チョコパイの思い出
チョコパイという、ひどく甘いお菓子があります
いくつかのメーカーから似たようなものが出てますが
私が子供の頃、森永のチョコパイが
盛んにTVのCMで流れていました
少し高い部類のお菓子だったのですよ
家はあまり裕福でもなかったので
食べさせてもらったことはなく
食べてみたいなあ、とCMを見るたびにいつも思っていました
あるとき、何の機会だったのかは忘れてしまったのですが
スーパーで母親から
「なんでも好きなものを買ってあげる」と
言われたことがありました。
嬉しくて、迷わずそこにあったチョコパイを指さしました
それを見た母親は即座にひとこと言ったのです
「嘘でしょ」
酷く悲しい思いでうなずいて、
私はいつもと変わらないような
「母親の望んでいそうなもの」を探して買ってもらいました
渦巻き型のかりんとうだったり
あんこの入った今川焼きだったり
母の好きなものはたいてい
私はあまり好きではなかったのです
私は子供でしたが、それでも
「自分は母親が望んでるものしか望む権利がないのだ」
という宣告を受けることは
とても辛いものでした
私は今でも人と食事に行くとき
これを食べたい、とうまく言うことができません
「何を望んだらその人が喜ぶのか」が気になって
自分が何を食べたいのかがわからないのです。
そしてそのような食事を人とした後で、一人になってから
何かたいしたことのないジャンクフードなどを
自分ひとりのために食べて、やっと開放されたような思いになります。
それでもできるだけ、
毎日が失敗だらけであってもひるまずに
自分の望むものを明確にしようと努力し続けるのは
ひどく集中力がいるものです
自分が本当に望んでいることを望もうとベストを尽くす習慣は
とても簡単に崩れてしまいます
周りの人の喜ぶように、自分の望みを後回しにすることの方が
ずっと楽だからです。
私は最近、ふと「チョコパイを食べたいな」と思いました
本当は、あの味は私の好みには甘すぎるのですが
それでも食べたいと思ったので買って食べました
そうして二十年も前に
「嘘でしょ」というひとことで
母親から自分の希望をなかったことにされて
とても悲しかったことを思い出しました。
あの時の私は、悲しくてもうなずいて
自分の希望を隠すことしかできませんでしたが、
私はもうあの悲しみは繰り返さないようにしようと決めました
私はいつもいつも
自分のしたいことをしたいと言うように
自分のために努力をしようと
例えば自分の望んでいるものが
こんな風に子供っぽい酷く甘くべたべたした栄養もないようなお菓子である場合でも
それでもやっぱり隠さないで自分の望みのために努力をしようと
私は久しぶりにチョコパイを食べながら思ったのでした


コメント
元(元?)摂食障害患者です。今のメインは鬱病です。
食べることを楽しむ,食べたいときに食べたいときを食べる,自分が望みをかなえることを許す。ほんと,そのとおり,ですね。
実は医師でもあるのですが,もし悩んでいる人がいたら,このblogを紹介してみようかと思います。本も,買ってみますね。
素敵なblog,ありがとうございました。
投稿者: さよ | 2007年03月05日 10:28
さよさん
お医者様でいらしたんですね。
うつ病と医師であることを両立(?)するのはどれほどの心労かと思います。
私も元摂食症、というような立場でサイトを立ち上げはしましたが
摂食障害が治って解決したのは単純に「食べ物の問題」だけでした。
今でも無力感に襲われたときには
摂食障害の時と同じ方法で傷つくことに対して対処をしようとする自分に気づきます。
舞台が「食べ物」ではなく、「仕事」であったり、
「お金」であったり、「愛情関係」であったりこそしますが
何かに固執することで現実との間に壁を作って、
直接傷つくことから逃げようとするスタイルは摂食障害の時と同じものです。
そういう意味で、このサイトは一部は「そこを通り抜けてきた者」として
摂食障害から離れていくためのアドバイスでありたいという気もありますが、
他方では今現実に傷つきながら生きている自分自身のための羅針盤でもあります。
おこがましいことを言いますが、人の役に立てたら嬉しいです。
今ごろ長時間勤務なのですよね。
どうぞ、くれぐれもご自愛を。
投稿者: ノラ@管理人 | 2007年03月05日 17:54
ノラさん、チョコパイのお話。
私自身も同じように母や、父が喜ぶような選択をする子供時代を送っていていました。
今も本当に何が自分の希望なのか?何が食べたいのか?解らない事の方が多くて。
でも、自分の希望が、望むものが何なのか?問いかける努力もしていなかったのかもしれないと気が付きました。
小さな選択も、自分の意思で選べるようにしていきたいと思います
投稿者: 金木犀 | 2007年06月01日 20:18
金木犀さん
そうですよね。
これがなかなか難しいのですが、慣れていかなくては、と本当に思います。
食べ物に大きな悩みを抱えている人にとっては
「食べること」はそのまま「生きること」の縮図ですから
自分の口に入るたべものにこだわりをもてるようになるのは
すごく大きな意味がありますよね。
ちょっとずつ、慣れていきたいですね。
投稿者: ノラ@管理人 | 2007年06月02日 13:04
カテゴリー「食べ物の思い出」を全部読みました。
一番心に残ったのがシュークリームの思い出で、私はリバウンド時代に人の冷たい視線を、道端や特に通勤電車の中で浴びながら食べ続けた時のことをコメントしたつもりなのですが、全く反映されていませんでした。テーマによってコメント欄があったりなかったりするのはどうしてなのでしょうか?
チョコパイも実は電車の中でファミリーパックという12個入り(10個だったかな?)のものをバリバリと開けてしまったことがあります。チョコパイって結構ぽろぽろとチョコがこぼれたりしますよね?それを意に介せず、3個ほど食べたところで下車し、飲み物を買ってはまた5分後の電車に乗り・・・自宅までの55分間を過ごしました。
なんか、私の過食って、ホントに意地汚いというか餓鬼というか・・・死にたくなります。
投稿者: あゆ | 2007年08月18日 12:10
あゆさん、
コメント、ごめんさないね。
私は全部読ませていただいているんですが
サーバー不安定みたいで、表示されたり、されなかったり、
というのが数日前から続いているんです。
サーバー移転はしてみたんですが、
今は、様子みるしかできなくて、本当にごめんなさい。
電車の中でチョコパイのファミリーパック食べても何も問題ないじゃないですか。
ただ、もし電車の中ではなくて家で落ち着いて食べた方が美味しいのであれば
それは次回チョコパイが食べたくなったときにそうすればいいだけの話であって、
意地汚くもないし、餓鬼でもないし、
ただあゆさんは電車の中でチョコパイ食べただけだって、私は思いますよ。
電車の中でチョコパイ食べる権利もあります。
投稿者: ノラ | 2007年08月20日 16:07