原因親子関係説
摂食障害とは何の関係もないエッセイの中で
ちょっと興味深い文章をみつけました
もと拒食症だったという二十代の女性に会った。スタイルもセンスも抜群の現代的な女性に思われるが、「まだ精神的には不安定なんです。」発病の原因は、いじめでも失恋でもない。「阪神大震災をテレビ画面で観て以来、崩壊する恐ろしさ、戦争への恐怖などがどんどん膨らんで、気づいたら、食べられなくなっていた」と。にもかかわらず病院へいくと、「親に愛情をかけてもらえなかったのですね」と医師。「そんなことはない」といくら否定しても、「自分が気づいていないだけで、そうなんだ」と決めつけられた。
話としては、大いにありそうなことだ、と苦笑するようなエピソードだけれど、
この医師にかかった人にとっては、ただでさえ心労激しいところに、
「自分の言うこと」は「摂食障害者の定義」より信頼性が薄いと
面と向かって決め付けられてしまったことはさぞ辛いだろう、と思う。
なぜ「摂食障害者である」ということだけで、
「その人が言うこと」は価値が落ちなければならないのだろうか。
なんとなく怖いのは「摂食障害になんかなった人」に対する否定的な解釈というのが入り込んでしまっているような感じがすることだ。
摂食障害の原因が親子関係にあると考える人が居ることはいいことだろう。
摂食障害の原因が親子関係にある人も実際たくさん居るだろうから。
ただ、実際に摂食障害に悩む人と接していこうとするとき、
そういう分析、解釈がまったく何の役にも立たないと感じる摂食障害者もいるというのは無視していいほどの些事といえるのだろうか?
その人が持ってきた「生きにくさ」というものを
「ああ、それ、親子関係です」と断定して一巻の終わりにしてしまうことが
はたして治療なのだろうか。
このサイトの中で悩みを共有する人の話を聞かせてもらうことができるようになり
それから自分でも意識して資料を調べたりまとめたりするようになって
「確かに摂食障害というのはなにやら不思議な現象である」という思いは深くなった
原因もいろいろだし、治り方もいろいろなのだ
でも不思議なことに症状のバリエーションはそんなに多くない
別の原因で同じ症状が発生するってのは考えていくと結構混乱する
自分が治ったから「よっしゃ、誰にでも効果的なアドバイスできる」なんて思ったら
それこそとんでもないことで、
私は自分で治ったけれども、それでもなお摂食障害のことは本当に何もわからない
自分で治ったからこそ「絶対あなたも治る」という信頼が持てるというだけで
それ以上のこと、その人がどういう治り方をするかということとか
その人の摂食障害の原因が何かということとかは、情けないほど分からない
分からないと人は混乱するし、参ったなあ、と思う
それでも目の前に居る人の苦しみに対してなにかしたい、
と思ったら、たとえ間違っていても何かしてみるしかない
本当に見当違いで情けなくって頭を抱えることもある。
なんとかして摂食障害という現象を全体として捕らえようと思えば
仮説みたいなものを立ててそれを検証していったり、
というアプローチしかしようがないのも事実だと思う
真剣に関わろうと思えば
「見当違いかもしれない」というリスクは避けられないだろう
でも、そういったリスクとは別に私が身構えてしまうのは
「分からない」ということの居心地悪さや不安だけに反応して
「つまりこの人たちは劣っているからこういう異常なことをするんだろう」
と、摂食障害者の存在を自分より下位に置くことで
それを理解できないということから自分のアイディンティティを守る
という試みを、見る側の態度の裏に感じることがあるのだ
理解の壁は、意見が合わないことのうちにあるのではなく
ありのままの相手の存在を軽視してかかることの中にあると思う
ところで冒頭の、阪神大震災をテレビで見てから
「崩壊」とか「戦争」とかが怖くなって食べられなくなった、という話。
ダーっと家やら道路やら、普段自分がそれにたよって生きているものが
一瞬で崩れていくのをありありと見せ付けられて
それで物が食べられなくなる、というのは
それ自体はなんかとっても繊細な反応で、
常軌を逸したところはとくにないんじゃないかと思うし
(ああいう映像って、平気なほうがちょっと危ないくらいじゃないか、
って心のどこかで思わない?)
なんか、そのイメージに対する敏感さ、って
私は本当に単純に、凄い感受性、って思う。
冒頭の文章は阿川佐和子さんのエッセイ集
オドオドの頃を過ぎてもからの引用。
この文中で拒食症がでてくるのは勿論ここだけです。図書館にあったので試しに読んでみた。
阿川さんのエッセイの中でベストとまでは思いませんが普通に楽しめたエッセイです。


コメント
この医者にあたしも意義あり!
原因は 人それぞれだし
決め付けるのはよくないことですよね
今まで あたしもそういうお医者様に出会ったことがあります
「うーん AC(アダルト・チルドレンだね、自助グループでもいったら?」という言葉をもらったときに
呆然として 余計に絶望のふちに立たされた思い出があります
まだまだ
心の病を理解してくれるお医者様は少ないのでは?と思いますね
色々な人がいるので 色々な医者がいて 相性もあるので
こういう医者もいていいのかなと思うけど・・・
逆に
「ACってはっきりいってもらえてよかった」って人もいるのかもしれないし・・・
あー
何書いているのかわからないですね(笑)
投稿者: すみれ | 2007年04月29日 09:41
すみれさん
いや、わかりますよ(笑)
ACの概念ね、私が知る限りの範囲ではちょっと賛成できないな
と思った部分ってのはあるんですが(「私は」ってことね)
ただ、自分が責任を取らなくていい部分について
「これは自分の責任じゃないんだっ」ってことを分かりやすく
簡潔に言い現わせるようになることで、
現在と未来に良い影響をもたらすことができる可能性ってかなりありますよね
だからACっていうことでその人の人生が良いものになるんなら
きっとそれで正解なんですよね
でもそういう分析って「相手の言うことの筋にのったところでやらなきゃ意味がないんじゃないか」っていう風に私は思うし。
ようするにそういうことじゃない?
投稿者: ノラ | 2007年04月29日 14:53