可能性の病
子供のころの記憶だ
私は小学生だった
テレビのニュースで死刑廃止論をたまたまやっていたのを見て
幼いながらに「人間が人間を極刑で裁く」ということに対する不安を
おぼつかなくも口にしたことがある
一緒に見ていた母が答えた
「でも生きていてもしようがないようなやつは殺したほうがいいのじゃない?」
そのとき感じた漠然とした暗い気持ちを
どうやって言葉にしたらよいのかわからなくて
私はずっと長い間、そのときの不安だけを覚えていたのだけど
今ならあのとき感じたことを正確に把握できる
「自分が”生きていてもしようがないやつ”のグループに属していない
という判断はどこからくるの?」
ということが、そのとき私にはまるでわからなかったのだ
私自身も「生きていても仕方ない」という理由で
母のような「絶対正しい人たち」に死刑にされるのではないか
「生きていてもいいやつ」と「生きていてもしようがないやつ」の見分け方を
この世界の誰かが知っているのだ。そして私は知らない。
・・・私はどちらだろう?
「生きていてもしようがないやつ」は決して救われないのだろうか?
母はもちろんいつも「正しいこと」を知っている側であり、常に「裁く側」だった
私はもちろんいつも「悪いこと」をし得る側であり、常に「裁かれる側」だった
その構造は、ただひたすら私が「こども」であり母が「大人」である、
ということに由来するのだと信じていたのだ。
「大人」になれば私も「正しいこと」を知る側になり「裁く側」になるのだろう
というふうに、幼い頃の私は理解していた。
「大人になれば全部わかって、何も間違えなくなるのだ」と。
しかし違うのだ
この「死刑」というやつは「大人」が「大人」を裁く
しかも「こいつは生きていても仕方ない」という
存在そのものに対する裁きが下るらしい、
つまりは「裁かれる側の大人」というものも存在するのだ
そして自分がそれにならないという保証は、今のところない。
一体どうやって母が「絶対正しい側の大人」になったのか
その根拠がわからないことが私をいつも怖がらせた
「大人」と思っていた年齢に近づいていくにつれ
私すこしずつわかったことは
母が「絶対正しい側」でいられたのは
「自分の価値観以外の多様性に対する想像力を持たない」
という自ら決めた思考のルールのゆえに
自分の価値観に自信をもっていたからだ。
「自分は正しくないかもしれない」ということを
考えなければ良いだけだったのだ!
一方でこの私は幼いころから
「自分は正しくないかもしれないということに対する想像力」を
悲惨なほどふんだんに持っていた
その想像力ゆえに私は待っても待っても
「絶対正しい側の大人」に仲間入りできる機会はなく
常に「裁かれて」いて「裁かれること」が不安なままだった
のちには摂食障害、リストカット、売春まがいの行為、
あるいは精神科通いなど
両親の価値観の許容範囲からから遠く百万光年離れた行為を繰り返しながら
私が彼らに「死刑」を宣告されないのは
たまたま血縁にあり20年近い年月をともに暮らしてしまった、
という記憶からくる情状酌量に過ぎないのだろう、
とひしひしと感じていた
「私」が「私」だからではない
「私」がたまたま「娘」だから
だから「絶対正しいこの人たち」によっても、
ぎりぎり生きることを許されているのだ
娘であるという権利によってのみかろうじて生きながらえたこの「私」が
「他人」であれば、きっと今頃「死刑」だっただろう
しかし今度は、持ち前の想像力の中から
ことさら彼らに対する想像力を発揮して見るならば
彼らが生きることは
私が生きる延びることとは全く違った点において
私よりはるかにサバイバルだったのかもしれないのだ
「自分が正しくないかもしれない」などと、
ひ弱な娘と同じようなようことを呟いてひるんでいては
ほかならぬこの弱虫を育て上げることなど到底できないほど
彼らは最初に見つけた道だけを力のかぎり精一杯走り抜けることを
余儀なくされていた人たちなのかもしれない
「私」が「私」だから守り育てたのではない
「私」が「娘」だから守り育てたのだ
好きであれ嫌いであれ、理解できない生き物であれ
良かろうが悪かろうが
とにかくそれは間違いなく「娘」ではないか
私は他でもない「想像力の欠如」と「多様性の否定」によって
強固に安全に守り育てられたこどもだ
彼らは沢山のその他の可能性を暗に否定したのだ
ありえたかもしれない色々の道を否定し
ただひとつありえた今の道だけを唯一と信じ込むことによって邁進した
その長い苦闘の産物がこの娘、
いつも「彼らの価値観に合致しない」ことにおびえていたこの娘、
摂食障害という深い溝の底から、もっと新しい価値観
自分が生き延びていけるほどの多様性への想像力を引きずり出そうとして
かくも暴れまわった「想像力の欠如」の子だ
破壊されて断絶し、何かが新しくなる
ここにあるのは
「死を宣告される病」ではなく
新しい「可能性の病」


コメント
わたしが実家の両親にたいして感じていたことと酷似していますね・・・。弟も、同じように感じていたようです。
少なくとも父親は、その成育過程において、わたしとは比べものにならないほどのサバイバル体験をしたようです。そして何というか、愛情深く誠実でありつつ(それが得難いものであることも今ならわかります)、とても、偏狭で扱いづらいひとになってしまって、そこに嫁いだ元来天真爛漫な母は、少なくとも結婚生活はじめの15年くらいは、こどもの目から見ても気の毒になるような苦労を強いられたのでした。
多少想像力を封じ込めていたとしても、彼らがどうにか生き延びてくれたおかげで、今のわたしもあるわけで。おかげで苦労したし、と思うこともありましたけれど、まあ、100年単位の進化の過程だよ、と、今は思っています。
投稿者: Noko | 2007年06月22日 22:34
Nokoさん
まったく自信なくて書いたので酷似していると言われると嬉しかったりします。
急増してしてしまったいわゆるプチ鬱とか、ニートとか引きこもりとか、摂食障害、とか
そのあたりは全部、自分にひきつけて考えると「想像力の欠如のこどもたち」に見えたりもするんですよ。
私みたいに意識して「求ム、多様性」と声に出すタイプと、
完全に世界から自分を切り離して自分を守ることに没頭するタイプがいるようには思いますが。
でも兄弟間でそういう話ができるというのは凄いな。
私は、たぶんできないですね。
「家を出たきり帰らない」という行動が似てるので、何か近いことを考えてはいたんだろうな、というふうには思いましたが。
投稿者: ノラ@管理人 | 2007年06月23日 08:30