文学少女とチチアンの女性像
今はティツィアーノと表記するんですね。
私はもっぱら「チチアン」と発したくなります。
チチアンとの最初の出会いは画集の中ではなくて
小説「赤毛のアン」の中でした
音楽会で詩を暗誦するアンを見てある画家が
「あの素晴らしいチチアンの髪をした少女は誰?」
って聞く場面があるんですね。
チチアンは赤毛の女性を好んで書いたことから
こういう言い回しになったのだ、ってことなんだそうですが
ああ、そんなに印象的な赤毛の女性を書く画家がいるんだなあ、と
文学少女だった私は思いまして
でもチチアンってどんな画家なのか、調べるわけではなくて
あくまで空想で楽しんでいました。
なんとなくイメージはモディリアーニの「おさげ髪の少女」のような雰囲気、
不安げな線の細い少女のイメージを想像していたわけです
(モディリアーニは「エコール・ド・パリ(パリ派)」と呼ばれた20世紀の画家。
痩身が流行し初め、少年のような女性像が理想となり、
胸を平らに見せるためのブラジャーが流行した時代です。
あんまり肉感的な雰囲気がしないですよね。)
それからしばらくして、ちょっと成長した文学少女は(もちろん私のことよ)
もう一度活字の中でチチアンに遭遇します。
今度はなんと与謝野晶子の「みだれ髪」の中。
やれ壁にチチアンが名はつらかりき湧く酒がめを夕に祕めな
という歌があったんですね。
またしてもチチアン。
で、難しい言葉はひとつも出てきてないのにも関わらず
歌の意味がよく分からない自分を悲しく思ったのですが
(未だによく分かりません。造詣の深い方、教えてくださいませ)
でも「なんだか淫靡だあ」と思ってかなり悶絶しました。
なんとなく、「みだれ髪」で「はたち妻」で「秘めた酒がめ」って感じが
漂ってきたんですね。
この官能はどうしてもエコール・ド・パリの雰囲気ではなく
もっと豊満な女性を描く画家であったはずだ、と思いなおしまして。
チチアンの正体をやっと調べるにいたったわけです。
ティツィアーノ・ヴェチェリオ
ルネサンス期イタリアの最大の画家の一人
(ルネサンスの三大巨匠といえばミケランジェロ、ダビンチ、ラファエロですが)
彼らを凌ぐほどの活躍をしたとも言われます。)
たしかに女性を多く書いていますが
髪の色、というのがいまいちピンとこないのですね
「赤毛と思えば赤毛に見えなくもないけども
わざわざ赤毛の代名詞にするほど目だって赤くはない」
という髪ばかり。
しかも、時代からして当然ですが、
ふっくらとして豊かな生命力を感じる女性像が多く
赤毛のアンのような、にょきにょきと成長しつつある
ちょっとおびえたような思春期の少女の雰囲気というのはあまり感じない
だから、このチチアンという画家は
私にとってはなんとなく気になる謎の画家なんですね。
どうして場違いとも思われる「赤毛のアン」の中で
あんな引用の仕方をされているのか、
それからあの与謝野晶子は
チチアンのどの絵を見て
「湧く酒がめを夕に秘めた」のかなあというのと。
そういう、文学少女的流れの中で、気になる画家です。
「ティツィアーノ」ってより、断然「チチアン」

