HOME食べ物の思い出>パンの耳の思い出

こどものころ
家の近くに美味しいパン屋さんがあり
いつもそこで食パンを買っていました
一斤買うと、はじっこの耳の部分が二枚でます
それはいつも母が真っ先に食べていました
だから私は耳の部分を食べたことがありませんでした

一人立ちしたばかりの学生の頃
私はいつもお金がありませんでしたので
近くのパン屋さんで買い物袋一杯につまった
パンの耳を買ってきてよく食べました
カリカリに焼いて食べるとふわふわした真ん中の部分よりも
香ばしくて美味しいものだと知りました

しょっちゅう歯を悪くしていた母は
たいていは堅いものが苦手でした
パンの耳も好んで食べていたものではなかったでしょう
ただ、家族で囲んだ食卓の中で
率先して「端っこは母さんが食べるから」というのは
家族に対する自分のポジションの主張だったように思います
家族には何も言わずに
「いいところ」をとっておく母
「自分を後回し」にする母
いつもそういう人でした

母はおそらく家族のために自分を後回しにしていると
なんとなく安心を感じたのだと思います
自分があまり幸せでなかったとしても
「家族のため」であれば
それは納得のいくもののように感じます
自分の幸福についてあれこれ考えることを放棄してしまっても
「家族のため」と言えば
それは他にどうしようもないものであるように感じます

私はいつも
歯が悪いのに頑なにパンのはしっこばかり食べ続ける母を見て
ぼんやりと罪の意識を感じていました
「家族のために幸せになれなかった母」

私は随分と幼い頃から
自分が居ないほうが世の中はスムーズにいくものだと思っていました
私が居なければ
母は自分のために物を考え
自分のために物を選び
自分が喜ぶために生きたでしょう

「私がいなければ」

土曜の午後に紅茶とトーストで昼食をとった
その時私は小学生でした
母は私のせいであまり幸せでないのだと感じました

母はただ土曜日の昼食にパンの耳のトーストを食べただけでした
しかし私がその食卓で受け取ったメッセージは
「私さえいなければ」というものだったのです

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コメント

こんにちわ
お久しぶりです

あたしも
自分がいなければ 家族は幸せになれると 毎日思って生きてました
今でも 家族に対しては そう思う部分が消えません

でも 家族とあたしは 別物だと
やっと 切り離して考えられるようになりました

すみれさん

「あなたがそこにいてくれるだけで嬉しい」
というメッセージは
できれば生まれた家庭の中で成長過程で受け取れると
人生で他者と係わっていくのがスムーズになって、良いだろうなあとは思いますが
でもそのメッセージの受け取りがうまくいかなかったら
自分で訓練して習得していくしかないですもんね。

数日前にすみれさんの住んでいる町(ブログの写真で見かけたあたり^^;)に
行きましたが、めっきり春めいているな、と思いました。

春に向かって、一日一日。

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