なぜそんなに痩せたいの? (4 美人をめぐる神話)
「第四章 美人をめぐる神話」の概要です。
なかなか社会構造やマスコミに対して手厳しい論が続くんですが
最後に、じゃあ、どうやって取り組んでいこうか、というところで
「女同士で愚痴を言うのは効果的」
となるあたりでちょっとうふふ、と笑ってしまいました。
いや、でも実際効果的だと思う。
特に今まで誰も言わなかったことを言うのってすごく良いと思う。
猛進してきたこのフェミニズム論の最後に「愚痴りましょ」
と書いてあると、なんか予想外の安心感を感じてしまったのでした。
魅力を売買するシステムにおいてボディは資本になり、美は通貨になる。
美の崇拝はとりわけ一つのことを意味する。
それはぼろ儲けということだ。
意識的に吹き込まれた劣等感によって女性たちは最後まで同一行動をとるように仕向けられる。
美容産業は女性が持つ無意識の不安をあやつって自己憎悪を書き立てる。
美しいボディの創造に絶えずいそしむことは、
女性にとって社会的に認知されたひとつの職務形態である。
外科医になるよりもセクシーに見せるほうが簡単だ。
さまざまな社会規範に対応しきれずに苦しんでいる社会では
ボディサイズをコントロールすることに意識を集中することは
ある種の開放でもある。
美しいだけで充分なのだ。
しかし実のところ美人を持っているのは素敵な人生ではない
美人とされる人ほどより自意識が高いわけでもないし、より知的なわけでもない、
健康でもないし、自身の外見に確信があるわけでもない。
一般的に美人がもつとされている特性を実際にもっているのは、
客観的な美の基準に関係なく、自身の強い自己評価感覚に基づいて自分自身を魅力的だと考える人たちである。
より高い自意識は、肯定的な自己イメージによってもたらされる。
自身の美しさを自覚していない美人は、自身の持つ魅力がプラスに作用する可能性はずっと少ない。
人生とうまく折り合いをつけて幸福であるためには、美しくある必要はないのである。
美は私たちから時間、金、エネルギーの三つの供物を要求する。
美のためには莫大な金がかかり、女性たちは疲労困憊する。
一体、美は割にあうのだろうか?
美をめぐる神話が女性にもたらすのは
自己憎悪、コントロール喪失の不安、自分自身のボディを不完全だと思い込むこと、の破壊的な混合物である。
美をめぐる神話は、女性が力をもつためには魅力が必要不可欠な資格であると宣言した。
自身を自己演出することによって力を得られると女性は思い込む。
しかし、美しいボディによって得られた力は
間接的であり、自覚的ではない。
美は決して行動能力には結びつかない。
美に社会的な力があることが確かととしても、
正直なところ、女性が自分のボディを憎んでいたら
世界を獲得しても、一体何の意味があるだろう。
女性が美とボディに固定されることで
女性の力は同時に弱められもする。
自身を人形のように見せることは直接的な権力には関心がないことのシグナルとなる。
美は行動能力の代替品、見せかけの力であり、
美の力は体験されないものの代償となる。
美の規範に従う女性は女性解放に対してまだ充分な勇気がないことを示しているのではないだろうか。
自身のありのままの姿を好きになることを学べば問題はなくなる、
というのは空疎なたわごとである。
なぜなら美は重要、とても重要であるから
美の規範を無視することは殆ど不可能なのだ。
自分自身を醜くて嫌だと感じる時期は常にあるだろう。
この不満が永続的にならない限りは特に問題はない。
問題はむしろ、ボディの危機といかにつきあうかである。
他の人たちの何を美しいと思うのかを、
自分に問いかけてみよう。
それは外見だろうか、立ち振る舞いだろうか、
ボディだろうか、他のひとたちから賞賛されるからなのか。
自分のそのような外見であればもっと幸福だと考えるからだろうか。
そうであったとしたら本当に今よりもっと幸福だろうか。
考えてみるとボディの変更の可能性は非常に少ない。
背の低い人は低いままだし、
太りやすい人が痩せるのはとにかく非常に難しい
がっしりした体格が華奢な身体に突然変異することはまずないし、
年を取れば皺が増えて子どものようなすべすべの肌には戻らない。
つまり遺伝の持参金は殆どが変更不可能で
美しくなるための余地は比較的少ないのだ。
理想的な美を作ることはできない
できるのは美への新たなアプローチである。
私たち自身ならびに他者に向ける私たちの視線を変えることはできる。
ボディの危機に際して定評のある最初の一歩は
女性たちが自身の経験を語ることである。
女性が自身のボディに好意的になれないときには
女性同士で愚痴をこぼしあうのはきわめて有効である。
内心恐れを抱いていることについて語ることはしばしば、
不安をやわらげる助けになる、
美について、それに関連する葛藤について語ることによって、
女性を不安にする力の一部は消える。
痩身妄想の自己破壊的な面を認識し、
次第に自身の心理的、肉体的飢餓に理解を示すことを学ぶかもしれない
わが身を美しくすることが害になるのではない。
美容一般が私たちを害するのは
私たちに他の選択肢がない場合、つまり
戯れが強制になる場合である。
私たちの個性と欲求が美によって制限されたり、
私たちが美に自己評価を見出そうとする場合に美は非生産的になる。
美はもはや品質を決める特性であってはならない。
そうなれば自身の外見と和解することはずっと容易になるだろう。
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→1 美人の文化史
→2 美人の社会心理学
→3 美しいボディの創造
→4 美人をめぐる神話
→5 私の感想
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