HOMEアンチダイエット雑談>痩身崇拝が変わるということ

実は・・・
ここだけの話なんですが・・・

自分が痩せていると感じるときって
「太ってたっていいじゃん、個性的に生きようぜ!」
って言うのは凄くたやすいんだけど
太っていると感じる時には
「太ってたっていいじゃん、個性的に生きようぜ!」
って言うのは格段に難しい

面白いと思いませんか?
この海より深い矛盾は何(笑)

何をしているか、何を考えているか、ということとは別に
太っているというのはそれだけで痩せているよりも傷つきやすくなる
なにを成し遂げたって「だってあいつはデブだ」と言われれば
それだけで自分が積み上げた「意味」というものが
全部ガラガラと崩れてしまうという漠然とした不安を抱えながら私たちは生きていて
とにかく、「デブ」といわれないようにしてからでないと
何をしても、いかなる努力を積んでも無駄なのだ、という思いがついてまわる。

「ダイエットをやめよう!」と叫ぶために
ダイエットが必要になるなんて
そんな馬鹿なことあるかい?

女性たちがますます多くダイエットに傷ついて疲れても
ダイエットは流行るばかりで廃れないのは
おそらくこの理由ではないだろうか
「痩せてからでないと、痩せる必要がないなんて言えやしない!」

だからそうなのだ
「ダイエットにだけとらわれているばかばかしい人生なんて真っ平御免」
と思っても
痩せて受け入れられるようになってからでないと、
今居る場所から出てこられないと感じる
ダイエットなんてやめるべき、と思っても
「とりあえず痩せてからじゃないとダイエットはやめられない」
「全てはあと五キロ痩せたら取り組もう」と思う

摂食障害は社会の風潮だけの問題ではないと私は思っている
同じ社会の中に居ても、ある人は摂食障害になり、ある人はならない
そして社会は変わってないのに、治った人は沢山いる
社会は直接の原因ではないと私は考えるし
「生きていくうえで、悩みをどう悩むか」
ということの一つの形が摂食障害で
だから摂食障害から解放されるというのは
つまり「悩みを正面から悩む勇気にいたる」ということじゃないか
と私は思っているのだけど

そうは言っても
このばかばかしいルールはどうしてばかばかしいにも関わらず君臨し続けるのか、
という疑問は残る
たとえば
太っている人を蔑視することが恥ずかしいという意識が殆どない社会
たとえば
誰も望んでいないにも関わらず「美の理想」が勝手にどんどん細くなっていってしまう社会
それはなぜ、ばかばかしいとすら言われないのか?

それは
女性自身が加担してしまっているから、ではないか
私のように、「痩せる必要がないと言うにもダイエットが必要」と
ひるむような女性たち自身が、苦しみをを跳ね返さずに
むしろすり寄ってしまうのだ

ジェニーン・ロスが自分のワークショップの中で自著を朗読するとき
かならずリクエストの出る文章があるという
それは「君はあまりにも太りすぎて魅力にかけていると思うよ」と語るボーイフレンドのミカエルに対して
ジェニーンが、「これはあなたの問題であって、私の問題ではない」と言い放ったという体験を書いた部分
(注:「あなたの問題」という言葉の意味は、文章全体から推測するに、批難というものはその人が自分自身を受け入れらないでいることの反映である、という意味だと思われます。)

彼女たちは、私がミカエルに、穏やかでありながら決して曖昧な物言いではなく、「消えてちょうだい」と告げたことが嬉しいのです。君は太りすぎだね、といわれることがどのようなことであるのか、彼女たちにはわかっているからです(「食べ過ぎることの意味」より引用)

まったくそうなんです。
君は太りすぎだね、といわれることがどのようなことであるか
私たちにはよくわかってるんです。
(極端に標準体重をオーバーしたことなどない人でも、これはわかっている)
だからおびえて閉じこもるし
おびえなかったジェニーンの武勇伝が嬉しいのです

さて、もう一度、問い
どうしてばかばかしい痩身崇拝社会は廃れないか

「太ってる」と馬鹿にする人に対して、
ジェニーンのようにきちんと不快感を表す勇気が私たちにはないから。
「太っている」という人に毅然とした態度で応酬することを考えるよりも
「太っている」といわれないように自分を変えるほうがたやすいと感じるから。

さて
あと五キロ痩せるのを辛抱強く待つように
私たちは社会が変わるのを待つのだろうか
太っている、といって馬鹿にされないですむという保障がとれたら
ダイエットの暗い淵から出てくることができるのか

「社会が変わる」というのはどういうことなんだろうかということを
実はヤマンバギャルの話(過去記事:不美人論レビュー2)や
シャネルの話(過去記事:シャネル革命)を書きながら考えていた
この痩身崇拝社会が変わるというのは
肥満を蔑視していた人が悔い改めて差別をやめるということではなく
私たちが不快なことを言われたときに、公平で適切な態度を取れるようになる

という、私たち自身のことではないだろうか
自由は与えられるものではなく手に入れるものだと私は思う
そして自由はただではないかもしれない

私たちがダイエットしながら待っていたら社会が変わるわけではない
もっと安全にうけいれられるために、もっともっともっと細くなることを望むのをやめて
自分を傷つける人とは戦う権利があるのだと認識しなければならないのではないだろうか

ダイエットでは何も変わらない
ダイエットでは痩身崇拝は終わらないし
ダイエットでは私たちは幸せにならない

(b^∇゚)

ではみなさん、練習しましょう。
もしも体型に拘る差別主義者に出会ってしまった時の対処法です
パターン1 「身体のこと言われるのは傷つくから、もう止めて」
パターン2 「人の脂肪しか見えないのはあんたの理解能力がその程度のものだからよっ!」

もう少し気の効いたのが思いついたらお知らせください
みんなで使いましょう。

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コメント

 掲示板には初登場です。こんにちは。
 まさに今私が抱えている「弱ったなあ、どうしてかなあ?」と分かりかねている部分にぐっとくる記事でした。ノラさんのおっしゃること、「本当にそうだ。皆さん、おとなしく傷ついているのはやめましょう!体型なんて、どうでもいいじゃないですか。毅然とした態度をとりましょう!」拍手、拍手と本気で思うのです。でも一方で…
「だけど私(だけ)は太っていたくない」と、もう本能としか思えないくらい強く願ってしまう部分が確かにあるのです。「太っていると動きが鈍くなって捕食者に狙われやすく、捕まりやすいから??」(って誰に、何に食べられるのか?)などという珍説まで思い浮かぶほど、それは根強い思いなのです。
 このあたりノラさんのおっしゃる「矛盾は何」にも関連すると思うのですが。摂食障害から回復しても、ダイエットをやめても。この矛盾した気持ちを抱えているままでは「完全に解放」されないような気がするのです。
別に悩みまくって食べ物に走る?(笑)ほど煮詰まっているわけではありませんので、矛盾は矛盾、今のところそのまま自覚するままでとどめておいてもいいかな、という気もするのですが。

初めまして。cafemmeさんのところからやってきました。

そう!そうなんですよね。
「痩せ願望」に取り憑かれてる間はジェニーンのようには言えないですよね。
私はそういう言葉に傷つき肥満でもなかったのにダイエットを始め
どんどん卑屈になっていきました。
今も「痩せ願望」は捨てきれません。
でも、必死になって情報を集めたり、図書館へ通いつめたりするのをひとまずお休みしよう。と思ってるところまできました。
ノラさんの過去のエントリーを読ませていただいてから、こんなふうに考えることができるようになったのです。ありがとうございます。

「情報を集める」という観点からではなくノラさんの文章がとっても好きです。これからもおじゃまさせてください。

「美」というテーマは永遠ですよね
女性にとって・・・・

最近 あたしも またダイエットしようかなぁ、なんて思ったり
やっぱり 見た目がかっこ悪いし
去年はけてたスカートがはけない!とか・・・
自分の健康も心配なこのごろ・・・
糖尿とか怖いし・・・
でも 過食と正面から まだ向き合いきれていないあたしとしては
どうしていいやら・・・
そんな日々をすごしています

『人の脂肪しか見えないのはあんたの理解能力がその程度のものだからよっ!』←かっこいい~☆\(◎U◎)/私もそう思うぞ!!
昨日はメールありがとうございます☆昨日はもっとひどくて返事返せれませんでした↓泣きまくり↓メールでは伝えれそうに無かったので、病院に電話したら休みなのに話聞いてくれました(笑)
ノラ姉さんのメールの言葉の『お母さんが自立するまで、自分の自立を待つってわけにはいかないだろう。』御もっとも☆☆☆星3つ(笑)そうしていこうと思います!アドバイス感謝してます☆

Eさま、ようこそでございます。
書き込みありがとうございます、こちらでもお話できるとは嬉しいことです。

本当にね、真剣な思いなんですけど「誰に食べられるのか」ってのがおかしくて笑ってしまいました。
でも、身体にはちょうど快適に動き回れるサイズってのがあるでしょうから、その範囲に収まるように本能で「太りたい」とか「痩せたい」とかいう調整って、それはあるかもしれませんよね。イメージ的ですけども、身体は「駅の階段を軽々と駆け上がる」くらいのサイズになりたがるんじゃないかって、私はなんとなくそういう気がします。
身体は時間をかけて自分のなりたいようなサイズになるでしょうから、身体が自分自身に満足して「このサイズでぴったり!」ってなったら「解放」されるた気分になるんじゃないかしら?

※先日はご親切なメールありがとうございました。お返事返せていなくてナンなんですけども、先に御礼まで。嬉しかったです。

とまとさん、はじめまして。
素敵なところから来ていただきまして^^。

痩せたいもんは痩せたいですよね。
でもですね、ジェニーンロスも、痩せたい気持ちがどっかへ行ったわけではないみたいです。むしろ気にしてるような気がします。
私が見たところ「本を書いてるストレスで台所に行くたびに何かひと齧りしてたら2,3キロ太って落ち込んだ」とか、そういう感じのことも書く、本当に普通に現代社会を生きる女性なんですよね。

ただ、食べ物に絡め取られていたジェニーンとそこから解放されたジェニーンとの違いって「人生で一番大切なことは常に痩せているということではない」とか「食べる経験を大切にしよう」とか「ありのままの自分を愛する」とか、そういう大切な気づきが沢山あった、ってことだと思うんです。

「痩せたい」と思っていてもジェニーンのように言えるんじゃないかな。
でも「痩せてない自分には価値がない」って思っていたら言えないような気がする。
なんか、そういう感じの差じゃないかな、って、思いました。

えへへ、褒めていただいて上機嫌になりました。ありがとうございます。

すみれさん
もちろん不安はわかるけど、
「そのダイエットは成功するのかい?」ってのはちゃんと考えたほうが良いよ。
「ちゃんと自分をいたわるものかい?」って。

だってほら、見た目がかっこ悪いなら
かっこ良く見えるものを選んできてかっこ良く動く、っていう選択肢もあるし、
去年のスカートが入らないなら今年新しいの買えばいいし、
自分の健康が心配なら自分の心と身体をいたわるのがまず最優先だろうし、
糖尿には多分ならないし(←私の主観だけど。なぜあなたの歳で糖尿が怖いのかな?)

もちろん「ダイエットをする」という自由もあるけれど
不安にすぐ反応すると、選択を間違えることがあるから、
ちゃんと、自分のために良く考えてから、自分を傷つけない、成功するダイエットを選ばなくちゃダメだよ。

リンゴさん
思うだけでなく、ぜひ口に出して言ってくださいな。
いや、もっと素敵な啖呵思いついたら教えてください^^。
お母さんとの関係変わっていくときは、色々痛い思いをするだろうけども、
誰かが悪いわけじゃなくて、そもそもそういうもんだから、
振り返らずに自分の思った道を「迷わず進めっ!」

誰かに体型のことについて言うのはタブーだなと思っています。
実際、私がダイエットしようと思ったのはある人からの一言でしたが、痩せてからも「痩せたよね」とか「ストレス?」とか「痩せすぎじゃない?」とかそういう言葉に傷つけられました。
もう誰かに体形について言うのはやめようと思いました。

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