フェミと母と私
「お前は頭が良いのだから、人前でものを言うときは気をつけろ」
ということを、私は母親からしばしば言われた
十歳になるかならぬかの頃からだ
分からない顔をするとこう言われる
「お前は頭がいいのだから、意味わかるだろう」
それ以上の説明はしない、ということだ。
頷く。
不吉な宣託はそれで終わり。
脅迫、というには確かに
そこには愛情が混じりすぎてはいた
私にはひとつ違いで兄がいる
幼い男の子は一般に言葉の発達があまり早くないものだと思う
語彙の増えるのが極端に早く、思ったことを自在に言葉にできた妹に比べて
兄はぐずぐずして見えるほどうまく喋れなかった
その兄について人に話すときは
「思ったことをもっと言えるようになって欲しい」と
母はしばしば語っていた
息子にはもっと喋るようになることを望み
娘にはもっと喋らないようになることを望んでいた
ということを
最近初めて関連付けて思い出したのだ
母はおそらく私が「女だから」というので
できるだけ喋らないようにさせたい、という意識はなかっただろう
ただ、きっと「この娘は当然自分と同じ生き方をする」と
漠然と信じ込んでいただろう、というふうには思う
そして母の生活にとっては
「自分の思っていることを極力言わない」
というのはとても大切なルールだった
だから、娘が苦労しないように
早くから黙り込むことを教えてやりたかったのではないだろうか
「気をつけろ」といわれ
「生意気だ」といわれ
たしかに自己主張というものは
私の中から首尾よく姿を消した
そして後になって
逃げ出すようにして強引に家族のもとから離れたとき
一人になった私は自分のしたいことがまるきり分からないということにひどく驚いた
誰かを見て、「その人が私に何を望んでいるのか」を
あの手この手を使って推測する以外には
自分がどうすべきなのか、ということを測る術をまるきり持っていなかった
私に対して、誰も何も望んでいない
そして私は、自分のために何も望んでいない
私の食行動の異常が始まった頃は、極端に金のない生活だった。
自分の収入を計算して、使える食費は一週間に2千円だった。
一日の食事を一回にした。
朝履いて出たジーンズが夜の帰宅時には酷くずり落ちるようになった
勉強のために図書館にいくとなぜか、
食べ物に関する本ばかり延々と読み続けた。
頭の中は食べ物のことで一杯。
今思えば、最初の過食のきっかけは
飢餓状態に対する健康な生物学的反応だった。
しかし不自然なほどの量の食べ物を貪り食べる、という生活は
おそらく自分の内的な絶望や抑圧されたエネルギーと
うまく共鳴してしまったのだ
私に対して、誰も何も望んでいない
私は、自分のために何も望んでいない
醜い行いは自分に対する当然の罰であるような気がした
そして当然の罰を受ける、という発想に強烈に惹かれた
私は罰を受けて当然だ、という思い。
なぜなら、私はそのとき、
それまで信じてきたものを殺してしまわなければならなかったのだから
確かに母は自分と同じ「沈黙」というプレッシャーに耐え
同じ苦労を分かつ朋友になることを
娘に対してとても強く望んでいた
そして娘は気の毒な母にいつも同情しながら
その不吉さに対して漠然と恐れを抱き続けた
だから私が一番最初に摂食障害になったときに
自分の中の最大のアンビバレントというのは
母子関係の中で育てた価値観だった
「自己主張」と「沈黙」が
「不吉な母」と「気の毒な母」が
「主体性の理想」と「自己犠牲の理想」が
有無を言わさぬ強さで私の中で解決を待っていた
それは確かに母がくれたものだった
それはそうなのだ
だけど私が摂食障害を母子関係が原因の全てと言いたくないのは
生きていくということそのものが常に
「自分が望んでいること」と「自分が望みたいこと」という
アンビバレントを不断に統合していく試みに違いないと思っているからだ
一番最初の大きなアンビバレントが
「母からの贈り物だった」というのは無理からぬことではないか
それはいったい母親の「せい」なのか?
私は摂食障害になったことで彼女の「母親としての価値」を貶めたのか?
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コメント
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投稿者: faxless payday loans | 2010年06月28日 15:09