「痩せたい」と500回言ったあとで
ほぼ日手帳という手帳を愛用しています
この手帳はページの一番下に一日一言、みたいなのが、
格言ではなくて、わりと面白い一言が書いてるのが
結構好きなんですね。
それでですね、5月15日にこんな事書いてありました
「世の中、金だけで動いてるわけじゃねぇよ!」っていうのも、
簡単には言いたくないんだ。
「オレはもう、金が大好きだ」ぐらいのことを500回くらいは先に言っときたい。
で、言っといたうえで、「・・・でも」って言いたい。
500回ぐらい言ったあとで、はじめて言える「・・・でも」があると思うんです。
<糸井重里が『「MOTHER3」の気持ち。』の中で>
500回ぐらい言ったあとで、はじめて言える「・・・でも」があると思うんです。
っていう、ちょうどこのことを、私は最近考えていたんですね。
「ありのままの今の自分を受け入れなくちゃ、と思うんだけどでもどうしても痩せたい!」
っていう話を最近何回か聞かせていただいたので。
自分の理想とする水準と現実の自分が合わない、という時に
”ずっと理想の方だけ見て七転八倒してきたけど
どうも現実の自分の方に根を下ろすべきような気がしてきた
でも、今まで「こうあろう」と思ってやってきたのは何”
っていう気持ちの対立が在る中で
「今の自分をありのあまま受け入れる」っていうのも
あんまり簡単には言わなくていいんじゃないか、
「今のままじゃいやだ、やせたい」ぐらいのことを
500回くらい先に言っといたほうがいいんじゃないだろうか、
っていうことを私は考えていたんです。
500回くらい言って、その後ではじめて出てきた「・・・でも」っていう
三日目の貝割れ大根みたいな弱い小さいひとことが
本当の新しい可能性ってやつじゃないのかなあ、って。
一生懸命何かを賭けて「痩せたい」と思ってきたのだとしたら
それはその人がミーハーだからとか
自意識過剰だからとか
ちゃらちゃらしてるからとかではやっぱりないわけで
その「痩せたい」のところに凄く真剣に自己実現の可能性を見てるからだって
私は思うんだけど
「痩せたい」を頭からまるまる否定してしまったら、
その自己実現の可能性の方はどこへ行くんだろう、って
それはやっぱり心配なんだな
社会が流すデマとか
世間の常識とか
賢そうなフリとか
そういうものに惑わされずに
「痩せたい痩せたい」って500回心から言い切ったら
「それほど十分に痩せてない自分には本当に価値がないのかな」
みたいな問いってのがそのときやっと出てくるんじゃないか、と
なんかそういうことを思うんです。
もちろん摂食障害の症状がなくなると
いろんないいことがあるとは思うんですけど
でもそれは「一刻も早くなくしたほうがいいものなのか」ってのは
ちょっとよく分からないですよね。
500回「痩せたい」を言ったら「でも・・」と出てくる人と
5回「痩せたい」を言うだけで「でも・・」と出てくる人と
いろいろ居るんじゃないかっておもうんですけど
500回より5回の方が偉いってこともないわけで
500回言った人は500回分の大きな「でも・・・」を持って帰ってくるんじゃないか、
ってことを思うんですね。
「痩せたい」と500回言ったあとで。


コメント
でも痩せたいです
私の価値が
それで決まるわけじゃないし
ありのままでいいんだって思うんですけれど
結局痩せたいです。
以前のように絶食しても、体が壊れても・・・とまではいかないけど
身軽な体でいたいです
まだ体が脂肪を手放す段階まで
きてないから余計そう思うのかなぁ・・・
痩せたい。と思いつつ今は
おいしいお菓子たちを片っ端から
食べてるところです(笑)
投稿者: みや | 2007年05月18日 15:45
みやさん
>痩せたい。と思いつつ今は
>おいしいお菓子たちを片っ端から
>食べてるところです(笑)
それは凄く健康ですよね。
良い点数を取りたいと思いつつ、
勉強しないで遊んでる、とか^^;
そういう子を見るとなんて健康なんだろうって思うけど、
本当はそういうところで
「でも・・・やっぱり・・・」なんて呟いてウロウロしながら
あんまりドラマチックじゃない人生を楽しみながらやっていく、っていうのが
健康ってやつなんだなあ、って。思います。
何のお菓子にはまってるんだろう?
何かこう、凄くはまる期間ないですか?
「ポテトチップス期」とか「アイスクリーム期」とか(笑)
投稿者: ノラ@管理人 | 2007年05月19日 09:51