HOME過食症体験記>嫌悪される身体


私はずっと小柄でやせっぽちの子供だった
その頃はだいたいひとクラスに一人ずつくらい恰幅のいい子がいて
他の子より成長が早かったり、力も強かったりして、
ちょっと目立つ存在だった

自分自身が太りやすい体質だった母はよく
太った子はそれを「気にしてるかもしれない」から
からかってはいけない、と私に言った
そんなもんかな、と思った

「太っている」というのは単に「太っている」ということでしかなく
それを「気にする」というのはどういうことなのか
その頃の私はまるで見当がつかなかったのだ

思春期になって身体つきが変わってくるころ
ある日私の写真をなんとなく見ていた母が突然
汚いものを触るように写真を二本の指でつまみ上げて私にみせた
「これっ、背中に肉ついて」と
母は本当に嫌そうに言った

私の写真だ
たしかにそれまでの棒のようだった体が
厚みを持ち始めていて
数年前の写真に比べると違いは顕著だった

つまりそれが
私が自分の身体を非常に不吉なものだと思った一番最初だったかもしれない
背中についた肉は独立した悪しき物体で、
私自身とは異なる存在なのか?
あってはならない恥ずかしいものだったのか。
自分の写真をじっと見る。
そうか、これは見るもおぞましい姿なのだ。

「太っている」ということを「気にする」とはどういうことなのか
私はこのとき初めて理解したのかもしれない
自分の肉体のゆえに、こんな風に嫌悪されねばならないものだとは。

身体とは
単なる物体であり、
見られ、測られ、
摘み上げられ、眉をひそめられ
恥ずかしい、と断罪される
それほど恐ろしいものだと知り始めた
それが最初だった

私にしたってその写真一枚あってもなくても
どのみち人生のどこかで痩身崇拝という社会的価値観に巻き込まれはしただろうが
そうは言っても、確かにあの時の母がしたことは酷く想像力に欠けていた

おそらく母は案山子のような姿の娘が羨ましかったのだろう
いつまでも男の子のような体つきをしていると思い込んでいた娘が
自分の姿形に似てきたと思ったとき、
母はそれまでの人生で自分の身体を嫌ってきたのと全く同じやり方で
即座に娘の身体に嫌悪を示した
娘は「身体を嫌悪する」ということを発見する。

太った子はそれを「気にしてるかもしれない」から
からかってはいけない
と子供に教えてきた母が、そのとき知らなかったことが一つある。

自分の身体を「気にする」というのは、
それは実際に「太っている」ということを意味するのでなく
「身体は嫌悪される対象だ」
ということを信じ込んでいる、ということを意味しているのだ

身体を戦いの場とする葛藤は
次の世代に戦場を移した

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コメント

>「身体は嫌悪される対象だ」
ということを信じ込んでいる、ということを意味しているのだ

すごい、まさにそのとおりです。

yuiさん
「太っているかどうか」よりも
「太っているんじゃないかというコンプレックスに思っているかどうか」のほうが
生きていくうえでよほど重要ということに
やっと気づいた最近でございます。

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