ジェニーンのインタビュー5
ジェニーンのインタビュー記事訳の5回目です
→インタビュー1
→インタビュー2
→インタビュー3
→インタビュー4
→インタビュー5
→インタビュー6
元の記事
→An Interview with Geneen Roth
今回で終わらせる予定だったのですが、
情けないことに、また最後の部分が分からなかったので質問一つ分残してしまいました。
すみません、またよろしければどなたか助けてください。
最後の質問 What do you struggle with now7 What are your edges, your limits?(7はおそらく?のミスプリント)とそれに対するジェニーンの答えの意味がいまいち不明です。
「過食症なき今、あなたは一体何に悩んでいるの?」って話かなあ、
と思いながら最初は読んだのですけど、よく考えると
インタビューアーがそんなこと聞くか?そんな最大のプライバシーをわざわざ聞くのか?
というのがどうも不自然であるような。
ジェニーンの答えも分かるようでいて、ぎりぎりわかりません(笑)
どなたかヒントいただけると嬉しく思います。
RL: あなたは時を追ってますますスピリチュアルになり、より多く瞑想などの方法をとっていかれるように思いますが、それはなぜでしょうか。
GR: 私は25歳の時から瞑想訓練をしています。
それは日常の喧騒から離れて、心を占めている世界とは別の世界がが存在するということを知ることでもあります。
しかし私は人に何か宗教的な訓練を薦めたくないのです。
私の親しい友人の一人は敬虔なクリスチャンですし、こういったことは彼女にとっては信じがたい話です。
私は何か新しい精神的な活動を彼女に伝えようとは夢にも思いません。
彼女はすでに自分自身と神に近づく術があるのです。
私のワークショップに来る人もそれぞれがいろいろな方法を持っていますが、
どのように心のうちに注意を払うべきか、わかっていない人もいます。
毎日の中で一人でいる時間を作るのはそれを始めるのにもっとも簡単な方法です。
瞑想も大変役にたちます。
過食という問題を抱えた中で瞑想することはいちいち想念に深刻にとらわれすぎないということを身につけるのに役にたちます。
じっとしていること、心を観察することは、私たちは身体だけの存在ではなく、単に体重として計測される存在でもないという感覚をよみがえらせてくれます。
視野を広くすることにも役立ちます。
私たちは「指図するもの」--つまりずっと昔からしたがってきている行動のパターンと思い込みについて知る必要があるのです。
しばしばこの指揮官は何も考えずにただ闇雲にすすめ、というような指示まで出します。
しかし私たちはそれが真理であるかのうようにただ従います。
自分の身体に注意を向けることすらやめてしまいます。
私たちは全体性を取り戻すために、身体の存在を自覚し、一日に百回も腕と足に感覚を集中させます。
RL:なぜ手と足なのですか。
GR: 人が身体の中に存在しているということを自覚できる簡単な方法だからです。
私たちはまるで身体の外にある存在であるかのように生きていることがよくあります。
腕と足を感じることは普段自己嫌悪の的となっている身体へ戻っていく容易な方法です、
そしてそこには憎むべきものは何もないということが分かるのです
体重計の数字を恐れている多くの人にとって、この身体の存在を意識するという訓練は肯定的な方法で自分の身体の存在を意識する初めての経験になります。
自覚的になることは身体に対する感謝の気持ちを深めます。
結局のところ、私たちが悪口を浴びせかけるにも関わらず、身体はずっと傍にいてくれるわけですから。
想念というものは往々にして狂気じみていたり、空想じみていたり、架空のものだったりするということも、瞑想によって気づくことができます。
腰掛けて二十分間、頭に浮かんでくる考えについてよく観察すると、どれほど次々にそれが入れ替わるかに気づきますし
特大アイスクリームを平らげたいという思いもそれほど深刻なものではないということがわかります。
これは大切なことです。
私たちは自分たちが考えている通りのものであると信じ込んでいるのですから。


コメント
なんとなく訳してみましたが…いかかでしょう?(受験英語で、自信ありませんが…)
RL:今現在、あなたはどのようなことに取り組んでいらっしゃいますか?あなたの強みと限界は?
GR:私は今ではもう食べ物に悪戦苦闘してはいません。長年に渡り、私はいつも食べ物と食べることによって拷問されている、そして体重を減らすことさえできれば自分の人生が変わる、と信じていたことを考えれば、そのこと自体非常に奇跡的なことです。
今、私は自分というものをどのようにはっきりさせるか、についていろいろと思いを巡らし奮闘しています。時々、私は自分の過去であり、自分の条件づけられた過程であり、子供の頃自分に起こったことである、と確信します。つまり私という人間は、それらの想念、信念、自己イメージ、そして子供時代から引きずっている自分とはこうだという自覚のいろいろである、と。
それから、純粋ではっきりとした存在であるひと時~本当にほんのちらりと見るくらいの短い時間ですが~があります。
自分自身が自分の信念や条件付けの枠の中に戻るのに気が付いた時、私はもがき苦しみます。それは非常に苦痛です。
ですから現在の私の仕事の中心は、リラックスしたやり方で自分が自分であることを許す、ということです。私は食べ物によって、苦しみや痛みを伴うダイエットは、愛のこもったものでも有用なものでもない、と気が付きました。解決方法は、剥奪や批判、自己嫌悪ではなく、リラックスすることや内在する知恵といったものを信じることから得られるのです。
投稿者: E | 2007年05月20日 03:11
Eさん
ありがとうございます。
そうですよね、だいたい私と同じです。
ああ、やっぱりそうなりますよね。
いや、このインタビューアーは結局何を聞きたいのかよく分からないぞ、と思って(笑)
なんだか妙に今までの文脈から浮いてるんじゃないか、って思っちゃったんですよ。
考えすぎなのかな。
でも、他の解釈というのも特に思い浮かばないんですよね。
ご協力ありがとうございます。
近々アップさせていただきます。
投稿者: ノラ@管理人 | 2007年05月20日 21:46