みんな、やせることに失敗している (4 体重セットポイント説)
「みんな、やせることに失敗している」からの記事です。
体重のセットポイント説は皆さんご存知なのじゃないかな、とは思うのですが
ちょっと改めて取り上げてみます。
人間の体内にはある一定の範囲内に体重を維持しようとする防衛機構があって、その維持しようとする体重の幅というのは、一人ひとり遺伝的に規定(セットポイント)されているというのです。
そして、もし一定の範囲以上にふとったりやせたりすると、それにしたがって代謝効率を変化させて、それ以上体重が変化しないように調節します。
つまり、細めの人はもともと細めに、太めの人はもともと太めに、「なるように生まれついた」のであって、病的な肥満はこの防衛機構に何らかの異常が起きているのだろうと説明されます。
このセットポイント説は、太りすぎに悩む人たちを当惑させるものでした。専門家の中には疑問視する人もいます。
だけど、太ったりやせたりすると代謝効率が変化するという点は誰もが認めるところです。
そして、こういう情報の都合のいいところだけを都合のいいように吸収してしまうのが
私の能天気なところなんですけども、
初めてこれを知ったときに何が気に入ったかって「体重って意志で操作するものじゃないじゃん!」というのが新鮮だったんです。
「あ、どうにもならないんだ、太るのが嫌だろうがなんだろうが、私がどうかできる問題じゃなかったんだ!最初から諦めるしかなかったんだあ!!」
と、肩の荷がおりまして(笑)、「しょうがない」ってなんて素敵な言葉だろう、なんて思ってたんですけど。(っていうと明るいけど、実際は色々葛藤もありましたけどね)
でも確かによほど自分の意志の力を駆使して意図的に体をいじめたりしない限りは
上下幅五キロ以上は動かない、っていう実感はあります。
五キロ、ってそんなに少なくはないですけどね、
でも増えた時に「チェっ、早く減らないかなあ」とかぶつぶつ考えながら
自分は好きなものを好きなように食べる生活ができるようになると
なんかガラスの天井を割ったような自由さを感じるのですよね。
ただ「専門家の中には疑問視する人もいます」というのはこの論を紹介する文ではたいてい書き添えられているもので、たしかに良く考えるといろいろ疑問は出てきますよね。
本当に健康上の理由から肥満に取り組みたい人はどうなってしまうんだろう、とか。
そのあたりのことは分からないので、私は今のところ自分に都合の良いところだけ抽出して深く考えずにいます。
これまでのダイエット理論では、消費するカロリーより摂取するカロリーが少なければ、その分だけだんだんやせていくということになっていました。
例えば毎日ご飯一膳分180キロカロリー減らせば、体脂肪20グラムを燃焼させることになり、十日で200グラム、100日で2キロ、一年で約7キロ痩せられる、と。
ところがこれが現実は机上の計算どおりにはいきません。
やせればやせるほど代謝も弱まって、それまでと同じダイエット・メニューではやせられなくなります。
やせるためにはもっとカロリーを落とす必要が出てきて、途中からダイエットがエスカレートするのです。
そのうえ、少しでも食べ過ぎるとパッと体重が増えるので、だんだんと緊張し、身構えて食べるようになります。
そうでなければ、食べ過ぎたと思ったとたん、混乱してもっと食べ、ヤケになってさらに食べて挫折。
たとえダイエットがうまくいって、目標の体重までやせられても安心はできません。 ダイエット前の食事に戻したら、たちまち太ってしまい、それまでの努力も水の泡。
ダイエット前ならそれだけ食べても体重は変わらなかったのにね。
だからたとえやせても、ダイエット・メニューをずっとずーっと続けていかないと、やせた体重を維持できません。
このあたりの文章はマイクロダイエットあたりに持って言って意見を聞いてみたいですよね。
「私たちは一生の間ずっとずっとずーっとこのドリンクを食事代わりに飲むってことになりますか?」って^^。
さて、「食事療法と並行して運動療法を取り入れれば、代謝効率の低下を防ぐことができるんじゃない?」という予想される反論について、の説明です
たとえばダイエットをしていて、あるところからガタガタと体重が落ちることがあります。
「面白いように体重が落ちていく」と言うとき、筋肉が分解していっていることを考えなくてはなりません。
あなたの理想とする体重が標準体重の85パーセントくらいだとしたら、いくらプロテインをとり、運動をしっかりやっても、贅肉よりも筋肉がおちていく危険が高くなり、その結果、代謝も弱まってきますし、健康も損ないます。
摂取カロリーを控えて激しい運動をしていると筋肉が減っていく、というのは
「ダイエットやめたらヤセちゃった」にも実体験に基づいて書かれていることですが、
これは体感として納得できますね。
「じゃあ、どうしたらいいのーっ。」っていうと、
結局は「しょうがないじゃん!」に到着するしかないんだろうと私は思うのですけど、
ただ「しょうがないじゃん!」を受け入れるのって、やっぱり苦いよね、って思います。
今まで努力してきたことであればあるほどそんなに簡単に諦めたくはなくて
やっぱり最後まで努力しつくしたくなるし、
じゃあ、努力すること自体がダメなら私はどうしたらいいの?って思うし
そんなに簡単に「そうですか」って変えられる意識なら誰も最初から苦しんだりしないし。
「じゃあ、どうしたらいいのーっ。」
「じゃあ、どうしたらいいのーっ。」
って大きい声で叫びながら
「しょうがないじゃん!」のほうに向かってちょっとずつホフク前進していくしかないのかな、って
「ありのままの自分を受け入れる」なんて言葉で言ったら一言だけど
実際は自分のアイディンティティに関わるぎりぎりの真剣勝負だよなあ、
って、本当は思います。
↓「みんな、やせることに失敗している」関連記事
1 パターンを変えてみる
2 やせたらしたいことリスト
3 過食症からの回復
4 体重セットポイント説
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コメント
セットポイント説、なるほど、なんて思ったりしています。成長期終盤から摂食障害だったので、「真の」自分の体重を知らないのですが、鬱になって薬を飲む前、実家で普通に3食食べて、6年間くらいキープしていた体重(55kg)がベストだったのかなあ、と。プラスマイナス2kgくらいでしたね。太ったと思っても、痩せたと思っても。遍路に行って1日30km歩いても減りませんでした(筋肉質になって細くはなりました←毎晩ごはんを4杯は食べていたからそれは痩せないかも、と、思ったり)。帰って体重計に乗って、脱力したのを覚えています。今はそれより3kgくらい多いですが、去年の12月くらいは70kgを超えていて、それからすごい勢いで減って、60kgを切ったあたりから減るスピードが落ちてきたので、やっぱり、身体に合った体重はあるのかな、と、実感として思う次第です。もうちょっと少ない体重がセットポイントだと、ありがたいんですけどね・・・
それでは、また。
投稿者: Noko | 2007年05月10日 15:53
自分が知ってることはなぜかみんなも知ってるもんだ、と思ってしまうんですが、
そうかNokoさんがご存じないとなると私が思ってるほど一般的に知られてないんですね。
ちょっと関係ないですけど、Nokoさんが時々語られる歩き遍路のイメージって私凄く好きです。「えっ、ここは飛ばしていいんじゃないの」っていうようなとんでもないところにある札所も、なぜか分からないけどとにかく全部行くわけですよね、ご飯四杯食べながら。
なんかそういうのをNokoさんがしていたってのは、いいなあ、素敵だなあ、っていう感じが凄くする。
一日三十キロは凄いですよ、私も歩きで旅行しましたが、頑張って20キロでした。
野営道具がかなり重かったせいもありますが
投稿者: ノラ@管理人 | 2007年05月11日 08:22
セットポイント説、聞いたことはあってもきちんと知らなかったのは、わたしが不勉強なだけかもしれません^^;; 「知りたくなかった」のかもしれませんけれど。子どもの頃から太めだったわたしとしては。
http://www016.upp.so-net.ne.jp/noko2/henro/henroindex.html
遍路日記です。19番までは前の年の夏に行って、暑さで挫折しました。だから、web上に記録してあるのは19番以降です。うん、全て、いい思い出です。「次の次の寺は駅の近くだから、そこから電車に乗って帰る」なんて思うことはほんとうに何回もあったのですが。(帰ろうにも十数キロ歩かなければ、交通機関もなく、下手をすれば人にも会わず、どうやっても帰れない場所がたくさんあります)
ほんとに休職延びたら、遍路してこようかしら。いくらなんでも、あの生活で不眠はないような気がするんですよね。
投稿者: Noko | 2007年05月11日 12:59
Nokoさん
ありがとうございます。
面白いです、遍路日記。
これは今こっそり隠しているもの?
リンクさせていただかないでそっと読んでたほうがいいんだろうか?
一回ではさすがに読みきれないものですから・・・。
竜馬記念館の前で半泣きになるNokoさんが普通に弱虫で可愛らしいです。
私も歩いてる時よく疲れすぎて泣いてました。
本当は去年の今頃かな、私も行きたい、と思ったんですね。
今、私、人の役に立つことっていうか生産的なことっていうか、社会的に認められることっていうか、
まあそういうのを一切何もしてないわけですけど、
「これをもっと推し進めて、もっともっと役に立たない人間になって、
徹底的に役に立たないことに開き直ったとき、私は何のために自分が生きていると考えるだろう」ってなことをふと思って、無銭歩き遍路、考えたんですけど
まあ考えただけで、やっぱり凡人だから「そんなことより人の役にたつ(生産性のある)ことしたい!」っていう下心が出てくるんですよね。
一度そういうこと考えてしまうと「金」とか「時間」とかに注意が向かって結局できなくなる。
考えただけでやらない私みたいな人はいっぱい居るんだけど
泣きながら歩いたNokoさんはやっぱ凄いですよね。
うん、でもやりきってしまうところがNokoさんの苦労でもあるんでしょうかね。
でも、Nokoさん、今いったらやっぱり頑張りすぎてしまうんじゃないですか。
ああ、でもいいのかなあ、どうなんだろ。
・・・一緒に行きたくなってきちゃったし(笑)
投稿者: ノラ@管理人 | 2007年05月11日 16:28
今までせっかくこっそり残していらっしゃたなら
今のところ私もこっそり個人的にお気に入りに隠しておこうかしら。
Nokoさんがどこかにリンク貼られたら、私も貼るという感じで。
ブログって便利ですけど、やっぱりこういうこつこつ作ったものの方が個性が出ますね。
でもこれ、まさか手書きHTMLでしょうか?
「な、何者・・・・?」と思わず(笑)
Nokoさん、本当になんでもできますね。
投稿者: ノラ@管理人 | 2007年05月12日 08:18
お気遣いありがとうございます。
うん、あの時代は、ほとんど手打ちです。誰もがそうでした。一部、ソフトは使ってましたけれど(ボタンを押すと面倒なタグを書いてくれるソフトですね)。スタイルシート(書式・背景などを設定するファイル)も手打ち。色も、6桁のコード指定(3原色x16進法)で微調整して。タグ辞典、持ってました。きれいなサイトを見ると、ソースを見て、なるほど、と感心したり。親切に「作ってくれる」ソフトもあったのですが、ソースが汚くなるので、だんだん使わなくなっていきました。画素数が少ないパソコンへの対応を考えたり、処理速度を考えて画像は載せないことにしたりとか。まあ、6年近くやっていたので、進歩はしました。
・・・時代錯誤ですね^^;;隔世の感があります。あのサイトは、ある意味完成してますね。自分自身、あれ以上どうしよう、というネタはないです。中身的にも、デザイン的にも。
投稿者: Noko | 2007年05月12日 23:31