母と食事の思い出
母は「食事は作業」と私に言っていた
時間がきたら必ずしなければならない義務で
自分にとっては感情を伴う経験ではない
ということを宣言したかったのだと思う
母にとって食事が苦痛の体験である以上
供される側の私が母以上に楽しむわけにはいかない、
母が不幸なのであれば
自分はそれよりもっと不幸になる必要があるにちがいない
そうでなければ、母の理解者にはなってあげられないと思っていた
過去の中に食べ物の思い出を探すとき
当然ながら母親と密接につながっている
ぼうっと悲しい思い出がたくさんある
一緒に食べるときの、漠然とした罪悪感
それから母が留守のすきに家中を漁って
隠れ食いをせずにはいられなかったこと
でも、もちろん
後に過食症になったのは母のせいじゃない
過食症は私が自分で選んでなったもので
私がどうやって現在から目をそむけ、格闘し、それを受け入れるのか、
というストーリーのために、私が選んだ舞台だった
母はおそらくあの時期の一連の大騒動、
離れて暮らしてはいたものの、
死ぬの生きるのの話を華々しくやり
良く分からない薬を飲んで昼間から朦朧とし
手首に傷跡をつけて
痩せたり太ったりしていた娘のことを
今でも「自分のせいだ」と思っているだろう
母はおそらくまだ
娘の人生と自分の人生は
それぞれ別のものであることに気づいていない
過食症は私のものであって、母のものではない
そして、あのとき「食事は作業」だったことは
--母が生活の細々の問題を、とても複雑すぎて手に負えないと判断して
丸ごと投げ出し幸せになることをあきらめてしまったことは--
母の問題であって、私の問題ではなかったのだ
母が私の幸福をコントロールできないのと同じくらい
私もまた母の幸福をコントロールはできいない
不幸になることも、幸せになることも
自分で望むことによってしか叶わないのだ
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