食べ過ぎることの意味 (2 二週間のチョコチップクッキー欲求)
ジェニーン・ロス著「食べ過ぎることの意味―過食症からの解放 」第二章「食べたいものを食べる決意」より抜粋
**以下引用文**
五年前のある日、罪悪感をかんじることなく自分の食べたいものを何でも食べよう、
もう二度とダイエットをするのをやめようと自分に誓ったあの日、目に浮かんだのはチョコチップクッキーの光景でした。オーブンから出されたばかりのアツアツの手作りクッキー。隣同士とろりと溶け合ったクッキーです。
--中略--
次の日、また何を食べたいかと自分に聞いてみました。
心に浮かんできたのは、チョコチップクッキーの生地が一巻き。
今度はそれを厚くスライスして、食べている光景です。
生のチョコチップクッキー生地でしたが、それが私の望むものなら、それでもいい、と思いました。
--中略--
次の日の食事プランも同じでした。その次の日も、そのまた次の日も、やはりそうでした。
二週間もの間、さまざまな形のチョコチップクッキーを食べ、朝食、昼食、夕食、それに間食まで、こだわりは続いたのです。
第二週の四日目に、昼食に卵を一つ食べ、十四日目の夕食には、ルーシーが作ったラザニアをいくらか食べました。
こうしてさまざまにわたってクッキー生地をボール一杯分食べたのです。
しかし十五日目には、さすがにもう二度とチョコチップクッキーを見たいとは思わなくなりました。
--中略--
私が食べたいものは自分で決めることができると、考えさせたものはいったいなんだったんだろう、と不安に思ったりもしました。
私のパンツはだんだんきつくなっていきます。
それに体重も増えてしまいましたから、このままずっと増え続けるのではないかと恐ろしくなりました。
でもいつか、きっといつか、最後には私の身体の自然な知恵が浮かび上がってきてくれることを信じて、本当に自分が食べたいものを食べようと自分に誓ったのです。
--中略--
私は十七年もの間、ダイエットと過食を繰り返してきました。
十七年もの間、体重を減らしたりふやしたりしてきたのです。
だからこそ、自分を信じるのにこれからさらにもう六ヶ月と六・八キロの体重アップが必要というのなら、それは充分に待つに値すると悟ったのです。
--中略--
確かに待つ価値がありました。
私は初め、このチョコチップクッキー欲求を止めてくれるものなど想像もできませんでしたし、自分が何か他のものを求めるようになることも想像できませんでした。
ところがクッキー欲求のあと、今度は野菜を渇望し始めるようになったのです。
**引用ここまで**
私の好きなエピソードです。
このユーモアを持って書かれた文章を見て
私はいつもジェニーンの生きることに対する勇気に感動します。
人生は失敗してもまたやり直せばよい実験の連続です。
試してみてうまくいかなければそのときまた考えればよいのです。
うまく行ってないのであれば、別の方法を考える。
私はこの文章で垣間見える作者ジェニーンのイメージのように
自分自身の姿を笑って語れるほどのユーモアを持っていたいと思います
シリアスではなく、ロマンチックではなく、ユーモアのある、生身の私。
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