食べ過ぎることの意味(1 チョコレートに抱き締めてもらいたい気持ち)
ジェニーン・ロス著「食べ過ぎることの意味―過食症からの解放 」第一章「空腹とは恋をしているようなもの」より抜粋
**以下引用文**
これはある晩、私が一人で読書をしていたときのことです。
突如として、圧倒されそうなほどチョコレートへの欲求に襲われました。
そこから二分もかからなかったでしょう。
コートを羽織り、鍵を掴んだ私は、キャドベリーのフルーツとナッツの(ラージサイズの)チョコレートバーを目指して突進していました。
そして玄関のドアを開けつつあったのですが、ドアの外で、ふと足を止めました。
私は空腹なのかしら、自分に聞いてみたのです。
「空腹ではない」。
これが返事でした。
部屋に戻ろう、そして、腰を下ろして数分間、なぜチョコレートを欲しかったのか、
何をしようとしていたのか、もう一度よく考え直してみよう、と思いました。
考え直してみたうえで、それでもまだチョコレートが欲しかったら、
そのときは、今度こそ買いにいこう、そう自分に言い聞かせたのです。
このようなときには、(もしその場に自分一人だけならば)声を出したほうが、なお一層効果的でしょうが、質問・回答形式で自分自身と対話したり、頭のなかできわめて明確に対話を進めてみることが役立つものです。
たとえばこの夜の対話は次のように展開しました。
私:いったいどうしたというの?
私自身:寂しいのよ。抱き締めてもらいたいの。チョコレートがほしいのよ。
私:チョコレートが何をしてくれると思うの?
私自身:あのね、周りに誰もいないから、何もないよりは、チョコレートがあった方がましなのよ。
だってチョコレートは美味しいんだもの。
私:チョコレートには腕と脚があるとでもいうの?
私自身:まあ、おもしろいこと言うのね。
私:ねえ、あるの?
私自身:ないわよ。
私:じゃあ、あなたを抱き締められるのかしら。
私自身:駄目ね、できないわ。
チョコレートを食べたとしても、おそらくその孤独は食べる前と変わらないということ、
そしてチョコレートに対して本当に求めていたのは、
私の側に寄り添い、愛情を込めて抱き締めてもらうことだったことに気がつきました。
食べ物に何をしてもらうとしていたかを明らかにしてみれば、自分が求めていた答えがチョコレートでないことは確かでした。だから私はシャワーを浴び、さっさと寝てしまったのです。
この出来事に関して衝撃的なのは私にはチョコレートを買おうと決心するまで、自分が寂しいということが「分からなかった」ということです。
**引用ここまで**
私は今でも時々過食をしたい気分になります。
実際にコンビニに行くことも良くあります。
そして「本当に食べたいものを選ぼう」と思って
じっくりと、それこそ舐めるように棚をじっくりと眺めます。
カロリーの低いものでもなく、
値段の安いものでもなく、
本当に自分が満足するもの
そしてじっくりと時には十分を同じ棚を何度も何度も見直した後で
そこには自分を満足させるものはないということを認めます
欲しいものがないのです
そこには自分を満たすものが無いのだと知るのは
空虚で悲しい気持ちがしますが、
少なくても私は間に合わせのもので自分の本当の気持ちから目をそらすことはしなくてすんだと思いながら
何も買わずに、いつも店を出ます
そして家に帰って自分の空っぽの心と向き合うことにするのです
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