ジェニーンのインタビュー 3
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元の記事
→An Interview with Geneen Roth
今回はあと質問一つ分多く訳すはずだったんですけど、
訳せないところがあったので最初の予定より短めでアップします。
今日残した部分は明日以降に訳していきたいと思うのですが、
自信ないものですから、どなたか分かるかたがいたら
教えていただけないでしょうか。
今日の訳した分に続く質問
RL: In your most recent book, you recommend that readers "let go of friends who don't want the best" for them. This was striking to me; it's a subject not often mentioned in the context of food and eating.
とそれに対するジェニーンの答えがちょっとはっきりつかめません。
分かる方いらっしゃいましたら助けていただけるとありがたいです。
RL: 食べることを自分に許可するというのは深刻な過食行動に悩む人にとっては恐ろしいことに聞こえるのではないかと思うのですが。
GR: その通りです、皆食べることがやめられなくなるだろうと不安を持ちます。
「私が特大サイズのアイスを丸ごと食べてしまうのを何が止めてくれるの?」と彼らは言います。
まあ、食べている間自分が何をしているのかわかってさえいれば、具合悪くなったときに食べるのをやめるでしょう。
でも彼らはそのことを考えません。
「ダイエットをやめなさい」というのは果てしなく食べ続けなさいと言っているように聞こえるのです。
あまりにも長い時間を減量に費やしてしまったためにダイエットと過食行動しか知らないからです。
RL: ペースを落としたり注意深くなったりすると、過食にならないというのは、どのようにしてでしょうか。
GR: 自分のしていることに注意を払っていれば、食べ過ぎるというのはとても難しいことです。
強迫行動の殆どは無感覚になろうという試みです。
その反対の行為は注意深く、意識的になることです。
禅宗の教師であり作家であるエド・ブラウンは私に禁煙について話してくれたことがあります。
鈴木老師にどうやってタバコをやめたらよいか聞いたとき、老師はやめるためには、その行為に敬意を払うことだと言ったのです。
だから彼はタバコを欲しくなるたびに、それを美しい布に包み、タバコにお辞儀をして、吸い終わるときには儀式をしました。
大切なのはタバコを吸っている間自覚を自分の行為に集中させるということです。
エドはやがてタバコを欲しがらなくなったといいます。
全体的な経験となったために、喫煙はあまり楽しいものではなくなりました。
喫煙に多くの時間と注意を向けたとき、彼は喫煙がどんな感じがするものかに気づき、それをしたくないということが分かったのです。
強迫的摂食をする人は、感覚を押しやり、我を忘れるために食べます。
充分になったことを自覚すれば、食べ物を喉に詰め込み続けることは難しくなります。
殆どの人は呆然として我を忘れて過食をしているので、それが不可能ではないのです、でも辛いことです。
彼らは感覚を鈍らせるために食べています
自覚的になるということは自分を生き返らせることであり、その経験を目覚めさせ、
味わいと感覚を楽しむことです。
しかし生まれつきコントロールがきかないと信じ込んでいる人々にとっては喜びや豊かさという考えは恐ろしいものです。
はじめに私は、食べ物が過食の引き金になって、人を無感覚にさせるということも自覚できるようになるように励ましています。
好きだけれど比較的過食につながりにくいような食べ物を自分に許すようにしていく人もいます。
RL:あなたのワークショップは従来の減量方法やダイエットとは結局はどこが違うのでしょうか。
GR: アトキンスダイエット(参考記事1)やジェニー・クレイグ(参考記事2)は人々に何をすべきか、何が良くて何が悪いのかということを言います。
私は人々に生来の知恵があると言うのです。
寛容の知性と知恵、ボディとマインドとハートの知恵です。
ダイエットプログラムはもし警戒をゆるめたら、人々は瞬く間になにもかも貪りつくすだろうという前提になりたっています。
そのために、貪る衝動は、監視して取り上げる力によって押さえつけていなければならないのです。
そこにあるのは常に二つに一つです。
貪っているか、奪い取っているか、飢えているか詰め込んでいるか。
でもそのどちらもやめてしまえば、常にそこにある内なる知性が自然と現れてきて、自分を悪と決め付けることをやめるのです。
多くのひとはその内なる知性はあまり充分機能していません。
機能する機会を与えてこなかったためです。
他のあらゆるものと同じように、注意を払えば払うほど、それは応えるようになるのです。
でももし他のものにばかり注意を払う人生を送っていたら、指図され、虐げられ、何をすべきかを言われてばかりいたら、自然の知性が浮き上がってくることはできないでしょう。
その存在を認めて、注意を払わなければならないのです。


コメント
私も、つい原文読んで(・・?って感じだったのですが・・
私的には、
「最近ジェニーンさんが出版されている本において、自分に対してベストでない選択をとるもう一人の自分を解放する(=偏った自己判断する意識?をOFFするみたいなもの?)ことを提案していますね。食・食事するといったことに対してこのような主張をされていることは、私自身(インタビュアー)にとっては、かなり衝撃的だったんですが・・・
J.R→自分の不幸さや周囲からの評価に対して必要以上にびくびくするようなもう一人の自分に対して、痛みや苦しみといった気持ちをもって向かい合うことを止めて欲しいといいたいんです。私たちは体重を“測る”ことはあってもそれに振り回されるべきではないのに、こういった食や体・体重についての苦痛は常に多くの女性たちにとって問題になっています。
自分自身の評価を体重やスタイルの良し悪しでつけるといった傾向は、他の事(※注1)に対しても当てはまると思います。自分自身と向き合うときに辛いと感じているとき、こういった思考から気持ちを切り替えることが難しくなります。
サイズにとらわれずに生きていけるということが分かれば、体重に対する強いコンプレックス・こだわりは驚くほどちっちゃくなってしまうことが分かるはず。サイズに対するこだわりから脱することができればそれについて考える時間も減るでしょう。
もし、自分自身の評価を体重やスタイルの良し悪しでつけ、そのことで自分自身と向き合うのが辛いのならば、そこから抜け出すことを望みましょう。そうでなければ自分にとってももう一人の自分にとっても辛くなるだけです。
自分自身と向き合うとき悲しみが大きければ大きいだけ、今までの形でのもう一人との関係を終わりにすることは難しいでしょう。
でも、悲しみ・辛さだけがつきまとう、もう一人の自分自身との関係は、悲しいだけだし、なによりあなたがそこから育つことはできません。」
・・みたいな感じでしょうか??
無い知識をひねって訳したので、全く自信が無いのですが、自分の役を誰かに読んでアドバイスしてもらって、直すところは直せたら英語の勉強になる気がしたので・・
注1→いまいちハッキリしなかったのでごまかしてしまいました(^_^;)
投稿者: ema | 2007年05月16日 08:44
こんにちは
体重が増えてから初めて、
痩せてた頃の私を知っている友人に会いました。
自分にとっては
心がざわつく出来事であり、不安だったのだと思います、
過食っぽい感じになりました。
ある程度お腹いっぱいを過ぎて、過食しつつある自分に気づきながら食べ物を探していたのです。
その時、ここで読んだことを思い出し、
「お腹いっぱいならもう食べ物は必要ない」
「食べられるのはこれで最後なわけじゃない」
「食べ物が何か埋めてくれるわけじゃない」と呟き、過食っぽいところで終われました。
過食ってすごい体に負担だなぁって思います・・・ ずっと胃が重いし・・・
次の食事おいしく食べられるためにも
適度なトコで終わらすのがいいですよね
ちなみに友達はいたって普通の対応でしたヽ(°▽、°)ノ
投稿者: みや | 2007年05月16日 15:50
emaさん
ご協力ありがとうございます!
こういう風に勉強会風にみんなで読んでいけるようになったら嬉しいなって
実は私思うのよね。
一人で長いもの読むと、面白いにも関わらず、孤独で飽きてくるものだから。
"let go of friends who don't want the best"が分からないと
使ってある単語がどれほど簡単でも訳せないんだよね。
いくら辞書引いてもわかるもんじゃない、という
ひとりで取り組むにはかなりお手上げだったんですが
凄い協力助っ人の手によってどうやら正解を発見しましたよ。
friendはどうやら本当に友人のことです。
読むと「あー、そうかっ」って凄い感動を覚えるから読んでみてください。
そして「分かってみると簡単じゃん」と思ってちょっとへこむ・・・。
もしemaさんも英語お好きでしたら、
また分からなくなったときは知恵を貸してください。
おかげさまで結構楽しい思いであれこれ訳してみることができました。
投稿者: ノラ@管理人 | 2007年05月16日 23:42
みやさん
切実に、わかります。
「太った、って思われてるんじゃないかな」って考えることって
凄く怖いですよね。
でも実はそう思ってるのは自分であって、相手ではないものなんですよね。
私たちの不安の原因と私たちの外見の間には、
全く何の関係もない、ということを非常にしみじみ感じます。
過食、しても全然構わないんですけども、
やっぱり苦しいことだから本当はしないほうが自分が楽なんですよね。
>次の食事おいしく食べられるためにも
>適度なトコで終わらすのがいいですよね
まさに。
本当、そうですよ。
投稿者: ノラ@管理人 | 2007年05月16日 23:51