マトモって面白いですか? (コミュニケーション不全症候群より)
下にあるのはダイエット情報誌FYTTEより引用した摂食障害の誌上相談の内容です。
「情緒不安定で、脱力感と気だるさに悩まされる毎日です。打ち込む目標があるにもかかわらず、寝ても覚めてもいつでもどこでも、頭の中身は食べることでいっぱい。 私は現在身長160センチで45kg。いつも太るのが怖くて、食べたい欲求を満足させるまで食べ、そのあとトイレで胃液が出るまで吐き出します。以前から普通に食べても吐くというパターンを4年ぐらい続けていて、今は限度なく食べるのでノイローゼ気味です。彼とのデートのときも何をどれくらい食べたらいいか決められないんです。 何も手につかず、一日中ダラけ、緊張感もなく、興味は食べものだけなんて生活から早く抜け出したいのにきっかけが見つかりません。このまま、落ち込んでノイローゼになりそうでこわいのです。」
この投書にたいして著者はこの相談者が「ノイローゼになりそう」
であることを心配していることに対して注目をします。
「今、すでに」ノイローゼの状態にいるにも関わらず、
彼女にとって心配なのは「今」ではなく「ノイローゼになる」ことである、
という点に関して取り上げている著者の考察を引用します。

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「ノイローゼ」という言葉で彼女がどのような状態を想像していたにせよ、それは明らかに決定的な不適応、社会からの脱落、逸脱、のイメージであったろう。
そして彼女が恐れているのは逸脱と不適応であって、「どうして自分はこのような状態になったか」といういまの自分のありさまへの関心はない。
おタクたちが「どうしておタクになったか」と訊かれても絶句するであろうように、彼女は「いま自分がどのような状態であるか」よりもずっと、「今にノイローゼになって社会生活の不適応者になったら」ということだけに恐怖を抱いているのだ。
これは何を意味するかといえば、もっと端的に言うと、彼女は「自分自身に対して興味を持っていない」ということである。
彼女は自分を愛していない。
だからいま自分がどのような状態にあろうとかまわないのだ。
だから社会から自分が拒否され、はじきだされることを異様に恐れている。
もし自分に対して本当の興味と憐憫が持てたならば、彼女はおそらく「ノイローゼになったら困る」からではなくて、いま「快適でない自分」をどうしてなのか、その原因をつきとめ、もっと自分を快適にしてやるために努力しなくてはならないと感じるだろう。
自分がいまどのような状態になるかをちゃんと知るためには、自分が快と感じているのか不快と感じているのか、それはなぜなのか、自分のせいか誰かのせいか、どうすれば自分は快適と感じることができるか、自分は何を欲し何を欲さないか、ということを全て自分自身で知覚できなくてはならない。
事態が絶望的であればあるほど、状況を変えようと試みるのは困難になることを
私は身にしみてよく知ってるし、
そしてそうやって本質的な状況を変えたくはないのだけれど
それでも何か努力をしていたくて、
状況を変えてくれる魔法の何かがあると信じたいがゆえに
結局は効果のない、キャッチコピーだけの古典的なダイエット法が
いつもいつも売れ続けるのだという仕組みも、体験的に知っている。
状況をできるだけ変えないで、でも「努力している」という安心感と
「この苦しみはいつかの救いのため」であるという手の込んだ自罰感は欲しい、
という出口のない袋小路に入っていて二度と出てきたがらないのは
快適で安らいでいて自分を信じている、
という経験が殆どないから怖いのだ、と思う。
ダイエットをやめたあとの世界は新しい
極端なはなしが、はじめて自分が生き物だということに気づくのである
生きている限り心と身体が一致団結して
可能な限り「快適」なほうへ向かっていこうとする
私自身はそのどこにもふたをしない、だけである
自分が生きる「権利」のある生き物だというのは全く新しい発見だ
一方で、自分は変わっても世界は変わらない
太ればいちいちチェックされ、痩せれば褒められる。
ところがそういうまなざしを「傷つくから止めて欲しい」
というだけのボキャブラリーを私たちはこれまで学んできたことがない
一体、人と人とがコミュニケーションをするときに
「それは不愉快です」なんてことを果たして言えるもんだろうか
相手が怒って、許してくれなかったらどうするんだろうか
そんなことをするより、
ノイローゼになってでも痩せておくよっぽど楽なのではないか?
「太ったな」という言葉は「生きている価値がないな」という意味ではないことを
判断できるだけの自信を身につけなくてはならない
人間関係がうまくいかないのは身体に贅肉がついているからではなくて、
どこかでコミュニケーションがすれ違ってしまっているのだという苦痛を認めなくてはならない
そして必要あらば「痩せてるほうがえらい」という無言のプレッシャーに対して
「自分はそうは思わない」といえなくてはならない
どうやって、そんな気の遠くなるほどのトレーニングを積むのだろう
著者はあとがきでこんなに面白いことを書いている
私はやっぱりヘンタイだと思いますが、ヘンタイは楽しいです。あなたそんなにマトモって面白いですか?道を踏み外さないとそんなに安心ですか?
--中略--
この本のなかで書いてあることは、ひとことで云えば、いまの世の中、ヘンタイにならんで生きてゆけるほうがどうかしてるんだぜ、ということです。
また、ヘンタイの底に希望が見える、というようなお話でもあります。
私が一番怖いのはマトモな人です。
私が一番キライなのは偉い人です。私が何より苦手なのは立派な主婦のかたと自信たっぷりのおっさんです。
そういう人、つまりは由緒正しいお父さんとお母さん軍団のために私たちはこんなに苦しまなくてはなりませんでした。
ヘンタイの底に希望が見えるそうです。
(この著者さんは今流行りのBOYS LOVEの礎を作った人です。)
私も、摂食障害の底に可能性が見える人です。
そして、わたしもちょっと思ったことがあります。
「マトモな人たちばかり鬱病にも摂食障害にもならずせっせとマトモな社会を作って、
マトモでない人たちを締め出すことに集中している。」
という感じ。
たぶん、「マトモになるため」であれば
わざわざ摂食障害という適応から「治る」必要はないんですよね
「マトモ」になるために、この痩身崇拝社会に丸腰で一人立ち向かう、なんて
そんな希望も何もない、おっかないばかりのこと、しなくていいんじゃないでしょうか。
正論の好きな家族を喜ばせるためになら、
そんな危ない綱渡りは、しなくていいと思います。
きっと、摂食障害の底で、別の方法を見つけた人というのは
自分が今、苦しいことに気づいてしまって
そして生きることはもっと楽しいんじゃないかという気がしはじめたから
だから自由を求めようと思いついたのだし
だから不当な迫害に対して「怒る」ことを覚えたのだと思います。
あなたそんなにマトモって面白いですか?
いいですね、これ(笑)
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