味噌ラーメンの思い出
私が、中学生くらいの時だったでしょうか
母と私と二人きりの週末のお昼でした
二人だけなので食事の準備をする気にはなれず
たまたまふたつあったインスタントラーメンを作って食べました
味噌味と醤油味がひとつずつ、でした
できたラーメンを母は
自分の前に味噌味、私の前に醤油味を置きました
私は味噌を食べたいな、と思っていたのですが
母も味噌を食べたいならそれで構わないと思って何も言いませんでした
それでも「醤油でいいかい?」とも聴かれないのが
少し不思議な気はしたものです
二人とも食べ終わってから
少しお味見で母のどんぶりに残ったスープを舐めてみたりしました
美味しいね、といったら
母は「味噌は嫌いだ」と言ったのです
ではなぜ味噌を選んだのかたずねたら
私が味噌を嫌いに違いないと思ったそうです
母は
母自身が嫌いなものは私も嫌いに違いないと決め、
自分が娘のために犠牲になるために
嫌いな方をあえて選んで取ったのです
そんな必要ははじめから少しもなかったのに
母はどうしても
娘である私が自分と別の人格の一人の人間だということを理解できない人でした
自分の好きなものは娘の好きなもの
自分の嫌いなものは娘の嫌いなものだと決め
それが思い込みだということに
とうとう気づくことができませんでした
私には食べ物の選択という単純なレベルでのプライバシーすらありませんでした
そして
母は家族が側に居る限り
いつも率先して嫌いなものを取り続けました
母は家族がいるがために自分の幸福のための選択はしようとしませんでした
母が母であるということの意味は
果てしなく「自己犠牲」であり
それが「犠牲」である限り
私が母の娘であることの意味は「罪」でした
私が母の側に居る限り
自分の好きなもの嫌いなものについて選ぶ余地がないということ
私が母の側に居る限り
母は嫌いなものを取り続けなければならないと信じ込んでいるということ
そのどちらものが
私にはとても辛いことに思われたのでした

