死ぬほど痩せたいという気持ちに注目するためのガイドライン
※この記事はジェニーン・ロス著「食べ過ぎることの意味―過食症からの解放 」より
「第九章 欲求」を参照しています。※
自分にないものを何でも全て求める心の叫びについて述べます。
夢を持ち、その夢に向かって進んでいこうとすることと
現実から一歩距離をおいた空想の世界で生きることの間のにある
微妙なバランスは崩れやすいものです。
私たちは何かを欲するとき、それを手にした時の自分を思い描きます。
そのとき、その空想をコントロールする力は自分自身が握っています。
空想の世界では失望することも、危険や弱さに直面することも、
傷つけれられる恐れもありません。
人生を、今自分が手にしているものの中で過ごすと、
私たちはコントロールを失います。
愛する者を失うかもしれません、閉ざされてしまうかもしれません、
置き去りにされるかもしれません。
自分が今手にしているものの大切に気づくや否や、
私たちはそれを失うかもしれないということ悟るのです。
痩せたいという欲求について
「現実に今よりももっと体重が軽い」ということと、
「今より軽かったらいいのに、と思うこと」は
全然別のことです。
もっと痩せていたらいいのに、と思うとき
空想の中のあなたは完璧な存在であり、
求める側ではなく、常に求められる存在でしょう。
あなたは傷ついたり迷ったりしない存在として空想の世界で暮らします。
しかし実際に痩せた体を手に入れるとどうなるでしょうか。
あなたはコントロールを失います。
痩せたあなたはすでに夢ではなく、現実です。
どのように話し、働き、感じたらいいのかは自分で判断しなければなりません。
痩せた体はあなたの変わりに人生に取り組んではくれません。
あなたがそれをしなければならないのです。
著者ジェニーンはそうして何度も痩せては、
痩せた生活に失望して再び体重を増やし、
自分の生活のありとあらゆる欠点を増えてしまった体重のせいにしながら
痩せることこそが全てを薔薇色にかえてくれる最終ゴールなんだ
という思い込みをもう一度築き上げ
痩せたら手にできる成功を再び夢見つづけていました。
手に入れることを求めているのではなく
求めることを求めていたのです。
痩せたいという欲求は現実を隅へ押しやり、
現実の自分を頭から締め出してしまいます。
あなたはずっと自分自身の人生は蔵の中に押し込め、
コントロールできない人生の諸側面と自分の間に
クッションを置いてきたのです。
「死ぬほど痩せたい」と思う一方で、
本当は痩せることを求めてはいないかもしれない可能性
を認めるには相当な勇気が必要です。
しかし痩せた身体を単に概念的な小柄な身体ではなく、
ひとつの生命として、現実の中で生きる生命として捕らえることができたとき
その欲求は静まっていくでしょう。
欲求のリストを作りましょう
あなた自身の経験から欲求というものについて何か発見してみましょう
下の5つのリストを完成させてみてください。
1、欲しいけれど、実際には今、手にしていないものとは何ですか
・新しい車?痩せた体?別の仕事?新しい関係?赤ちゃん?
2、今まで欲しいと思ってきて実際に手に入れたものは何ですか
3、求めることで可能になることは?
・それはあなたをファンタジーの世界に招きいれ、失望から守ってくれますか
4、もしそれらのものを手にいれたら、あなたの人生はどのように変わるでしょうか
・それによっては自分は完成される、そう感じるならそう記入してください。
ロマンチックでば馬鹿げているように感じても、
心の内側に押さえ込んでしまうよりも
書き出して実際に目で確認してみるほうがいいのです。
5、自分が欲しかったものを手にしている今、人生はどう変わったでしょうか
特に、長期にわたる幸せをもたらしてくれたものに着目してください
欲求の姿勢をとってみましょう
・あなたが欲しいもの、きっと幸せにしてくれると確信しているものを思い浮かべてください。
それを取ろうとするように両手をまっすぐ伸ばして、そのまま伸ばし続けていてください。
その姿勢は快適でしょうか。
・あなたの心は現在、この姿勢、このように激しく物を求める姿勢をしているのです。
これは辛い姿勢です。
朝、目を覚ましたとき、自分の身体は絶対に今快適なんだと想像してみてください
・自分は欲しいものをすでに手にしている、一日中自分にそう思い起こさせてください。
あなたの関心はどこにいくのでしょう。
欲求にとって変わるのは何でしょう。
欲求の存在しない一日、あなたはいつ最高の瞬間を迎えるでしょうか。
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コメント
ノラさん、はじめまして。
摂食障害になってもう10年以上たちます。5年以上一度も嘔吐なしで食事をしたことがありません。いろんなこと、わかっているはずなのにどうしても過食、そして嘔吐、を繰り返しています。つらくてつらくてもう、本当に悪循環でいやになってしまいます。このブログをみつけて、なんども、なんども、読み返しています。なんというか、すごくしっくりくるのです。ありがとうございます。また読ませてもらいます。
投稿者: うさぎ | 2007年03月07日 22:18
うさぎさん
5年以上一度も嘔吐なしで食事をしたことがないというのが
どれほど孤独なことだろうと思ったらとても悲しくなりました。
何度も読んでくださって、こちらこそ嬉しいです、ありがとうございます。
うさぎさんはもしかしたら自分を信じることにあまり慣れていなくて
思い切って信じてみようとするのに凄く勇気が必要なのかもしれませんが
でも私は信じます。
うさぎさんがちゃんとした理由があって過食嘔吐をはじめたのだということも
うさぎさんの心を守ろうとしてそれを五年も続けたのだということも
別の方法を使ってもちゃんと心を守っていくことはできるだろうということも
私は全部完璧に信じます。
だからもしよかったら
どうしてそんなに孤独なのか、もし良かったら、もう少し話してみませんか。
言葉にするうちに出口の場所が見えてくることもあるのだと、思います。
投稿者: ノラ@管理人 | 2007年03月08日 08:25
ノラさん ありがとうございます。
私はもうこんな生活が長すぎて、何がどうしてこんなことになってしまったのか、わからなくなってきています。
ただただ、1日中食べて吐いて、その繰り返しなのです。食べていないと不安なのです。歩きながらでも、運転しながらでも、眠りに着く寸前まで、食べていないと不安でいられないのです。
親には何不自由ない生活と、愛情も与えられて育ったと思います。だからこそ、それでもこうなってしまう自分が許せないのです。
はじめは過食のみで150キロくらいまで行きました。そのあとは拒食で40キロくらいまで落ち、5年前から過食嘔吐に移行しました。
自分はいったい何がしたいのか、
自分を愛してくれる人はたくさんいるとわかっているのに、これ以上何をもとめているのか。
ノラさんは、私にちゃんとした理由があって過食嘔吐をはじめたのだろうといわれましたが、
私にはそんなちゃんとしたものはなんにもないのです。
私には、なんにもないのです。
だから信じるといってくれたノラさんの言葉を読んだら、涙が出てきました。
私を信じてもあなたはきっと、失望するでしょう。
だから、信じないでほしい、とさえ、せっかく信じてくれるといってくれたあなたの言葉さえも、私には怖くてたまらないのです。
投稿者: うさぎ | 2007年03月08日 14:00
うさぎさん
別の摂食障害に悩む方にも言われたことがあります
「私は虐待されたわけでもないし、
親の愛が足りなかったわけでもないのに・・・」と。
なんだか不思議な言い方になってしまいますが
「虐待されていない以上、摂食障害になんてなる権利がない」
と思って自分を責めている人の数は多いような気がします。
「親には何不自由ない生活と、愛情も与えられて育った」としたら
人生の中で傷つくのは、我が儘なのでしょうか。
親が幸せになれるように全てお膳立てをしてくれた以上は
絶え間なく幸せを感じていなければ誰かを裏切っていることになるのでしょうか。
「自分を愛してくれる人はたくさんいるとわかっているのに、
これ以上何かを求めること」を利己的なことだと思うのですか?
環境の変化に応じて次々と欲しいものが変化していき、
その欲求には際限がないことを自然なこととは感じませんか?
なぜうさぎさんは「自分は欲しがり過ぎる」と思いこんでいるのでしょうか。
うさぎさんが「怖い」と感じているのは
”信じるといったノラが失望するかどうか”ということなんかじゃありません。
強迫行動をやめることって怖いんですよ。
心を守るためにはじめたことだから、やめるという選択は怖いんです。
やめたらその先に何があるか分からないから、
やめることは誰にとっても怖いんです。
怖くても、それが自分をよりいたわることであれば
それでもやっぱり前に進むんです。
うさぎさんが怖がっているのは、私のことじゃないですよ。
私はそれでも
怖くてもやっぱり
うさぎさんに今ここで踏みとどまって自分を信じてみてもらいたいです。
150キロと40キロの間を揺れ動くのは
「とてもとても辛いこと」以外の何ものでもないから、
だから勇気を出して信じてほしいです。
うさぎさんは狂ってるのでもないし
我が儘でもないし、怠け者でも、意志が弱いのでもないです。
ただ迷って傷ついているだけです。
傷つきやすい心を食べ物の中に隠しているだけです。
投稿者: ノラ@管理人 | 2007年03月08日 16:37
ノラさん、たくさんの言葉をありがとうございます。
私は自分のことを欲張りだと、そう思います。
何もかも、すべて完璧に、欲しいのです、多分。
自分の望む人生を完璧に手に入れたい、でもそれは絶対にありえない。何もかもを完璧に、なんて無理ですよね。
でも、わかっていても、どうしても求めてしまうのです。
そして、今度こそ、と努力しては失望し、絶望し、気づいたら悲しいけれど
もう10年も渇望し続けているのです。
勇気が、
勇気がほしいです。
ノラさん、あなたは具体的に食事に関してどのように取り組んで回復していったのでしょうか。もしよろしければ教えてください
投稿者: うさぎ | 2007年03月08日 21:31
うさぎさん
回復の方法を一番詳しく、ということであれば
今毎日アップしているガイドラインが全てです。
私が過食をしているときに手に入れ、
線を引き、マークをつけ、書き抜きをし、
背表紙が外れてぼろぼろになるまで読んだ本です。
もっと簡潔に、というのであれば
「過食のことは諦める」ということです。
とても勇気は必要でしたが
でも自分にとって過食が必要なら仕方ないと思って食べ続けました。
そして食べながら考えました
「オーケー、私は食べている。それで何があったの?」
食べて食べて食べているうちに
食べても悲しみが減らないこと、
自分が本当に欲しいのは食べ物じゃないということに気づいたら
少しずつ過食に対する興味は減っていきました
人生はall or nothingだと、私も思っていました
過食症もきっとどこかに治すスイッチがあって
それを押したらもう未来永劫食べ物についての悩みなんかなくなるんだと
思っていました
そしてそのスイッチを探し当てられない自分に怒っていました
でも本当のところは食べることというのは
そのとき一瞬一瞬の選択でした。
今この瞬間、自分が自分をどのように感じるかという問題でした
allでもなくnothingでもなく
今この状況でできる限り自分をいたわるためにベストを尽くすという
一瞬一瞬の絶え間ない努力でした
どこにも魔法のスイッチはなかったのです
だから
私は食べ物の問題にはまったく取り組まなかったのです
ただ、今目の前にある人生に取り組むことにしただけです
食べ物のことなんて
本当にたいした問題じゃないんです
食べ物は、ただ単に食べ物なんです
食べたって、吐いたって、
ありがたいことにこの国では食べ物はかけがえのあるものです
今かけがえがないのはうさぎさんご自身です
勇気も
やっぱり魔法のスイッチではありません
オンとオフのようにallとnothingを切り替えるのではなく
毎日の中の一瞬一瞬の選択です
うまくいく時もあるし、うまくいかない時もあります
「自分に食べることを許したら本当に何が起こるかわからない」と
怖くてたまらなくても
それでも今、自分に食べるのを許すことを決意して
本当に自分の食べたいものをじっくり考え
自分が心地よい空腹になるのをじっくり待ち、
自分が食べたいものをゆっくり味わいながら食べることができたら
それは間違いなく、勇気ある行動です
明日は怖くてうまくいかないかもしれません
でもそれはnothingを意味するわけではありません
恐れと勇気の間を毎日揺らぎながら
少しずつ「最良の選択」の側にとどまる時間が長くなっていくだけです
勇気を出して生きることはallでもnothingでもないんです
私も完璧を求めます。
もちろん、人生は完璧がいいです
でも実際には、手に入らないものも、失ってしまうものもあります
私はそういうときに勇気ある人でいたいと願っています
現実から目をそむけ、悲しみなどなかったかのようなフリをするのではなく、
受け止め、充分に悲しみ、そして悲しみの方でそっと立ち去ってくれるまで
じっと待ち続けられるような、
そんな勇気のある人間でいたいと、
私は望んでいます。
投稿者: ノラ@管理人 | 2007年03月08日 22:56