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2007年05月31日

近況報告
○復刊リクエストにかんするご報告
○英語文献を読もうという試みなど
○ランキング考察

○復刊リクエストに関するご報告
HoneySconeのはなさんがブログ上でs
復刊リクエストのお願い 「みんな、やせることに失敗している」に協力してくれています。


「みんな、やせることに失敗している」15票
「「やせ願望」の精神病理」3票

おかげさまでこれだけの数があつまっています。
みなさんご協力ありがとうございます。

→関連記事参考文献復刊リクエスト


○英語文献を読もうという試みについて

ところで昨日アメリカの古本屋さんから本が届きました。
どん。
Unbearable Weight: Feminism, Western Culture, and the Body
Unbearable Weight: Feminism, Western Culture, and the Body

開封した瞬間「ひえっ、こんなに厚いの」と言ってしまう自分が情けないです。
Cafemmeさんお勧めの
ダイエットの社会学の論文というので、殆どなにも考えずに買ってみたんですが
何も考えてなかっただけに、実物を手にするとひるみますね(笑)。

私一人では読めないから、これをこのサイトを見てくださっていて
英語に興味ある方と結託して読めないかと期待してるんですね、
手伝ってくださる方いないだろうかー、と。

今考えてるのでスキャナで読み込んでメーリングリストで流して
みんなで分かるところからできる分だけ読んでいく、とか
そういうことができないかな、と思って
とりあえずうまく読み込めるかどうかのテストとか、
メーリングリストの開設をしてみたりとか
あと、著作権もろもろについてちょっと考えたりですね、
のろのろ準備中です。
計画だおれてもいいからとりあえず始めてみようくらいの勢い。

○ランキング考察

数日前からにほんブログ村のメンタルヘルスブログ 摂食障害に参加しています。
ちょっとビックリするほど上位参加させていただいて、嬉しいことです。
必要なところに必要な情報を届けたい、という思いがあるので
やっぱりこれはとっても嬉しいことです、はい。
(あと、何にせよイチバンというのは久しぶりなので単純に嬉しいというのもあります)

その他、ブログ開設初期の頃から
人気blogランキング ダイエットカテゴリにも参加しているんですが、
ブログ村の相互作用なのか昨日あたりは一ページ目にランクされていました。
ここはずっと順位が上がらなかったので、
「カテゴリ違いで、この手の情報ではちょっと上位は無理なんだろうな」
と思い始めていたんですけども、
ただ「ダイエット情報」が沢山並ぶなかに「アンチダイエット情報」が
普通に混ざっている、という状態を作り出してみたかったんです(笑)。
「ダイエット」も「アンチダイエット」も、どっちでも好きなほうを気楽に選べる、
っていうふうな状態に憧れてまして、
だからブログランキングの方はもうすこし、畑違い(?)の
「ダイエットカテゴリ」参加のままで踏ん張ってみたいと思います。


→にほんブログ村メンタルヘルスブログ 摂食障害
人気blogランキング ダイエットカテゴリ

2007年05月30日

「食べない心」と「吐く心」―摂食障害から立ち直る女性たち
「食べない心」と「吐く心」―摂食障害から立ち直る女性たち


母子関係に摂食障害の原因を求める説です。
摂食障害に関連する本の中でも
かなり広く読まれているものではないかな、と思います。

私がこのサイトを通して自分の意見としていっているのは
「母子関係に摂食障害の原因がある、
というケースは勿論あるだろうけれども、
それでは全ての説明はできないし、
摂食障害=親子関係に問題がある、という決め付けは偏見だ、
ということをものすごく大きな声でいいたいんだぞ」
というのがひとつあるわけですね。
なのでちょっと批判的見解を書きます。

この本で救われた方もいっぱいいらっしゃるでしょうし
この本を支えとしている方もいらっしゃるでしょう。
私がどう思おうがその「救い」は間違いなく得がたいものです。
これから私が書くのは、
あくまで「私はこう思う」という話になります。

まずこの本の第一の主張としてあるのが
摂食障害というのは「幼少期の”心の傷”が”癒し”を求めるサイン」である、ということです。
そして摂食障害に悩んでいる人は
「おそらく今まで誰にも理解されたという実感を持ったことがなく」
「”孤独”をずっとかかえてきている人」であり
そして摂食障害の治癒とは
1、「心の傷」を癒す
2、親の愛情を受けなおす
3、「自我」の再構築をする
4、親から謝罪を受ける
という四つを行うことで可能になる、とされています。

この本自体、私は非常に読むのが辛くて何ヶ月も掛かってるんですが、
まず全体的な感想としては、

「子ども扱いされる感じが嫌だ」というのがあるんですね。
本文中にこんな文章があります。

摂食障害にはなっているけれども、幼児期に精神的なショックを受けていない、思い当たることは何もない、というかもしれません。そんな人でも両親の関係、母親、父親と自分の関係が必ずしも円滑なものでない、と感じていると思います。それはもともとの心の傷を忘れてしまっただけなのです。

とりあえず、こちらが何を主張しようとも
「お母さんが・・お父さんが・・・」といわれなければならない、というのは
それだけで私はいやなんですね。

人間関係は濃ければ濃いほど必ず後悔は残るはずです。
「家族」という関係の濃さを思えば、
「いくら頭をひねって考えても一つの後悔もない」という関係のほうが
むしろ大変に珍しいのではないかと思います。
注目すべきなのは、
幼児期においておいて傷ついたことがあるか、無傷だったか、ということではなく
その「傷」が現在の生活に何か「影響」を及ぼしているときに
その「影響」をそのまま「維持させてきた」という
現在の心の状態の方にあるのではないか、と思います。

そして「原因」が仮に「親」にあったとしても
「維持」させるのは「本人」あるいは「現在の環境」だと私には思えるのです。
少なくても、私は様々な局面で自分の人生を乗り切るために
自分で自分のために過食症という状態を維持し続け、
そして必要がなくなったときにそれは自然に収まりました。
私が過食症を何年維持するか、
そしていつどのようなきっかけでそれをやめるか
ということについては親はまったく関係なかったのです。

著者は親から謝罪を受ければ摂食障害は治る、と言います。

私はそうは思えません。

実は私自身が「あなたの摂食障害は自分のせいである」
というようなことを母の口から聞いたことがあったのですが、
とにかく、非常にいたたまれない思いでした。
自分のことについて母を責める、という立場になるのはとても辛いものです。
そして摂食障害を「私のもの」ではなく
「母のもの」として扱われることも不本意でした。

著者が謝罪を受ければなおる、と考えるのは
摂食障害は「傷の癒しを求める病」と捉えるからですが
私はむしろ自分の体験から、
「可能性の病」であるという気がしています。

確かに私が母の姿を手本とし「私もこういう生き方をしよう」と思っていれば
その価値観の安定の中で摂食障害にはならなかったのではないか、
とは思います。
私が苦しんだのは「新しい何か」を探していたからで
今まで自分が持ってきた価値観、
そして自分がこうありたいという価値観の
相容れないふたつの価値観の狭間のどこでバランスをとろうかという試行錯誤、
見境もなく大量に飲み込み、
見境もなく全て排出し、
という苦しみを繰り返しながら、
なんとか自分自身の新しい価値観の可能性を見つけていこうという創造の試みこそが
摂食障害だったのではないか、と私は思っています。

ただ、それが「手本たりえなかった母のせい」なのかというと話は別です。
価値観はつねに古くなり、解体され
血のにじむ苦しみの中から新しく生み出されていくものではないでしょうか。
「摂食障害にならない娘を育てられる人の方が母親として立派」ということは
ありえないと思うのです。

誰でもそれぞれの限定の中で暮らします。
女であるということも、
娘であるということも、
他ならぬ”この母の娘”であるということも、
全て限定ですが
その中で自分の限定をどう認識し、受け入れ、あるいは解体し、
新しいものを志向していくか、というのは
そこで生きる本人の主体性の中にあるものではないでしょうか。

もちろん幼少期に親から不当に傷つけられ、
親の責任であることについて自分を責めてしまうことから逃れられずに苦しんでいる人
というのは沢山います。
そういった人に対して治療者が
「そのとき起こったことははあなたの責任ではなく親の責任だ」
と客観的に告げることは、
起こったことを正しく認識する上で必要なことだと思います。

ただ、それで全てを片付けようとするのは
あまりにも現実を無視しています。
あまりにも「本人の現在の悩み」を軽視しすぎていると思うのです。
「正しい育ち方をしていれば摂食障害になんかならない」
というのはおかしくないでしょうか。
苦しんでいるのは「今現在を生きている私」です。

「可能性の病」として、私はむしろ
大量に詰め込み、大量に排出しながら
そうまでして自分の中で生まれ出てこうようとしていたものに
注目していたいと思うのです。

自分の摂食障害の原因は親子関係にあったのではないか、
という思いを薄々感じられていらっしゃる方には、
この本は希望を与えてくれるものだと思います。
ただ、親子関係は自分の摂食障害とは関係ないなあ、
という気持ちを持っていらっしゃる方がこの本を読んで
「自分では忘れてるだけで幼児期に傷つけられたのかあ」と
無理やり思い込む必要まではないと思います。

2007年05月29日

ダイエットをしないで痩せる方法」の紹介をしています。


究極の選択の話はまだ続きます。

1・私は太っていて不幸せを選ぶ
2・私はスリムで不幸せを選ぶ
3・私は太っていて幸せを選ぶ
4・私はスリム体質で幸せを選ぶ

この先どのように自分の悩みと向き合うか、という選択です。

ところでこの選択になぜ拘るかっていうと、
多分、自分の悩みに対してこういう選択肢があるってことを
考えたことのある人って(私を含めて)殆どいないんじゃないかな、と思うので
視点として凄く斬新だから紹介したいわけなんですけど。

「やせ願望」や「過食という表面上の行為」にとらわれてしまうと
「スリムで不幸せ」とか「太っていて幸せ」
とかいう状況は考え付かないのですよね。
「やせ=順風満帆」
「太っている=諸悪の根源」
という思考回路が固定してしまうんですね。
この「やせ=順風満帆」「太っている=諸悪の根源」という考えこそが
「ダイエット依存心理」である、というのが本書の主張です。
とりあえず「ダイエット依存心理」ある限り
どんな体型でいても不幸だぞ、と述べられています。

**以下引用文**
「太っていて幸せ」であるためには、
今の自分をありのままに受け入れることが前提です。
「スリム体質で幸せ」であるためには、
まず、あなたがかつて過食をしていたこと、
太りすぎたのは当然であることを認めなければなりません。

その当時の知識と選択肢からすれば、
あなたはいつもそのとき考えられる最高の選択をしてきました。
でも今、あなたには別の選択肢があります。
過去の自分を許し、前に進むときがきたのです。
**引用ここまで**

(ところで、以前の記事の繰り返しになりますが
私はこの「太りすぎ」って言葉はちょっと気になります。
ダイエット依存心理的ボキャブラリーですよね、これも。)

で「太っていて幸せ」と「スリム体質」で幸せ
の間に、実際問題どれくらいの差があるかっていうと
最終的には同じところにたどり着くだろうとは思うのですが
最初の取り組みとして、
身体の空腹以外の欲求で食べたくなったときに、その気持ちを認めて、
「私は空腹で無いけど食べている、でもこれはこれでいいのだ」と開き直るか、
それとも、食べ物では心的渇望は満足しないという現実に向き合って
食べることで妥協せずとことん自分の辛さに付き合うか、
という選択になると思います。

で、私が考えているのは
やっぱり気持ちとしては「太っていて幸せ」を選びましょうよ、
というのが、このサイトを通して呼びかけたいことなんです。
(しつこいですけど、実際に太るかどうかは別問題ですよ。
ただ「身体には太る権利もある」ということを認めるってことです。)

ストレスがどうしても
「食べ物」や「やせ願望」という形で表に出てきてしまうのは
今の社会的価値基準からして、避けるのはなかなか難しいですけども、
それは悩んでいる限りは「短所」にとどまりますが、
ひっくり返せば、それによって「緊張を少し抜く」という方法を持っている
ということでもあって、
自分には辛い状況下でも「過食」という後ろ盾がついているのだからと安心して
人生で少し思い切ったことをやる、という生かし方もあるわけですよね。

身体的空腹にだけしたがって食べるという選択(スリム体質)は、
実際にストレス状況下にいる人にとっては
かなりの精神的体力(?)が必要ですし、
場合によっては余計にストレスを大きくさせるのではないか、と思います。
ではストレスが減るのを待って「スリム体質」になろう、と決めるのでは
あいかわらず先延ばしばかり得意の「ダイエット依存心理」です。

あなたが少なくても現在何かに傷ついているように感じるなら
自分が手に入れることができるものについては
できるだけ取り上げないのが最善だと思います。
身体が必要とする以上の食べ物であっても、
もしそれでしばらく心の緊張から逃れられるのであれば
それには十分な価値があるし
そんなに大切なものを弱っている人から取り上げるべきではないと思います。

そうしていて、自分の身体が自分の心のもとに戻ってきたとき
「肥満」も「スリム」も「過食」も
殆ど何の意味もない言葉になるのだと思います。

もう一度、四択。
自分自身の「辛さに向き合う力」も計算に入れて
それを良し悪しで評価したり、目をそらせたりするのではなく
それを生かすための選択をしてみてください。

1・私は太っていて不幸せを選ぶ
2・私はスリムで不幸せを選ぶ
3・私は太っていて幸せを選ぶ
4・私はスリム体質で幸せを選ぶ


ダイエットしないで痩せる方法
ダイエットしないで痩せる方法

↓ダイエットしないで痩せる方法記事一覧
コラム 痩せたい理由リスト
1 紹介
2 概要
3 食べ物は人を幸せにする
4 食べ過ぎる理由リスト
5 スリム体質研究
6、太っていて幸せ
7、悩むのをやめたとき
8、決断

2007年05月28日

ダイエットをしないで痩せる方法」の紹介をしています。

究極の選択の続編です。
前回記事「6、太っていて幸せ」から読んでくださいませ。

1・私は太っていて不幸せを選ぶ
2・私はスリムで不幸せを選ぶ
3・私は太っていて幸せを選ぶ
4・私はスリム体質で幸せを選ぶ

14歳のとき「太っていて不幸せ」をやめ
「太っていて幸せ」を選ぶことを決意したキャロルの例です。
長いですが引用します。

**以下引用文** 

高校生の頃の私は本当に惨めでした。
人生のすべてが食べ物を中心に回っていたからです。
今食べているものについて考え、
食べていないものについて考え、
これから何をたべるかについて考えていました。
まるで私の頭の中に悪魔がいるようで、
その悪魔は、私が食べ物や太り過ぎのことを考えるのをやめようとしても、
どうしてもやめさせないのです。

その当時は、今のようにダイエットに関する情報があまりありませんでした。
それにダイエットは自分には効果がないだろうと、
私は何となく直感的に悟っていたのです。
万が一、何かのダイエットを続けられるとしても、
それは鎖につながれて生活するみたいなものだろう、
私は相変わらず自分のことが嫌いだろうと感じていました。

ダイエット依存心理については知りませんでしたが、私は頭のいい子供でした。
自分には二つの問題があるという結論に達したのです。
一つは太っていること。
もう一つは、太っていることをいつも悩んでいることです。

太っていることについてもう悩むのをやめるだけで、
一夜にして悩みの半分を消すことができる。
私はこう考えました。
「そんな風に降参してはいけないわ。
次善の策で我慢するみたいじゃないの。きっともっと何かできるわよ。」
と、初めは考えました。
それに自分をそのまま受け入れるには、自尊心を捨ててしまうことが必要でした。
でも私は本当にもの凄く惨めだったので、
そこから脱出するには、どんなことでもしたと思います。

私はMサイズの服に身体を押し込もうとするのはやめ、
Lサイズの服を買いました。
自分の食べたいものを食べ、とにかく太りすぎを悩むのをやめたのです。

どうやって悩むのをやめたのか、よく分かりません。
とにかくやめたのです。
頭の中でその声が響くと、私はこれでいいのだと自分に納得させました。

**引用ここまで**

「太っていて幸せ」になることを選んだキャロルは、
食べたいものを食べるよりになり、なぜか体重が減り始めます。
半年で10キロ減り、食べたいものを食べ続けながら
そして現在に至るまで20年間その体重を維持しているそうです。

「自尊心を捨ててしまうことが必要でした。」
って書いてあるのが面白いなあ、と思ったんですね。
私も過食から回復していく過程で同じようなことを感じていたんです。

なんというのか、過食症からの回復って
英雄的な行為ではないんですよね。
ドラマチックに葛藤があり、苦闘の末努力が実る、
っていうことではなくて。
ただ、わりと格好悪く「諦めた」っていう。

今まで凄く頑張ってきたものからいきなり手を離した感じ。
「自分はこうあるべきだ」と思っていたものを壊したんですよね。
考えていたのは「しょうがないじゃん」ってことです。
私がどういう風になりたがろうが、
それとは関係なしに私はこういう人間なんだから、
しょうがないじゃん。
私はストレスがかかると過食をしたくなる人間だし、
私は自分がそうありたい、と思うよりは体重が多めに設計された人間なんだから
しょうがないじゃん。
どうしようもないじゃん、って。

どうやって悩むのをやめたのか、よく分かりません。 とにかくやめたのです。 頭の中でその声が響くと、私はこれでいいのだと自分に納得させました。

本当にこの通りでした。
最初は意識的にこう思っていたんですけど、だんだん習慣になってきました。
「身体のサイズを自分の思ったとおりにできると決め付けるなんて、
身体に対して随分失礼じゃない?」
っていう風に、今は自然に思ってます。

諦めるというのは、
諦めてしまえば随分楽チンなものだなあ、と。
今だから思いますけど、
諦めるのはやっぱり苦かったですね。

でもまた同じ選択に直面したら
やっぱり同じ諦めを選びます。
手を離したことで得たものが大きかったですから。


ダイエットしないで痩せる方法
ダイエットしないで痩せる方法

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コラム 痩せたい理由リスト
1 紹介
2 概要
3 食べ物は人を幸せにする
4 食べ過ぎる理由リスト
5 スリム体質研究
6、太っていて幸せ
7、悩むのをやめたとき
8、決断

ダイエットをしないで痩せる方法」の紹介をしています。

この本の最大の山場かとも思うんですけども
自分のこの先の生き方を決める四択があるんですよ

選んでみてくださいませ。

1・私は太っていて不幸せを選ぶ
2・私はスリムで不幸せを選ぶ
3・私は太っていて幸せを選ぶ
4・私はスリム体質で幸せを選ぶ

迷う人はどれくらい居るのだろう。
私は最初、迷わず4を選びました。

いや、だってですよ、
たしかにこんなサイトやってますけども、
極端な痩身崇拝はうんざりですけども、
でも世間の大部分の人は「痩せてるのはいいことだ」と無邪気に思っているからこそ
痩せてた方が、何をするでもなんとなくスムーズなんですもの。

銀河鉄道の夜っていう童話で
主人公のカムパネルラが、
自分でもなんだかよくわからない切符みたいなものを
よくわからないまま車掌さんにえいっと見せたら
なんだからよくわからないけれど車掌さんはやけに敬意を表してくれて
まわりの乗客も、たいしたもんだ、と恐れ入る、
っていう場面がありますが、

だいたいそういうような感じで
なんだかよくわかんないけれど
「スリム」って切符を出してハイって見せると
まわりが感心してくれて色々コトが簡単に進むようになるんですもん。

と、思って4。

だったんですけど、これ後で変わります

その前に四択の詳細説明

1、太っていて不幸せ
・ダイエットとドカ食いのジェットコースターに乗り続ける
・太っていることやダイエットが続かないことで自分を責め続ける
・自分に禁止する食べ物を設け、
太りすぎていることを理由に活動や人間関係を制限する
・自分の体重や、何を食べるか何を食べないかについて、できるだけ悩む
・「あなたは太りすぎだ、あなたは失敗者だ」と四六時中、自分に言い続ける。
・そして何よりも、新しいダイエットが現れるたびに次々に試してみる

私たちは「幸せになりたい」と口では言います。
しかし「太っていて不幸せ」というのはたくさんの利点があります。
何かを変えるというリスクをおかさなくていいし、
性的な関係から離れていられるような気になれるし
何でも太っているせいにして逃げられるし、
太りすぎのことをあれこれ考えていればほかの問題から逃げられます。
「太っていて幸せ」では得られない何かを「太っていて不幸せ」から得てるのかもしれません。
「不幸せ」の利益を喜んで捨てられますか?

2、スリムで不幸せ
これは「太っていて不幸せ」とよく似ています。
違う点はただひとつ、自分の時間とエネルギーのほぼ全てを費やして、
スリムでいるために必死で努力し、次から次へとダイエットを試していることだけです。

3、太っていて幸せ
本当のところあなたはスリム体質になれない身体なのかもしれません。
もしそれが事実なら、一番実際的なのは自分をありのままに受け入れ
人生とうまく折り合っていくことではないでしょうか。
スリムになることを諦め、
過食すること、今のままでいることを楽しむようになったら
自分は何ができるだろうか、それを全部考えてみましょう。

・ダイエットについて二度と考える必要がない
・身体に快適な服を買える。細く見せようとして1サイズ小さい服を買う必要がない
・食べたい物を何でも好きなだけ食べられるし、それを楽しむことができる。
・周りの人がダイエットの本を買ったり、
雑誌に載っているダイエットの記事を読んで時間を浪費したりしているのを、
余裕たっぷりに笑うことができる
・スリムになるまで人生を保留せずに、それを思いっきりたのしむことができる

4.スリム体質で幸せ
(詳細は5 スリム体質研究参照)

さてこの「太っていて幸せ」の特徴ですが、
多くの人が「やせたらこんな生活がしたい」と口にする憧れの生活と殆ど同じです。
つまり痩せなくても、今の自分を受け入れるだけでやりたいことはできるんですよね。

ただ、受け入れるのはちょっと大変です。
なぜなら今まで受け入れないためによく頑張ってきたからです。

この「太っていて幸せ」の特徴をじっと見ていて思い出したのですが
私が最終的に過食症から抜け出したとき、
漠然と、ですが、この四択に直面していたんですね。
そして3の「太っていて幸せ」を選んだんです。

過食するならする、そのままで
「今の条件でできる範囲で、できるだけ幸せになろうと努力しよう」
と決めたんです。
そして開き直って過食したらなんとなく治ってしまったんです。
だからその後で体重が落ちたのは、本当に
人生がシャレでくれたおまけだと思います。

ところで、
なぜそのとき4「スリム体質で幸せ」を選ばなかったかと言うと
そのときの私にはぜひ過食が必要だったんです。
自分の中に何か問題がやってきたときに
「過食に逃げずに問題に正面から立ち向かう」なんてこと
絶対にできなかったんです。
それほどの精神力がないってわかっていました。
だから「過食しておこう」と思いました。
でも「できるだけ幸せにやろう」と。
(そのときたまたま凄く不幸だったんですけど、
でも不幸なりに幸せ目指していいわけですから)

そして過食しているうちにいつの間にか治っていったというのは
「太っていて幸せ」から「スリム体質で幸せ」に
気づかないうちに進んでいたんだと思います。
過食しているうちになんとなく問題に直面する勇気が育ってきたんですね。

そういうことを思い出していて、
私は四択をもう一回選びなおしました
やっぱり3「太っていて幸せ」がいいです。

自分の手にあまる問題がやってきたときには
私は過食に逃げる権利を残しておきたいです。
それで太っても別にかまわないです。
そうやって十分に精神力がつくまで
ゆっくりと休んでいられる「過食」というゆりかごを
私が持っているんであれば、それは手放したくないです。

そういうわけで私は「太っていて幸せ」を選びます。

みなさんはいかがでしょうか。

※次回もこの話題が続きます




ダイエットしないで痩せる方法
ダイエットしないで痩せる方法

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コラム 痩せたい理由リスト
1 紹介
2 概要
3 食べ物は人を幸せにする
4 食べ過ぎる理由リスト
5 スリム体質研究
6、太っていて幸せ
7、悩むのをやめたとき
8、決断

2007年05月27日

ダイエットをしないで痩せる方法」の紹介をしています。

さて、この本は
「ダイエットは効果が無いし、太りやすい体質になって、
後ろ向きの思考回路になって、
自分を嫌いになるだけのものだからやめちまえ!」

というところから出発しています。
では、ダイエットが効果ない以上、
どうやって痩せられるのか?という点についてですが
これに対する回答は

「ダイエットのことなんてまるきり考えずに生活していて
尚且つスリムである人々(スリム体質の人)の
行動、考え方を真似しよう」というものです。

著者38年のスリム体質研究結果が
次に明かされるわけですが、
激しい衝撃を受けるほど普通のことを書いています。
38年かけてこんなに普通のことにたどり着くあたりは
私、結構好きです。

---------------
「スリム」という言葉が出てきますけど、
勿論、”女性誌が推奨するような栄養失調ぎりぎりの低体重”のことではなくて
”自分の身体を自然に感じられる身体性”というような感じの解釈で読んでいます。
スリム体質=「反・ダイエット依存心理」として使っているのであって
具体的な体型とか体重とかのことではありません。
なんか、あんまりいい言葉ではないんですけど、
著者にとっては大切な言葉のようなので、そのままで。
---------------

○スリム体質の四つの基本
・空腹なときだけものを食べる
・自分が食べたいものを食べる
・口に入れた食べ物のひと口ひと口を味わって食べる
・空腹でなくなったら食べるのをやめる

スリム体質の人が物を食べる理由はお腹が空いているからです。

スリム体質の人は何を食べたいかを自分の身体に聞きます。
何かを探して台所をうろうろすることはありません。
食べ始める前に何を食べたいのか決まっています。

スリム体質の人は食べているものと
それが「身体の空腹感」に与える効果を意識しています。
食べているものを意識してしっかり味わうので満足できるのです。

スリム体質の人はお腹が一杯になったら食べるのをやめます。
誰かが無理にすすめたら「もうおなかいっぱいです」を
何度でも繰り返します。

○スリム体質の人の食べ方

・身体の要求にしたがう。
そのときの本能に従って食べます

・食べ物を自分へのご褒美にしない
自分へのご褒美には映画へ行ったり、服を買ったりします。
また食べ物を罰にすることもありません

・「今しかチャンスがないから」という食べ方をしない
食べ物はいつでもあることを知っています。

・禁止の食べ物がない。
空腹のときにはいつでも欲しいものが食べられるから、
急いで食べる必要がありません。
(あなたが万が一、食べすぎるか、たべることを自分に禁じるかの
どちらかを選ばなければならない場合は食べ過ぎるほうを選んでください。
長期的に見れば、禁じられているという気持ちの方が、
たまに食べ過ぎることよりもずっと害が大きいからです)

・耳を傾ける
身体が何を食べるよう命じているかに耳を傾けてそれに従います。
本能を信頼し、ばかげたように思えるときでもそれに従います。

・みんなの前で食べる
隠れて物を食べたりしません。どうして隠れる必要があるのでしょう?

・食べ物は食べ物に過ぎない
食べるという行為は呼吸と同じように自然で必要な行為なのです。

・幸福感を得られる何かをする
自分の食べたい物を食べますが、幸福感を得るために物を食べることはありません。
楽しさや幸福感を得たいときには、それを与えてくれる何かをします。

これでだいたい「スリム体質の心理」が明らかになりました。
次には「ダイエット依存心理」と「スリム体質の心理」どちらを選ぶか
という興味深い選択があるのです。


ダイエットしないで痩せる方法
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6、太っていて幸せ
7、悩むのをやめたとき
8、決断

ダイエットしないで痩せる方法」から「食べ過ぎる理由リスト」のご紹介です。

この本によると食べ過ぎる人は食べ物を使ってあらゆる渇望、
感情的渇望、知的渇望、さらには性的渇望までも、を満足させます。
何かに対して渇望感があると、それは食べ物に対する渇望だと
習慣的に思い込んでいるのだと解説されます

問題は、食べ物ではこういった渇望を絶対に満足させられないことです。

食べ過ぎる理由リスト

1、慰めを必ず与えてくれるから
→「食べ物ほど慰めてくれるものはないわ。口答えもしないし、去ってしまうこともない。
食べ物は身体と心の痛みを慰めてくれるの」

2、私はグルメだから
→「私はいつも美味しいものを求めているの。ご馳走を食べ損なうなんて考えられない」

3、自分へのご褒美として
→「今日は一日よく働いたから、自分のために何かしてもいい時間だわ」

4、世界には「お腹をすかせた子供たち」がいるから
→「最後の一口まで食べてしまわなければ贅沢で我が儘で、世界の繁栄を脅かし、
お腹をすかせた人を増やすことになる。
とにかく食事を平らげるのは良いことで、残すのは悪いことに決まっている」

5、教えにしたがって
→「子供の頃、皿の上のものは全部食べなさい、としつけられて育ったの」

6、得だから
→「他の店の一個分より安いんだから三つ食べましょう」
→「バイキングなんだから沢山食べなくちゃ」

7、何かをぐずぐず延期するため
→「片付けなければならない仕事を机の上に全部並べて、
そのときふと、何か食べなくちゃ、って思うの」

8、テレビを見るため
→「テレビを見ることと食べることがただセットになっている」

9、今しか食べるチャンスがないから
→「私が食べないと他の人がたべてしまう」
→「今食べないと何時間も食事にありつけないかもしれない」
→「こんな美味しいデザートにはもう巡り合えないかもしれないから沢山食べておこう」

10、誰かに強く勧められたから
→「ご馳走してもらったのに残したり、お代わりを断ったりするのは失礼でしょ?」
→「誰かに薦められたら断れないの。体重を減らすことより、
相手に好意を持ってもらったり喜んでもらうほうが大切でしょ」
→「みんなで食べたものが最後に一切れ残ってしまったから、私が食べたの」
→「後で食べなさいってせっかく作ってくれたのに、食べなかったら悪いでしょ」

11、記念にするため
→「こんな素敵なところには二度とこないかもしれないから色々食べておかないと」

12、健康のため
→「もっと食べないと栄養失調になってしまう」
→「食べるのをやめたらまたタバコを吸い始めるかもしれない」
→「スナック菓子しか食べてないから何か栄養のあるものを食べたほうがいいだろう」

13、空腹を避けるため
→「今食べておかないとあとでお腹がすくだろう」

14、区切りとして
→「10時におやつを食べるともう少しで昼だということがわかり、
ランチを食べると、一日の半分が終わったことがわかるの」

15、ダイエットの前だから。ダイエットの後だから
→「今度こそは死んでも成功させるつもりよ。だから今夜は最後の晩餐なの。全部食べてしまおう」
→「一週間もまずいダイエット食を食べ続けたんだから、ちょっとくらい羽目を外しても構わないはず」

16、エクササイズの前だから。エクササイズの後だから
→「エクササイズの前は体力をつけておかなくちゃ。カロリーは消費されるから大丈夫」
→「エクササイズをやったから、私は食べる権利があるわ」

17、誰にも見られてないから
→「今は私一人、あれこれ批判されないで済むうちに何か食べなくちゃ」
→「友達との食事ではサラダしか食べなかった。みんな私が意思が強いと思っているから辛いわ。
早く家に帰って一人でとにかく何か食べたい」

18、無意識のだらだら喰いによって満足できるものを探すため
→「仕事からも人間関係からも満足が求められずに、気がつくと台所でそれを探しているの」

19、空腹痛を起さないため
→「子供の頃胃が空っぽだと穴が開く、と教えられたので
食べなかったら何か恐ろしいことが起こるような気がする」

20、もう大人だから、食べたいものは何でも食べられるため
→「大きくなったらパパとママが食べさせてくれなかったものを全部食べてやる!と思っていたの」

21、無意識に食べてしまうため
→「一口目は美味しい、二口目も結構美味しい。
その後は殆ど自動飲食マシーンになっていて結局最後には、
誰が私のポップコーンを食べたんだろう?と不思議な気がする」

22、退屈だから。
→「食べることが一日を埋めるために考え付くもっとも面白い活動だもの」

23、悩みがあるから
→「面倒な状況にいるとき、自分の気持ちをそのまま受け止められずに、
食べ物と一緒に押さえつけてしまうの」

24、創造力を発揮できるから
→「料理は私にとって自分を表現する方法のひとつ。
誰かがこれをたべなくちゃいけないのだから、私が食べてもいいの」

25、お祝いの日だから
→「誰だってお正月には食べ過ぎるものでしょ。飲んで食べて楽しくやらなきゃ」

26、エネルギー補給のため
→「一日の初めにはエネルギーが必要だ。
一日を乗り切るにもエネルギーが必要だし、夜だって疲れているから栄養を取らなくちゃ。
寝る前には何か食べて落ち着かなくちゃ寝付けない」

27、儀式的行為として
→「毎日三時にあの店のチョコレートを買ってこないと、騙し取られたような気がするの」

28、その時間がきたから
→「必要でも必要でなくても、食事時にはとにかくしっかり詰め込まなくちゃ」

29、恋のため
→「嫌いになったときや、嫌われたとき、食べ物が安らぎと平安を与えてくれるの。
もう恋が終わったのだから見かけがよくても悪くても関係ないわ」


身体が欲していないのに、
頭もしくは心の渇望を埋め合わせるために
猛烈に食べるという経験は私にはおなじみのものです。
私にとって一番多かった原因は「誰もみていないから」だったと思います。

「私が何かを欲しがっているなんてことを誰かに知られては大変だから、
だから人の見ていないうちにできるだけ
沢山自分のために確保しなければならない」

という気持ちは六歳の頃からありました。
何も欲しくなくても、ただ「誰にも見られていないから」という理由だけで、
とにかく口に入れても安全なものでありさえすれば全て飲み込みました。

その影にあったのは
「自分が本当はどんな人間かということが家族に知られてはとんでもないことになる」
という気持ちです。
常に相手がどんな人間を望んでいるかを察して
その通りに行動していなければ誰にも愛されないものだと思っていた、
その気持ちが私にたくさんの不必要なものを食べさせていました。


「食べ過ぎてしまう理由」他にも何かありますか?

・太りすぎの人が物を食べる理由は無数にある。
しかしその中で、肉体的な空腹と何らかの関係のあるものは非常に少ない。
・物を食べてる理由のうち、肉体的な空腹以外の全ての理由によって、あなたは太っているのである。

ここを読んでくださってる方が「太りすぎ」とは全然おもいませんけど
(「太りすぎ」って言葉が実際何を指しているのか私にはいまいちわかりません)
でも食べることに悩みを持っている方にとっては
「物を食べる理由のうち、肉体的な空腹以外の全ての理由によって、あなたは苦しんでいるのである」
というふうには言えるかもしれません。

しかしこの本は「肉体的空腹以外の理由で食べてはいけない」という論ではありません。
ただあなたは今まで知識と選択肢がなかったために
食べること「しか」できなかったけれど
これからは選択肢をもっていこう、という主張です。
次回に続きます

ダイエットしないで痩せる方法
ダイエットしないで痩せる方法

↓ダイエットしないで痩せる方法記事一覧
コラム 痩せたい理由リスト
1 紹介
2 概要
3 食べ物は人を幸せにする
4 食べ過ぎる理由リスト
5 スリム体質研究
6、太っていて幸せ
7、悩むのをやめたとき
8、決断

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みんな、やせることに失敗している
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悲しくも絶版になってしまった摂食障害に関する名著復刊リクエスト中です。
↓「みんな、やせることに失敗している」関連記事
1 パターンを変えてみる
2 やせたらしたいことリスト
3 過食症からの回復
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現在11票でした。
ご協力くださった皆さん心からありがとうございます。

なんとなんとなんと
嬉しいことに本と私と月のあとさき
のyuiさんがブログ上で協力を呼びかけてくださったいます。
感激です。
(それ以外の記事も、非常に感性するどく、知識も広く文章もうまい方なので、ぜひ。)

会員登録と簡単なコメント記入が必要ですが
協力しても良い、とおっしゃってくださる方、どうぞよろしくお願いします。

2007年05月26日

なぜ時として人はスリム体質になるよりも
食べすぎと太りすぎを選ぶのか、ということに関する
こんな興味深い説明があります。

食べ物は、人との関わりの殆ど全てに織り込まれていて、
私たちは愛していることを伝えるために食べ物を使うのです。
親は子供への愛情を示すために食事を作り、
子供は親への愛情を示すためにそれを食べます。

少し長くなりますが、ジャネットという女性の例を引用します

**以下引用文**

私が太り始めたのは13歳の頃です。
その当時、母(数年前に離婚していました)は失業中で、
姉たちが家計を支えていました。
母は自分自身をどうしようもない役立たずなんだと思っている、
自分に自信を持てる何かをしないではいられないんだ、
私にはそんな気がしていました。

母と私はその年、一種の儀式みたいなことをはじめました。
私が学校から帰ると母はもう夕食を並べていて、私に食べるように言います。
そのあと姉たちが仕事から帰ってくると、また食べるように言うのでした。
 
それが母にとってどんなに重要かがなんとなく分かったので、
私は毎晩夕食を二回食べるようになりました。
私は母のお気に入りではありませんでした。
だからいつも、母から褒めてもらえる方法を探していたのです。
食べることにかけては(食べ過ぎに対してさえ)
必ず母から褒められたので、私は夕食を二回食べ続け、
その結果太ってしまったのです。

私は食べるという行為を求めていませんでしたが、母は求めていました。
もし私自身が求めていたことを実際にしたら、母は不満だったでしょう。
そして私は、母を裏切ったような気持ちになっただろうと思います。
この二つの感情はその当時の私にはとても恐ろしいものでした。

今になって分かるのは、
私が母を相手に、勝つ見込みのないゲームをしていたことです。
自分が本当に望むことをしていなかったので、
私は気持ちが満たされていませんでした。
もちろん、役に立つ人間だと感じたい母の欲求を、
本当の意味で満たしてあげることもできませんでした。

母は職が見つからないことで、相変わらず腐っていました。

母はやがて職を得て、私たちは一晩にニ度の夕食という儀式をやめました。
でもその時点で私はもう太りすぎていたのです。

今ならよく分かります。
私たちのゲームは、相手を愛したい、相手から愛されたいという
二人の必死な気持ちから生まれたことを。

これを知って、私は自分自身と母の両方を許すことができました。
そして再び人生をうまくやっていけるようになったのです。

**引用ここまで**

これは非常によく分かるし、とても辛い話だな、と
私は思います。
13歳の少女が、食べる過ぎることによって、
ばらばらになりそうな家庭をやっと支えているというのは、
とても悲しい話ですが、
きっとありふれた話なんだろうという気もします。

関係が終わっているということから目を逸らすために食べた沢山のもの、
敵意がないことを示すためだけに食べた沢山のもの、
「あなたがくれるものであれば何でも喜びます」ということを信じ込ませるためだけに食べた沢山のもの、
「私はあなたに従順です」ということを知らせるために食べたたくさんのもの、
「私には意志がない」ということを主張するために食べたたくさんのもの、

そういう物凄く沢山の食べ物を
私は自分の過去の中に思い出すことができます。

<新装版>ダイエットしないで痩せる方法
<新装版>ダイエットしないで痩せる方法

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<新装版>ダイエットしないで痩せる方法
<新装版>ダイエットしないで痩せる方法

この本はどういう流れかという、内容をざっと解説します。

まず、ダイエットは減量またはそれを長期的に維持する効果が無い
ということがまず明らかにされます
なぜダイエットは効かないのか、を明らかにするために
ダイエット依存心理についての解説です


1、新陳代謝が低下する
→ダイエットを頻繁に行いすぎて体が実質的に飢餓寸前になると体重を減らせなくなります

2、制約感に苦しむ
→人は何かを取り上げられるとそれに執着するようになります。

3、失敗の悪循環に陥る
→自尊心がボロボロになる、自分を信頼しなくなる、自分を責める。
何を考えても自分の肥満に結びつけるようになる

4、スリムは素晴らしい、肥満は悪いと思う
→人生で一番大切なものはスリムな身体だとすら考える

等等・・・


ダイエット依存症から決別するために以下のことを明らかにしていきます

「食べすぎてしまう理由」
→食べ過ぎる人がものを食べる理由は無数にありますが、
肉体的な空腹と何らかの関係があるものは非常にすくないことがわかります。

「痩せたい理由」
→今スリム体質でないならばそれらの中で効果のあるものはゼロだということです

「やせないための理由」
→今スリム体質でないならば、それらの理由は全て効果があったということです

つまりもし今本当に痩せたとしても、今までと同じことをしている限り体重はまた元に戻るということです。
自分のしていることに気がつくのが第一のステップです


そして、ダイエットなんて一度も気にしたことがないのに常にやせている人
「スリム体質」の人を研究し、その人のしている通りに暮らせば
自分も「スリム体質」になり、リバウンドもない、とされます。

「スリム体質」の秘訣
1、空腹なときだけ物を食べる。
2、自分が食べたい物を食べる。
3、口に入れた食べ物のひと口ひと口を味わって食べる
4、空腹でなくなったら食べるのをやめる
さらにスリム体質の人は何を考え、何をするのか、ということを明らかにします

これらを実行すれば「スリム体質」になれるということは明らかです。
その上で自分がどうなりたいのか、ということを考えて以下の中から選択をします
1、太っていて不幸せ
2、スリムで不幸せ
3、太っていて幸せ
4、スリム体質で幸せ

それぞれのあり方をよく考えて検討し、自分がどうなりたいのかを決めます。
決めたらそれ以外の選択肢は捨て、目標に向かっていきます。
古い習慣を捨てるにはおよそ四週間
新しい習慣を確立するのにもう四週間、
それが無意識に行われるようになるにはさらに四週間かかります。
自分自身の方法とペースを決めます。

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8、決断

2007年05月25日

ダイエットしないで痩せる方法
ダイエットしないで痩せる方法

昨日フライングで少しご紹介しました「痩せたい理由リスト」の出典はこちらの本からでした。

もとのタイトルは”DIETS DON'T WORK”
英語って時々分かりやすくて感動しますね。
ダイエットはうまくいかないそうです^^

<新装版>ダイエットしないで痩せる方法
<新装版>ダイエットしないで痩せる方法
←新装版まで出てる。

「やせたい理由リスト」を含めて凄く面白いことが書いてあるんです。
根本にあるものはジェニーン・ロスの「食べ過ぎることの意味」に非常によく似ています。
ただ深みと、文章そのものの質の良さにおいては
断然「食べ過ぎることの意味」の方が良書ではないかとは思います。

この本の文章って一昔前にはやった「買ってはいけない」をちょっと髣髴とさせます。
面白いことも結構書いてあるのにやたらと文章をセンセーショナルに飾り立ててしまったから
「読み通すのが面倒くさい」というところがあるかな、と。
でも書いてあることはいいんですよ。

だから好みはあると思うのですが「読む本」としては
やはり私は「食べ過ぎることの意味」の方を推奨します。

しかしながらこの本の特徴はですね、
「読む本」ではなく「書きこむ本」なんです。
章ごとに練習問題風のワークがついていて、
実際に自分で考えて書き込んでいくんです。

私はこのサイトをするにあたって
一度食べ物と自分の関係を客観的に見直すことが必要だなあ、と思っていたので
食べ物に関するセルフカウンセリングというようなイメージでそれぞれの問いを埋めてみました。
結構、出てきますね。
読んでみるのと、頭で考えてみるのと、手で書いてみるのと
それぞれ意味が全く違います。
いろいろと、「気づきたくない諸々」と直面しております(笑)

なので、食生活に関して一度カウンセリングを受けてみたい、というような希望のある方、
最初から「読むつもり」ではなく「書くつもり」で手に取る方、
自分の「見たくない面と直面しよう」と決めた人にとってこそ、
この本はとても役にたつと思います。

洗いざらい自分の秘密を書いて、本棚に並べずに引き出しにしまっておいて
必要がなくなったら誰にも見つからないようにこっそり捨てるつもりで買うべき本ですね。

読み物として面白い部分についてはまた少しずつつまみ食い式に紹介していきます。

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8、決断

「やせ願望」の精神病理紹介の最終回
「第六章 「やせ願望」とジェンダー」「第七章「やせ願望」を超えて」の紹介です

○「やせ願望」とジェンダー

なぜ「やせ願望」は主に女性ものなのでしょうか

ひとつには男性よりも女性の方が外見によって評価されるということがあります。
その根本的な理由のひとつとして、
男性は自らが社会の中での地位を持っているのに対して、
女性は男性との関わりを通して初めて社会の中で位置づけられてきたという歴史があります。

「相手に選ばれるか」「相手に喜ばれるか」
という評価基準の中で暮らしてきた「選ばれる性」として女性は
「自己志向」よりも「協調性」を求められてきたのだと思います。
「自己志向」が低く「協調」が高いというのは、まさに摂食障害の典型的なパターンです。

摂食障害の患者さんでは母親がジェンダーの被害者ということもよくあります。
「子育てのために自分の人生を諦めた」女性によって過干渉に育てられ自己志向が低下するケースや、
夫婦仲が悪いけれども仕事を持っていないために離婚ができない母親のもとで、
母親に同情しつつ、母親を軽蔑して育ち、
「母親のように男性に依存した存在になりたくない、自分自身のキャリアを持ちたい」と思う一方で
「母親のように男性に捨てられたくない、愛され続ける女性でいたい」と思い、
「仕事も外見も」という思いが自分の限界を超えてしまう例もあります。

このように「やせ願望」とジェンダーについての関係について考察すると、
女性であるが故に「自己志向」を育てることを良しとされずに、
他人の価値観に振り回されるようになってしまった。
女性であるがゆえに、ライフスタイルを歪められ、身近な人との対人関係も歪められ、自己志向を高められずにストレスを膨らませてしまった。
そんな結果が摂食障害として表れているのではないかと思います。

○「やせ願望」を超えて

自己志向が低いと周囲の価値観に振り回されやすくなり、
周囲が望む「外見」になろうと、画一的な「やせ願望」に流されやすくなるのだと言えます。
自己志向を高めれば「やせ願望」から脱することができるだろうというのは
ひとつの真実だと思います。
でもそれと同時に「外見」が自己志向を育てるという側面もあります。
私たちは日々「外見」を通して人と接しているわけですから、
「外見」のありようが自己志向に影響を与えないわけがありません。

「やせることさえできれば自分に自信がつくと思う」
「自分に自信さえあればこれほどやせたがらないと思う」
というニワトリタマゴの状態に私たちは陥っていますが
実際にやせてみても、それほど自信が高まるわけではありません。

どのようにすれば「外見」を通して自己志向が高められるのか、
が摂食障害を考えるうえで一つのポイントになります。

そもそも人には持って生まれた体質や体型があります。
「性格」と同じように後天的にそれほど大きく変えられるものではありません。
自分の体型を受け入れることが自己志向を高める第一歩です。
「もっとやせられるはず」と思えば思うほど自己志向が低下していきます。

「今の生活とは180度違う人生があるのではないか」
「今の生活に甘んじていてはいけないのではないか」と思うことは
特に自己志向の低い人にとっては、今の自分を受け入れがたいものにしてしまいます。

人間はそれほど変われないものです。
変化は必ず今までの人生の延長線上にあるのです。
一本のつながった線の上を試行錯誤しながら自分を振り返りながら少しずつ進んでいく、
それが自己志向を高める生き方なのではないかと思います。
「やせさえすれば全て解決する」のではなく、
過食嘔吐に苦しみながら、自分の弱点やストレスを知り、
ストレス解決のための改な試みを少しずつ繰り返しながら自己志向を高めていく、
それだけが解決法なのだと思います。

私たちは自己志向を高める生き方をすると同時に、勇気を持って他人と異なる自分を認め、自分と異なる他人を認めなければならないのだと思います。
そうしていくことで、自分の価値観もさらにしっかりしますし、自己志向も高まります。
相手に対してももっと優しい気持ちになることができるでしょう。
多様な価値観が認められる社会が実現すれば「女性はやせているほうが美しい」という単一の価値観からも解放されます。
それぞれの体型があって良いではないか、という当たり前のことが受け入れられるようになるでしょう。 またそのような社会では、多様な生き方が認められますから、ジェンダーの呪縛から病気を引き起こすこともなくなるでしょう。お互いの違いをふまえた上での豊かなコミュニケーションを持つことができれば、ストレスをためこんで病気になることもなくなると思います。
 社会全体が「やせ願望」に冒されてきている今、摂食障害という病は、私たちにさまざまなメッセージを発しています。
私たちは「やせ願望」を乗り越えることができるのか。
「やせ願望」の向かう先は絶望なのか、あるいは多様な価値観を認め合える豊かな社会なのか。それは私たちが摂食障害という病からどれだけのものを学べるかにかかっている、と言えるのではないでしょうか。


「やせ願望」の精神病理―摂食障害からのメッセージ
「やせ願望」の精神病理―摂食障害からのメッセージ

「やせ願望」の精神病理 関連記事一覧
 1 紹介
 2 なぜ女性はやせたがるのか
 3 破綻したやせ願望
 4 摂食障害の治し方
 5 対人関係療法
 6 コミュニケーション分析の実際
 7 回復へのプロセス
 8「やせ願望」とジェンダー
復刊リクエスト

2007年05月24日

ダイエットは絶対にうまく行かない、と言われても
ガリガリのモデルの流行はダイエット産業の陰謀だと言われても、
痩せたい気持ちへの囚われをなくさなければ摂食障害は治らないと言われても、

「それでもどうしても痩せたい」

という気持ちは、きっと私たちには凄く大切な何かだと思います。
痩せたい、という気持ちはきっと凄く手放しがたい価値のある大切なものに違いなくて
でも私が思うに、そういう気持ちっていうのは
もっとしっかりちゃんと言葉で捉えられた方がいいのじゃないだろうか
「多少のダイエットなら普通の女の子はするよねえ」
という言葉で終わらせてしまう前に
「痩せたい」という言葉の中に入ってる大切なものってなんだろう
っていうことはもっと考えた方がいいんじゃないか
・・・と思っていた矢先、ある本で痩せたい理由リストを見つけてしまいました。

この本はあとでまとめてちゃんと紹介したいと思っているものなのですが
「痩せたい理由リスト」というものが非常に面白いような気がしたので
先に紹介してしまいます。

痩せたい理由リスト

1、外見をよくするため
→「今でも悪くはないけど、数キロ痩せればもっと綺麗になるもの」

2、大きなイベントがあるから
→「結婚式に着たいドレスになんとか身体がはいるようにしないと」

3、異性をゲットするため
→「最近彼と別れたから男性をゲットできる体重に戻りたい」

4、習慣だから
→「人生とは絶え間ないダイエットのことだから」

5、注意を引くため
→「ダイエットの話題がなかったら友達と話すことがないもの」

6、就職または昇進のため
→「すらりとした姿で颯爽とオフィスに入ったらきっと待遇がいいと思う」

7、服のため
→「服が入らなくなったけど、太ったからだのために新しい服を買いたくないの」

8、夏だから
→「ビキニを着なくちゃ」

9、人生が素晴らしくなりそうだから
→「やせさえすれば何から何まで素晴らしくて完璧だもの」

10、自信を持つため
→「痩せたら欲しいものがなんでも手に入れられるようになる気がする」

11、実行力があることを証明するため
→「今は言ったことを信用してもらえずに、プライドが耐えられない。今度こそ」

12、賭けに勝つため
→「スリムになるし、やる気になるし、ちょっとお金も手に入る」

13、もっと健康になるため
→「食べすぎと太りすぎは健康が心配だもの」

14、うるさく小言を言われないため
→「何も言われなくて済むようになるなら体重を減らしたい」

15、普通の食事に戻るため
→「痩せたらまた美味しいものを食べるんだ」

16、惨めな人生にさよならするため
→「自分の外見が大嫌い、生きてたってしょうがないわ」

17、医者に言われたから
→「次の予約の時もまた何か言われるにきまってる」

18、素敵な人に会ったから
→「今を逃したら二度とあんな人には出会えない。痩せるなら今だ」

19、スポーツに適した体にするため。
→「5キロ落としたらどんなにスポーツが得意になるだろう

20、若々しく見せるため
→「太っているために、外見だけでなく、気持ちも老けてしまいました」

21、人に好かれたいから
→「私は太りすぎているために友達があまりいないんです。」

リストは以上です。
どうでしょうか、凄く心あたりのあるものと全くないものがありませんか。
それから、このほかにも何かあるでしょうか。

私はひとつ、このリストのほかにも思い当たるものがありました。
「昔に戻れる気がする」という理由から痩せたく思ったことがあったんです。
ある体重、ある体型で暮らした時間が幸せだったから
それを失った後になっても
もう一度同じ体に戻ればなにもかもがまた戻ってくるような気がして
今ありのままの自分を受け入れられない、ということがありました。

そのときは結局、私の体重が何キロであろうと
ようするに失われたものは失われたものであって、
それを認めて悲しんで、今の自分の身体で先に進んでいくしかないのだ、という
「悲しみの過程」をきちんとやりおおせる必要というのが
「やせ願望」という気持ちで私のところにやってきていたんだと思います。
過去の中の一時期が私にとってとても大切だったからこそ
私は自分の現在の身体が辛かったのであって、
「女の子なんだからダイエットしたくなるのは当たり前」
と言ってしまっていては価値の薄くなってしまう何か大切なものが
そのときの「やせ願望」の中には含まれていたように思います。

「やせたい理由」他にも何かありますか?

<新装版>ダイエットしないで痩せる方法
<新装版>ダイエットしないで痩せる方法

2007年05月23日

ジェニーンのインタビュー記事訳の最終回です
インタビュー1
インタビュー2
インタビュー3
インタビュー4
インタビュー5
インタビュー6
元の記事
An Interview with Geneen Roth 元の記事


ちょっと間があいてしまいました。
ジェニーン・ロスのインタビュー記事が少し残っていたので忘れないうちに更新します。

話の流れがちょっと釈然としなかったのでしばらく放置していたのですが
Eさんのご協力もいただきまして、
かなり意訳ながらも訳してみました。

ちょっと、すみません、仕上げるために無理に訳してしまったかもしれない^^
何かご指摘のところあれば教えてください。

RL: 現在あなたはどんなことに取り組んでいらっしゃるのですか。
どのような危機や限界があるのでしょうか。


GR: 私はもう食べ物のことで悩んではいません。
長い間、いつも食べ物と食べることに苦しみ続け、
人生は体重を減らすことによってのみ変えることができるのだと
信じ続けていたことを考えると全く奇跡です。

今私は自分自身をどのような存在として納得するのか
ということをめぐって葛藤します。
時々、私とはすなわち過去であり、良い子であろうとすることであり、
子ども時代の再現であるように感じます。
すなわち子供時代から持ち続けている、
思い込み、セルフイメージ、アイデンティティなどが自分であるように感じるのです。
それから、純粋ではっきりとした存在であるひと時、
本当にほんのちらりと見るくらいの短い時間ですが、そう感じるひと時があります。

思い込みと、良くあろうと頑張ること、それはとても苦しいものなのですが、
そういった状況に自分を押し込もうとしていることに気づいたとき、葛藤がおこります。
だから私が今取り組んでいるとことというのは、
頑張らない自分、ありのままの自分を受け入れるということです。

私が食べ物との葛藤を通して発見したとおり、
ダイエットのような苦しみや痛みは愛に至らないし、役にも立ちません。
解放の糸口は剥奪や自己批判、自己嫌悪の末にあるものではなく、
安らぐことや内なる知恵を信じることの先にあるのです。

「やせ願望」の精神病理 6コミュニケーション分析の実際の続きです
「第五章 回復へのプロセス」の紹介です。

どういう経過を辿って治っていくのか、ということについての解説の章です。
「ダイエットがうまくいくわけない」ってお医者様に言われると爽快だったりしますね。
もともと「うまくいく」って言い張ってるのは
ダイエット業界と女性誌だけで、もとから信頼性なんてないと言えば無いのですが。

○回復の経過
摂食障害は必ず治ります。
まずストレスがなくなるのが先、数ヶ月遅れて食行動が正常化します。

再発することもあるかも知れませんが、症状に振り回されないことが大切です。
一回くらいの過食は病気がどの程度治っているかということと大して関係ありません。
過食が長引くようであれば、抱えているストレスや、
症状の力を借りて何を語ろうとしているのかということをしっかり考え、
正しいコミュニケーションによってその問題を解決していく
という方法が常にとれるようになれば
「摂食障害が治った」といえると思います。

摂食障害において「治る」ということは
自分のストレスパターンと「性格」を知りそれを受け入れていくことでもあります。
摂食障害が治るには時間がかかります。
「すぐに」「完璧に」なおろうとして不満や罪悪感を抱え込まないことも大切です。

○家族の協力
対人関係療法を行う上で「患者さんのいうことを聞いてあげてください」と
家族に依頼しますが、その意味について筆者はこのように説明します
「患者さんは言葉によるコミュニケーションが下手だから、
言葉で表現する代わりに病気になっているのです。
病気の力を借りずに自己表現できるようにしていかなければ病気は治りません。
そのためにも、患者さんが言葉で何かを表現したときには、
極力言うとおりにしてあげてください。
言葉で言えば通じるということを繰り返し経験して行けば、
だんだんと自信がついていきますから」

摂食障害の人は例外なく「損害回避」が高く、「協調性」が高い人も多く、
相手の気持ちを配慮しないタイプの人はまずいません。
強いストレス状況下で性格がマイナス面に協調されて現れることがありますが、
「放っておくとどんどん我が儘になる」ということはありません

○「成功するダイエット」という幻想

ダイエットの問題は自分の弱点だと認識することが必要です。
ストレス度の高いときにどこに現れるかは人によって異なります。
頭痛が起きる人、不眠になる人、怒りっぽくなる人などがいますが
摂食障害の人はそれが「異常に体型が気になる」「過食したくなる」
という風に出る可能性が高いということです。

正常であるものを「やせすぎ」にしようとするダイエットは
成功しなくて当たり前、です。
本当の自己コントロールというのは
不可能なダイエットを無理を重ねて成功させることなのではなく、
周囲に流されることなく自分の健康を守っていける、ということだといえます。

※次章では「女性はやせている方が美しい」という価値観とは何なのか
私たちはそれを乗り越えることができるのか、考えてみたいと思います
「やせ願望」の精神病理 8「やせ願望」とジェンダー

「やせ願望」の精神病理―摂食障害からのメッセージ
「やせ願望」の精神病理―摂食障害からのメッセージ

「やせ願望」の精神病理 関連記事一覧
 1 紹介
 2 なぜ女性はやせたがるのか
 3 破綻したやせ願望
 4 摂食障害の治し方
 5 対人関係療法
 6 コミュニケーション分析の実際
 7 回復へのプロセス
 8「やせ願望」とジェンダー
復刊リクエスト

2007年05月22日

前回の記事で対人関係療法について伝え切れていない気がするので追加します
「やせ願望」の精神病理 5対人関係療法から読んでください

対人関係療法について実際の治療についての参考文献として紹介されているのは
うつ病の対人関係療法」という文献です。
うつ病のために行われることの多い治療法ですが
摂食障害の治療も殆ど同じように行われているとのことです。

そのほかにも参考文献となりそうなものを見つけましたので
紹介しておきます。

うつ病の対人関係療法
うつ病の対人関係療法

グループ対人関係療法―うつ病と摂食障害を中心に
グループ対人関係療法―うつ病と摂食障害を中心に

自分でできる対人関係療法
自分でできる対人関係療法

対人関係療法の実際の治療の中で行う技法であるコミュニケーション分析について
前回の記事の補足として、実例を引用してもう少し詳しく紹介しておきます。
治療の中で著者とともに特定の会話を一字一句にいたるほど最後まで追っていきます。

(ここから本文より引用します)

例:拒食症のキサラギさん

キサラギ:「私、もう母のことは諦めようと思うんです。
母は私のことなんて何もわかろうとしてくれないんです。」
私:「なんでそう思うんですか?」
キ:「昨日、母と一緒にスーパーに買い物に行ったんです。
何日間も思い悩んできたんですけど、勇気を出して魚くらい食べてみようかと思って
『お母さん、今日は魚に挑戦してみようかしら。』と言ったら、
『それがいいわ』と言って突然、魚売り場で一番大きい魚をボーンとかごに放り込んだんです。
こんなのを食べるのかと思ったら、恐ろしくて、体が震えてきました。
それなのに母は『さあ、ぐずぐずしないで帰りましょう』と言ったんです」
私:「魚を食べるということがあなたにとっては大変な勇気だということを
お母さんはわかっているんでしょうか」
キ:「わかっているはずです」
私:「何日間も悩んで勇気を振り絞ったということをお母さんに伝えたんですか」
キ:「だって、今まで、ヨーグルトと野菜くらいで、時々豆腐を食べる程度だったんですよ。
魚なんてずっと食べていないんですから、大変な事だってわかるはずじゃないですか」
<自分がコミュニケーションしたという間違った推測>
私:「つまり、何日間も悩んで勇気を振り絞ったということをお母さんに言葉で伝えていないんですね」
キ:「それはそうですけど・・・」
私:「それで、お母さんが大きな魚をかごに放り込んでショックを受けたということは伝えたんですか」
キ:「それは伝わっているはずです。
それなのに、『ぐずぐずしないで』なんて言って、本当にひどい・・・(泣く)」
私:「ショックを受けたということを、どうやって伝えたんですか」
キ:「体が震えたし、涙も出てきたんです。
その場で立ち止まって動けなくなりましたし」
<曖昧で間接的な非言語的コミュニケーション>
私:「つまり、大きな魚なのでショックを受けたということを、言葉では伝えていないんですね」
キ:「それは・・・」
私「それで『ぐずぐずしないで帰りましょう』と言われて、抗議したんですか」
キ:「『お母さん、帰りたいのなら先に帰ったら』と言いました」
<不必要に間接的な言語的コミュニケーション>
私:「そうしたらお母さんは何といいましたか?」
キ:「『何不機嫌になっているの、一緒に帰りましょうよ』って」
私「何で不機嫌なのかは伝えたんですか」
キ:「いいえ、その母の一言で力が抜けてしまって、
もうこの人には何を説明しても無駄だと思ってしまって
・・・それから母とは一言も口をきいていないんです。」=<沈黙>
私:「何を説明しても無駄だっていう以前に、何も言葉で説明していないように思うんですけど」
キ:「だって・・・」
私:「そもそも、お母さんはなぜそんな大きな魚を選んだんでしょう」
キ:「早く太らせようと思ったんだと思います」
私:「聞いてみたんですか?」
キ:「そんなこと、聞いてみなくてもわかっています」
<自分が理解したという間違った憶測>


(本文引用ここまで)

この後著者の助言あって、キサラギさんは帰宅後に母に手紙を書きます。
それを読んで謝りにきた母の説明から
「魚を食べると決めたのは素晴らしいと思ったけれど、あまり騒ぐとプレッシャーになると思い、
できるだけ自然に振舞おうとした。
魚の前であまり考え込ませると選べなくなってパニックになるのではないかと思い、
目の前にあった魚を手にとった。
家族で分けて食べるのだから、と気軽に考えていた。
なるべく早く魚売り場から遠ざからないとキサラギさんが不安定になるのではないかと思って
「ぐずぐずしないで」といった」
ということがわかりました。

これくらいのコミュニケーションの「ずれ」はいくらでも思い当たるな、と思います。
そして些細であればあるほど、あとから修正されるということはなかなか起こらずに
そして近しい関係であればあるほど「ずれ」は知らぬ間に積み重なって行ってしまう、という
非常に思い当たるところの多い分析の一例でした。


「やせ願望」の精神病理 関連記事一覧
 1 紹介
 2 なぜ女性はやせたがるのか
 3 破綻したやせ願望
 4 摂食障害の治し方
 5 対人関係療法
 6 コミュニケーション分析の実際
 7 回復へのプロセス
 8「やせ願望」とジェンダー
復刊リクエスト

ひとつ興味深いブログをご紹介します
結構前からここでご紹介する機会を狙ってたんです。

管理人さんは非常に面白い関西のお姉さんで^^
ご自身で摂食障害の経験があり
そしてその摂食障害を通り抜けてきたことで持った疑問を
社会学・フェミニズム、肉体研究を通じて
真剣に考えている研究者さんです

この方の存在自体が朗報だと思うのは
「私たちの苦しみは語られるに足るものであり、聞かれるべきものである」
ということを存在がすでに示しているからですね。

このブログを見てどんだけコウフンしたことか^^

↓ブログの中の言葉から勝手に引用する大きな問い

「なぜ、彼女たちが食べることが難しい、怖い、と感じるような社会が、
「そもそも」あるの?」

↓ワタクシメのコメントにつけてくれたレスのなかの言葉

私も、少なくとも、摂食障害を、「誰かの病名」ではなく、「個人をいきにくくする社会システムのひとつ」という認識でアプローチしていきたい、つくづく思います。

私なんかがここで、すでに悩みを共有する人たちに向かって
思ったことを小規模にピーピーと言うのでも、
すでに結構いろんなジレンマを感じるのに
この方は「摂食障害のことなんか、考えなければ考えないでも全然生きていける人たち」
に向かって「私たちの苦しみは聞かれるべきだ」とあえて言う立場でもあるわけで(多分)
この人の心の繊細さを思うと泣けてきたりするんだな
とんでもないもの抱えちまった、って時々思ったりしないのかな、って。

でも言うんですね。
面白いのが、しょっちゅう怒ってるんですよ^^
「あー、また怒ってはる」って思いますけど
本当に物凄く自然に「私たちの苦しみ」について怒る
読んだワタクシつい拍手

↓また勝手に引用

わたしは、やっぱり、戦いたい。 「痩せ」ゲームのプレイヤーでい続けると、そりゃ、たのしい。 だってさ、あたしが痩せてキレイなカッコでいれば、 みんながあたしのあたまをなでこなでこしてくれる。 でも、いったいそんなゲーム、いつまでつづく? あたしが40になっても、 あたしはまだ誰かに可愛がられていたいと、もがいているの? 冗談じゃない。そんな未来、いらない。


私にとっても、
症状は消えているとしても摂食障害は今でも「私の大きな問題」だし
「私の問題」であると同時に間違いなく「私たちの問題」だと思っている
摂食障害をとおして語ってきたことを
今、言葉に治してもう一度語ることには確かに意味があると信じているので

当然ながら
取り組みの大きさが違うし
知識量も違うし
ステージも違うし
そこにかけているものの真剣度も違うし
そもそもなにもかも全然違うのだけど
私はこの人が何に怒っていて、何に突き動かされて動いているか
というのが、たぶん私には分かるような気がするし
こういうことを思っている人がいる
そしてでかい声で言っている人がいる
わざわざ矢面に立って強い風にあたりながらも言ってくれる人がいる

・・・ていうのは感動するし嬉しい

↓このブログには深い場所がありますので入って遊ぶと危険です
Cafemme日記

「第四章 対人関係療法--ストレスの原点に迫る」の紹介です

対人関係のストレス改善のためコミュニケーション方法について考える章です。

ちょっと摂食障害と話がずれてしまうのですが
私自身の体験からどうしてもひとつだけ言いたくなってしまうことがありまして。

関係の中にモラルハラスメントの要素があるときは
むしろコミュニケーションの努力はすべきでないと私は考えています。
いかなるコミュニケーションをはかっても絶対に話の通じない人というのも現実にいます。
相手が明らかに異常性格で、それによって自分が傷ついているのであれば
どうか何もせずにまず逃げてください、
ということを強く主張したうえで

それを踏まえて、今日のコミュニケーション改善のお話です

○対人関係療法

対人関係療法では最も身近な他人である「重要な他者(家族や恋人)」との関係、
そして「現在の」対人関係に絞りこんで治療を行います。
コミュニケーションの方法を改善してより快適な対人関係を作っていくことによって
ストレスを軽減し自己評価を高めて摂食障害を治療するというのが対人関係療法の考え方です。

・治療の三つの原則
1、痩せたい気持ちや過食嘔吐そのものについてはあまりじっくり話し込まない。
→「痩せたい気持ち」や「過食嘔吐」はあくまでもストレス度を現すものとして考えていきます。

2、自分の周りの人たちと自分との関係をよく考えてみる
→相手が自分に期待していることと自分がやりたいことがずれていないか、
自分が相手に期待していることは相手に伝わっているか、などという風に考えていきます

3、積極的に治療に参加する
→自分の周りの状況に変化をおこすように試みる、
自分の気持ちをよく振り返り言葉にしてみる、
という二点の努力が必要になります。

対人関係をめぐって問題のおこりやすいよっつのパターンは
「悲哀(喪失体験)」、「対人関係上の役割をめぐる不和」
「役割の変化」「対人関係の欠如」という四つがあげられますが
摂食障害では殆どが「対人関係上の役割をめぐる不和」があてはまります。

どんな人間関係でもお互い相手に何らかの役割を期待しているものですが
相手に期待していることと、相手本人の希望との間にずれが生じていたり
相手に期待していることと、相手が「期待されていると思っていることが」ずれていたりする
ケースを「対人関係上の役割をめぐる不和」として扱います。

「とにかく食べて健康な外見になってほしい」という家族の期待と、
「太れば全てが解決するとおもってほしくない」という患者本人の気持ちのずれに現れるように、
摂食障害にはこの問題がもっとも多く見られます。
家族の気持ちは語られるが、患者本人の気持ちは「やせる」という現象によってしか語られない
というコミュニケーションパターンを背景に摂食障害という病気が起こるのです。

このケースでは不和の段階によって治療は変わります
・話し合いの意志はあるがそれが不適切でうまく行っていない場合は
コミュニケーション方法の改善をすることで解決をもたらそうとする。
・理解を諦めて沈黙してしまっている場合は話し合うことでお互いのずれを明らかにして解決を目指す。
・あまりにも違いが明らかで関係が続けられないのであればきちんと終わらせる。
といったように状況に応じた治療になります。

○コミュニケーション分析
より効率的なコミュニケーションができるようになるために
コミュニケーション方法を検討して失敗を見つけていく方法としてコミュニケーション分析が行われます。
これは治療者がいなくても可能です。
自分の会話をできるだけ正確に思い出し(できれば紙に書いて)、
どのようなパターンのコミュニケーションをしているか明らかにします。
よく見られるコミュニケーションの問題には次のようなものがあります

・曖昧で間接的な非言語的コミュニケーション
→ため息をついたりにらみつけたりすると言う方法。
言葉を使おうとしなければ「ずれ」に向き合って話し合うこともできません。

・不必要に間接的な言語的コミュニケーション
→イヤミ、婉曲なものいいなど。
誤解を招くこともありますし、「ずれ」にきちんと向き合うこともできません

・コミュニケーションしたという間違った憶測
→言いたいことをはっきりさせなくても自分の気持ちがわかっていると憶測するパターン。
「わかっているはずなのに」という不満が募り、ずれは広がるばかりです。

・自分が理解したという間違った憶測
→相手のメッセージが不明確なのにそれを確認しないというパターン。
一方的な思い込みによってずれは広がっていきます。

・沈黙
→怒りや不快を表現せずに沈黙してしまうというパターン。
沈黙と言うのはすなわちコミュニケーションの打ち切りであり、
もっとも不誠実な対応えあるともいえます。
誤解を招くというレベルではなく、何も伝わらないからです。
破壊的な可能性を持つということを充分に認識する必要があります。

対人関係で困難に直面した時は
「やせたい気持ちが強くなる」「過食がひどくなる」など
症状のことばかり気になるますが、
症状が強まるときはストレスが高まっていると考えるべきであって
そんなときこそ対人関係に注目する必要があります。
ストレス度が高まると症状に逃げてしまう自分のパターンもわかるようになります。

病気の症状と言うのはコミュニケーションという観点からみると
それ自体「非言語コミュニケーション」であり、
メッセージ性を持っています。
しかし正確に理解されることはまずないコミュニケーションパターンといえます。
摂食障害の治療とは症状の力を借りずに
言葉で自己表現できるようにすることであるともいえるでしょう。
こうすることによって自己評価も高まりますし、
やせることへのしがみつきも軽くなってくるのです。

(なお拒食症については、前章に説明したとおり対人関係ストレスの軽減と同時に
少しずつ体重を増やしていくというようなアプローチも必要になります。)

次回記事で対人関係療法について実際の例について引用しながらもう少し詳しく述べます。
「やせ願望」の精神病理 6コミュニケーション分析の実際

「やせ願望」の精神病理―摂食障害からのメッセージ
「やせ願望」の精神病理―摂食障害からのメッセージ

「やせ願望」の精神病理 関連記事一覧
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 2 なぜ女性はやせたがるのか
 3 破綻したやせ願望
 4 摂食障害の治し方
 5 対人関係療法
 6 コミュニケーション分析の実際
 7 回復へのプロセス
 8「やせ願望」とジェンダー
復刊リクエスト

2007年05月21日


「第三章 摂食障害の治し方」の紹介をします。

ここでは症状と遺伝的性格の傾向を踏まえた上で
それら性格を抑えつけることなく生かし尊重する形で
摂食障害の治療する方法について大きく見ていきます。

「摂食障害」とひとくくりにされても
背後にある「やせ崇拝」という社会的重圧は同じでも
「食べなくなる」ということと「大量に食べて排出する」って
何かが違うよな、とずっと漠然と思ってたんですが
こんなに鮮やかに説明している文章は初めてみました。
びっくりです。

社会的要因、遺伝的要因、環境要因、生物学的要因
全てについて理論的な目配りがされています。
とにかく興味深いのだ。

○治療の基本的な考え方
摂食障害は社会的因子の上に遺伝的因子と
個人的な環境因子(個人的ストレス)があってはじめて起こる病気です。
社会的因子にについては個人の力で今日明日に解決できるものではありませんから
ここでは、遺伝的因子を認識しながら個人的ストレスを解決するための方法を述べていきます。

「拒食の要素(体重を低く保とうとする要素)」と
「過食の要素(過食や嘔吐や下剤乱用をする要素)」
に分けて治療を考えていきます。

制限型の拒食症の人は「拒食の治療」だけをすればよく
現在過食症の人は「過食の治療」だけをすればよいのです。
過食嘔吐型の拒食症の人は「過食の治療」と「拒食の治療」の両方を組み合わせます。
※制限型の拒食症の人でも回復過程で一時期過食気味になることはありますが、
これに関しては「過食の治療」はまったく必要ありません。

○拒食の要素への取り組み方

「拒食の要素」を持つ人は「損害回避」と「固執」が高い人です。
本当は頑固で自分のやり方が確立している(固執)のに、
さまざまな事情や周囲の人の思惑に気を遣ってしまい(損害回避)
思い通りにできていないことが息苦しいストレスになります。

そういう自分の危機をアピールするための
無意識の「ハンスト」が拒食症であるともいえます。
また体重と言う数値に対する一種の「恐怖症」という側面もあります。
特に恐怖する理由はないのに、どうしても怖い、というわけです。
これは「損害回避」と大きく関連しており、
ストレス度が高いときの方が出現しやすい問題です。
生まれ持った性格がストレスのために自分を幸せにする方向に作用していない状態といえます。

・ストレス軽減のために我慢をやめる
「拒食症」の人がストレスを軽くするために三つの点に注意します
1、生活の中で自分のやり方やペースを乱されているのはどの部分か
2、自分の希望や不満をきちんと相手に伝えているか
3、自分の希望や不満を「わがまま」「自分勝手」と思って遠慮していないか
自分の主張が「わがまま」であるかどうかは本質的な問題ではなく、
とにかくその主張をしっかり表現して自分の運命をコントロールしていくことができない限り
精神的な健康は実現しないと言えます

・拒食症の症状そのものについてだけは少しずつ我慢を必要とする
「ストレスの軽減」が治療の主要ポイントですが、
「拒食症」には「体重恐怖症」という側面もありますから
ストレスを軽減すると同時に恐怖症そのものについての治療も行います。。
著者の行う治療法では体重測定をやめてもらい
(代わりに医師だけがチェックし、
体重増加が顕著なときのみ本人に報告することを約束)
今までの食生活に加えて毎日ヨーグルト一個を食べてもらいながら
対人関係の問題を解決していきます。
そのうちにだんだんと食べ物へのこだわりが取れて体重は順調に増えるようになります。

○「過食の要素」への取り組み方

「過食」の人の特徴は「新奇性追求」と「損害回避」がともに高いというものです。
心のアクセルもブレーキもともに強いため
ストレスが溜まった状態ではブレーキが勝ってしまい
「やりたいけれどもできない」というジレンマに陥ってしまうのです。

まずは自分の「性格」がアクセルもブレーキも強いものであることを自覚し、
目標を「アクセルがブレーキよりもやや強い状態にもっていく」ことにおきます。

第一歩は「ストレスを軽くしてブレーキを弱めること」
第二歩は「意識してブレーキをはずしていくこと」です。
その作業をしていくうちに、
自分は必要なときにはブレーキを外すことができるのだ
という自信がついてきて、これが自己志向につながっていきます。

過食を抑えつけないことも重要です。
過食嘔吐はこの病気の本質ではなく、精神的な辛さのひとつの指標に過ぎません。
「本当の問題」が解決したあと、一番最後に治る症状です。
過食嘔吐から先に治るものではありません。

なお過食はストレスからばかり起こるものではなく、
充分な炭水化物や脂肪をとっていない人は生物学的にも過食におちいります。
この過食を抑えるにはとにかく食事の量を増やすしかありません。
(制限型の拒食症の回復期にみられる過食がこれにあたる)

○家族がとるべき態度
摂食障害の効果的な治療法は患者のコミュニケーション能力を向上させ、
自己表現がうまくできるようにすることと言えます。
家族の姿勢もこの目的にあったものであることが必要です。
そして忘れてはならないことは
「自分の気持ちがきちんと表現できて相手に理解されたか」
が心の満足にとっては重要で、
実際に自分の思い通りになったかどうかは
精神的健康にとって本質的な問題ではないということです。


※次章ではストレス軽減のための具体的な治療法、対人関係療法についてのべます
「やせ願望」の精神病理 5対人関係療法

「やせ願望」の精神病理―摂食障害からのメッセージ
「やせ願望」の精神病理―摂食障害からのメッセージ

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 3 破綻したやせ願望
 4 摂食障害の治し方
 5 対人関係療法
 6 コミュニケーション分析の実際
 7 回復へのプロセス
 8「やせ願望」とジェンダー
復刊リクエスト

2007年05月20日


「第二章 摂食障害--破綻した「やせ願望」」の内容を紹介しています。

摂食障害という病について詳しく解説する章です。
「七因子モデル」という方法を使った性格分析が大部分なので
すみません、使っている用語がちょっと硬いです。
要約に苦労しました。

摂食障害に「遺伝的要素」なんて関係あるわけないじゃないかーっと
最初は私このあたりで過敏に反応して一度読むの止めてるんですが
(本当は難しくて分からなかっただけだけど^^)、
よく読むと物凄く面白いことが書いてあるような気がしてきたので
私ごときがこういう分析を好きかどうかという話など一旦脇において
まずは忠実に読んでみたいと思います。

○摂食障害とは

社会的な因子、個人的な因子、遺伝的な因子
という三つの因子がそれぞれ絡み合っている心の病であり、
過食症、拒食症ともに「やせたい病気」です。
「痩せたい病気」の結果が「やせる」という形で現れるのが拒食症、
「反動としての過食」という形で現れているのが過食症といえます。

大雑把なイメージとして
・拒食症=体重が少なく生理もなくなってしまっているタイプの人
・過食症=普通あるいはそれ以上の体重で過食の症状を持っているタイプの人
と分けられます。
拒食症はさらに「制限型」(ただ食べないでやせていくタイプ)と
「過食嘔吐型」(過食嘔吐、下剤乱用などを伴うタイプ)とに分けられます。
(過食症にも排出型と非排出型がありますが、殆どが排出型であり、
臨床上分類の意味はあまりないとのことで本書では分けられていません。)

「やせていることは美しい」という社会的価値観(社会的な因子)の中で
なぜ摂食障害になる人とならない人がいるのか、
という点(個人的な因子および遺伝的な因子)について考えるために
クロニンジャーの七因子モデルという性格分析を使っておこなった調査について解説です。


※七因子モデル:性格を七つの軸で区切り全体的な特徴を捉える試み
・遺伝に左右されやすい四つの因子:「新奇性追求」「損害回避」「報酬依存」「固執」
・環境に左右されやすい三つの因子:「自己志向」「協調」「自己超越」

○過食症の人の遺伝的性格

「新奇性追求」と「損害回避」が高いことが上げられます。


※「新奇性追求」--心のアクセル。新しいものを追求しようとする性質。好奇心や衝動性などが含まれる
※「損害回避」--心のブレーキ。損害を避けようとする性質。心配性や怖がりなどが含まれる

「痩せていることは美しい」という社会的価値観を受け、
持ち前の行動力と好奇心(新奇性追求の要素)からダイエットという行動に移します。
(ここまではダイエットをしても摂食障害にならない人と同じです)。
しかし損害回避の高い人はストレスを受けやすく溜めやすいために
何らかの個人的ストレス状況の中で気分が落ち込みむと
ダイエットの失敗(健康な人であればもともと長続きしないもの)を重く受け止めるようになり、
自己嫌悪、嘔吐や更なるダイエットなどの悪循環へとはまり込みやすくなります。

ストレスの少ない状況下では
心のブレーキよりもアクセルが少し強いくらいで保たれており
用心しながらも積極的な活動ができているのですが
ストレスによってブレーキが強まることで、身動きが取れなくなり
「いろいろやりたいのにできない」という欲求不満が
過食嘔吐というはけ口へと向かいやすくなってしまいます。

○制限型の拒食症の人の遺伝的性格

「損害回避」と「固執」が高く「新奇性追求」は低くなっています。

※「固執」--あることを一生懸命に辛抱強く続ける傾向。

「損害回避」が高いから人と衝突することをさけ、その代わりに痩せてしまうのです。
「過食の要素」においては新規追求に基づく変化への願望ですが
「拒食の要素」においての「やせ願望」は「太るのが怖い」という「変化への恐怖」であり、
やせた状態への「固執」です。

「痩せているほうが美しい」という社会的価値観に基づくものではなく
むしろハンストのような意味合いと考えられます

(「新奇性追求」の高い人は、
治療の過程で過食症や過食嘔吐型の拒食症に移行しやすいことまでを
視野にいれた治療が必要であるとされる。)

○過食嘔吐型の拒食症の遺伝的性格

「新奇性追求」と「損害回避」が高く、「固執」はそれほど強くありません
「拒食の要素」と「過食の要素」がともに強く存在しています。


○環境に左右される性格の三因子

上に上げたような遺伝的な要素の強い性格に作用して、
長所にしたり短所にしたりするのが
生育環境などの環境に左右される三因子(「自己志向」「協調」「自己超越」 )です。

この三因子に注目すると
摂食障害の人は総じて「協調」が比較的高く「自己志向」はかなり低くなっています。


※協調--一般に言われる「協調性」と同じ
※自己志向--自分という存在や自分のやり方に対する信頼感、自尊心。

人当たりがよく、自己評価が低い人が多い、ということです。
摂食障害の治療のポイントはこの「自己志向」を高めることになります。

※次章ではこの遺伝的因子を認識しながら個人的ストレスを解決するための方法について述べて行きます
「やせ願望」の精神病理 4摂食障害の治し方

「やせ願望」の精神病理―摂食障害からのメッセージ
「やせ願望」の精神病理―摂食障害からのメッセージ

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 6 コミュニケーション分析の実際
 7 回復へのプロセス
 8「やせ願望」とジェンダー
復刊リクエスト

2007年05月19日

「やせ願望」の精神病理―摂食障害からのメッセージ」より
「第一章 なぜ女性はやせたがるのか」の紹介です。

摂食障害に関連する一般書は良い本ほど手に入りにくいんじゃないか、という気がするのですが、
この本ももう出版されていないものです。
アマゾンマーケットプライスで確認した時は、中古品にも関わらず発売時の価格の倍から十倍程度の値段がついていて、飛びのきました。
幻の名著っていうやつなんでしょうか。
なぜ、何も考えていない私がたまたま定価以下でぽこっと手に入れることができたのかも、
今となっては謎です。(ここで紹介せよ、という使命?・・・・笑)
運がよかった。

「なぜ女性はやせたがるのか」という疑問に対して
今まで出されてきたいくつかの仮説についてまず述べています。
そして臨床家としての著者はそれら仮説は「部分的に正しいものもありましたが有害に働いた仮説の方が多かった」と述べています。

代表的な説とそれに対する著者の解釈は以下のようなものです

○幼児期の母子関係や「成熟拒否」
幼児期の母子関係に問題があるため自立した大人としてやっていくだけの能力がなく、
大人になることを拒否して子どものままでいようとし、食べ物をとらなくなる。
あるいは、母親への嫌悪感から母親と同じ「女性」になりたくない、と性的成熟を嫌悪する、という解釈。
→事実として誤りであると同時に様々な弊害を生んできた。
最大の問題は母親のせいにされることによって家族関係にあらたなひずみを生んできたこと。
父親の責任回避、母親の過剰な罪悪感、患者本人の母親への恨み。
そして全員の「取り返しがつかない問題である」という絶望。

○社会進出が女性のストレスになっている
女性の社会参加と摂食障害が同時期に増えていることを単純に解釈して
「そもそも社会に出て働くというライフスタイルが女性にはあっていないのだ」とする主張。
→女性にとって働きにくい社会であるために、働く女性のストレスが高いと言うことが摂食障害の増加につながっている可能性もあり、仕事だけが直接な原因とはいえない。
「女は働くべきではない」という価値観の押しつけは女性たちに抑圧感や罪悪感という新たなストレスを加えるという弊害が起こる。

○幼少期の性的虐待
幼少期の虐待、特に性的虐待が原因であるとする説。
→虐待を含む家族関係の問題が摂食障害へとつながった人は少なからず存在するが、
それをもって全ての摂食障害を説明することは不可能。
むしろ「虐待」という言葉と結びつくことによって必要以上にセンセーショナルな病気であるような印象を植え付けるという弊害を生んだ。


臨床の場に視線を変え、実際の女性たちをみてみると
母親に不満があるわけでも、社会進出に悩んでいるわけでも、虐待を受けた経験もない
多くの普通の女の子たちが気軽にダイエットをしているのが現状です。

では、摂食障害の患者が持つ「やせ願望」と健康な人が持つ「やせ願望」は違うのか?

著者はこのように述べます。
「多くの摂食障害を治療してきた経験から、摂食障害における「やせ願望」も拒食症の一部(後述する「制限型」の拒食症)を除いては、基本的に通常の「やせ願望」と質的に変わるものではないと確信しています」

ではなぜ女性はやせたがるのか?

過食症が始めて論文として報告された1979年頃には、西洋文明社会では「スリムな女性は美しい」「肥満=自己コントロール能力に欠ける」という図式が定着していました。
90年代にはスーパーモデルと呼ばれる一般人離れしたプロポーションを持ったモデルたちが注目の的になります。
雑誌におけるダイエット特集が活発になり、女性たちは「体型というのは自分の努力次第でいかようにもなるもの、そしてやせていないということは、その努力を怠っているということである」という観念を抱くようになります。

著者はこの「やせ願望」を作る要因として「自己コントロール願望」というものがかなり大きな割合を占めると感じています
「摂食障害になる女性たちも痩せたスタイルそのものを夢見ている場合もありますが、どちらかというと、きちんと自己コントロールできる女性像を追い求めていることが多いようです。」

そして近年の「無駄なものをなくしてシンプルに生きる」というライフスタイルの流行も、
「自然流」に細い体を維持していることが大人の女性としての知性と成熟を表すものだ
という風潮をつくるのに一役買います。

ここに「やせ願望」は単なる外面的な問題ではなく、
「自己コントロールができる」「シンプルなライフスタイル」など
内面の美の追求をともなうものとなってきました。

さらに体重によって数値化することの可能なダイエットを達成感を得やすいこと、
痩せすぎモデルばかり登場するメディアの影響も挙げられています。

なぜこれほど極端な「やせ願望」が流行しているのか、そしてその流行を食い止めて女性たちが健康な身体を持てるようにするにはどうしたら良いのか、そのことを真剣に考えなければならない時が来たのだと思います。

「やせ願望」の精神病理―摂食障害からのメッセージ
「やせ願望」の精神病理―摂食障害からのメッセージ


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復刊リクエスト

2007年05月18日

「やせ願望」の精神病理―摂食障害からのメッセージ
「やせ願望」の精神病理―摂食障害からのメッセージ


物凄く興味深い本を見つけてしまいました。

著者は日本で数少ない摂食障害専門の精神科医として実際に治療に携わってきた人です。
(現在は臨床を離れている)
対人関係療法という、もとはうつ病の治療のために確立されてきた理論のもとに
多くの患者の治療に携ってきた著者が、
その経験を踏まえ専門施設での治療を受けられない人の役にたつようにとまとめられているのが本書です。

実は摂食障害関係にまつわる本ではあまりみかけてこなかった言葉が
非常に重要なキーワードとして繰り返し出てきます。
「クロンインジャーの七因子モデル」モデルに基づく
「新奇性追求」「損害回避」などの言葉ですね。
なんだか大学の心理学研究の講義あたりで聞いたことがあるような気もしますが、
随分長い間見かけなかった言葉だなあ、と思いまして。
そして何より摂食障害の原因を個人の性格に求める気かっ?と
身構えてしばらく読まずに放置してたんですけども、
こんな面白いもの一ヶ月も読まずに放置していて損しました、私。
今まで聞いたことないような分析が出てきます。

摂食障害という心の病を
「社会的な因子」(女性は痩せているほうが美しいという社会的価値観)
「個人的な環境因子」(個人的なストレス)
「遺伝的な因子」(ある環境の中においてどういう行動を取りやすいかというもともとの性格)
のみっつの側面から考えていくために上記の
「黒忍者の七因子モデル」が出てくるんですね^^

あまり聞きなれない用語が多く出てくるので
例によって自分の理解のためにここに要点をまとめながら読んでいこうとおもいます。
しばらくこの本に関する記事がつづきます。
章ごとの紹介と考えて七回連載くらいを予定します

目次です


第1章 なぜ女性はやせたがるのか
第2章 摂食障害―破綻した「やせ願望」
第3章 摂食障害の治し方
第4章 対人関係療法―ストレスの原点に迫る
第5章 回復へのプロセス
第6章 「やせ願望」とジェンダー
第7章 「やせ願望」を超えて

一度さーっと読んだ中で「ふむ」と思った言葉を
今日は抜粋してご紹介します。

過食嘔吐は自分で我慢しさえすれば良いのだ、我慢できないのは自分の努力が足りないのだ・・・というふうに考えている限り、この病気はよくなりません。そんなことを考えているよりも、自分はどういうときに過食したくなるのか、どういうときに過食がひどくなるのかを冷静に考えていくことのほうがずっと大事なことです。そもそも、我慢して抑えられる程度のものなら、病気として苦しむこともないでしょうし、とっくに良くなっているはずでしょう。
「やせたい気持ち」を抱くことが病的なのではなく、「痩せたい気持ち」にしがみついて「やせたい病気」に至り、その状態が維持されることが病的なのです。
私が患者さんによく言うことは、「病気になってただ治るだけでは時間の無駄だと思う。今までのやり方では苦しかったから病気になったわけであり、苦しくないやり方を見つけられなければ、病気になった意味はない。病気を成長の機会として前向きにとらえなければならない」ということです。
「病気が治る」ということは、「体型が気にならなくなる」ということではなくて、「体型へのこだわりが生活を乱さなくなる」ということだと考えるべきです。
ダイエットは成功しないのが健康な姿であって、成功するダイエットなどはない、成功する時は、摂食障害という新たな病の入り口にすでに立っているというのが現実なのではないでしょうか。「やせれば何とかなるのではないか」と思う以前に、「ダイエットによってやせることなんて不可能なんだ」と思うことが基本なのではないかと思います。
社会全体が「やせ願望」に冒されてきている今、摂食障害という病は、私たちにさまざまなメッセージを発しています。私たちは「やせ願望」を乗り越えることができるのか。「やせ願望」の向かう先は絶望なのか、あるいは多様な価値観を認めあえる豊かな社会なのか。それは私たちが摂食障害という病からどれだけのものを学べるかにかかっている、と言えるのではないでしょうか。

「やせ願望」の精神病理 関連記事一覧
 1 紹介
 2 なぜ女性はやせたがるのか
 3 破綻したやせ願望
 4 摂食障害の治し方
 5 対人関係療法
 6 コミュニケーション分析の実際
 7 回復へのプロセス
 8「やせ願望」とジェンダー
復刊リクエスト

2007年05月17日

ほぼ日手帳という手帳を愛用しています
この手帳はページの一番下に一日一言、みたいなのが、
格言ではなくて、わりと面白い一言が書いてるのが
結構好きなんですね。

それでですね、5月15日にこんな事書いてありました


「世の中、金だけで動いてるわけじゃねぇよ!」っていうのも、
簡単には言いたくないんだ。
「オレはもう、金が大好きだ」ぐらいのことを500回くらいは先に言っときたい。
で、言っといたうえで、「・・・でも」って言いたい。
500回ぐらい言ったあとで、はじめて言える「・・・でも」があると思うんです。
<糸井重里が『「MOTHER3」の気持ち。』の中で>

500回ぐらい言ったあとで、はじめて言える「・・・でも」があると思うんです。
っていう、ちょうどこのことを、私は最近考えていたんですね。

「ありのままの今の自分を受け入れなくちゃ、と思うんだけどでもどうしても痩せたい!」
っていう話を最近何回か聞かせていただいたので。

自分の理想とする水準と現実の自分が合わない、という時に
”ずっと理想の方だけ見て七転八倒してきたけど
どうも現実の自分の方に根を下ろすべきような気がしてきた
でも、今まで「こうあろう」と思ってやってきたのは何”
っていう気持ちの対立が在る中で
「今の自分をありのあまま受け入れる」っていうのも
あんまり簡単には言わなくていいんじゃないか、
「今のままじゃいやだ、やせたい」ぐらいのことを
500回くらい先に言っといたほうがいいんじゃないだろうか、
っていうことを私は考えていたんです。

500回くらい言って、その後ではじめて出てきた「・・・でも」っていう
三日目の貝割れ大根みたいな弱い小さいひとことが
本当の新しい可能性ってやつじゃないのかなあ、って。

一生懸命何かを賭けて「痩せたい」と思ってきたのだとしたら
それはその人がミーハーだからとか
自意識過剰だからとか
ちゃらちゃらしてるからとかではやっぱりないわけで
その「痩せたい」のところに凄く真剣に自己実現の可能性を見てるからだって
私は思うんだけど
「痩せたい」を頭からまるまる否定してしまったら、
その自己実現の可能性の方はどこへ行くんだろう、って
それはやっぱり心配なんだな

社会が流すデマとか
世間の常識とか
賢そうなフリとか
そういうものに惑わされずに
「痩せたい痩せたい」って500回心から言い切ったら
「それほど十分に痩せてない自分には本当に価値がないのかな」
みたいな問いってのがそのときやっと出てくるんじゃないか、と

なんかそういうことを思うんです。

もちろん摂食障害の症状がなくなると
いろんないいことがあるとは思うんですけど
でもそれは「一刻も早くなくしたほうがいいものなのか」ってのは
ちょっとよく分からないですよね。

500回「痩せたい」を言ったら「でも・・」と出てくる人と
5回「痩せたい」を言うだけで「でも・・」と出てくる人と
いろいろ居るんじゃないかっておもうんですけど
500回より5回の方が偉いってこともないわけで

500回言った人は500回分の大きな「でも・・・」を持って帰ってくるんじゃないか、
ってことを思うんですね。

「痩せたい」と500回言ったあとで。

ジェニーンのインタビュー記事訳の5回目です
インタビュー1
インタビュー2
インタビュー3
インタビュー4
インタビュー5
インタビュー6
元の記事
An Interview with Geneen Roth


今回で終わらせる予定だったのですが、
情けないことに、また最後の部分が分からなかったので質問一つ分残してしまいました。

すみません、またよろしければどなたか助けてください。
最後の質問 What do you struggle with now7 What are your edges, your limits?(7はおそらく?のミスプリント)とそれに対するジェニーンの答えの意味がいまいち不明です。

「過食症なき今、あなたは一体何に悩んでいるの?」って話かなあ、
と思いながら最初は読んだのですけど、よく考えると
インタビューアーがそんなこと聞くか?そんな最大のプライバシーをわざわざ聞くのか?
というのがどうも不自然であるような。
ジェニーンの答えも分かるようでいて、ぎりぎりわかりません(笑)

どなたかヒントいただけると嬉しく思います。

RL: あなたは時を追ってますますスピリチュアルになり、より多く瞑想などの方法をとっていかれるように思いますが、それはなぜでしょうか。

GR: 私は25歳の時から瞑想訓練をしています。
それは日常の喧騒から離れて、心を占めている世界とは別の世界がが存在するということを知ることでもあります。

しかし私は人に何か宗教的な訓練を薦めたくないのです。
私の親しい友人の一人は敬虔なクリスチャンですし、こういったことは彼女にとっては信じがたい話です。
私は何か新しい精神的な活動を彼女に伝えようとは夢にも思いません。
彼女はすでに自分自身と神に近づく術があるのです。
私のワークショップに来る人もそれぞれがいろいろな方法を持っていますが、
どのように心のうちに注意を払うべきか、わかっていない人もいます。

毎日の中で一人でいる時間を作るのはそれを始めるのにもっとも簡単な方法です。
瞑想も大変役にたちます。
過食という問題を抱えた中で瞑想することはいちいち想念に深刻にとらわれすぎないということを身につけるのに役にたちます。
じっとしていること、心を観察することは、私たちは身体だけの存在ではなく、単に体重として計測される存在でもないという感覚をよみがえらせてくれます。

視野を広くすることにも役立ちます。
私たちは「指図するもの」--つまりずっと昔からしたがってきている行動のパターンと思い込みについて知る必要があるのです。
しばしばこの指揮官は何も考えずにただ闇雲にすすめ、というような指示まで出します。
しかし私たちはそれが真理であるかのうようにただ従います。
自分の身体に注意を向けることすらやめてしまいます。
私たちは全体性を取り戻すために、身体の存在を自覚し、一日に百回も腕と足に感覚を集中させます。

RL:なぜ手と足なのですか。

GR: 人が身体の中に存在しているということを自覚できる簡単な方法だからです。
私たちはまるで身体の外にある存在であるかのように生きていることがよくあります。
腕と足を感じることは普段自己嫌悪の的となっている身体へ戻っていく容易な方法です、
そしてそこには憎むべきものは何もないということが分かるのです
体重計の数字を恐れている多くの人にとって、この身体の存在を意識するという訓練は肯定的な方法で自分の身体の存在を意識する初めての経験になります。
自覚的になることは身体に対する感謝の気持ちを深めます。
結局のところ、私たちが悪口を浴びせかけるにも関わらず、身体はずっと傍にいてくれるわけですから。

想念というものは往々にして狂気じみていたり、空想じみていたり、架空のものだったりするということも、瞑想によって気づくことができます。
腰掛けて二十分間、頭に浮かんでくる考えについてよく観察すると、どれほど次々にそれが入れ替わるかに気づきますし
特大アイスクリームを平らげたいという思いもそれほど深刻なものではないということがわかります。
これは大切なことです。
私たちは自分たちが考えている通りのものであると信じ込んでいるのですから。

2007年05月16日

インタビュー1
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元の記事
An Interview with Geneen Roth

前回、私の英語力不足で訳しきれなかった部分の訳ですので、今日は短めです。

もこさんが訳してくださいました、本当にありがとうございます。

「同じ悩みを持つ人で共有しよう!」と思いついて私の能力不足により挫折したものを、
同じ悩みを持つ誰かが助けて完成させてくれるというのは
なかなか感激するものがあります。嬉しいです。

emaさんも、ご協力ありがとうございました。
「あー、そう、ここわかんないんだよね」とか
パソコンに向かってぶつぶつ言いながら、ひと時過ごしまして
一人で孤独に訳していたのがちょっと楽しくなりました。
私たちには読めなかった、正しい訳はおそらく以下の通りです^^

RL: あなたは、最新の著作の中で、”最善を望まない友人達たちから離れる”ことを
、読者に勧めています。
これは、私にとって衝撃的でした。
それは、食べ物、そして食事についての文脈のなかで、それほど頻繁に語られる
題材ではありませんからね。

GR: はい。「自分達がどれほど不幸なのか、どれだけ虐待されたのか」が話題の全
てである、
心の傷や苦しみを基礎にした友人関係を形成しないように、私は勧めています。
食べ物、体、そして体重についての苦しみは、ほんとうに多くの女性にとって、
主要な問題です。
しかし、私達=体重ではありません。
私達は、それに制限されてはいけないのです。
しかし、私達のとても多くが、自分達をそのように定義しているので、
私たちはその公式のなかで、他者と共感しあう傾向にあります。
心の傷を基礎とした友人関係においては、
一人がその悪循環から開放され始めるときが難しいのです。
彼女が自分自身をサイズで制限したり、縛り付けたりしてはならないと悟った時

他のメンバーの体重についてのこだわりに対する彼女の寛容さは、大きく減りま
す。

彼女がこの悪循環から抜け出す方法があると理解すればするほど、
彼女はその悪循環に時間を費やすことを望まなくなります。

もし、友人関係が、そのようなパターンを基にしているなら、
そのとき彼女はそこから離れることをいとわないことが必要です。
さもなくば、それは双方にとって辛いのです。
友人関係を終わらせることは難しいです。
そこに、多くの悲しみがあるからです。
しかし、自分に成長をもたらす事のない友人関係に自分自身を縛って置くことに
もまた悲しみがあります。

ジェニーンのインタビュー5

2007年05月15日

過食症に負けないで
過食症に負けないで

こんな本読んでみました

タイトル見ただけでまた色々言いたくなりますね(笑)

「負けないで」って言われると結構不思議な気がするんですね
「勝ったり負けたりするモンだったけか?」と思って
生きていて、そして過食もしているのである、という状態の中に
勝ち負けという概念が入ってくること自体が
なんだかもの凄い「とらわれ」を感じてしまうんですけどね

そういえば、
15年くらい前にKANという人が歌った「愛は勝つ」っていう歌が大ヒットしたことありまして、
KANさんがテレビに出たのを見たことがあったんですね。
そのとき言ってたことが凄くおかしかったんで覚えてるんですが
「この歌がヒットしてから”やっぱり愛は勝ちますか?”ってよく聞かれるんですけど、
僕がいうのもナンですが、”勝ち負け”じゃないですからね」
って言ってたんですよ。
テレビの前で正座して拍手した若き私でした(笑)

まあ、そういう感じで
この著者も心の中では「勝ち負けじゃない」と思ってる可能性もないではないですけどね。

何を伝えたいのかがはっきりしないと言う点で内容もかなり不思議な本だったのだけど
一応、目次から見るとこのようになってます

第1章 バケモノと呼ばれて
第2章 カウンセラーになったきっかけ
第3章 過食症とは
第4章 過食症の最中にしてはいけないこと
第5章 ぼくがカウンセリングしたひとたち
第6章 過食症を治すために
第7章 過食症で悩んでいるみんなへ

最初の部分はどれだけいじめられて辛かったか、というのが述べられていて
そしてそれを生かしてカウンセラーになったのだ、という自分自身のことについて
書かれている。

著者自身どのように治ったのかといえば
食べたいなら食べて、その代わり吐くのはやめて運動をすることにしたのだそうだ。
それから相手の目を見て挨拶することにし、
積極的に友達を作ることにした、
そうしたら治ってカウンセラーになった、のだそうで。
びっくりして何回か読み直したのだけど、やっぱりそう書いてある。
(別の場所に精神科にも行った、とちょっと書いてあったりするんだけど、
どういう治療があったのかについては触れていない)

もちろんもちろん、そうやって治る例もあるのだろう。
でもカウンセラーとして自分自身の体験をひとつの症例としてみるときに、
本当にこれだけの現象だったんだろうか?というのがまず疑問。
せっかくカウンセラー学校(?)に行った、ということまで書いてあるのに
何を学んでどういう資格をとって現在どういうことをしている、という
一番大事な部分がかけているというのも疑問。

「過食症を治すために」という章の中で
「日本カウンセラー専門学校というところがあるが、そういうところでしっかりと学んだ人にカウンセリングを受けることをすすめたい」
と書いてあるのにも関わらず、自分がどこで学んだかが記されていない、というのは非常におかしなことではないだろうか。
(ネットで検索してみた限りでは「日本カウンセラー専門学校」という学校はなかった)

さて「過食症とは」という章があり、ここに著者の過食症に対する理解を見ることができるはずなので、
小見出しを並べてみよう

・過食症のはじまりはダイエットから
・過食症の人は自分のルックスを気にする
・過食症の人は本当の友達がいない
・過食症の人は親に対して恨みを持っている人が多い
・過食症の人は兄弟と比べられている場合が多い
・過食症の人は体重が増えることが一番こわい
・過食症の人はバイトや仕事を長く続けることができない
・過食症の人は恋人に依存する

・・・本当に人間の心理について何か学んだ人の言葉なのかという謎。

「過食症を治すために」という章。
おそらくは著者のカウンセリングで実際に取り組まれていることが書いてあるのだろう、
と予想するのですが
まず守るべき三つが挙げられています
1、食べたい時は我慢しない
2、自分の不満や怒りや寂しさを具体的に紙に書いて持ち歩く
3、自分はものすごく不幸だと思わない。
この三つを守ったうえで、精神科に行き、「駄目」ならカウンセリングにも行こう、
と書いてあるのみ。
(「ちゃんとしたところで学んだカウンセラーのところに行こう」と書いてあるのは非常に良心的なことです)

あとは「勇気を出して闘おう!」というメッセージで本は終わる。

不思議なのが扉の著者紹介の部分なのだけど
137キロの時の写真と現在の写真がわざわざ並べて載せてあり、ダイエット商品の宣伝広告に非常に良く似ている。
そしてその下の紹介文には「ダイエット界のカリスマ的存在」であり、
その一方で「カウンセラーとして、摂食障害やうつ病、ひきこもりなどのカウンセリング」を行っているとある。
ダイエットなのか過食をやめたいのかカウンセラーとしての立場がまずよくわからない。

とにかく徹頭徹尾分からない、というのが私の感想。

※あくまで私見にはなりますが;公式HPに記載されている精神疾患にたいする非常に混乱した記述などから見て、著者はおそらくカウンセリングについて系統立てて学んだことはない人であろう、という風に私は判断します。
(精神疾患に関する知識については個人的に医師の方に教えていただいた範囲で判断)
もし過去の自分の経験を生かして、親切心から過食症の人の相談に乗りたいのであれば、
専門的な技術を持った治療者であるとの誤解を招きそうな記述はやはり避けるべきではないか、というのが私の意見です。

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元の記事
An Interview with Geneen Roth


今回はあと質問一つ分多く訳すはずだったんですけど、
訳せないところがあったので最初の予定より短めでアップします。

今日残した部分は明日以降に訳していきたいと思うのですが、
自信ないものですから、どなたか分かるかたがいたら
教えていただけないでしょうか。

今日の訳した分に続く質問
RL: In your most recent book, you recommend that readers "let go of friends who don't want the best" for them. This was striking to me; it's a subject not often mentioned in the context of food and eating.
とそれに対するジェニーンの答えがちょっとはっきりつかめません。

分かる方いらっしゃいましたら助けていただけるとありがたいです。

RL: 食べることを自分に許可するというのは深刻な過食行動に悩む人にとっては恐ろしいことに聞こえるのではないかと思うのですが。

GR: その通りです、皆食べることがやめられなくなるだろうと不安を持ちます。
「私が特大サイズのアイスを丸ごと食べてしまうのを何が止めてくれるの?」と彼らは言います。
まあ、食べている間自分が何をしているのかわかってさえいれば、具合悪くなったときに食べるのをやめるでしょう。

でも彼らはそのことを考えません。
「ダイエットをやめなさい」というのは果てしなく食べ続けなさいと言っているように聞こえるのです。
あまりにも長い時間を減量に費やしてしまったためにダイエットと過食行動しか知らないからです。

RL: ペースを落としたり注意深くなったりすると、過食にならないというのは、どのようにしてでしょうか。

GR: 自分のしていることに注意を払っていれば、食べ過ぎるというのはとても難しいことです。
強迫行動の殆どは無感覚になろうという試みです。
その反対の行為は注意深く、意識的になることです。

 禅宗の教師であり作家であるエド・ブラウンは私に禁煙について話してくれたことがあります。
鈴木老師にどうやってタバコをやめたらよいか聞いたとき、老師はやめるためには、その行為に敬意を払うことだと言ったのです。
だから彼はタバコを欲しくなるたびに、それを美しい布に包み、タバコにお辞儀をして、吸い終わるときには儀式をしました。
大切なのはタバコを吸っている間自覚を自分の行為に集中させるということです。
エドはやがてタバコを欲しがらなくなったといいます。
全体的な経験となったために、喫煙はあまり楽しいものではなくなりました。
喫煙に多くの時間と注意を向けたとき、彼は喫煙がどんな感じがするものかに気づき、それをしたくないということが分かったのです。

 強迫的摂食をする人は、感覚を押しやり、我を忘れるために食べます。
充分になったことを自覚すれば、食べ物を喉に詰め込み続けることは難しくなります。
 殆どの人は呆然として我を忘れて過食をしているので、それが不可能ではないのです、でも辛いことです。
 彼らは感覚を鈍らせるために食べています

自覚的になるということは自分を生き返らせることであり、その経験を目覚めさせ、
味わいと感覚を楽しむことです。
しかし生まれつきコントロールがきかないと信じ込んでいる人々にとっては喜びや豊かさという考えは恐ろしいものです。
はじめに私は、食べ物が過食の引き金になって、人を無感覚にさせるということも自覚できるようになるように励ましています。
好きだけれど比較的過食につながりにくいような食べ物を自分に許すようにしていく人もいます。

RL:あなたのワークショップは従来の減量方法やダイエットとは結局はどこが違うのでしょうか。

GR: アトキンスダイエット(参考記事1)やジェニー・クレイグ(参考記事2)は人々に何をすべきか、何が良くて何が悪いのかということを言います。
 私は人々に生来の知恵があると言うのです。
寛容の知性と知恵、ボディとマインドとハートの知恵です。

 ダイエットプログラムはもし警戒をゆるめたら、人々は瞬く間になにもかも貪りつくすだろうという前提になりたっています。
そのために、貪る衝動は、監視して取り上げる力によって押さえつけていなければならないのです。
そこにあるのは常に二つに一つです。
貪っているか、奪い取っているか、飢えているか詰め込んでいるか。

 でもそのどちらもやめてしまえば、常にそこにある内なる知性が自然と現れてきて、自分を悪と決め付けることをやめるのです。
多くのひとはその内なる知性はあまり充分機能していません。
機能する機会を与えてこなかったためです。
他のあらゆるものと同じように、注意を払えば払うほど、それは応えるようになるのです。

 でももし他のものにばかり注意を払う人生を送っていたら、指図され、虐げられ、何をすべきかを言われてばかりいたら、自然の知性が浮き上がってくることはできないでしょう。
その存在を認めて、注意を払わなければならないのです。

ジェニーンのインタビュー4

2007年05月14日

やせずに幸せモテ女
やせずに幸せモテ女

こんな本読みました。
タイトル見ただけいきなり色々言いたくなりますね(笑)

拍手したいところと
文句言いたいところをそれぞれあげると

「私は太っていて尚且つ魅力的なのよ!」という
とっても当たり前なのに誰も言わなかったことを堂々と言っているところ。
「痩せたら幸せになれる、ってのはデマよ」という
これまた誰も言わないことを言ってるところ
「太ってるのを言い訳にしないのっ!」という
とことん誰も言わないことを言ってるところ。
いいですね、皆が思ってるけど自信がなくて口に出さないことを
誰かが言うってのは爽快なことです。

でもさあ、と私が首をひねるのは
「やせ=幸せ」が関係ないってのをせっかく言っても
「モテ=幸せ」と言ってしまったら、
少々模様替えしたってだけで、本質的には同じことなんじゃないの?
というのは思ってしまいますね。
とっても興味深いところに足を踏み入れているのだから
もう少しぐいっと進んでほしかった、という感じがあります。

「もてたーい、もてたーい」ってのを大きな声で言える人っていうのは
私は好きです。
誰だって、どんな事だって、
自分が欲しがってるものをなりふり構わず欲しがるってのは
勇気が必要だと思うので、その勇気ゆえに尊敬します。
でも「もてる」ってのはこういう風にスローガンとして掲げるには
どういう状態のことを指していて、どういうメリットがあるのか
というあたりが漠然としすぎているよな、と思うのですよね。

扉の著者紹介
「羽林由鶴 太め女性恋愛応援カウンセラー。肥満と言う体型コンプレックスに悩んだ時代を経て、自ら考案した恋愛テクニックで次々とプロポーズされる。東大大学院卒の13歳年下の彼とゴールインした最先端恋愛術がマスコミから注目され、雑誌、テレビでも活躍。」

・・・えーっと(笑)
「恋愛テクニック」って何!
「次々とプロポーズ」されたから何!
「東大大学院卒の13歳年下の彼とゴールインした最先端恋愛術」って戦利品か!
とかですね、色々そういうのはありますけども。
多分このあたりはこう書くとたくさんの人の目に触れるから書いているんであって、
著者の本意ってわけでもないんじゃないかなあ、と期待しつつ読み進むわけですね。
著者自身は158センチ103キロなのだそうで、
著作の中ではこれをチャームポイントとして使っています。
写真を随所に使用していますが、たしかにとっても魅力的なんですよ。
安心感もあるし、エレガントな感じもします。

本文中で解説してある「やせずに幸せモテ女」という言葉の意味です

「<やせずに幸せモテ女>とは外見重視の間違った思い込みをとりはずし、自信と魅力と勇気を身につけて、自分らしさを大事に、幸せをつかむ貪欲さを持った女性という意味です。外見だけではなく、年齢や恋愛に対するコンプレックスなど多くの女性に共通する間違った思い込みからスタートしてしまった自信のなさを、些細なことで変えていこうというスローガンでありキャッチコピーです」

実際に書いてあることの大部分は通常の恋愛指南です。
勿論体重とは関係ない。
(これを殆どの人がなぜか体重と関係してると思っているから、103キロの著者が言うところに意味があるわけですね。)
こちらのサイトに書いてあるので特に本を購入しなくても内容を知ることはできます。
28才以上太め女性限定180日で彼氏GETの法則
ごくごく普通。

でもひとつだけ、紹介しておきたいところがありました。
オシャレ編、ですね。
いわゆる「標準的」とされる体型からほんのちょっとはみ出ると
とたんに着るものがなくなる、という話を、よく聞きます。
(それ自体がそもそもトンデモナイことであるような気もしますけど、
まあ、それはあんまり言っても仕方ないから)
こういうのをどうするかっていう工夫はファッション誌には絶対載らないですよね。

ヒント1、痩せてたらもっと似合うのに・・と思いながら流行を追わない。
「オシャレと言うのは自分を素敵に見せるためにするもので、それで自信を失うなんて本末転倒!」
小物やヘアスタイル、ネイルなど流行を取り入れられそうなところだけ楽しみながらチャレンジすると、友達同士で流行ファッションの話も楽しめる

ヒント2、やせてみえるからという視点だけで服を選ばない
体型を気にする女性は体型を隠そうとする服をさがします。
「膨張色」なんていって、明るい色を遠ざけて黒い服を着たところでどれだけ痩せてみえるでしょうか?
相手にわかるかわからないかのわずかな「やせ」をねらうより、
自分のなりたいイメージを与えるファッションをしよう!

ヒント3、上手にイメージを変える
ふだんスポーティな服装が多いなら、たまにはフリルやレースにチャレンジしましょう。
「女の子らしいものは似合わないから・・・」という思い込みは勿体ない。

ヒント4、小物使いを楽しもう
太めの女の子は妥協してものを選ぶことになれています。
ダイエットに明け暮れていると、食べ物は好きなもので選べなくなり、カロリーだけで決めるようになってきます。
服は痩せてみえるかどうかで選ぶようになり、男性にいたっては自分で選ぶという当たり前のことを忘れてひたすら選ばれるのをまっていたりする始末です。
自分の好みを優先して選ぶということを経験していない人が結構多いんです。
それでは自信を持ってなにかをするなんてことは、どんどん怖くなってしまいますよね。
ハンカチ一枚でもいい、かさ一本でもいい、さまざまな観点からとことんこだわってください。

どうでしょうか。
別に奇抜なことは言ってないんですけど、私は面白いな、と思いました。
「おしゃれができない!服がない!」っていうのは本当に、切実なことなんですよね。
でもやっぱりこういうことは誰も言わないで、みんなそれぞれ黙って溺れているんです。
だからそれを言うこの著者はやっぱり凄いし
細かいところに色々言いたいことはあっても、
大筋では「面白いこというじゃないか!」って思うんですよね。

インタビュー1
インタビュー2
インタビュー3
インタビュー4
インタビュー5
インタビュー6元の記事
An Interview with Geneen Roth

RL:しかし喜びを感じると、それ以上は続けなくなりますか?。
殆どのアメリカ人はもう豊かな食べ物を奢って楽しむことをしなくなっていますね。

GR: そうですね。
私のワークショップでは好きなものを充分に食べるという取り組みもします。
食べることに問題を抱えた人の多くは永遠に満たされないという気持ちを抱えています。
心の中の飢えを人生に反映させており、どんな食べ物もセックスも服も金銭も自分を満足させることはできないだろうと感じているのです。

永遠に満たされないという思いについてよく考えて、その欠乏は心の中にあるのだということ、
おそらく過去の満たされなかった経験に基づいているものであることに気づくように私は言います。

子ども時代に、私は充分に母に愛された経験がありませんでした。
母をコントロールすることもできませんでした。
大人になって、私はどれくらい食べるかということをコントロールできるようになりました。
だから私は子どもの頃生き抜くために必要だったのに手に入れられなかったもの、つまり愛、を埋め合わせるためにますます多く食べました。
私は愛について満たされなさと飢えの感覚を持っています、そしてそれが私の過食の動機のひとつになっていたのです。
 
私の人生のうち最初の25年は、いつも満たされない気持ちがしていました。
充分に食べていいのだという気づき、そして食べても体重が減ることを知ったことが、大きな転機になりました。
もし体重を減らしたいのであれば空腹のときにだけ食べて、充分食べたら食べるのをやめればいいのです。

でも多くの人はこの考えを恐れます。
自分自身に責任と信頼を持つことを意味するからです。
これは年間300億ドルのダイエット産業に逆らうことです。
人々はどう振舞うべきかを教えてもらいたがります、こと食べ物の問題については。
それがダイエットの誘惑の一部です。
ダイエットは人をもう一度子どもになったような気分にさせてくれます。
私たちは食べ物の扱いにおいては信頼できず、
自分できめることも、どのように食べるかをコントロールすることもできないと思い込むのです。

RL: なぜ、どうすべきかを教えてもらいたがるのでしょうか。

GR:そのほうが簡単だからです。たくさんの人が私にこう言います。
「食べ物のことを考えるのに疲れたんです。もう一秒も食べ物のことを考えていたくないんです。
ただルールを決めてくれさえすればいいんです、その通りにします。」
でも問題は彼らがいつもそのルールを破るということです。
心の中ではこんな風に思っています。
「こんなことしたくない。こんなこと続けられない。
それに実際、逆のことばかりしているじゃないか」
ダイエットはルールを作りそれを破ることというこの堂々巡りをを永遠に続くものにします。
これはより深い心の問題につながっています。
滋養と満足を渇望しながらも自分に対してそれらを許さないという信念です。
良い子にしていさえすれば私は安全だというこの思い込みは永遠のものになります。

RL:あなたは食べ物によって心と魂に達することができるとおっしゃいますが、
どのようにしてですか。

GR: どのような道を通っても心と魂にいたることができます。
ただ身体感覚を大切にするようになればよいのです。
身体感覚はその人の一番深い部分反映です。
どうして自分がそうするのかということに気を配り、ペースを落として注意を払い、問いかけてみることが必要になります。
過食のトラブルを持つ人にとって食べものは心に気づくための良い方法です。
私がしていることはこうです。
私は食べ物と言う道を選択します、もしその道を全てたどれば私は自分の心の奥底に至ることができ、それによって全てを知ることができます。

RL:あなたのワークショップに訪れる人は、「心と魂」にいたる道を探しているのですか、
それとも単に減量したいだけなのでしょうか。

GR:たいていの場合、私の元に来た人は減量のための多くの方法を試し、苦しんでいます。
本当の望みは減量なのか苦しみを終わらせることなのか、区別がつかなくなっているのです。
もし単に減量したいだけであれば、私は他にもっとぴったりのワークショップがあるでしょうと伝えます。
減量のためであればもっと手軽で早い方法があるでしょう。
減量が深刻な健康上の問題に関わっている人もいます。
そういった人々にも私の本とワークショップは適していません。

しかし殆どの人は痩せれば幸せになって苦しみは終わるに違いないと信じ込んでいるというだけで体重を減らしたがっています。
つまりそれは体重を減らしたがっているというよりは、苦しみを減らしたがっているということです。
そういった人たちが私のワークショップの主な参加者です。

どのワークショップでも私はいいます。
「かつて減量に成功したことのある人はどれくらいいますか。」
全員が手を挙げます。
「減量の後で特に幸せになった人はどれくらいいますか」
二人の人が手をあげます。
「減量に成功したら、特に幸せになれると信じている人はどれくらいいますか」
全員がもう一度手を挙げるのです。

私の提案する方法で減量するためにいくつかのガイドラインに誠実にならなければなりません。
ガイドラインにはこういったことも含まれます。
例えば車の中、何か他のことをしながらなど、気が散る状態で食べてはいけません。
身体感覚に充分に注意を払い空腹感を自覚し充分に食べたらやめなければなりません。
でも最初のステップはペースを落として、自分が何をしているのかを自覚することです。

強迫的に食べる人の多くは、我を忘れるために食べ、
食べている間中我を忘れています。
彼らはすでに体重が重すぎると言う理由から、食卓で、腰をかけてきちんとした食器をつかって皿からものを食べるべきでないと思っています。
食べるときはいつも本当はこんなことをすべきじゃないという罪悪感を感じ、
だからこそ立ったまま、あるいは車の中や、人から隠れたところで食べなければならない、と感じるのです。
人から隠すだけでなく、自分自身からも隠してこっそり食べなければならない、と思います。
心の奥で、食べることも、生きていて空間を取ることも許されていないと感じているためです。
彼らは腰掛けて自分のしたいことをすることを恥じているのです
ただ食器を使い、皿から食べるということによって、食べるという経験は全く別のものになります。

ジェニーンのインタビュー3

2007年05月13日

ジェニーン・ロスのサイトから記事の紹介です。
ジェニーンのインタビュー

比較的平易な英語なので一人で訳してますが、なかなか終わりません。
訳しているうちに前の方を忘れていくと怖いので、
終わった分から載せていこうと思います(笑)
四回連載くらいになるかもしれません。
前の記事も面白かったですけど、このインタビューもかなり面白いことを言っています。
「うーむ、さすが」と辞書をひきひき思うことです。

例によって受験英語で訳してます、間違えていたら教えてください。

(聞き手:レニー・ラルツマン サンマガジン誌に掲載)

レニー・ラルツマン(以下RL)
:あなたは意志や自制心、責任感はダイエットに関する限り無関係だとおっしゃっていますが、ダイエットというのはつまるところセルフコントロールなのではないのですか?

ジェニーン・ロス(以下GR)
: 私はかつて自分から何かを取り上げたり、罰したり、自分を脅したりすればいくらかでも変わることができるのだと思っていました。
しかしそれらの意志や規則を使う作戦は、社会的には賞賛されているものではありますが、私自身は少しも変わることができなかったのです。
私は自分を殺しながらも、変化への突破口は愛すること、心を開くこと、信頼することの向こうにあるということに気づき始めましたが、そのとき自分に対してそれらの感情を持っていませんでした。
でも愛と信頼という考えが思い浮かんだときに、私は二度とダイエットに戻るのをやめたのです。

RL:あなたはアンチダイエットのパイオニアと呼ばれていますが、お書きになったものは非常に心理的、時にはスピリチュアルともいえる方面から食べ物と食行動について考えていますね。

GR:まず私たちの文化は食事とダイエットと食べ物の問題を女性の問題、しかもくだらないものと考えています。
新しいダイエットは毎月登場し、ダイエットの本は常に上位の売り上げを記録します。
しかし普通はダイエットや減量、食べ物のことはとくに真剣な話題にはされません。
時としてダイエットはフェミニズム問題のようにも捉えられます。
それはとても役に立つかもしれませんが、充分ではありません。
深刻な健康問題として取り上げる人もいますが、私たちの食べ物との関係はもっと深いものです。
単に何を口に押し込むかというだけの問題ではないのです。
食べ物は具体的であり抽象的です。
つまり毎日関わるものでありながら、私たちの生活の奥に隠された小部屋へと続く入り口でもあるのです。
食べ物とどう関わるのかということは、どう生きるかということの縮図であり、、信頼や喜びや奪ったり与えたりするということをどのように考えるかということをあらわしています。
しかしこれらについて深く考えれば考えるほど、隠された問題は破壊的なものに見えてきます。

RL:チョコレートを持ち歩くようにアドバイスしていますね。

GR: そうです。
私が「食べたいものを食べたい時に食べなさい」といっていると思っている人がいます。
しかし私が最終的にいいたいのはそういうことではありません。
「もっとよく注意して」と言っているのです。

 多くの人は生活している中で食事を殆ど楽しんでいません。
彼らは食べることに楽しみも喜びも見出していません。
「何を食べるべきで、何を食べるべきでない。食べたら、後悔するだろう。」という思いばかりがあるのです。
私はゆっくり考える方法を教えるのです。
いつもこう言います。
「選ぶことができるのです。食べたものを味わって楽しむことも、無意識に食べて苦痛に思うこともできるのです。」
それが選択できるということを、誰も知らないのです。
楽しんで食べたことがないからです。
チョコレートを渡すのは喜びと自覚を知ってもらうためです。
ワークショップではひとつのキスチョコレートを味わうことでこれを習得します。

二十年間キスチョコを過食し続け、たった一つで食べるのをやめられたことなどないとおっしゃる男性がいました。
ひとつチョコレートを口に含むと、続けて十個食べなければならないという思いに駆られ、そしてそのあとにはふた袋食べなくてはならなくなるのです。
しかしたったひとつのチョコレートを食べることを自分に許し、食べている自分を自覚したとき、彼はもうひとつ食べたいとは思わなかったのです。
彼はこういいました。「私が二十個のチョコが欲しかったのは、ひとつも食べてはいけないと感じていたからだったんです」

通常のダイエット法ではこのような人にチョコレートを渡すのは殺人鬼に斧を渡すようなものです。
皆こう言います。「私がチョコレートを食べるですって?もう20キロも体重オーバーしているに?」
そう、20キロ体重オーバーしていることは、決して食べることを自分に許さずに、食べている間はそのことに注意を向けないようにしてきたことと関係しているのです。

私はちょっと立ちどまってこのように考えてみるようにいいます。
私は本当にチョコレートを食べるのを楽しんできただろうか。
食べることを楽しむというのがどういうことか知っているんだろうか。
これを食べると満足するかしら。
私はしょっちゅう過食をしていましたが、食べているもののひとつにでも注意を払っていたでしょうか?答えはノーです。

だから私は「よく注意してください、これはどう食べるかということだけでなく、どう生きるかということでもあるのです。味わって食べてください。腰を下ろして。あなたがしていることに注目しましょう。」といっています。
もし食べることで生き生きとした時が過ごせるわけでないとすれば、チョコレートを食べる目的はなんでしょうか。
自分にその経験を許さないということによって、人生を丸ごと見失ってしまいます。


インタビュー1
インタビュー2
インタビュー3
インタビュー4
インタビュー5
インタビュー6

2007年05月12日

食べたいものを食べようと思うけど、カロリーが怖い。
見ようと思わないのに癖でつい栄養表示を見てしまう、
食べた後もその食品のカロリーがぐるぐると頭の中をめぐる、という
切ない話を時々聞きます。

食品カロリーが強迫観念になってしまうのは
きっとそれについて私たちがあまりよく知らないからなのだろう、
ということで今日は食品カロリーについての研究です。
調べ調べ書いたので、間違ってるところあったら教えてください。

そもそも食品のカロリーって何?ってことを考えるんですが
考えてみれば家庭科の時間に教わってました。
「水1リットルを摂氏1度上昇させるために必要なエネルギー量」なんですよね。
なんだか懐かしいです。

「うん、それで?」
・・・って思いませんが?
うん、それで?
その食品を燃やしたらどれくらいの水を温められるのかっていう話と
私たちが何を食べればどれくらい太るかっていう話と
どういう風に関係してくるの?
・・・って思いませんか?
どうやって関係するんでしょうね
・・・・もしかしてそもそも全然関係なかったりしたら怖いですね。

だいたい食品カロリーってどうやって測定するのさ、っていう話を
ちょっと調べてみたんですけども、何通りか見つけました。

1、本当に燃やす
燃研式自動ボンベ熱量計 CA-4AJ
「ボンベに試料と酸素を入れて スタートボタンを押せば,給水・温度調節・点火・記録・排水まで自動的に進行します。」という機械です。面白いですねえ。
石炭などの発熱量測定と食品のカロリー計算が同じ方法なんですね。
機関車トーマスかよ、あたしゃ、って感じですけども(笑)

2、机の上で計算する
日本食品分析センターの解説
「たんぱく質、脂質、炭水化物の量にエネルギー換算係数を乗じたものの総和です。たんぱく質、炭水化物は4kcal/g、脂質は9kcal/gを用います。(この係数をアトウォーターの係数と呼びます。)。」
要するにこういうことですね↓
食品のエネルギー = タンパク質の量 × 4 + 脂質の量 × 9 +糖質の量 × 4
この4、9、4という"アトウォーター係数”は「人間が発する熱は体外で同量の栄養物が燃えたときの熱と同じである」という予測から導いた数字です。
(→アトウォーターの研究に関する参考記事

(番外編)光を当てる
高機能食品カロリー測定器 カロリーアンサー
電子レンジみたいな機械に食品を入れて光をあてるとカロリーがわかる、というもの。
私には理解不能。
ただしこの測定値は食品栄養表示には使えないそうです。

つまり今実際に食品栄養表示に使われているエネルギー測定方法はふたつ
実際燃やすか、アトウォーター係数で計算するかのどちらか。

(ちなみにこの二つの方法、どちらを使うかによって結果に誤差があるみたいですね。
それはそうですよね、アトウォーター係数はたんぱく質、脂肪、糖質のことしか考えてないのに、
燃焼実験の方はまるごと全部燃やすわけですから。
コンビニのお弁当を買ってきて熱量計で測定してみたら表示されていたカロリーと結果が異なった!
という実験を、過去に「あるある大辞典」で放映したことがあるらしいです。
女性向けに発売する食品だとできるだけカロリー値の低くなる方法で計算するんじゃないか、
とか、色々邪推します)

どっちも要するに「身体の外でそれを燃やすときにどれくらいのエネルギーを持っているのか」
ということが大事になってるわけなんですが、
実際に人間の身体の中で起こるのは「燃焼反応」ではなく「酵素反応」です。
人間は身体の中で火をおこして食べ物を灰にしつくしているわけではなくて
消化酵素によって必要なものだけ分解して、分解されなかったものはそのまま排出されます。
さらに人間のエネルギー収支を左右するのにはホルモンという物質も働きます。
腸内細菌も分解や排出を調整しています。
(詳細は「ダイエットやめたらヤセちゃった」の中の”摂取カロリーの矛盾点”という章に説明があります)

私が素朴に疑問に思う、変な話ですけども、
地域によっては家畜の排泄物を燃料としているところって結構あるんです。
排泄したものだって、まだエネルギーがあるってことですよね。
それは身体を通りすぎただけで、使われてないし、蓄積もされなかったエネルギーなんですよね?
燃焼実験して最初の熱量から引き算しなくていいんでしょうか。(誰もしないでしょうけど。)
でもそこまでしないと燃焼実験によって体の中のエネルギー収支を知るのは不可能じゃないかって気がします。なんかおかしいですよね?

アトウォーターさんも自分の研究の後発見されていくたくさんの消化酵素については考慮できてなかったと思うのですが、
そのあたりもどうなっているのでしょうか。

というようなことを考えていくと、
もし、ご飯を燃やしてそれでお茶を沸かしたい、ということであれば
ご飯一膳が何カロリーの熱量をもつか、というのは参考になると思うんですが、
ご飯一膳食べたら私が何キロ太る、という話にはまったくつながっていかないんじゃないか、
と、思えてくるわけですよね。
似非科学とまでは言わないまでも今の「食品カロリー」という言葉の使われ方って
変な飛躍をしてるんじゃないか、くらいのことは思うんですが、どうでしょう。

私は食品ってのは「カロリー」でなくてむしろ「感情」で
何を食べるか、よりも、いかにたべるか
ということによってそれが自分の身体の中でどのように作用するかが決まる、
ということで納得してます。
「まずく食べると太る、うまいもの食べても太らない」という
そういう感じのことを思ってますね。

フレンチ・パラドックス、という言葉がありますね。
フランス人はなんであんなに高脂肪のものばかり食べているのに
病気にならないんだ、って言う栄養学的な謎、のことだそうですが。
美味しいもの食べて元気に暮らしていることの何がパラドッククスなんだか
私はわかりません。当然じゃん。

2007年05月11日

「何キロまで太ったら私と別れる?」

と聴いたことがある

「うーん、俺より重くなったら考える」

そのときの恋人は答えた

「・・・何キロ?」

「○○キロ」

男として小柄で華奢な彼は
半年も過食を続けていれば楽に超えてしまいそうなくらいの体重しかなかった

その後、私が何を言ったのかは覚えてない

ただ頭の中でヒステリーの嵐がごうごうとなるような
とにかく暗くて強烈な感情が吹き抜けたのを覚えているだけだ

もうひとつ顕著なことを付け加えると、
実はそのときすでに私は彼と別れたかった

「何キロまで太ったら私と別れる?」
と聴いた魂胆はただひとつ
ひたすら「体重なんか関係ない、何キロになっても君が好きだ」
ということを言わせんがためだ
おそらくその魂胆そのものは彼もわかっていて
だからこそ嫌だったんだろう
なんとか冗談のように紛らわせたくて
「俺より重くなったら」とあてずっぽうに言ってみたまでだと思う

私は彼が絶対に自分から離れないと思っていた
それほど深く愛されていたからということではなく
それほど深く依存されていたからだ

実際、彼の依存は壮絶で
二人の間になにかが起こると
突然原因不明の病気になる人だった
床の上を転げ回るのを夜中に救急病院に連れていき
こちらがやせ細るまでつききりで看病すると治った

そして私への依存が全て症状として身体に現れる彼に対して
「何キロまで太ったら私と別れる?」と聞く私は
まぎれもない共依存だった

理不尽なほどの強引さで依存する彼と
その依存に心地よさを見つけた私と
あまりにも閉じられた共依存の世界から出たい私
その強烈な感情の絡まりの中で、私はまた過食を始めた

「何キロまで太ったら私と別れる?」

それではもし彼が素晴らしいテレパシーの能力があって
私が言わせたかったとおりずばり
「体重なんか関係ない、何キロになっても君が好きだ」
と答えたら、私は満足しただろうか
別れたくないと思うようになっただろうか

何も変わらなかっただろう
もっと試すだろう
もっともっともっと試すだろう
どこまでも試し続けて決して安心しないだろう
そしてずっと別れたいままだろう

「体重なんか関係ない、何キロになっても君が好きだ」
と言ってほしかったのは
それは考えてみれば彼に言って欲しかったのではなく
私は自分自身からそう言ってもらいたかったのだ
人からどんな風に見えていても自分が自分であることを確信したかった
彼の中に居場所が欲しかったのではなく
自分の中に居場所が欲しかったのだ
「彼が求める私」だから「私」に意味があるのではなく
ただそのまま生きているだけで意味のある私になりたかったのだ

自分の必要とする自己肯定感をぐるぐると探して廻った
人々の目の中へ
彼との依存関係の中へ
一体誰が私に「自分は自分でいい」という気持ちをくれるんだろう
一体誰が?

数ヶ月のちに引きちぎるようにして彼と別れた
本当に泣きながら足にしがみついてくるのを
振り切って荷物を持って家を出た

あの別れは二人にとって大きな仕事だったと思う
私と二人でできるだけ長く世間から隠れているために、次々と病気になった彼も苦しかったのだ
そして彼に「何キロまで太ったら私と別れる?」と聞いた私も苦しかった
私たちは別々に症状を出しながら、二人とも大きな仕事をしていたと思う

真に聞くべき相手は自分自身だった

「何キロまで太ったら私と別れる?」

答え
「何キロまで太ったって、ずっとついていくしかないでしょう。
だってこれが私なんだから」

2007年05月10日

「みんな、やせることに失敗している」からの記事です。

体重のセットポイント説は皆さんご存知なのじゃないかな、とは思うのですが
ちょっと改めて取り上げてみます。

人間の体内にはある一定の範囲内に体重を維持しようとする防衛機構があって、その維持しようとする体重の幅というのは、一人ひとり遺伝的に規定(セットポイント)されているというのです。
そして、もし一定の範囲以上にふとったりやせたりすると、それにしたがって代謝効率を変化させて、それ以上体重が変化しないように調節します。
 つまり、細めの人はもともと細めに、太めの人はもともと太めに、「なるように生まれついた」のであって、病的な肥満はこの防衛機構に何らかの異常が起きているのだろうと説明されます。
 このセットポイント説は、太りすぎに悩む人たちを当惑させるものでした。専門家の中には疑問視する人もいます。
だけど、太ったりやせたりすると代謝効率が変化するという点は誰もが認めるところです。

そして、こういう情報の都合のいいところだけを都合のいいように吸収してしまうのが
私の能天気なところなんですけども、
初めてこれを知ったときに何が気に入ったかって「体重って意志で操作するものじゃないじゃん!」というのが新鮮だったんです。
「あ、どうにもならないんだ、太るのが嫌だろうがなんだろうが、私がどうかできる問題じゃなかったんだ!最初から諦めるしかなかったんだあ!!」
と、肩の荷がおりまして(笑)、「しょうがない」ってなんて素敵な言葉だろう、なんて思ってたんですけど。(っていうと明るいけど、実際は色々葛藤もありましたけどね)

でも確かによほど自分の意志の力を駆使して意図的に体をいじめたりしない限りは
上下幅五キロ以上は動かない、っていう実感はあります。
五キロ、ってそんなに少なくはないですけどね、
でも増えた時に「チェっ、早く減らないかなあ」とかぶつぶつ考えながら
自分は好きなものを好きなように食べる生活ができるようになると
なんかガラスの天井を割ったような自由さを感じるのですよね。

ただ「専門家の中には疑問視する人もいます」というのはこの論を紹介する文ではたいてい書き添えられているもので、たしかに良く考えるといろいろ疑問は出てきますよね。
本当に健康上の理由から肥満に取り組みたい人はどうなってしまうんだろう、とか。
そのあたりのことは分からないので、私は今のところ自分に都合の良いところだけ抽出して深く考えずにいます。

これまでのダイエット理論では、消費するカロリーより摂取するカロリーが少なければ、その分だけだんだんやせていくということになっていました。
例えば毎日ご飯一膳分180キロカロリー減らせば、体脂肪20グラムを燃焼させることになり、十日で200グラム、100日で2キロ、一年で約7キロ痩せられる、と。
ところがこれが現実は机上の計算どおりにはいきません。
やせればやせるほど代謝も弱まって、それまでと同じダイエット・メニューではやせられなくなります。
やせるためにはもっとカロリーを落とす必要が出てきて、途中からダイエットがエスカレートするのです。
そのうえ、少しでも食べ過ぎるとパッと体重が増えるので、だんだんと緊張し、身構えて食べるようになります。
そうでなければ、食べ過ぎたと思ったとたん、混乱してもっと食べ、ヤケになってさらに食べて挫折。
 たとえダイエットがうまくいって、目標の体重までやせられても安心はできません。 ダイエット前の食事に戻したら、たちまち太ってしまい、それまでの努力も水の泡。
ダイエット前ならそれだけ食べても体重は変わらなかったのにね。
だからたとえやせても、ダイエット・メニューをずっとずーっと続けていかないと、やせた体重を維持できません。

このあたりの文章はマイクロダイエットあたりに持って言って意見を聞いてみたいですよね。
「私たちは一生の間ずっとずっとずーっとこのドリンクを食事代わりに飲むってことになりますか?」って^^。

さて、「食事療法と並行して運動療法を取り入れれば、代謝効率の低下を防ぐことができるんじゃない?」という予想される反論について、の説明です

たとえばダイエットをしていて、あるところからガタガタと体重が落ちることがあります。
「面白いように体重が落ちていく」と言うとき、筋肉が分解していっていることを考えなくてはなりません。
あなたの理想とする体重が標準体重の85パーセントくらいだとしたら、いくらプロテインをとり、運動をしっかりやっても、贅肉よりも筋肉がおちていく危険が高くなり、その結果、代謝も弱まってきますし、健康も損ないます。

摂取カロリーを控えて激しい運動をしていると筋肉が減っていく、というのは
ダイエットやめたらヤセちゃった」にも実体験に基づいて書かれていることですが、
これは体感として納得できますね。

「じゃあ、どうしたらいいのーっ。」っていうと、
結局は「しょうがないじゃん!」に到着するしかないんだろうと私は思うのですけど、
ただ「しょうがないじゃん!」を受け入れるのって、やっぱり苦いよね、って思います。
今まで努力してきたことであればあるほどそんなに簡単に諦めたくはなくて
やっぱり最後まで努力しつくしたくなるし、
じゃあ、努力すること自体がダメなら私はどうしたらいいの?って思うし
そんなに簡単に「そうですか」って変えられる意識なら誰も最初から苦しんだりしないし。

「じゃあ、どうしたらいいのーっ。」
「じゃあ、どうしたらいいのーっ。」
って大きい声で叫びながら
「しょうがないじゃん!」のほうに向かってちょっとずつホフク前進していくしかないのかな、って
「ありのままの自分を受け入れる」なんて言葉で言ったら一言だけど
実際は自分のアイディンティティに関わるぎりぎりの真剣勝負だよなあ、
って、本当は思います。

みんな、やせることに失敗している
みんな、やせることに失敗している


↓「みんな、やせることに失敗している」関連記事
1 パターンを変えてみる
2 やせたらしたいことリスト
3 過食症からの回復
4 体重セットポイント説
復刊リクエスト

2007年05月09日

みんな、やせることに失敗している」に反響があったのでもう少しご紹介していきます。

過食症から回復していった例についてです
晶代さんは出産後に体重が増えてしまったのを戻すため
十ヶ月で20キロのダイエットに成功したあと、
過食が止まらなくなり、カウンセリングにやってきた29歳の女性です。
晶代さんに対し、著者はこのように対応します

私は大量ダイエット(もとの体重の20パーセント以上の減量)のあと、 食べることにコントロールが利かなくなるのは、ある程度までは不可抗力であること(3,4週間は続く)、立ち直るためのいちばんの早道は、過食があってもなくても、時間になったら普通に三食食べることだと説明しました。
 たとえ朝食のあとに甘いお菓子を山ほど食べてしまって気持ちが悪くても、お昼になったら普通に食事をすること。
そうすれば、過食後の低血糖が防げます。
でもそれを実行するとなると勇気がいります。
少しでも太りたくないわけだから、食欲がないのを幸いに食事を抜きたくなるからです。
でも、抜けば必ずあとでもっとひどい過食になります。
 普通に食事しても過食が起こります。この段階では、過食をがまんしようと抵抗しないこと。
抵抗すると二倍返し、三倍返しで跳ね返ってきます。

さて、この助言に基づいて、過食があってもなくても一日三食食べ続けた晶代さんは、
三週間で10キロ増えました。
それでも著者はとにかくきちんと食べるように励まし続けます。
次第に過食の回数は減っていきます。

続く一週間で今度は三キロ減ります。
晶代さん自身は三食食べているし甘いお菓子も食べているのになぜ痩せるか不思議に思ったそうです。
生理前後に多少体重が増えますがその後また二キロへり、
結局二ヶ月ほどで出産前の自然体重に落ち着いたのです。

重要なのは過食の激しさや回数を減らすことを目的化しないこと、
やめよう、やめなくちゃ、と闘っていると過食はかえって激しくなります。
過食したらしたでしかたがない、過食したら体重増加するのも仕方がない、太るのがどうしても怖くてたまらないなら吐くのもしかたがない。
でもそれ以上責めないで、次の食事の時間が来たら、なるべく普通に食べることです。

どうでしょうか。感動的な回復だな、と私は思います。
過食する自分を「しょうがない」と受け入れられ、
体重が10キロ増えても自分を見放さずにいられたということが
結果的に過食からの回復を促したということになります。
「体重は増える、過食は治らない、ダイエットの苦労が台無しになる、カウンセラーのところに行って何もかも悪くなるばかりじゃないか!」と思うこともあったのじゃないか、と思うのですが、それでもじっと希望を持って待てたところから回復していった例です。


ところで私がいままで参考文献を読んできた情報などもあわせて考えて
これは「時間がきたらとにかく三食」というより「過食後ほど自分の空腹の感覚に注意深くなってお腹が空いたら食べたいものをきちんと食べる」にした方がいいんじゃないか?
って疑問をもったんですね。

その点について、著者はお腹はすいてなくても「とにかく三食」、と拘った理由として、
低血糖と過食の関係について、きちんと説明をしてあるのでその部分もでご紹介します。

過食する時というのは、ダイエット中に禁止していた食べ物、(--中略--)砂糖の含有量の多い食べ物を、短時間のうちに凄いスピードでたくさん食べます。(--中略--)
砂糖は際立って消化吸収が早いため、食後2、30分で血糖値が急上昇します。
 血糖は満腹物質なので、普通は血液中の当の濃度が上がれば満腹感が湧いてきます。
ところが砂糖をたくさん含んだ食べ物が短時間に大量に入ってくるため、血糖値が急激に上昇し、これに反応してすい臓からインシュリンが過剰に分泌されます。
その結果血糖値は一気に下がってしまい、一時間半から二時間後には過食前よりも血糖値が低くなります。つまり低血糖と呼ばれる状態です。
 低血糖というのは普通はお腹がすきすぎたときに起こります。
そして低血糖になると、めまい、頭痛、首肩こり、だるさ、抑うつ、不安、イライラなどの不快症状が現れます。
 過食後、実際にはお腹が苦しいくらい食べたのに、皮肉なことに低血糖に陥り、その不快症状に悩まされ、身体はもっと甘いものを欲しがります。そして次の過食へと駆り立てられていくのです。

この危険な低血糖に陥らないようにするために、とにかく絶食はいけない、
だから一日三食、というのが著者の論です。

私は「お腹が空いたときに美味しいものをできるだけ美味く食べられる人になろう!自分のお腹を信じよう!」っていうのがやはり理想では、と思っているので、
「三食」とルール化されてしまうとどうしても少し身構えるところがあるんですけど、
低血糖を避けるため、という理屈(そして自分の体験上納得のいく生理的反応の説明)はなるほど、と思います。
この基本を踏まえて自分でうまくやっていけるように慣れていけば三食、というルールから自立も可能なのでしょうし。


みんな、やせることに失敗している
みんな、やせることに失敗している


↓「みんな、やせることに失敗している」関連記事
1 パターンを変えてみる
2 やせたらしたいことリスト
3 過食症からの回復
4 体重セットポイント説
復刊リクエスト

今日は私の好きな詩人谷川俊太郎さんの作品の紹介などしてみます
29歳の時の詩集「あなたに」より

悲しみは 谷川俊太郎

悲しみは
むきかけのりんご
比喩ではなく
詩ではなく
ただそこに在る
むきかけのりんご

悲しみはただそこに在る
昨日の夕刊
ただそこに在る
ただそこに在る
熱い乳房
ただそこに在る

夕暮れ
悲しみは
言葉を離れ
心を離れ
ただここに在る
今日のものたち

「悲しみはむきかけのりんご」というイメージが素晴らしいと思うのです
悲しみをこんな風に形あるものとして感じること
そして「ただそこに在る」と
じっと見つめていることって本当に凄い強さだと思います

なぜなら、私は感情に反応してすぐ行動したくなるから、なんですが。
私にとって悲しみって何、っていうと
過食ができなくなった今となっては
とりあえず二日酔いになるまで酒を飲んで
はるか昔に終わった無花果な恋愛を思い出して声をあげて号泣
泣いてすっきりすること、という
かなりみっともないものになっていて
誰に見せるものでもないからみっともなくて全然構わないんだけども

ただ感情の深みで行けば
酒で思考回路を鈍らせて他の悲しかったことにすり替えて悲しみを放出するよりも
「悲しみはただそこにあるむきかけのりんご」っていう
反応したりごまかしたりしないで肯定的に諦めていく態度の方が、
人生は面白いんじゃないか、っていうことは思うんですね

だからこの詩というのは
私にとっては「かくありたい」という気持ちにさせられる
そういう意味でも好きな詩です


悲しみは
飲みかけの酒瓶
比喩ではなく
詩ではなく
ただ減っていく
飲みかけの酒瓶
(byノラ)

・・・これだとやっぱり詩にはなんないもんね(笑)

悲しみって、どんなイメージに感じますか?
たぶん、「りんご」ほど美しいものとして
すっとイメージが上ってくる人って
とくに強い嗜癖行動のある人なんかでは
とっても少ないんじゃないかなって思う
自分が悲しむことを「良し」としていなければ
肯定的なイメージで悲しみを捉えることはできないですものね

悲しみのイメージ、
よかったら考えてみてください
そしてそれは時間をかけて少しずつ
美しいものになっていたら
もしかしたらそのとき少し楽になるのかなって
ちょっとこの詩を読んで考えたことでした

2007年05月08日

みんな、やせることに失敗している」の中からもうひとつエピソードをご紹介します。

著者が過食症の女性に書き出してもらった光り輝くような「痩せたらやりたいことリスト」です。

1、いろいろな人と会いたい(今は自信がなくて人を避けてしまいます)
2、ミニスカートをはいて、胸を張ってさっそうと歩きたい。(今は体型を隠せるように、オバさんぽいどうでもいいような服を着て、目立たないように下を向いて歩いている)
3、もっとおしゃれがしたい。いろいろなファッションを楽しみたい。
4、英会話を習いたい。
5、運転免許を取りたい。
6、旅行に行きたい。南の島なんかいいな。
7、何か資格を取って、やりがいのある仕事をしたい。 (今は派遣だから不安定だし、条件も悪い)
8、以前やっていたテニスをまた始めたい
9、コンサートにも行きたい
----まだまだやりたいことがいっぱいあるような気がするけど、思いつきません。 こんなことをかいていたら、今の自分が酷くみじめで、悲しくなってしまいました。 私、絶対に過食症を治して、やせたいんです。アセっちゃいけないとわかっているけど・・・・。 私、頑張りますから、先生、どうかよろしくお願いします----。

過食の問題というよりもお金も時間も体力も沢山必要になるリストなのですが、
過食さえ治ればなぜか全部がうまく行くと思っている、ということなんですね。
これね、面白いのですけど中にはたった一行「普通に暮らしたい」と書いてくる人もいるそうです。

「普通ってどういうことか分からずに、普通と言いきってしまうんですから、それはもう”バラ色の普通”です」

アハハ、と声を出して笑いながらも胸の底のあたりでなにかが揺れますね。
私も”バラ色の普通”に憧れる身ですから^^。

このリストはカウンセリングの中でもう一度良く考えて検討しなおされていきます。

1、「色々な人に会いたい」
→具体的に誰に会いたいのですか?と聴きます。でも、名前が出てこないことが多い。
痩せたら、その先はバラ色のモヤがかかっていて、漠然と「色々素敵な人に会える」と思っているわけです。

2、「ミニスカートをはいて、胸を張ってさっそうと歩きたい」
→そんなのは体重や体型とは関係ないことです。
「胸を張って歩く」のは今だってできます。
「ミニスカートをはく」は事実です「胸をはる」も事実です。
「さっそう」というのはイメージ(気分)で具体的事実に書き直す必要があります。

そうやってリストを一項目ずつ点検し、イメージや気分本位の言葉を使わずに、具体的に事実本位に書き直しています。
「7、何か資格を」というのが何の資格なのか、というようなことはなかなか出てきません。
すぐに決まらないものはゆっくり考えるとして手近で実行しやすいものを3,4項目に絞ります。
たとえば下のような具合です。

やせたらしたいことリスト
1、ショートヘアにする
2、高校時代のクラスメートと伊豆か箱根に一泊旅行する。
その前にクラスメートに電話して会う。
3、運転免許を取る。お金は半分親から借りる。

では、痩せてからではなく、それを今しようというのが、次の提案です。

たいていの人はギョッとして、太ったままではできないと言い張ります。
「でもしたいことなんでしょう? 太ったまま(ちっとも太ってないけど)ではできないって言うけど、もういちど、よく見直して。
本当はしたくないことなのかな? したくないことはしなくてもいいよね。
でも、できないと決めつけたりしないで。 どの項目も体重と関係ないことだもの」


「できるできない」の問題ではなく、「やりたいかやりたくないか」の問題だってことが
リストを点検することで明らかになってしまうんです。

実現不可能な大風呂敷を広げ、「具体的なことはやせてから考える」なんていうのなら、それは「どうせできっこない」「過食がやめられるわけない」と思っているということです。


「いつか」というときは永遠に来ないんですよね。
私たちはいつだって、「今、ここ」に生きているだけですから。


これ、リストを作ってそれを具体的にしていく、って怖いですよね。
私は怖いです。
「やりたいなら今やらなくちゃ」ってことが明らかになってしまうのがわかるからです。
著者も「やりたくないならやらなくてよろしい」って書いてますが、
本当にやりたくないならやらなくていいんですよね。
今、取り組む勇気がないのであれば、それはそのままにしておいて
もうしばらく過食に明け暮れていたって全然構わないと思うんです。

だって何かを始めることって不安に決まってるし、
何かを変えるのだって努力がいるし、
何か新しい考え方を受け入れて認めるのだって大変な精神力のいることだし、
思いついた端からそうホイホイたやすくやっていけるものばかりじゃない、
ってのは当然のことですよ。

ただ、今のところまだ取り組む勇気が出ないからおなじみの過食を選んだ、ということであれば
「自分で選んだこととして結果を引き受ける」という姿勢、
「いいじゃないの、私が必要でやってるこなんだから」という姿勢を持っていくと
過食との付き合い方って全然変わってくる、と私は思っています。

みんな、やせることに失敗している
みんな、やせることに失敗している


↓「みんな、やせることに失敗している」関連記事
1 パターンを変えてみる
2 やせたらしたいことリスト
3 過食症からの回復
4 体重セットポイント説
復刊リクエスト

2007年05月07日

みんな、やせることに失敗している
みんな、やせることに失敗している

1994年初版の少し古めかしい本なのですが、
「ああ、日本でもちゃんといい本が出てるじゃないか」と嬉しくなったものです。
読んでいると、随所で過去に一度読んだことがあると思われる部分に遭遇するんですが、
不思議なことにとても良い本なのに、いつ読んだものか覚えてなかったんですね。
ちょっと読む時期が早すぎたのかもしれないです。

でも、中に紹介されているケースの一つでとてもよく覚えているものがありました。
今読み返しても、とってもいいなあ、と思う部分ですので、ご紹介します。

過食で悩む啓子さんという二十歳の学生さんのケースです。
啓子さんは授業が終わって学校からアパートに帰った直後に過食します。
著者であるカウンセラーの森川那智子さんのもとを訪れました。
まず自分の過食パターンを明らかにします。

帰り道は疲れきっています。 首も肩もガチンガチンにこっているし、おなかもすいています。 空腹を感じると、今度も過食になるんじゃないかという不安が増してきます。 過食を避けるにはどうしたらいいか、帰ったらすぐに課題に取り組んで、それを半分済ませたところで夕食を作って食べ、それからすぐまた課題に取り掛かる。 帰宅後の計画を何度も練りながら、近くのスーパーで夕食と明日の朝食の材料を買う。  アパートに着き、どっと疲れが出る。 でも、とにかくすぐ課題をやらなくちゃと考える。 考えるだけで気力が湧いてこないので、イライラしてくる。 外出着を脱ぐのもかったるい。 グズグズしているうちに、一個だけのつもりで、翌日の朝食用に買ったブドウパンを食べる。 おいしい!もう一個食べる。 空腹感が増してくる。もう一個。 すぐ近くのコンビニエンスに走り、アイスクリーム、プリン、クッキー菓子パンを買って帰り、食べて吐く。  もうどうでもよくなって横になってうとうとし、九時か十時目が覚めて課題に取り掛かり、夜中の一時か二時に就寝。 ときどき夜中にもう一度、過食することもある。

私なんか涙流してしまうくらい啓子さんの気持ちがわかります。
自分のことじゃないと、「なんでこんなに真面目で融通利かなくてただ自分を傷つけてしまうんだろう」と思いますけども
これが我が事だと、「どう考えてもこうするより他に選択肢はないだろう」と思い込んでその堂々巡りは永遠に続く、というのもよーく知ってます。
そしてこの終わらない堂々巡りは自分の弱さと努力不足のせいだと思って罪悪感を抱いたまま誰にも言わずに一人で溺れる、のですよね。

さて、この本の筋に戻りますと、著者は
「違うプロセスで過食したっていいじゃない」ということを言うのです。
今までのパターンを変えてみよう。

啓子さんが自分で出した代替案は、帰宅したらすぐ課題に着手するということでしたが、
著者はこれは今までのパターンを見て有効と思えない、と判断しています。
(もっともな判断ですが、これ自分ひとりで考えてると「不可能である」ことになかなか気づかないんですよね。だから私も過食から解放されていくとき、こういう客観的に見ていてくれる人が傍に一人いると凄く安心だな、って思うんです。これほど良くわかってくれているカウンセラーさんはなかなか居ないとは思うのですが。)

学校から帰宅まで「どう感じているか」をあらためて検証してみます。
まず啓子さんは学校から帰宅までの間、とても疲れてイライラしています。


疲れたと感じているのに、こんなことで疲れたなんて言ってられない、
もうひと頑張りしなくちゃと思い(プレッシャーをかける)、イライラする(ストレス反応)。

イライラしながらまずやるべきこと(課題)をきちんとしあげさえしたら、あとでゆっくり休めるんだからと、完璧な計画を立てます。
そして計画どおりにことが運ばないともっとイライラして過食になるというパターン


それを踏まえたうえで代替案を考えます。
「疲れたと感じているんだから、まず疲れを和らげることをしてみてはどうか」
ゆっくりお風呂に入る、帰宅途中にコーヒーを飲んで一休みする、肩こりを和らげる簡単なヨガをして仮眠をする、などです。

啓子さんは最初に休息してしまったら気がゆるんで何もする気になれなくなるんじゃないか、不安だと答えます。
課題の出来がよければ学校でもおどおどせずに人と付き合うことができるはずだ、だからまず課題をやらなくちゃ、と自分にプレッシャーをかけているのです。

それに対して、著者の提案です。


今までだって夜九時か十時に課題に取り掛かって何とかやれてきたんだから、帰宅してから夜九時か十時までの四、五時間はどんなふうに使ってもいいんじゃないか。
帰宅して課題をやらなくちゃと思いながら過食して吐いてウトウトしてもいい(これは従来のパターン)。
喫茶店で一休みして、家に帰って入浴して、ヨガをやって、それから夕食を食べてさらに過食してもいい。
今までとは違うやり方をやってみて何か不都合なことがある?


大切なのは過食をしないということではなく、自らの責任で選ぶという選択の自由だと言うことです。
いたたまれない気分に陥ったとき、自動的、機械的に過食というパニックにダイビングするのではなく、他の方法も持っているということ。
他の選択肢を選んでもいいし、過食を選んでもいい。

そうして啓子さんはこわごわと今までのパターンを変えていきます。
習慣を変えるというのは、不安だし、慣れるまでそれなりの時間も必要なものです。


もちろん何度もくじけそうになりました。
でもそのたびに、「私には選択の自由があるんだ」と踏みとどまりました。
自ら選択して過食する時、「仕方ないよ、今はこれを選んだんだから」と思って食べると、以前のように、「まるでジェットコースターに飛び乗ってバァーっと突っ走る」ような無茶な食べ方にならないことにも気づきました。


*****

どうでしょうか。
私はこのエピソードにはかなり感動します。
過食から抜けていくのは意志とか、我慢とか、の問題ではなく
まずは現実をありのまま受け入れて、それに対してどうしたらよいのかという
「やり方」を冷静に考えてみる。
「良い私」「悪い私」の判断を離れて、
「これもこれもできるけど、こっちの方が得だよなあ」という
善悪判断より、むしろ損得勘定するくらいで考えていくほうがずっと分かりやすいんじゃないかって、思うのですよね。

私、いいこと言いましたね、今^^。
今日の格言;「善悪判断より損得勘定」
これ、いいかもしれない(笑)


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2007年05月06日

食べ物について悩みを抱える人の話を聴くと
本当に長い期間にわたって悩んでいる人が予想以上に多い
十年以上、という人もどうやら珍しくはないのだ
私は、あれで随分短期間で解放に至ったのだな、と思う

心的つらさが食行動にすぐ結びついてしまう、
という切実な苦しみを抱えていたのは実に四年くらいの期間だったし
その四年間の中には食に関しては殆ど問題を感じていない潜伏期も含まれている

四年かかって解放される人がいる
十年以上かかって解放される人もいる
多分数ヶ月で解放されていく人もたくさんいるんだろう

じゃあ、四年弱しか苦しんでない私は
十年以上も取り組んでいる人に対して摂食障害について何か言うのは申し訳ないかというと、
当然そういう話じゃないと思うし
じゃあ、四年で解放に至った私は
十年悩んでいる人より何かが優れているのかというと
それも全然そういう問題じゃない

ただ私は四年間摂食障害と付き合う、という生き方をしただけだし
人によっては十年間以上それと付き合うという生き方が必要な人もいる、
おそらくただそれだけの話だ

いつもながらのジェニーン・ロスの話だけど
彼女は17年間のダイエットのあとで強迫的摂食から解放された
じゃあ「どうせやめるなら17年間損した、人生を巻き戻して17ヶ月に縮めたい」
と思っているかと問えば、
彼女はそれは思ってないんじゃないかなあ、っていう気がするのだ
17年間の時の重みから引きずり出した生きる希望というのは
それは必要なだけの時をきちんと苦しみ悩みぬかれているからこそ
非常に力強くて感動的だし
その希望を自分以外の人々の中にも同じように発見できる、という確信と感動が
彼女の活動や執筆の動機になっているというのが非常によく伝わってくる

じゃあ時の重さがその後の人生への希望になるなら、
「もうちょっと頑張って、20年やってたらよかったかな」
と思うかといえば、それも当然そんなこと思うわけないのであって
必要な時がくれば人はその苦しみから出ていく、
そのタイミングは逸すべきでないだろうと思う。

食べ物に色々な感情を投影して拒否したり貪ったり排出したりすることをめぐって
ジェニーンは17年間掛かる仕事をやったのだし
私は4年掛かる仕事をやったのだ
人によってはもっと時間のかかる仕事をやるかもしれない
それはきっと
長かったり短かったりすることによって
絶望したり優越感を持ったりする必要のないことだと
私は思う

2007年05月05日

キーズの飢餓実験というものがある

第二次世界大戦の終結を目前に
アメリカのミネソタ大学のアンセル・キーズというという人によって
収容所で飢餓状態に置かれた人たちをいかに回復させたらよいのかを研究するために行われた大規模な実験だ

ちょっと衝撃的だが、以下のような内容のものだ

実験に参加したのは平均年齢25歳の男性36人。
半年にわたって食事を普段の半分一日1570キロカロリーに制限した。
食事はカロリー制限はあるが栄養面の配慮をされたものを一日三食。
食事以外はとくに規制なく自由に生活する。
この実験によって被験者の体重は平均して26パーセントも減少した。
さらに劇的な身体的精神的変化が起こった。

この六ヶ月の間に被験者たちは文字通り、食べ物に取り付かれる。
会話の内容、読む本、映画から空想まで、食べ物のことが中心になった。
一日の殆どの時間を、与えられる食事をどう食べようか考えることに費やし、
食べ物を目の前にしても、ゆっくり味わって食べようか、すぐ飲み込もうか迷うようになり、
食事に二時間もかかったり、食べるときに食事を腕で隠すようになる。

情緒面ではイライラしやすく、怒りっぽく、落ち着きがなくなり
物事に集中できなくなっていく。
音や光に敏感になり、ひどく神経質になったり、
興味や意欲の低下、抑うつ症状、決断力の衰えがみられる。
興味は食べ物に狭められていき、身だしなみに気をつかわなくなり、社交性も減る。
一人でいることが多くなり、自己中心的で無気力になってなっていった。

さて、半年のカロリー制限が終わったあと、三ヶ月のリハビリ期間を迎える。
興味深いのは、食べ物を前にした時、被験者たちが自分をコントロールできなくなっているのを発見したことだ。
貪るように食べても空腹感が癒されない。

三ヶ月のリハビリではこの症状が回復しなかったため、
さらに三ヶ月、自由に食べる期間を設け、観察が続けられる。
朝から晩まで絶え間なく食べ続けるようになり、食べすぎて吐くものも出てくる。
一日に摂取するカロリーは時に一万カロリーにも達した。
多くの被験者が「普通のメニュー」を食べることには満足せず、普通では考えられないような味付けや調合に拘ったり、食べ物で遊んでいるかのような食べ方、
テーブルマナーの無視、早食いなどが見られる。
こうした食行動がいくらか正常に戻るのは、ダイエット期間が終わってから五ヶ月以上あとのことだった。

(「みんな、やせることに失敗している」より要約)

(近年のダイエットブームによって再発見された有名な実験だそうで、
以前紹介した「なぜそんなに痩せたいの?―「美人」になりたい女の社会心理学
など、様々な本の中でこの実験について触れられている。


要するに無作為に選んだ健康な青年たちに半年のダイエットをさせたところ、
ダイエット終了後にまるで過食症のような症状を呈した、という実験結果なのである。

摂食障害者は自我が弱い、親子関係に問題がある、機能不全家族だ、成熟拒否だ、わがままだ、幼稚だ
と言われるのを見るにつけ、私はこの飢餓実験を思い出してしまう。
この実験が現すのは、食行動の逸脱は一部の人間だけの特別なものではないということだ。
ある条件が組み合わされば誰にでも起こりうるし、
現在の社会は女性にとって
この「ある条件の組み合わせ」がきわめて起こりやすい状況だ

生きていれば誰だって人生の節で精神的危機というものが必ず起こるし
肉体的危機と精神的危機が同時に起これば
それが相互に共鳴するのもごく自然なことだ
(文化的正義、社会的背景も入り込んでくるともっと絡まりやすい)

摂食障害はたしかに比較的若い時におこりやすい
発症したばかりで治療に掛かる思春期前後の子がそのとき抱えている精神の危機の内容が
自我の確立であったり、親子関係のことであったり
家族のことであったり、成長に関連していることだったりするケースが多いのは
なにも想像に難くない
そもそもがそういった問題を乗り越えていく時期なのであって
摂食障害を持った人だけが特別に未熟でそれに悩んでいるわけではない
育ってきた環境からの自立に関してはみんなしかるべきタイミングで
しかるべき形での苦しみを通ってきているはずだ

にもかかわらずなぜとくに摂食障害者が差別、偏見、に晒されねばならんのだ?
なぜ治療者、専門家が率先して偏見を撒き散らしているのか?
なぜ存在そのものがどこか問題を抱えた生き物であるかのうように定義されなければならないのか
なぜ「食べ方がふつうじゃない」というだけの理由で
「人格の問題じゃない、家族の問題じゃない、成熟拒否でもない!」という
本人の声は聴いてもらえなくなるのか?

誰でもが持つ「人生といかに向き合うか」という問題が
食べ物をめぐって現れているというただそれだけのことで
なぜ「決め付けられる立場」にならなければいけないのだろう。
私たちは異常じゃないのだ

 ┐( -"-)┌  

「ところで、なんで素人のあんたが、実際に何人も治してきている治療者にわざわざたてつくわけ?」という当然想定される質問に答えておくと
私は当事者だったという意味において治療者以上にフルタイムの専門家だったわけだし
治療者の言葉は当事者にはいえないが
当事者の言葉というのも治療者には言えないことだ
素人だろうがなんだろうが当事者の声は聞かれる権利があるじゃないかあっ!と私は思っている

(何度も書いてますが、そういう自我形成や家族関係に原因を求める説があることそのものを否定してるわけじゃないですよ。そういうので治っていく人がいるならそれは実際貴重なものです。でもそれで治っていかない人のことも考えられるべきだと思うわけです)

2007年05月04日

on eating―究極のダイエット・レッスン
on_eating

「Fat is a feminist issue(ダイエットの本はもういらない)」の著者
スージー・オーバックによるダイエットの本です。
(↑ややこしい邦題つけたせいで文脈がメチャメチャになってる!!笑)

まず扉に書いてあることがが素敵なんですよ。

食べることは楽しい
食べることは美味しい
食べることは官能的

食べることは官能的って素敵ですよね。私も本当にそう思います。

この本のベースになっているのは五つの鍵です。

第一の鍵:お腹が空いたら食べる
第二の鍵:身体の欲しがっているものを食べる
第三の鍵:空腹でもないのに食べてしまう理由を良く考える
第四の鍵:一口、一口を心から味わって食べてみる
第五の鍵:お腹が一杯になったその瞬間に食べる行為をやめる

どこかで聴いたような・・・?
この著者の前著「ダイエットの本はもういらない」でも同じことを言っていたし
ジェニーン・ロスの「食べ過ぎることの意味―過食症からの解放」も同じことを言っているし
夏目祭子さんの「ダイエットやめたらヤセちゃった―アンチダイエット・スリミングの魔法」も同じことを言っていますし
食も心もマインドフルに―食べ物との素敵な関係を楽しむために」でも同じことが言われています

でもしつこくまたここで紹介します。

もっとも官能的な章、第四の鍵「一口、一口を心から味わって食べてみる」
という話題から気に入った部分をご紹介です。

著者は、食べ物のもたらしてくれる楽しさを一口たりとも無駄にしてはいけない、
といいます。
「食べることの官能的な喜びが薄れてきたらその瞬間に箸をおく」ようにするのです。
そうすることで自分に必要なものだけを取り入れることを学んでいくとともに、
自分を大切にすることのできる人にもなれるのです。

自分の適量を発見するための訓練として面白い方法をひとつ挙げています。
好物を食べすぎてしまうのではないかという恐怖心をなくすために、
それを食べきれないだけ、嫌になるほど身の回りにおいておく方法です。

「一どきには絶対食べきれないだけの分量の好物が自分のそばにあると、それを単なる食料品、嗜好品として眺められるようになり、空腹を癒してくれるもののひとつなのだと見るようになります。 そして、これまでは貪り食べなくては気がすまなかった食べ物が、もっと生産的な良い食べ物としての居場所をあなたの中で見つけることになっていくのです。 自分の好きなものが食べたいときにいつでも近くにいてくれるので、あなたは罪悪感に苛まれながら、大急ぎで好物を口に押し込んでそ知らぬふりをすることもなくなります。」

これが、私も良くやるんですけど、楽しいですよ。
自分が必要だな、と感じたら、
とにかく好きなもの、本当に欲しいものを食べきれないだけ買うのだ、
と心に決めて買い物に行きます。
ぜひぜひやってください。
本当に心躍る良い経験ですし、
あれこれ迷うので時間がかかりますが、有意義な過ごし方です。

最近だとチョコレートのお菓子が食べたくて食べたくて、
(思い出のあるお菓子なので、心理的な原因もあって食べたいのだと思いましたが
それでも構わない、と思ったのです)
何度も大袋(10個入り!)で買いに行きました。
結局全部あわせると5、6袋買ったことになると思います。
時にはご飯代わりにも食べて、食べて、食べた挙句
最後のひと袋でとうとう飽きて、何週間も棚の中におきっぱなしです。
もう、あんな甘ったるいもの見たくないです(笑)
チョコレートを食べなくなった今どういう食生活をしているかというと
白いご飯が美味しくて、毎食ご飯を沢山食べてます。
ところで、50個のチョコレート菓子を食べたら太ると思うでしょ?
太ってないですよ。
食べたい時にしか食べてないですもん。えへんえへん。

(本書によると、食べ物について「これは良い食べ物、これは悪い食べ物」という基準を
みんなそれぞれ頭の中にもっているけれど、
基準のベースはたいていそれほど正確とはいえない情報源だし、
よく見直してみると矛盾点が多いし、
第一いろいろ規則を作ってきた割には今まであまり効果がなかったのであれば、
それはみんな捨ててしまっていいのです)

「食べたいときに落ち着いて好物を食べれば、本当に心ゆくまでそれを味わい尽くし、エンジョイできるのではないかしら?」

そしてもし、満腹になったのにまだ食べていたり、
無意識に機械的に食べ続けていたりする自分に気づいたら、
手を置いてメモ帳に何を思っていたのか書き出してみるように薦めています。
食べることより、気を逸らせたもののほうを優先させるのです。

「痩せたい」という願望を持って望むダイエットについてはこのように述べています

「ダイエットというものはあなたの身体の自然な流れを邪魔し、新陳代謝の機能を低下させていきますから、痩せるよりも普通は太るものなのです。」

逆にこの本に述べた五つの鍵にしたがって食べると、ボディサイズはどうなるのか、
についてはこう言います。

「何年間にもわたって、ダイエットをあれこれ試してきたとしても、この本が提唱する、空腹時に食べ、お腹が満たされたら箸を置くという食生活をしてみると洋服のサイズが最低で1サイズ、普通はそれ以上、数サイズは小さくなるはずです。」

凄い確信です^^。
まさに「ダイエットやめたらヤセちゃった」的世界なわけですね。

そうではありますが、著者はここで少し立ち止まってみるように言います。

「痩せたときのサイズは別として、何か痩せることであなた自身変わることがあるのでしょうか? あなたが期待していることは現実的なものですか? 痩せたときのあなたとは、あなた自身なのでしょうか、 誰か別のスリムな人のイメージを頭に描いているのではありませんか?」

痩せた姿に対する期待と現実に痩せたときのギャップがリバウンドを生むのだとした上で、
痩せた自分をイメージして、理想の自分になったつもりで振る舞い、その姿に慣れること提案しています。
そしてもし現在の環境の中でそうしたことができないのなら
あなたが変えたがっているのは、自分のサイズではなくて自分の生活自体かもしれないといいます。

「サイズが変化させられるのはサイズだけなのです。サイズが変わったからといって、あなたの生活が変わるわけではありません。」

フェミニストが書いたダイエットの本の紹介でした。
読みやすく、内容もよいです。

2007年05月03日

心理学の先生が教える―「読む」だけダイエット」のレビュー後半です。

さて、食事について
この本では「一日三食とおやつを一個」を薦めています。
「多すぎるんじゃないの?」というダイエットマニアの娘に対して心理学の先生は言います。
「でも、あなたはそれができているんですか?」
・・・答えは勿論、できていません。
それでさえ難しいことなのに、
一日一食置き換えダイエット!とか間食は抜き!カロリー計算!
とか言う類の突飛なことに取り組んだってうまくいかないでしょ、という論です。
まったく、当たり前すぎて目からうろこですね^^。

どうして一日三食か、というと、
ここに書かれている理由としては「それが一般的だから」ということなんですが、
私が思うに、食事は自分のライフスタイルに合ったものが一番良いに決まってますし、
一日三回食事するのが生活や体質に合わない人ってかなり多いのじゃないかと思います。
だからこんな風にばしっとルール化してしまうのは反対なんですが、
でも「自分の身体のサイクルにあわせて、おなかが空いたらなし崩しにせずにきちんとした意識を持って食べよう!」
という解釈であれば全面的に賛成です。
しかも「買ってきたものでも、ちゃんとパックや袋から出して、皿に美しく盛って食べる」というのも全く文句なしの大賛成です。

次は運動について。
ここに書かれているのは三つ
・自分の家でゴミを見つけたら、すぐに拾ってゴミ箱に捨てましょう
・脱いだ洋服は必ずハンガーにかけましょう
・鏡を見たらざっとふいておきましょう
・・・いいですね。凄く普通で(笑)夏休み前の小学生みたいです。
できている人がいたら尊敬します、私。
ハードな運動のことは、この三つのことが全部できるようになってから考えるのでも
とりあえず充分ですよね。

もうひとつ素敵だな、と思ったのは「モデリング」という考え方。
素敵な人を見たら真似しよう!というものです。
ポイントとして挙げられているのは
・電車での座り方
・かばんの持ち方
のふたつをまねすることです。
美しい人に対して憧れや嫉妬心を持つのをやめて真似をしてみる。
痩せた素敵な人を見て
「私もあれぐらい痩せたらあんな風に見えるのかなあ、ダイエットしなくちゃ」
と思うのは、コンプレックスに水をやっているだけで
考え方としてはあまりプラスになっていないですよね。
素敵に見えるのであれば、きっと痩せていることのほかにも何かポイントがあるはずで、
「それはナンだ?」と探してみるのは、面白いし、効果的だろうと思います。
これ、本当になかなかいいですよね。

あとはもうひとつ、多くの人に興味があるのじゃないか、と思ってご紹介します。
「最大の難関、ストレスの対処法」
ここで挙げられている対処法は「水、呼吸、お菓子」です。
・ストレスを感じたらまず水を一杯飲みましょう
・次に呼吸を整えましょう
・そして小さなお菓子をひとつ食べましょう
というものです。
小さいお菓子が魔法のようにストレスを消してくれるわけはないでしょうが、
この一連の「水、呼吸、お菓子」という儀式を意識的にすることによって
自分で、今ストレスを感じている、ということを認められるようになるわけですし、
ストレスを認識したうえで、自分のためにもっとも賢明だろうと思われる方法で対処している、ということも自覚できるわけですよね。
だからお菓子そのものが安静をもたらすということよりも
「自覚と冷静な観察」が気持ちをクールダウンさせてくれる効果があるのではないか、
と私は思いました。
自分のために「ストレス用お菓子」をあらかじめ用意しておいて身近なところ常に置く、という作業も、自分に優しくなるためのよい練習になりますよね。

勿論ストレスには、それでは収まらないくらい深刻なものがあるでしょう。
場合によっては過食しなければならないこともあるでしょうが、
でも精一杯やってみた末の過食なのであれば、自分だって納得いくでしょうし、
我を忘れて過食するよりも、
抱えきれないストレスのために過食しているんだ、と自覚しているほうが
ずっと意味のある行為です。

そういったわけで、
比較的きちんとしたダイエット本のご紹介でした。
(でも私が一番思っているのは、
「自分の身体の”太る権利”も認めようよ、
それが自分を信じるってことだよ」
という意見です。念のため。)

好みからいくとジェニーンロスの「食べ過ぎることの意味―過食症からの解放」の方が断然好きですが、
これは手軽だし、分かりやすいし、なかなか悪くないですよ。


「読む」だけダイエット―心理学の先生が教える
「読む」だけダイエット―心理学の先生が教える

「読む」だけダイエット―心理学の先生が教える
「読む」だけダイエット―心理学の先生が教える


こんな本を読んでみました。

感想--この本の何が斬新かと言って
「当然じゃん」「そんなこと分かってるよお」
ということしか書いていないということ。
こういうまっとうな本を読むといかに一般のダイエット法なるものが
奇をてらっているか、自ずから明らかになるってものです。
目次を見ただけでどういう本なのか、結構わかるとおもうので転載してみます。

1 “準備”編―いちばん重要なのは「やせたい理由」!
 (アドバイス:どうして痩せたいのか、その理由をはっきりさせよう)

2 “目標設定”編―1年で10キロ減!―「がんばらない」のが成功の秘訣
 (アドバイス:”目標”と”期間”を数字で表してみよう)

3 “反省”編―納得!だから、今までダメだった!
 (アドバイス:これまでのダイエットの問題点を洗いなおそう)

4 “宣言”編―「やせる楽しみ」が3倍になる!
 (アドバイス:まわりの人に”ダイエット宣言”をしよう)

5 “運動”編―「引き締まった体」―こうして作る!
 (アドバイス:無理な運動はやめなさい。それより部屋をきれいにしよう)

6 “食事”編―「こんなに食べていいのですか?」
 (アドバイス:”1日3食おやつ一回”がやせる体を作ります)

7 “テクニック”編―勝負の分かれ目は、食前の5秒!
 (アドバイス:”外食や飲み会”は痩せるチャンスに逆利用しよう)

8 “行動”編―ダイエットのヒントは「モデルの脚」
 (アドバイス:素敵な人を見かけたら、迷わず同じポーズをとりなさい)

9 “ストレス対策”編―「ダイエットスランプ」を乗りきるコツ!
 (アドバイス:最大の難関、ストレス!その対処法を教えます)

10 “ステップアップ”編―「読むだけでダイエット」で、もう一生太らない!
 (アドバイス:”読むだけダイエット”でもっともっと素敵になろう)

勿論全面的に賛成という部分ばかりではないですし、
ここでダイエットと名のつくものを紹介するのもちょっと躊躇いあるんですが
でも興味深く役にたちそうなところを紹介してみます。


まず面白かったのは”プレダイエット(準備)”という発想です。
なぜ痩せたいのかをまず、具体的にはっきりさせます。
(この本で実際に挙げているのは
・駅の階段をのぼるのが少し辛い
・素敵な服を格好よく着こなしてみたい
・女性らしいボディラインになりたい
という理由です。)
そしてそのために実現可能な目標を立てる
(ここでは一ヶ月一キロ弱で一年で十キロの減量)
今までしてきたダイエットの失敗の理由を考えて反省を役立てる
(興味本位で知識のない断食や単品ダイエットなど)
というところです。

私が普段とても大切だと思っているのは「不安にすぐ反応しない」ということなんです。
「何かがうまくいかない→私が美しくないからじゃないか→断食」とか
「太ったと言われた→私がみにくいんじゃないか→短期決戦ダイエット」とか
要するに”自分が変わりたいから”ではなく”不安だから”というのが動機で
苛立ちのように「痩せなければ」という気持ちを募らせるケースがとても多いと思うのですよね。

どうして「不安」と「痩せ」がそうたやすく結びついてしまうのか、
というのはまたダイエットとは別に考えるべきことになりますが
基本的に不安や自己懲罰、自己嫌悪などが動機で自分から食べることを取り上げる行為は
本来「ダイエット」とは言わないんじゃないか、と思うのです。
痩せたいのであれば、その計画は不安から断固切り離すべきだし
不安に対しては不安として対処するべきで、ダイエットと混同すべきではありません。

”変わりたいから”ダイエットをするのであれば
自分の現状と自分の行く先をしっかり見極めて正しい地図を作るべきです。
だからこの”プレダイエット”という発想にはとても好感を持ちます。

2007年05月02日

ジェニーン・ロスと言う人は
17年間ダイエットを続けた後で自分の知恵を信じることを決意し、
その日から二週間食べたいと思うに任せてチョコレートチップクッキーを食べ続けました。
15日目以降はさすがにチョコチップクッキーには飽き、
その代わりありとあらゆる今まで禁じてきた食べたいものを食べ続け
半年で6,8キロ体重を増やしました。
それでもなお食べたいものを食べ続けて、最終的に二年で13.6キロ減量したのです。

ジェニーンは、彼女の奇跡は体重が減ったということではない、と言います
私もそう思います。
本当に大切なのは体重の話ではない、と。

私は二週間チョコチップクッキーを食べ続けるという風変わりなこの話の
どこにそれほど感動するのかと言えば
希望を持ってただ待ち続けるというのがどれほど難しいことか
ちゃんと想像がつくからです

おそらくは7キロも体重を増やしながらそれでも食べたいものを食べ続けることは
ダイエットをするよりずっと決意のいることでしょうし
人からも理解されないことでしょう。

ただ待つこと
自分の身体には素晴らしい知恵があって
それは必ず浮かび上がってきてきちんと働くだろうということを
信じてただ待つということ
今までのままで生きていたくない、
新しい生き方をしたい、と願う自分自身を信じること

それは
誰も保証してくれない、
誰も評価してくれない、
ただ自分だけが細々と信じる希望というものを大事にして、
どれだけ傷ついても不安にさらされてもそれは絶対捨てないという
大変な孤独な偉業だと思う

ただ待つ
希望を持ってただ待つ、という
このとても凄いこと。

(参考記事:二週間のチョコチップクッキー欲求

2007年05月01日

きつくて入らなくなったジーンズで
どうしても手放したくないのがあった
なんとなく、他の服の奥へ奥へと隠して
それでも捨てないで、とにかくそこにある
凄くよく似合っていたし、いいジーンズだったのだ

さて、きつくなったそのジーンズはなぜ捨てたくなかったのか
もう一度痩せてそれを着たいから?

そのジーンズを穿いて暮らした時間が素敵だったからだ
そしてその中にあった大切なもののひとつは今は失われてしまっている
勿論悲しいことだ

きついジーンズを捨てたくないという思い、
もう一度それを穿けるようになることの想像は
その時間に戻ることを連想させる
あの時の私
あの時の暮らし
あの時のあなた

ジーンズを捨ててしまえば
その時が失われてしまったことを認めるような気がする
ジーンズがそこにあれば
失われた時にまだ戻っていけるような気がする

だけど思い出なんてものは
きついジーンズなんて場所に宿るものだろうか
思い出というものは
そこにあるなあ、と思いながら毎回なんとなく目をそらせて
気にしているのに何ヶ月も触らないジーンズなんて場所に宿るものだろうか
とくにそれが美しい思い出であればあるほど
一体そんなわびしげな場所に宿しておいていいものだろうか

とにかくそれら思い出は確かにすでに失われたものなのだ

過去の思い出がどれだけ素敵なものであっても、
人は一生の間同じものだけ背負って生きていくわけじゃない。
過去がどれだけ素敵でも、未来の方がずっと素敵になるという可能性は
生きている限り永遠に消えない。
悲しいことであり、嬉しいことであり、勇気のいることだけど
未来において過去よりもっとよいものに出会う可能性は常にある

きついジーンズにまつわるこだわりは
それがとってもよく似合っていたということではなく
そのときの気持ちや暮らし方への憧憬に違いないけれど
そうは言っても、
どっちみち過去には戻れやしないのだ
将来どんなボディサイズになったって、何を身につけようと
過去が戻ってくるわけじゃない
ありのままの身体で暮らす未来がやってくるだけだ
そのときに、何を欲しがるかなんて、わからない

さて、そこにある、きついジーンズはもう処分しよう
あなたが本当に拘っているのはジーンズそのものではなく、
それを穿いて過ごした日々なのだし
だからと言ってそれを捨てなければその日々が戻ってくるなんて
ありえないことなのだ

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