なぜそんなに痩せたいの? (2 美人の社会心理学)
「第二章 美人の社会心理学」の概要です。
著者の現代的なフェミニズムのカラーがかなり出ています。
マスコミ全般、中でも女性誌と美容産業に厳しい批判が向かっています。
日本とドイツでは文化的な土壌が違いますし
全部信じる必要はもちろんないですが、
非常に良く調べてあり
巻末には参照した参考文献の長いリストもきちんと記載されているし
かなりしっかりした論の展開だなあと思います。
アイティンティティの不確実性が愛と美を取り違えさせる・・・・
「うーむ」とうなりました。
美しければ愛されて何もかもうまくいくと、
確かに思いました、私も。
女性は母親のもとで、自分の身体は自分のためにあるのではなく、
他人のため--とりわけ男性にまなざしのため--にあることを学ぶ。
愛されること、そしていつかはきっと全てが報われることを期待して
彼女たちは全てを我慢する。
美しいボディはより多くの自意識、満足、能力をもたらしてくれるはずだ。
内的葛藤の場はボディに移される。
現実の骨の折れる色々な問題に着手する代わりに、
不満はボディに投影される。
女性たちは「私は孤独で寂しい」と言わずに「私は太りすぎている」と口にする。
世界を変えてはならない、ボディを変えるのだ。
そこでは与えられたものを受け入れることが全てであり
本当に自分の欲するものを敢えて要求することはない。
マスメディアは現実離れした理想を広める。
人生で成功するには美しくスリムでなければならないと宣伝し
女性誌は理想のボディをいかにして獲得するかをアドバイスする。
「全てはまったく簡単、ここに説明するとおりの食べ方をして、
ちょっと腹筋をすれば全てはあっという間にうまくいく」
女性誌の広告の三分の二は化粧品とモードの広告である。
女性誌は自らに示された信頼を悪用してでも、もちろん利益を追求する。
現代の社会が女性に期待するのは
伝統的な女らしい役割を果たし、
なおかつ職業に野心的という対立する二つの役割だ。
野心的になればなるほど、女らしくないように見える。
知性や独立心は女性としてのアイディンティティと相容れない。
この不確実性の中でボディの演出がこのジレンマの出口になる。
美しければ、とにかくそれは女なのだ。
美しくあることはそれ自体アイティンティティの根源となる。
美しくさえあれば、男勝りな女性でもとにかく女でいられる。
女性は美を獲得するため--自身を社会的に受け入れられる存在にするために苦闘する。
特に女性が欲するのは、女性としてのアイティンティティを生み出し、
維持し、証明することである。
美の領域においては女性は競争を是認される。
他人との競争や比較から自身の価値を読み取ることができれば美しいボディの意義は高くなる。
他人が自分をどう見るかということが自己評価の尺度になる。
美は男性に受け入れられる役割も果たす。
男性は妻の美貌や魅力によってステータスを得る。
男性が女性の美を評価するのは、それによって男性はより男らしく見えるからだ。
美人は男性を飾るデコレーションなのだ。
だが、実際のところ美は愛にとっては何の役にも立たない。
美は遠くから見るものであり、愛は近さを必要とする
美は抽象的な概念だし、愛は個性的で具体的なものだ。
しかしながら美をめぐる神話はこの二つを結びつけ、
マスメディアがそれを宣伝する
「嘲笑されていた太っちょが50キロ落として美しい幸せな妻になった」
ここに愛は他人に気に入られることにまで矮小化される。
アイディンティティの不安を感じる女性がこの単純な仕組みの処方箋に引っかかる。
恋人にボディの「欠陥」を見せないために暗闇でセックスをし
彼が目覚めないうちに急いで化粧をするためにベッドから抜け出す女性は
愛されるためには美のマスクが必要だと考えている。
ありのままの彼女が愛され、かつ性的に魅力があるとは思っていない
そして一方でこの考えは深く彼女を傷つける。
なぜなら彼女はセルライトのない太もものゆえに愛されたくはないからだ。
「なぜそんなに痩せたいの?」関連記事一覧
→1 美人の文化史
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→3 美しいボディの創造
→4 美人をめぐる神話
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