不美人論 レビュー2
実はこの本の中で私が一番感動した部分ってのが
ひところ話題になっていた「ヤマンバギャル」たちについて語られてる部分なのです。
とりあえず引用
ブスの苦悩とか、そこからくる必死さみたいなものが、遊びに昇華されてる感じがあるから、見てても痛くないんだよね。ほんとヤマンバって画期的だった。ブスの側から強引に、美の新しい基準を提唱したわけでしょ?”きれいを拒否”というより、”新しいきれいをつくった”のよね。ブスが自分にロマンをもつ方法を自分で考え出したってことよ。ブスって普通の美の基準じゃヒロインになんて決してなれないからさ。ヤマンバはブスが自分たちの手で自分を主人公にした素晴らしい事件だと思う。
「えーっ!そういうことだったの?」って私感動しちゃって(笑)
実際のところは、分からないんだけどね。
私はテレビで殆どキタナイモノ扱いで取り上げられてるのしか見たことなくて、
ついぞ生で見かけないまま、あまり話題にならなくなってしまったし、
語っている藤野さんもヤマンバやっていた年じゃないだろうから、
ヤマンバが本当のところ何を意図していたのかは、
やっていた人たちに聴かなければわからないのだろうけど、
でも引用文にあるとおり、殆どの女性が動かし難いものとして耐え忍んできた美の階級秩序を内側から陽気に破壊する試みだったとしたら、フェミニズムを超える快挙だよね。
なんか、摂食障害者たちもこういうパワフルでユーモラスで斬新なムーブメント起そうよ、
とか思って涙ぐんじゃった(笑)
この本の根底を流れている思想の一つして
自分に不利なゲームに翻弄されてはいけない
っていうのがある。
摂食障害について言えば、例えば社会の中には「痩せてれば痩せてるほど良い」というヒエラルキー( 階層制)も実際あるかもしれない
そして摂食障害の人はその階級社会の中で自分は不利な位置にいると認識してるかもしれない
「でも、そのヒエラルキーの中だけで戦わなきゃいけない、ってのは誰が決めたの?」
と聴かれると・・・・
うーん、フェミニズムの答えでは「社会から押し付けられたんです」とか「母親の教育です」とかになってしまうけど、
でも、もともと自由って「与えられるもの」じゃなくて「手に入れるもの」だしね。
「痩せてれば痩せてるほど良い」っていう美の秩序(自分の頭の中にだけある架空の秩序である可能性も結構高いと思うけど)がキツければ
その舞台のほかに別の舞台で生きることを考えてみるっていう選択肢もあっていいんじゃないだろうか。
あと、これは完全に本から離れてしまった私の見解なのだけど
何かが短所に思えるとき、ってその特性がそもそも劣ってるんじゃなくて
それを置く舞台が間違ってるんだよね。
くるっと舞台取り替えると今まで最悪の短所だったものが最高の長所になるわけじゃない。
私にとっては摂食障害も、あれだけ悩んだからこそ
今は一番の共感の力とか創造力の源とかになってるわけで、
やっぱり、何かを生かしきれないのだったら、その何かを殺してしまうんじゃなくて
舞台を変えることを考えた方がいいんじゃないかって
それはすごく、思うのね。
あと、ついでだからあまり脈絡ないけど、もうひとつ「美人論」語っていいですか。
最近、「美人の女医」っていうふれこみで売っているタレントさんがいるでしょう。
あの方も、造作は目を引くところってとくに無いよね。
身なりがきれいで、お金もちで、インテリです、って言う流れでなんとなくついでに「美人」ってなってしまってる感じで。
なんか、あれでいいんだよね(笑)
美人になりたいな、って思ったら自分で「私は美人です」と思い込んで色々工夫すれば
うまく行けば周りも結構勢いに飲まれて「美人」として扱ってくれるわけだし
失敗したら、舞台変えて別の演出すればいいんだしね。
林真理子さんみたいな「美人になりたいキャラ」で魅力を認められる人もいるわけだし。
本当に、自分に不利なゲームに翻弄されてはいけないって思う。


