを好きなだけ食べるって
悪のイメージですよね
「必要悪」として認めてもやっぱり
「悪」は「悪」だと思ってるわけで

結局
どんな風にちょっとずつ言い方を変えてルールを作っても
自分の心の外側に「正しいこと」があって
自分の心の中から湧き出てくる欲求は「悪」と
考えてることに変わりはなくって

いまあなたが考えたそのルールは
今までやってきた幾多の決まりごとの焼き直しです

「これをすべき」
「これをしてはいけない」
と頭ごなしに言って
力ずくで心を黙り込ませようとしているのに
代わりはないんです

知ってますか
美味しいことって体にいいのです
医者がなんと言っても
あるある大辞典がなんと言っても
栄養学の教科書がなんと言っても
あなたが「ああ、美味しいなあ」と
心から思う食べ物ほどあなたにふさわしいものはありません

何の為であれ
食べたくないものは食べてはいけません
食べたいのに我慢してはいけません

そのために
慎重に考えてください
あなたが今何を食べたいのか
本当に一生懸命考えてください