アンチダイエットと美容体重2
「美容体重を諦める必要はないけど、身体が太る権利を認めるってどういうことだーっ?」
というメッセージ頂きました。
前回記事はこちら
→アンチダイエットと美容体重
この話題の加熱ぶりって凄く興味深いですよね。
色々、意見質問くださってる皆様ありがとうございます。
返事追いついてなくてごめんなさい。
話の流れから考えて分かりやすい順に取り上げさせてもらってますが
頂いたご意見については全部参考させていただいています。

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「私はどうしても○キロになりたい」という気持ちを
もし諦められられるのであれば諦める方が良いですよ、きっとね。
完全に太っても痩せても本当に心からどっちでもいい、ってなると
その方が楽だし、わりと主張として一貫してますよね。
人に対しても自分に対しても「体型なんて関係ないじゃん!」って
心から言えたらやっぱり凄いと思います。
現代社会を生きる女の悟りの境地?って思う。
ただ、実際問題になるのは、
諦めることができるかどうか、だと思うんですよね
例えば私なんかは莫大な時間を使って
自分の摂食障害の道を辿りなおして言語化して
消化しきれなかった食物にまつわる色々なことを
言葉の世界でもう一度消化していこうとしているわけで
だから摂食や体型にまつわる諸々の痛みが
単に摂食や体型に関することだけを表しているわけじゃない、
社会との関わりかたとか生き方とかそういったものを表しているんじゃないか
というようなことを完璧に信じているわけですけども
それとは別のところで
「まあ、それでもやっぱどっちかというと私は痩せたいね」
という風には思ってるわけですよ
「美容体重を諦めないとダイエットをやめられない」というのであれば
またここで堂々巡りになりますよね
「諦めなきゃいけない」「諦められない」
「でも諦めなきゃいけないのよ」「でもやっぱり痩せたいの」
という風にやり始めるとまたこれは永久に続いてしまうと思うんです
諦められるのであれば諦めた方が楽だと思います
でも諦められないのであれば、そういう自分、
「痩せたい」でも「ありのままの自分を受け入れたい」という
その相反する二つの気持ちをどうやって一つの胸に収めていくか
というところに取り組んでいくしかないんじゃないかな
って思うんですね。
「痩せたい」という気持ちはどこにもやらなくても
ダイエットをやめることも自分を信じることもできますよね。
「怖い」というのは「不可能」ではないし
「難しい」というのも「不可能」とは違うと思うんです。
「私の気持ちとしては痩せたいけれども
身体が今チョコレートのドカ食いを必要としてあるのであればしょうがない」とか
「太ることはいやだけども、太っても私は私なんだからこれはしょうがいない」とか
「どうなるのか分からないのは怖いけれど、自由に生きたいから試してみよう」とか
そういうアプローチもあると思うんですね
本当に大事なのって、
どっちか片方にだけ決めてしまってもう一方の気持ちを排除して
「理論的にすっきりすること」、ではなくて
自分の心の中の二律背反を無視することなく
どれだけ一生懸命にありのまま抱き締めていくか
というところなんじゃないのか、という風なことを思いまして
そういう思いで書いているんですが、
どうだろうか。
もうね、私の言ってること、
もしかするとどこかとどこかで首尾一貫してないところあるかもしれないですけども
それしょうがないです
私がありのまま抱えようと必死に取り組んでいるアンビバレントであって
嘘ついてるわけではないです。
もう、なんか必死^^;

