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2007年07月31日

「美容体重を諦める必要はないけど、身体が太る権利を認めるってどういうことだーっ?」
というメッセージ頂きました。

前回記事はこちら
アンチダイエットと美容体重

この話題の加熱ぶりって凄く興味深いですよね。
色々、意見質問くださってる皆様ありがとうございます。
返事追いついてなくてごめんなさい。
話の流れから考えて分かりやすい順に取り上げさせてもらってますが
頂いたご意見については全部参考させていただいています。


「私はどうしても○キロになりたい」という気持ちを
もし諦められられるのであれば諦める方が良いですよ、きっとね。
完全に太っても痩せても本当に心からどっちでもいい、ってなると
その方が楽だし、わりと主張として一貫してますよね。
人に対しても自分に対しても「体型なんて関係ないじゃん!」って
心から言えたらやっぱり凄いと思います。
現代社会を生きる女の悟りの境地?って思う。

ただ、実際問題になるのは、
諦めることができるかどうか、だと思うんですよね
例えば私なんかは莫大な時間を使って
自分の摂食障害の道を辿りなおして言語化して
消化しきれなかった食物にまつわる色々なことを
言葉の世界でもう一度消化していこうとしているわけで
だから摂食や体型にまつわる諸々の痛みが
単に摂食や体型に関することだけを表しているわけじゃない、
社会との関わりかたとか生き方とかそういったものを表しているんじゃないか
というようなことを完璧に信じているわけですけども
それとは別のところで
「まあ、それでもやっぱどっちかというと私は痩せたいね」
という風には思ってるわけですよ

「美容体重を諦めないとダイエットをやめられない」というのであれば
またここで堂々巡りになりますよね
「諦めなきゃいけない」「諦められない」
「でも諦めなきゃいけないのよ」「でもやっぱり痩せたいの」
という風にやり始めるとまたこれは永久に続いてしまうと思うんです

諦められるのであれば諦めた方が楽だと思います

でも諦められないのであれば、そういう自分、
「痩せたい」でも「ありのままの自分を受け入れたい」という
その相反する二つの気持ちをどうやって一つの胸に収めていくか
というところに取り組んでいくしかないんじゃないかな
って思うんですね。

「痩せたい」という気持ちはどこにもやらなくても
ダイエットをやめることも自分を信じることもできますよね。
「怖い」というのは「不可能」ではないし
「難しい」というのも「不可能」とは違うと思うんです。

「私の気持ちとしては痩せたいけれども
身体が今チョコレートのドカ食いを必要としてあるのであればしょうがない」とか
「太ることはいやだけども、太っても私は私なんだからこれはしょうがいない」とか
「どうなるのか分からないのは怖いけれど、自由に生きたいから試してみよう」とか
そういうアプローチもあると思うんですね

本当に大事なのって、
どっちか片方にだけ決めてしまってもう一方の気持ちを排除して
「理論的にすっきりすること」、ではなくて
自分の心の中の二律背反を無視することなく
どれだけ一生懸命にありのまま抱き締めていくか
というところなんじゃないのか、という風なことを思いまして

そういう思いで書いているんですが、
どうだろうか。

もうね、私の言ってること、
もしかするとどこかとどこかで首尾一貫してないところあるかもしれないですけども
それしょうがないです
私がありのまま抱えようと必死に取り組んでいるアンビバレントであって
嘘ついてるわけではないです。
もう、なんか必死^^;

最終的には体重が減るなんてどうしたらわかるの?」という
記事で身体を外側から見てどう見えるかという話はしたくない、
というようなことを書いたんですが
その記事に関して頂くメールを見ていて、
どうもいたずらに不安を煽っているような気がしてきたので
ここであっさり節を曲げてちょっと具体的にアンチダイエットと体型の話をします。
言ってることが一貫してなくてすいません。えへ。

(・・・でも体重とか体型の話って、
あんまり気持ちよく素直にできないような気がするのは気のせいなのか?)

私がダイエットやめて、なぜか知らないけど体重落ち始めたときが
いわゆる「美容体重」といわれるところで安定したんですね。
(その道のオタクだけが知っているBMI値19という数字です)
何を飲んでも食べても太らない、ので
たぶん一生この体重のままなんだろう、とそのとき思いました。

あんまり意識してなかったですけども、色々楽だったですね。
私ってモテるよな、と思いましたし
(↑こういうのって一回ギャフンってなんないと分かんないよ、馬鹿だから)
「太っている」という悩みを持つ子に「気にしなければ痩せるよ」ってアドバイスするのも余裕でしたし
(↑これが回りくどい「自分の痩せた身体の誇示」であったことに気づくのはずっと後のこと)
大好きな興福寺の阿修羅像に顔が似てくるし
(↑マニアックですみません。昔から少年になりたかった私。)
「痩せてていいねえ」って、言われて特権階級意識もてるし、
どこで売ってる服でもだいたい試着の必要もなかったし
本能のままに何でも食べられるし、
まあ、相当に居心地良い体重でした。

でも美容体重で安定しているからその人生に満足するわけでは勿論ないので、
三年たったときに「生まれ変わる」くらいの決心をして生活の全てを急激に変えます。
環境が何もかも変わって、経済的不安を含めて
「どうにもならない不安」というのがぐっと増えたときに、
面白いことに体重も増えまして
いわゆる医学的な「健康体重」といわれる体重になったんです。
(ダイエットオタクは知っている、BMI値22とかいうやつです)
美容体重とは五キロくらい差があるんですよね。

五キロ増えると、「えー、増えちゃったよ」という気になりますので
過食症以降の骨肉の半分がジェニーン・ロスでできている私としては
きっと不安とか怒りとか、そういうものが体重を増やしているんだな、と思って
「そういう自分を直視」したらまたも体重も元に戻るかな、と、
「食べ過ぎることの意味」を思い出しながら食べることに意識を集中するようにしたんですね、
やや減りましたが、もとのところまでは戻らなかったです。

それでまあ、
要するにそういうのが今の私です
不満であれ、満足であれ、私はこの身体で生きてくわけです。

私の身体が今の生活を続けるのに「安定感」を必要としているのであれば
不安に対して太ることで生き延びようとするんじゃないかなって思うんです。
増えた体重に対して私や周囲の人がどういう感想を持つかということとは関係なく、
身体が必要なものを私が取り上げることできないですもんね。

「健康体重以下ならいいじゃん、私の痛みはあんたにわかんないわよ」
とか言わないでくださいね、
1キロ太っただけで罪悪感を抱えて人の顔を直視できなくなる、というのは
いかなる体重の女性にでも平等に起こりうることですから。
「健康体重以下ならいいじゃん、あんたは人に身体のことで馬鹿にされないでしょ」
とか言わないでくださいね。
はっきり言ってこの世に生きている女性はいかなる体重でも身体のことで理不尽に嫌な思いしてますから。
「健康体重以下ならいいじゃん、少なくても”健康”でいられる体重なんでしょ」
って言わないでくださいね
”健康”と”体重”が密接な関係がある、っていうのだって単なる迷信かもしれないんですから。

全ては、多分、そういう問題じゃないんです。
「不安」や「不満」や「自信のなさ」を身体に託すのに、
健康体重も美容体重も関係ないはずなんです。

「ダイエットやめたら、やっぱり美容体重はあきらめなくちゃいけないのよね。
わかってます、でもせめて健康体重になりたいんです。」
というような感じのメールをいくつかいただいたんですね。

うーん、まあ、別に諦めなきゃいけない、っていう根拠はないんじゃないですかね。
私はわけもわからず「美容体重」でしたし、
メール頂いたアンチダイエット派の方の体験談も、
(前は数字は書きたくない、と濁しましたが)
はっきり言って「美容体重」の範疇だと思います。
(メールくださった方、こんな書き方してすみません!
というか、変な言葉だね「美容体重」って。)
たしか祭子さんも「美容体重くらいにはなると思う」ってmixiで書いてらっしゃったように思うんですね
ログが見つからなかったので、不確かな発言で申し訳ないんですが。

ただね、思うんですよ。
それでも相変わらず、体型と体重のことが
頭と生活の中の中の大部分を占領しているのであれば
ダイエットやめる意味なんてなんにもないじゃないかって。

相変わらず体型がアイディンティティの大部分を占めるのであれば
ダイエットをやめて美容体重になったとしても
「ダイエットやめたら痩せちゃった、わーい」と思うよりも、
「こんなに簡単に痩せられるなら、完璧になるためにあと2キロ痩せよう」
と思ってまたダイエットを始めるんですよ。(って断定しちゃうけど、本当ですよ)
本当に何も変わらないですよね。
「痩せてるから自分を好きになれる」っていうんじゃ、
「太ってしまったら自分を好きで居られなくなる」という不安と隣あわせじゃ、
せっかく好きなときに好きなものを食べられる生活を手に入れても意味がないって、
そういった束縛の全てから自由になれるのでなければ何の意味もないんじゃないかって
私思うんですよ。

「痩せることを諦めなきゃいけない」とは思ってないんです。
(私からして生活が落ち着いたらまた体重も減るだろう」と無邪気に信じてますから)
ただ「身体には太る権利もある」し、
理想ほど痩せてなくても「やっぱり私」だし、
「私」ってのはいかなる状況下でも「私にとって大事な私」なんです

・・・というところから、出発したくて、ですね。
だから「私も、あの人も、この人もアンチダイエットで美容体重になりましたー!!」
って言いたくなかったんですよね。
でも「美容体重は諦めてください」っていうことを言いたいわけでもないんです。

2007年07月30日


他サイト掲示板で「ダイエットをやめたらヤセちゃった」
という話題が出てるのを教えてもらいました。

ちょっと興味深かったので、ご紹介したいのですが
リンクはってもログが流れそうなので、引用してしまいます。
(2ちゃんねる掲示板/スレッドタイトル「ダイエット やめ たら 痩せ ちゃっ た」
掲示板に独特の言語表現のされている部分のみ、
文意を損なわない範囲で、言い回しを変更させてもらいました。)

以下の引用はダイエットをやめることで痩せた人と
それについての情報を求める人との対話の部分です。

「まさにやめたら目標体重まであっさり落ちた ダイエットで食べちゃだめってされると余計食べたくなる不思議な心理 」



「ダイエットやめるってどういうこと? 食への執着が消えない・・・ 」


「飽きるまで食べ続けてみたら?私はそう決めた途端に食への執着が薄れて痩せた。 極端な食事制限→ドカ食いの繰り返しで2年で15kg太ったけど、3ヶ月で戻ってさらに痩せた。 その代わり、どうしても飲みたい・食べたいものは何であろうが我慢しないよ。 運動(有酸素と筋トレ)も一生続くぐらいのペースで楽しんでやってるけどね。 」


「飽きるまで食べ続けるということは毎日・・・? 太るのが怖い・・・。何でそういうこと出来たの? 」


「友人の「明日死ぬなら、美味しいもの食べてデブデブで死んだほうがマシ」という一言がきっかけだったなあ。 明日死ぬ(と仮定する)→美味しいもの食べたい→どうせなら自分が本当に食べたい美味しいものを食べよう、に変換された。 そう思うと安物のお菓子やジャンクフードじゃなくてデパ地下の高級惣菜なんかを食べるようになって、ウマーイと満足するから量も適度でOKに。 実際、安物を飽きるまで食べるもやったけど数日で飽きたよ。何やってんだ自分、て苦笑いだった。 」

面白かったのは
「目の前にあるこれを食べるか食べないか」とか
「ダイエットをやめるかやめないか」
とか言うところで完結している話ではなくて、
表現こそ軽い感じで書かれてはいるもののの、
「どう生きるか」というところまで話が深められていますよね。
「明日死ぬとしたら、今日はどう生きるだろうか」という
かなり必死の問いから出発してダイエットという荷物をおろすに至った感じがします。

今のこの社会で生きていて「2年で15kg」太ると
本人の希望によらず否応なく向き合わされるものって相当に大きいですよね。

これ、私もわかるんですけども
そういう時のまず最初の反応が「否定すること」であって
「こんなの本当の私じゃない。今より15キロ細いのが本当の私」
と思い込んで、自分にとっての現在を丸まる無視して(「だってこんなの私じゃないもん!」)
ダイエットを自分の生活の最優先事項に組み込み
そうして現在の自分は
「食べる権利がないし」「束縛されている」という思いを深めていくんですよね。

「15キロ少ない未来の私」だけが全ての権利を持っている
と思って「現在の身体」から全てを取り上げること
何か起こるといつでも「15キロ少ない未来の私」像の中に安全な避難場所を求めること

この体験談の人も
「生き生きと今を生きたい」という思いと
「こんなの本当の私じゃない」という思いの、葛藤って
相当大きかったのじゃないかな、って思うんです。
だからこそ、出てきた問いが「明日死ぬとしたら、今日はどう生きるだろうか」であって
現在の自分を認めることの結果としてついてきたのが
「ダイエットやめたらヤセちゃった」ということだったんじゃないか、って思うんですよね。

普段なかなか近寄らない掲示板ですが
書いてある体験談が非常に面白かったため
ご紹介まで。

2007年07月28日

たまには淡々と脱線しようと思うんです

私、ただ今「ド」の付く田舎に住んでいるんですが
この季節、夜に散歩すると
人間は歩いてませんが
クワガタが道を歩いてるわけです

ひっくり返ってるのは、放っておくとアリに襲われてしまうので
助けてやるんですが、今度は手から離れないのがいまして。
そんなこんなで縁の強いやつは
指にくっつけたまま連れて帰ってきたりするんですね
大きい虫かごに入れてスイカの皮与えてたりします

そんなクワガタたちがこの季節になると4,5匹にもなってたりして

クワガタって、特にメスなんかは
小さいし、ただ黒いだけで取り立てて特徴もなくて
ゴの付く虫に似てたりするんですよね
別に綺麗とか格好良いとか無いわけで
実は最初あんまり触りたくなかったんです

でも連れてきた子だから
毎日餌やってかごの中に木の枝でブランコとか作って
それ乗ったの落ちたの、スイカが酸っぱくなったのと
一日なにくれとなく世話をしてやるわけです
結構顔もわかってくるんですよね
今でもそんなに積極的に触りたいわけじゃないですけど
でもうちに居る子らは可愛く見えるようになってきました

だから
なにさっていうと

だからようするにですね
綺麗でも格好良いわけでもなく
何かの条件において他より優れているということもなくて
ただうちに居て私が大事にしてやってる、という、それだけで
「うちのクワちゃん」なんであって
「ちょっと怖いかも。あいや、でも可愛いかも」とか思ってるわけです
可愛いような、でもゴのつく虫に似て怖いよね、というのかね
それでも連れてきたし、長生きさせたいわけです

ただ私が大事にしようと決めたことと
ただ私がそれのために時間をかけている
ということ以外には
大事であることの根拠って何もないんですけども

そういうおとぎ話は「星の王子様」で読んだからもういいよ、って言われたら
まあ、その通りなんだけど^^

でも「大事」とか「かけがえのない」とかいう感情って本当に
「他より優れている」とか「何かの理想にあう」というところからくるんじゃなくて
殆ど根拠もなく「大事なんだ」って決めて
それに対して闇雲に時間を使う、という、
ただそこからだけ来る、ってのは確かですよね。

いっつも何に対してもそういう気持ちでばかり居られるわけでもないですし
それで全てが語れるわけでもないですけども
でもやっぱり生きていて「かけがえのなさ」ってのは
「理想」に宿るわけじゃない、って
わりと日常レベルで思うんですよ。

これまで生きてきて
もっとも長い時を費やした対象って
結局は「私」なんですよね

それで充分じゃんか、っていうふうに、
思う日もあり

もちろん
心が波立つ日もあり。
それで
ええじゃないか。

2007年07月25日

asaさんへ

-----------
こんにちは。アンケート結果、興味深く拝読しました。

ひとつ、個人的に非常に知りたいのですが、
上で言う、
「ダイエットをやめること」で体重(体型)が安定してきた」方たちの、維持されている体重(体型)というのは、自分の納得ができる美容体重(体型)なのでしょうか。
(こんな質問自体が摂食障害っぽいですが)
「やせ願望の精神病理」の中で、
「三食を気持ちよく食べて自分の生活をして落ち着く体型が自分の自然な体型だと思うべき」とのくだりがあったのですが、
全くその通りだと思いつつ、その「落ち着く体型」が、自分の望む体型と食い違っていたら・・・ということを考えてしまうのです。
「自然な体型」というのは、皆さんはどのような感じになられたのでしょうか。
若干太めくらいに落ち着くのでしょうか?
中肉中背?
それとも割合ほっそり?

そこら辺のことが非常に知りたいです。

宜しくお願い致します。

------------

asaさん
ストレートなご質問どうもありがとうございます。
真剣な問いかけだと思います。
asaさん以外の多くの方も気になっていることでしょう。
お返事、回りくどくなってしまいます、ごめんさない。
望んでいらっしゃるような回答ではないこと、わかるんですけども、でも一生懸命考えました。
よかったらちょっと一緒に考えてみてください。

「自分の望む体型」にはなれません。
ダイエットによってもなれませんし、
ダイエットをやめることによってもなれません。
あるがままの体以外のものにはなれないはずです。

ダイエットによる飢餓状態から新陳代謝が落ちて脂肪が増えているひとは
ダイエットをやめてしばらくたつとその分の脂肪は落ちるのが一般的だと思いますが、
(「ダイエットやめたらヤセちゃった」「ダイエットしないで痩せる方法」「on eating」などが参考になると思います。)
結局のところ、生まれつきがっちりしている人はがっちりした体のままでしょうし、
華奢な骨格の人は華奢に見えると思います。

ダイエットをやめることで減量してそれを維持している、という体験を教えてくださった方の中には
実際の身長と体重を書いてくださった方もいました。
でも私はそういった話をこのサイトでしたくありません。
「外側から見て」どういう体型に見えるのか、という話も、できればしたくないんです。
体重や、見た目で、分断されたり、成功度や社会的ステータスを測られたり、ということに
私はもう飽きてしまったのですね。

「ダイエットをやめる」ということが意味するものは
「自分の望む体型」になるか、ならないか、ということではなく
むしろ「体型」に何かを望むのをやめること、
こうありたいという自己イメージと現実の自分の間のギャップを「体型」に託すことをやめる
ということではないか、と思うんです。


私の好きな、おなじみジェニーン・ロスの抜粋です

ワークショップでアビーはこう言いました。
「この飢えはいつ止まるの? 私は毎週、貴重な禁じられた食べ物を買うの。買っても食べないこともあって、今もたくさんのアイスクリームを一週間放ってあるの。全部食べちゃうこともあるわ。 だけど、自分が食べ続けたいわけじゃないなんてどうしたら分かるの?最終的には体重が減るなんてどうしたら分かるの?

彼女は分かっていません。 危険です。彼女は食べ続けるのをやめないかもしれません。 体重が90キロにもなり、ドア、椅子、バスに入り切らなくなるまで食べ続けてしまうこともあり得ます。 自分では何も決められず、すること、言うこと、着るもの、食べるものを他人に決めてもらっている自分に気づくとき、彼女は自分を信じるか、自分をほろぼすかの選択のリスクを負うのです。
--「食べ過ぎることの意味」より引用--

この文章、私ずっと気になっていたんです。
ありのままの自分を受け入れることについて考えていたとき、私も思ったんです。
「最終的には体重が減るなんてどうしたら分かるんだろう」って。

そして、このアビーの問いにジェニーンはなんと答えているのかと思って一生懸命読んだんですけど、
ジェニーンの書いていることの意味が分からなかったのですね。
アビーは何を分かっていなくて、何が危険なんだろう、って。
分からないんだから私もきっと危険なんだろう、って思いました。

私やアビーが「最終的には体重が減るなんてどうしたら分かるんだろう」と知りたかったのは
「自分を信じるか、自分をほろぼすかの選択のリスク」を負いたくなかったからじゃないかと思います。
終始安全なところに居て「安全だよ」と言ってもらったことだけやって
不安を伴う「生き方の変化」なんてものを経ないで、
ダイエットの束縛から逃れ、尚且つ痩せたい、
ふたつ良いことが欲しい、と思ってたんですね。

ふたつ良い事ないです(たぶん)。
「ダイエットをやめたら本当に痩せるのか」というのは誰にも分かりません。
私は太っていたところでダイエットをやめました、そしたらもっと太りました、
太ることによって自尊心が嵐の中の笹舟みたいなことになりました。

それで震える笹舟になって、なぜ真夜中の荒れ狂う海(!)を耐え抜けたかというと
やっぱり「今自分を受け入れられるようにならなければこれから先の人生なんともならん」
という、生き方に関する問題があったからです。
その後、自尊心がなんとか耐え抜いた後には、知らない間に随分痩せましたけど、それはおまけです。
たぶん「痩せる」ことが目的でダイエットをやめてたら、
太った時点で耐え抜けなかったでしょうし、
一見安全なことを言ってくれるダイエットに戻っていたでしょう。
そして「安全なこと」を言ってくれる人を求めてウロウロし続けたと思います。

ダイエットをやめるかどうかの選択は
太るか痩せるか、という選択ではなく、
自分を信じるか、人の言うなりに物事を選ぶか、
という選択なんじゃないかって思うんです。


----------
asaさんが望んでいる回答じゃないよなあ、って書いてて思うところが悲しいですけど。
asaさんが聞きたいこと、じゃなくて、私が言いたいこと、なのかもしれないですよね。
asaさん、コメントありがとうございます。こんなんでごめんなさい。


夏目祭子さんのmixiにも同じトピックを作っていらっしゃるようなので
こちらもどんなレスがつくか興味深いですね。

他にご意見あったら、みなさんにもお伺いしたいです。
アンチダイエット体験談なども含めて。

2007年07月24日

「ダイエットに関するアンケート」で
「ダイエットに成功し、一定期間維持している」という回答を下さった方に
「どんなダイエットをして、その後どんな生活を教えてください」と呼びかけてみたんですが
2票あって、嬉しいことにお二方ともご連絡くださいました。
凄く嬉しいです。
ありがとうございました。

まずはもう一度、投票結果から見てみます。

質問:ダイエット暦について教えてください。

7月24日現在の回答です(総投票数:42件 )

ダイエットし続けて目標体重を維持できているが摂食障害の自覚がある - 13 投票 -
どれにもあてはまらない - 6 投票 -
ダイエットし続けて目標体重を維持できていないが摂食障害の自覚がある - 5 投票 -
ダイエットに成功したことがあるが三年以内にリバウンドして元に戻った - 5 投票 -
年季の入ったヨーヨーダイエッターである - 5 投票 -
ダイエットに成功したことがない - 3 投票 -
ダイエットに成功した事があるが三年以内にリバウンドして最初より増えた - 3 投票 -
ダイエットに成功して現在まで半年以上維持している - 1 投票 -
ダイエットに成功して現在まで三年以上維持している - 1 投票 -
ダイエットに成功して14年維持した後で摂食障害になり、現在回復(リバウンド?)過程-コメント-
ダイエットはしたことがない - 0 投票 -


成功して、維持しているお二人についてなのですが、
まず私が拝見したかぎりでは「ダイエット」ではなくて
「ダイエットをやめること」で体重が安定してきたアンチダイエット派であるように見えるんですね。
やっぱり「アンチダイエットで痩せた」という回答欄をつけるべきだったな、と思いました。
ちょっと判りにくい選択肢になってしまいましてすみませんでした。

摂食障害で身体を壊したのをきっかけに
それを乗り越えるために自分の身体の声に従って物を食べる、ということを実行するようになったら
ベストの体重で安定して三年以上維持できている、という方。
同時期に食事に関してストレスの多かったバイトをやめたり、
ご結婚されたりという心的状況にも変化があったようです。
食事についてはこのように書いてくださいました。

全ては「自分の胃に聞く」だけ。
「1食に何品目必要だ」とか「おやつをご飯代わりに食べてはいけない」とか「 みんなと同じ時間に食べなくてはいけない」という規制がとれて、元の自分のペ ースで食べています。
体に合わないものは食べない。気分じゃない時は無理して食べない。これくらい でしょうか。

多少食べ過ぎたり、食べ忘れたりしても体型は変わらない、
歯も爪も髪も肌の状態も良い、とのことです。


それからもう一方、摂食障害の症状が消えるのと一緒に体重が安定した、という方ですが
その方も一部転記させていただきますね。

・「絶対に太らない」という思い込みが、過食に対する興味を失わせた
・お菓子以外のまともなものを食べていると、お菓子を食べたくなくなった
・たまに自分の感情を解放してあげることによって、過食の原因となるイライラがなくなった

あとは「買い物をするときに、製品のカロリーを見ることと、
あと、食べ過ぎた日には次の日の食事を軽めにすることくらい」ということです。
(私が思うに、この方はこれしなくても殆ど体重変わらないような気がしますが。)

だいたい、お二人とも同じですよね。

ダイエットという制限や束縛がなくなったら
(それからおそらくは心理的な制限や束縛もシンクロしているように思いますが)
自然と自分の身体に良いように食べるようになっていった、
ということのようです。

そういったわけで、今のところ42票中で
「ナントカ式ダイエット」で成功している人、というのが皆無です。
ワシントンポストのダイエットに成功するのは200人に1人、という調査は
真実なのかもしれないなあ、と思うことです。

成功したのもしなかったのも含めて、
ダイエット体験記、記事にしてもいいよぉ、
という方他にもいらっしゃいましたら、ぜひ教えてくださいませ。
アンケート一覧

2007年07月22日

リラックスYOGAブック―こころとからだに効く
リラックスYOGAブック―こころとからだに効く

地味地味地味~っと反響いただいていますので、もうひとつYOGAのご紹介。

「なんとなくやる気が出ないとき・・・」におすすめの「こどものポーズ」。
膝をかかえてごろんと横になって、ただ呼吸を味わう。

私が、これ凄く安心するのですよ。
もともと、体育座りというやつですか、膝を抱えて小さくなる、という
隙あらばあの座り方をする癖があるんですが
こういうふうに小さくなる姿勢全般に、私は凄く安心します。
「これもヨガ」って言われると、堂々とやれるので嬉しかったりして(笑)

森川那智子さんの別の本「みんな、やせることに失敗している」という
摂食障害に関して書かれている本にも実はこのポーズは紹介されているのですが、
過食浄化に悩む人は普通の人よりずっと長くこのポーズのままでじっとしているそうです。
「体が、この姿勢のもたらす『安心感』をそれだけ必要としている」
というふうに解説されています。
以下は「みんな、やせることに失敗している」からの引用。

就寝時の姿勢(スリープ・ポジション)を研究しているS・ダンケルは、 この「完全なる胎児」のポジションで眠る人は 「今まで、自分の人生に起きた出来事に対して自分自身を広げるとか、 あからさまに表すことを許していない。
人生の喜び、または苦しみというものを、とことん、かつオープンに経験することに抵抗している」 と言っています。
 過食症やダイエット中毒者は、食と身体のコントロールに没頭することで、人生の喜び、または苦しみを、 とことん、かつオープンに経験することに抵抗している--。
だったらそうした抵抗やためらいを、「完全な胎児のポーズ」によって表現してもいいんじゃない?
こちらの方がずっとストレートで気持ちがいい。
だんだん心の深いところがやわらぎ、くつろいでくるはずです。

それから摂食障害に悩む人に向けて、このポーズをお勧めする件です。

危ない時間帯には「自分の体を抱き締めるポーズ」をやってみてください。
そうして自分の内側からのメッセージに耳を傾けます。
「本当はどうしたいの?」「食べたいの?どんなものが欲しいの?」「何を感じているの?」
って、優しく訊いてみてください。
もっとゴロゴロしていたかったらゴロゴロしていましょう。

どういう姿勢もありです。
私がよくやる体育座りは「自分を抱き締めるポーズ」だし
正座してそのまま上体を倒すのは「うずくまるポーズ(子どものポーズ)」
体を丸めてごろんと横になるのが「完全な胎児のポーズ」

そうやって、ただじっと安心していたらいい、
それがヨガ、って。
ゆるめでやりやすい感じですよね。

・・・私これやると結構寝てしまいます^^;


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ヨガのすすめ
レビュー

2007年07月21日

一度ご紹介したものですが調子が良いのでもう一度ご紹介してみます。

リラックスYOGAブック―こころとからだに効く
リラックスYOGAブック―こころとからだに効く

たまにしているんですよ、毎日ではないんですが。
奇抜な格好で固まってるわけではなくて、ですね。
一番やっているのが「大の字になって寝る」というヤツで
これを「完全なくつろぎのポーズ」という風に言うのだそうです。

大したことなさそうですが、
普段の生活の中で大の字になって何もせずに寝転がる機会がどれくらいありますか、
と考えてみれば、ほぼ皆無、ではないですか?
何もしないで寝転んでみて、その新鮮さが、まず驚きです。

簡単そうなんですけども、
結構続かないもので、何もしないで寝転んでいると
いろいろな思いが頭の中をやってきては去っていきますから
飛び起きて何かしたくなるんですよね。
「あ、あれやらなくちゃ」と言って起き上がりたくなる。

何でも集中するのって難しいなあ、って思います。
食べることに集中するのも難しいですよね。
つい、手近にある雑誌に目を落としたくなったりして
食べ続けることに心の焦点を合わせるのって難しいですが
何もしないことに集中するのも本当に、
やってみると難しいです。

この「くつろぎ」を少し楽にするのが、色々なポーズで
寝たままあちこち伸ばしたりねじったりして
普段使わないところをじわーっと伸ばすんですね
伸ばして、その延びた感覚に心をつなぎとめて十呼吸味わってから
またくつろぎのポーズに戻る
そうやって呼吸を整えながらあちこちほぐします。
そうするとリラックスの状態になりやすくなるんです。
そのじわーっと伸ばす簡単なポーズが、この本の中にいくつか書かれているわけですが。
じわーっとなるんであれば、柔軟体操でも何でも良いらしいですよ。
じわーっと伸ばして呼吸を整えればそれでヨガ、だそうです。

で、寝転がってですね、
自分を観察していると、頭の中ってとっても忙しいのですよね。
次から次と、殆どどうでも良いようなことが浮かんでは消えていきます。
あれしなきゃこれしなきゃ、とか
あれはどうしてああなってるんだろう、とか
そういうようなことを。

でそういうのを「あ、今はこれについて考えているな」というふうに
ちょっと離れて飛び起きるのを辛抱して観察しておくわけですが
そうすると結構、とりとめもなく色々考えているようではありながら
結局はいつも2つくらいの考えに戻ってきたりするみたいなんですよね。
自分の心の大部分を、今何が占領しているのか、っていうのが判ったりします。

「何もしない」を続ける、というのも苦しいんですが、できるだけ辛抱して
自分の取り留めのない考えに付き合います。
辛抱が限界になると体が反応するんですよね。
私は目を閉じてやってるんですが、自分では気がつかないうちに勝手に目が開いたり、
動かしたつもりがないのに勝手に手足が動いたりするので
そうしたら、限界なんだな、って思ってやめます。

不思議なんですけども、これで頭と体が軽くなるんですよね。
それから生活の中に意識的に「何もしない」時間を作っていくようになると
「何かする」時間が濃くなります。

「無意識になるために」だらだらと何かをする、という必要があんまりなくなるんですね。
「無意識になりたい」のであれば、
「漠然と何かをする」のではなくて、「何もしない」をしよう、
という選択肢があることによって
「無意識になりたい」という自分の欲求に対して効果的に対応できるようになります。

そんなわけで「最近ヨガやってます」って言ったって、
あんた寝転がってるだけじゃん、
・・・というミもフタもないこと言わないで、
なかなかお勧めです。
漠然と「時間がない」ような気がしているような方に特に。

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レビュー

2007年07月19日

アンケート回答ご協力ありがとうございます。
きちんと考えられたり、調べられたりした上で書かれた
しっかりした本を読むのはとってもためになりますが、
ある部分、アンケートの結果を見るのは本よりもっと興味深いところがありますね。

アンケート一覧にて
過去のアンケートもまだ回答できます。
宜しくお願いします。

前回実施のダイエット暦に関するアンケートで
摂食障害でなく、ダイエットに成功して維持できてる方がお二方いらっしゃいますね。
ぜひ、詳しいお話をお伺いしたいです。
もし見てくださってたらどんなダイエットをして、今どんな生活をしている、
というようなことを知りたいのですが
差し支えなければ参考までに教えていただけないでしょうか。

ふたつの質問をあわせて見てみます。
まずは前回の質問から。

質問:ダイエット暦について教えてください。

回答です( 7月18日現在 総投票数:38件 )

ダイエットし続けて目標体重を維持できているが摂食障害の自覚がある - 13 投票 -
どれにもあてはまらない - 6 投票 -
ダイエットし続けて目標体重を維持できていないが摂食障害の自覚がある - 5 投票 -
ダイエットに成功したことがあるが三年以内にリバウンドして元に戻った - 5 投票 -
年季の入ったヨーヨーダイエッターである - 3 投票 -
ダイエットに成功したことがない - 2 投票 -
ダイエットに成功した事があるが三年以内にリバウンドして最初より増えた - 2 投票 -
ダイエットに成功して現在まで半年以上維持している - 1 投票 -
ダイエットに成功して現在まで三年以上維持している - 1 投票 -
ダイエットはしたことがない - 0 投票 -  

今回実施のアンケートはこちら

質問:ダイエットをやめたらヤセちゃったことがありますか

回答です(7月18日現在 総投票数:30件 )

怖くてダイエットをやめられない - 14 投票 -
ある - 8 投票 -
ない - 7 投票 -
どれにも当てはまらない - 1 投票 -

この2つの質問を並べて見ると
「ダイエットで痩せる可能性」よりは
「ダイエットを止めてやせる可能性」の方がとりあえず高いですね。

「効果があるからやる」ということではなくて
「怖くてやめられないからやる」
という状態で続けていらっしゃる方が沢山いるようですが
不安が人を動かしてしまうところはまさしく「スリム教」と呼べる状態だと思います。

少なくても、減量という点についてだけ考えれば
このアンケートを見る限りでは、摂食障害になりたいのでなければ
「ダイエットなんてやってもやらなくても、結局はなるようにしかならない」
という結果にはなってますよね。

同じ「なるようにしかならない」のであれば
ダイエットをしないで「なるようになってる」方が
ダイエットをしても「なるようにしかならない」と感じるよりも
ずっと人生に対して主体的に関わることができたりするんじゃないかな、って
やっぱりそういうことは思いますけども。

だから、もし「単に減量のためだけにダイエットしてる」という方がいらっしゃったら
このアンケート結果って(勿論母数が少ない貧弱なアンケートではありますけども)
「あ、ダイエットって意味ないんだー。やめよう!」
と考えなおすきっかけくらいにはなるはずの数字だとは思うんですが
実際問題としては「単に減量のためだけにダイエットしてる」人の方が少ないんですよね。

過去に「あなたはなぜやせたいと思うのですか」というアンケートをとりましたが
「健康のため」とか「流行の服が着られるようになる」とか
一応理論的に「減量」ときちんと結びついている、と思われる結果ってむしろ少なくて
「受け入れられたい」という思いだったり、
「自信をもちたい」という思いだったり
「判ってもらいたい」という思いだったり、
理屈で考えると「それはダイエットとは関係ないんじゃないの?」というふうにもいえる
非常に込み入った感情がダイエットとして現れている場合が多いです。

だから多分、「ダイエットでは痩せられない」としても
すぐにはやめられない人の方がずっと多いんじゃないかな、って思うんですよ。

それで、ですね
怖くてダイエットがやめられない皆さんにひとつ提案なんですけども、
例えばチョコレートが食べたいのに
「駄目駄目、生キャベツを食べて我慢しなくちゃ」と思うとき、
お腹が空いているのに食事を我慢してダイエット用プロテイン飲料を飲もうとしているとき
あるいは絶食しようと決心するとき
ちょっとだけ考えてみて欲しいのは
「こういうことをして減量できた人は殆どいない」ということですね。
「こういうことは減量とは全く無関係であるという可能性は高いけれども、
それでも私はこれをしたいのか」というのをちょっと考えてみて欲しいです。

「痩せないとしてもこれがしたい」というのであれば、構わないと思うんですよ。
決められたとおり食べていればなんとなく安心するから、
という理由でダイエットをする権利だって、誰でも持ってると思うんです。

ただ「実際は痩せない」ものを「痩せるかもしれない」と思って続けてしまうと
凄く混乱すると思うんですよね。
自分は何の目的があってこの行為をしているのか、
というのははっきりさせておいたほうがいいと思うんです。
その行為をする「目的」と、その行為が招く「結果」がきちんとつりあっているのかどうかを
考えて自分で「選択する」という意識をもつということは大切なことです。

それからアンケート結果から少しそれますが、ひとつ気になることは、
「過食をなくす」ということと「ダイエット」ということが
頭の中でイコールになってしまっている人がとっても多いんです。
「何かのルールに従って決められたとおりにだけ食べていれば過食しないし体重も減る」
という風に考えていて、
「過食をやめる」ということが
「自分にあったダイエットを探す」ということだと思い込んで居る人や、
「ダイエットをやめたらもっと過食が酷くなる」と思い込んでいる人、
が凄く多いです。
そういう人は、「ダイエット」という束縛、剥奪の感覚そのものが
過食の引き金である可能性もとっても高いと思いますよ。

過食って意志とか我慢とかで、なんとかなる問題じゃないですから、
当然ダイエットでなんとかなる問題でもないです。

2007年07月16日


アンケートご協力ありがとうございます。
今回はダイエットに関するアンケートについてでした。

質問: あなたのダイエット暦を教えてください

総投票数:21件 (7月16日現在)です

ダイエットし続けて目標体重を維持できているが摂食障害の自覚がある - 8 投票 -
どれにもあてはまらない - 4 投票 -
ダイエットし続けて目標体重を維持できていないが摂食障害の自覚がある - 3 投票 -
ダイエットに成功したことがない - 2 投票 -
ダイエットに成功したことがあるが三年以内にリバウンドして元に戻った - 2 投票 -
ダイエットに成功した事があるが三年以内にリバウンドして最初より増えた - 1 投票 -
年季の入ったヨーヨーダイエッターである - 1 投票 -
ダイエットに成功して現在まで半年以上維持している - 0 投票 -
ダイエットに成功して現在まで三年以上維持している - 0 投票 -
ダイエットはしたことがない - 0 投票 -

このアンケートはどこから着想したかというと
ダイエットしないで痩せる方法」という本の中に
1980年にワシントンポストが行った調査として
「ダイエットに成功して一定期間以上それを維持できているのは200人に一人である」
という報告がある、ということが書かれているんですね。
これは本当なら凄いことだ、と思ったんですが
さすがに古いですし、アメリカ人と日本人では食べてるものも身体つきも随分差があるので
もうちょっと身近な範囲で行ったこういうアンケートがないかなあ、と思ったんです。

このサイトが「ダイエットをやめて自由になる」ということを目指すサイトである
という自体ですでにバイアスが掛かってる、
ダイエットがうまく行っていて順風満帆
やっぱり幸せになるための基本はダイエットでしょ、
というような人はそもそもここに来ないよ、
ということもいえるとは思うんですが
それにしてもあまりにも綺麗に酷い結果が出ていますよね。

実はダイエットがうまく行って一定期間以上維持できている
という人がいたら、ちょっと詳しく話しを聞いてみたい、
お話を記事にさせてもらえるようにお願いできたらいいな、
という風に思っていたんですが、
そもそもうまく行った人が今のところ皆無です。

ダイエットというのはうまく行かないか、減量できたとしてもすぐに元に戻る、
戻ることに抵抗すると、その抵抗が実現できているにせよいないにせよ
とにかく摂食障害になるしか道はない、という結果になっています。

摂食障害になる人は「極端なダイエット」とか「間違ったダイエット」とか
とにかく何かしらの間違ったことをしたんだ、と言われ、
(誰に言われるかって、もちろんダイエット産業に、だ。)
あるいは「成熟拒否」とか「自我未発達」とか「機能不全家族」とか言われ、
(その人の心的状況をとりまく要素のひとつとして言われるのでなく、
摂食障害の原因そのものであるといわれたりするわけで
「摂食障害を発症させるような家族」なんてものがこの世に存在するんだ、
ということがまったく何の悪気もなく言われたりする)
そしてこの嘘っぱちのダイエット自体は
まったく誰にそしられることもなく繁盛し続ける、というのを考えると、気分悪いです。
責めやすい人から順に責めるという発想はなんとかならんのか、と思う。

ただ、このアンケート自体に微妙なところがあるのは
ダイエット、という形をすでに失っていて非常にオリジナルに儀式化された習慣
というのを慢性的に持っている、という感じの人が多いような気がするんですが、
そういった人にとって回答がしっくりこないんじゃないかということも思ってるんです。

「何かを買うときは必ずカロリー表示をチェックして一番数字の少ないのを買う」
という習慣だと、いつはじめて、いつ終わって目標体重がどう、という話ではなくなってるわけですし
「トーストにはバターは塗らない、コーヒーには砂糖は入れない」
という感じになると本人も好みなんだか、何かの刷り込みによる行動なのかもう分からないし
「肉を見ると吐き気がする」くらいまでいくと
さすがにダイエットとすら呼べなくなってくるけども、
でも考えてみればダイエットを始める前にはそんな症状はなかった、というような例もあるだろうし。

回答を作成してから自分も答えようと思ったときに
なんかすぱっと当てはまるものがなくて自分で困ったんですけどね。
ふたを開けてみると、やっぱり「どれにも当てはまらない」が多かったですよね。
状況が多彩なので掬いきれてないとは思うんです。
どういう表現がそういう状況を言い表せるかなあとそのとき凄く考えたんですけども、
ちょっと今回はこれ以上どういう切り口があるのか思いつかなかったのですみません。
少しずつずつ視点を変えてまたアンケートしていこうと思います。

でも、ちょっと、もうちょっと公平になるために
もう少し投票欲しいです。
未投票の人、ぜひお願いします。
8月12日までです。
アンケート一覧

2007年07月15日

ちょっと旅行中です。
宿泊先のホテルに居て何もすることがない、っていいですよね。
私大好きです。

ところで、この滞在中に非常に会いたい人が居たのですね。
どうやら会えないらしいことが発覚しつつあるんですけども。
そうなると私はどうなるか、というとホテルのベッドに斜めに身を投げ出して
ばったり倒れたまま堂々巡りをするわけです。
「なぜ、なぜ、なぜ、なぜ・・・」という。
そして頭の中はそれ以外は何もなし、という状態になります。

考えてみればこちらに来る前も頭の中は殆どそのことばっかりだったわけで
昨日あたりはそわそわして何も手についてないですから
丸2日間、完全にたった一つのことしか考えてないんですよね。

私はかつてこの街に暮らしていたときは三年間それを考え続けて、
つまり三年もの時間をひとつことにかまけてまったく上の空だった
という恐ろしいことに気づいたのでこの街を出たのですが
人はあまり急に変わらないもので
相変わらず貴重な「今」をうわの空で2日目です。

気づいてみるとですね、
「なぜ会えないか」っていくら考えても絶対分からないんですよね
なぜなら私が決めたことではないから。
ただ、これに関して私がわかる可能性のある「なぜ」がひとつあって
「なぜ私はこうまでそのことばかりに気を取られているのか」
という、「私」のことであればわかる可能性があるわけです。

いったいなぜ、一つ思いにこうも頭を占領されてしまうのか。

答え
多分、占領されたいからですね。
私にとっての「会いたいけれど会えない人」というのは
「今生きている人生とは別の人生の可能性」ということのメタファーです。
「今の生活はどこかうまく行っていない」
「今の生活に不満がある」
と思うよりは
「あの人に会いたい」という風に思う方が抵抗がないから
だから今の私にとっては現実ではない「あの人」に執拗に固執します。

「あの人」という言葉の読み替えが
「別の生き方」となるとすれば
「あの人に会いたい会いたい会いたい」というのは
「生活を変えたい変えたい変えたい」になり
問題としては明らかにそうたやすくはないので
方向をずらして逃げてる、んだと思うんですよね。

こういうことって私は過食から教えてもらったことであって。
あの、考えてできることとできないことがあるんですよね。
「過食を我慢で治したい」とか
「ダイエットで理想の体型になりたい」とか
これはできないこと。
できないことっていくら考えていても
延々に続くだけでできないことには変わらないのですが
「なぜ、私は今このとき食べたいのだろう」とか
「なぜ、私はあの時過食になってしまったのだろう」とか
「なぜ、私は執拗に体型に拘るんだろう」とか
その「できないこと」にとらわれている「私」のことについては
考えていけば分かる可能性のあるものです。

「できないこと」と「分からないこと」を考えていて手詰まりになったら
「できること」、「分かること」を考えてみればいい。

というようなことを多分過食とかダイエットとか
そういうあたりからじわじわと経験的に教えてもらったのだと思います。

考えても考えても分からなくて苦しいときは
分かることを考える
「会いたい気持ち」が減るわけではないけれども
それは「どうにもならないもの」ではなくなるわけです。

2007年07月13日

アンケートにご協力くださった皆様ありがとうございます。

前回実施(まだ投票受付中)スリムの流行に関するアンケートと、
結果を合わせて、みてみます

まずスリムの流行に関するアンケート

質問:流行が「超スリム」から「豊満」に変わって、
スーパーモデルも雑誌の表紙もみなぽっちゃりになり、
売っている流行の服はある程度太らないと似合わなくなったら、
「それでも私だけは痩せていたい」と思いますか?

回答です(7月13日現在 42票)

想像もつかない - 11 投票 -
私だけはなんとしても痩せていたい - 8 投票 -
今はダイエットしてるけど、流行が変わったらありのままの身体でいたい - 8 投票 -
今もダイエットしてないし、流行が変わってもありのままの身体でいたい - 8 投票 -
どれにもあてはまらない - 4 投票 -
流行にあわせて太ると思う - 3 投票 -


痩せたい理由に関するアンケート

質問:あなたは、なぜ、痩せたいと思うのですか。

回答です(7月13日現在 35票))

脂肪は醜いと思うから - 8 投票 -
自信がつくから - 6 投票 -
運動ができる、または健康的だと思うから - 5 投票 -
社会から受け入れられ、差別を受けなくてすむから - 3 投票 -
流行のかわいい服が着られるようになるから - 3 投票 -
弱くなって誰かに守ってもらいたいから - 3 投票 -
病気になることで誰かに許してもらいたい、または罰を与えたいから - 3 投票 -
どれにも当てはまらない - 2 投票 -
とにかく痩せることが楽しみだから - 1 投票 -
女性または大人になりたくないから - 1 投票 -
同性の間で優越感を感じられるから - 0 投票 -
異性にもてるから - 0 投票 -
母親のようになりたくないから - 0 投票 -
ずっと痩せ方だから、太ったら自分じゃない気がする- コメント-
体重や体型の話題で居心地の悪い思いをしなくて済む- コメント-
何れにもあてはまる- コメント-

スリムの流行に関するアンケートの時に私は、
「健康」と「痩せ」のイメージの結びつきが強くなったので
「痩せ」に対する価値観が「流行」を超えて絶対化されてきたのかな、
というような感じのことを書いたんですが
健康志向が一番多いわけでもないですね。

むしろ美意識として「痩せ」が絶対化されてしまっているようにも感じられます。
だからおそらく「豊満が流行るなんて想像もできない」という意見が圧倒的多数なんですよね。

でも、殆どの女性は本来脂肪はつくものですから
「脂肪は醜い」というのはある意味
「私はありのままでは醜い」というようなことも意味しうるわけで
これは女性にとって非常に生き難い状態だなって思います。
理不尽な身体に閉じ込められてしまったような感じがしますよね。

じゃあ、太っていて魅力的、という状態はありえないのか、というと
100の質問で寄せていただいた回答を見る限り
「太っていて魅力的な人を知っているか」という質問に対しては全員yesなんですよ。
「魅力的な人は魅力的だから太っていても魅力的だけど、
私はそうではないから、せめて痩せていなくてはならない」
ということなのかな、というふうにも思えます。
そうなると二番目に多かった回答「自信がつく」というところにもつながってくるように思うんですね。


いわば「ありのままの今の自分の否定」ともいえるような理由が上位2つを占めている、
というのは象徴的な感じがしました。

それからあと顕著なのは
「許してもらう、罰を与える」「守ってもらう」というような
メッセージを伝える、コミュニケーション手段としての痩せ願望も6票で、多いですね。

「痩せることが楽しみ」「大人/女性になりたくない」というのは
”心の安全地帯”としての痩せ願望、という側面かな、という気がします。

「母親みたいになりたくないからやせたがるんだ」
というのは時々本に書いてあることですが、この結果を見る限りはゼロですね。
多くの摂食障害の本に書いてあるよりは母親の影響って少ないのかな、というようなことを思っています。
勿論、もっと突っ込んで深い話を聞くと違ってくるでしょうし、
食べ物に関する記憶、という点については母親って絶対に重要な役割を占めている要素だと思うんですが、
とりあえず、表層のレベル、というのか、ぱっと思いつくレベルで
母親と痩せ願望を一番に結び付けて考えている人は(今のところ)居ない、みたいです。

「異性にもてるから」がゼロ、というのも実は意外でした。
これ、でも「痩せ」と「モテ」を組み合わせて考えるのって
それこそダイエット食品の広告と女性誌によって刷り込まれたようなものですが
実際はどうもそういうレベルの話ではないようです。
もっともっとずっと深く内面的な感じですね。

このアンケートは複数回答ができないのですが
複数回答可能であればまた違ってきたと思うんですよね。
コメントで頂いたとおり、どれも当てはまるような気がする方もいらっしゃると思うんです。
「現状否定としての痩せ願望」
「コミュニケーション手段としてのやせ願望」
「心の安全地帯としての痩せ願望」

それから「流行の服」とか「運動、健康」という言葉に見られるような
「具体的な理由あっての痩せ願望」というふうに
一人の人の心の中で幾層もの理由があって
「とにかく痩せたい」というところに心が向かう、という状態だと思います。

結果を見てて、とても孤独な感じがしました。
ちょっと最後に話それてしまうんですけども
このサイトは掲示板がついてますから、よかったら利用してくださいね。
「痩せたってどうにもならないってわかってるんだけど、それでもどうしようもなく痩せたい」
とか、そういうことは人に言っていいと思うんですよ。
自分ひとりでそういうことは背負い込まなくていいんじゃないか、と思います。

※このアンケートは8月10日まで投票できます。
まだ投票していない方いらっしゃいましたらお願いします。
過去のアンケートはこちら
アンケート一覧

なんにもしたくない!―ちょこっと、自分を、休ませてあげる本
なんにもしたくない!―ちょこっと、自分を、休ませてあげる本

みんな、やせることに失敗している」の森川那智子さんの本です。
デザインが白く飛んでしまっていて残念ですが、装丁もかわいい本です。

なんにもしたくない!って魅力的な言葉ですよね。
でもなんにもしないのって難しいです。
いつもいつもとにかく何かをしていることに
慣れ過ぎてしまっているなあ、としみじみ思うことです。
でもヨガなんかで意識的に何もしない、という状態を作り出してみると
ビックリするほど心と身体が軽くなったりしますね。

今日はこの中から、私が面白いと感じたエピソードを
概要にしてご紹介します

「職場になじめない。いつも緊張していて、自分の意見をはっきり言えず、
新人でもできるような仕事ばかり押しつけられてしまう」
という悩みを持って著者の元を訪れたかよさんの話です

著者との対話の中で
「そのときどう感じたの?」聞かれても
かよさんの答えは要領を得ません
「何を考えているかわからない」
「自分の考えを言わない」と職場でもよく言われます

カウンセリングの中で何度も
「そのときどう感じたの?」と聞かれるうちにかよさんが気づいたことは
何かをしているときに「頭の中で音楽が鳴り始める」ということです。
それまでは自分が「音楽が好き」なのだというふうに思っていましたが
なんか変だ、ということに気づきます
「何か紛らわすみたいにやっているような」気がしはじめました。

頭の中で音楽がなり始めた瞬間、何をしていて、何を考え、何を感じていたか。
音楽が鳴り始める前にプレイバックして、ふたたび今やっていることに集中するようにしました。
ちょっとした不適応感、緊張や不安、焦りなど嫌な気分が起こりそうなとき、
自分ではそうと意識しないまま自動的に頭の中で音楽がなり、ハミングし、リズムをとり、
こころを、ここではないどこかへ逃がして、何も感じないようにしていました。

かよさんは子供の頃自分を見失いそうになったとき
自分を取り戻すために独創的だったその方法が
大人になった今では、自分を周囲から隔てる障害物になってきていた、
ということに気づきました。

「逃げる」は人生のどんな局面でも重要な選択肢のひとつです。
でも逃げてばかりいるというのは、
何から逃げているのか、逃げる必要があるのかどうかも
分からなくなってしまっている、ということでもあります。

かよさんは言いました。
「逃げてもいいんですよね。
でも、そう、逃げたいという気持ちから、逃げないことにします。」

この話はもう少し深い話なんですけどもかなり短くまとめています。

音楽、ではないにせよ、
心が勝手にどこかに逃げること、ありませんか
「私は太ってる、醜い醜い醜い」とか
「食べたい、食べたい、食べたい」とか
「ODしたい、ODしたい、ODしたい」とか
「切りたい、切りたい、切りたい」とか
うわーっとひとつの考えだけが頭の中を占拠してしまって
それ以外の思考が締め出される状態、って
やっぱり何かから心を逃がしているんですよね。

それでジェニーン・ロスなんかは
「食べることに逃げずに向き合う方法」ということについて
細かく書いていますが
私はそれを読んで凄く感心したのと同時に
「これはきついな」って思ったんですよね
逃げたいんだもん^^
逃げたいものと片端から全部向き合うだけの精神力って
はっきり言って莫大ですよね。
「そうするより他に仕方ないときは食べなさい」というような感じで
ジェニーン・ロスも何かから気をそらすための過食、というのも咎めていないんですが
その力加減、というのがずっとわからなかったんですね。

このあたりを、
実は最近私はぐっと自由にできるようになったような気がしてるんですが
自分が何から逃げているのか、が分かっていると
凄く自由に逃げることができるようになります。
「自分が今こういう状態で、
そこにこういうことが起こって、
それに対して自分はこういう気分で、
そして自分の精神力の限界はだいたいこれくらい」
っていう、自分の筋がわかっていると
いや、これは今は逃げたい、とか逃げるしかない、とかいうのが
結構客観的にわかるんですね

それで酒を飲んだり
ネット依存症になったり
失恋に酔ったり
色々やり放題しています

逃げ始めると止まらない気がするのは
おそらくは自分が逃げちゃいけないと思っていて
だから「逃げている現実からも逃げる」ために
もっともっと大事になっていかざるを得ないんじゃないかなって思います。

「三十六計逃げるに如かず」
というお話


※森川那智子さんの名著「みんな、やせることに失敗している」の復刊リクエストを出しています。
すでに絶版ですが摂食障害にまつわる良書です。投票ご協力お願いしたします。
復刊ドットコム投票ページ

2007年07月12日

非常に面白く読んだのですが
分からなかった点も数箇所ありまして
すでに書いたのですが「家父長制的文化」というのが
ちょっとピンとこないというのが最大なんですが
あとは女性が社会的経済的資源を手に入れるのは
男性を通して間接的に行われる場合が多い、という記述などですね

家父長制的社会、という点では
自分自身が家父長的権威に支配されているという意識がないものですから
感覚としてわからない、というのがありますし。
それから社会の評価の仕方、としては
そういう「支配-被支配」のものさしを先に用意してそれを当てはめて社会を見てしまうと、
そのものさし以外の尺度は全て抜け落ちてしまうのではないか、と思うんですよね。

かなり極端な例として中国の纏足の習慣などが引かれていましたが
たしかに鑑賞用に身体の自由をかなり制限される、というのは
我が事として想像すると凄く怖い習慣ですが
千年続いたその伝統は果たして本当「支配-被支配」の意味しか持たなかったのか、
というのが私は疑問なのですね。

パールバックの「大地 」を読み返してみたのですが
厳しい身分秩序の中で男性も女性も非常に自由が制限されていますが
その裏返しとして保障もきちんとしているんですよね
「家」あるいは「社会」の中で、あなたはこういう身分であり、それは一生続く、
というのは社会保障として機能している側面もある、
というふうに私には思います。

女性と社会との関係を「支配-被支配」のラインだけを見て
これだけを単純に「改善すべき」としてしまうと
社会から孤立してしまうのではないかというような気がするんですね。
色々な関係が幾重にも幾層にも関係しあっての社会であって、
もっと全体のバランスとして、色々なことは変わっていくべきじゃないか
っていうふうに思います。

女性が社会的経済的資源を手に入れるためには男性に選ばれる必要がある、
という点については、これは日米の文化差なのかしら。
私は普通に同性と話をしていて、こういう意識を感じたことってあまりないんですよね。
私が公立四年制大学の文学部という、
かなりジェンダーレスな場所で教育を受けたからなのでしょうか。

不美人論」という本を読んだときに新鮮だった部分を思い出したんですが
著者は田舎で真面目に勉強して偉い人になるんだ、というような道徳観を持って育ってきたのに
大学に入ってドキドキしながら都会に出てみたら女の子がみんな綺麗で楽しそうで
「私、有閑マダムになりたい」みたいなことを言っている。
自分は「そういうチャラチャラしたことを考えるのは恥ずかしいことだ」
という意識があったので驚いたのだけども、そういう女の子たちの方が楽しそうに見えた、
というようなことを書いてある部分がありまして。

凄く面白いですよね。
これはバブル期のお話なので、今とは変わっているのかもしれませんが
女の子は綺麗にしておけば一生楽できる、
という価値観って確かにトレンドとして存在したのかもしれませんね。

ただ、これについて言えば支配されてる、抑圧されてる、っていうよりも
もしその女の子がそういった仕方で本当に楽しく暮らしているのであれば
要するにジェンダーを逆手にとって
自分の社会的枠組みをうまく乗りこなして人生を謳歌してる、ってことですよね。
今、ちょっと思い出したんですが私が子供の頃(だからバブルの頃ですね)
「勉強もしないで卒業して 入った会社で暇つぶしして 行き着く先は玉の輿 ラッキー!」
というお菓子のCMソングがありました。(確か山瀬まみさんが歌って踊っていた)

今はマスコミを見る感じではこういう「楽しいが勝ちよ」というような
メッセージってあまりないのではないでしょうか。
むしろ「バリバリのキャリアウーマン」「スーパーウーマン」「カリスマ主婦」とか
とにかくそういう「普通じゃない凄いものになりなさい」という感じになってますよね。
そして、それに「スリム」という身体イメージが当然のようにくっついているような気がします。

でも基本的に面白い、と思うのは
やっぱり「私たちの問題」という捉え方の大きさ、
そしてそれに対して「私たちに何ができるのか」という視点、
それから「私たちは異常じゃない!」という、
摂食障害を持つ人たちを全面的に信頼する立場、
身体イメージの不安を煽ることで利益を得るという
資本主義経済のグロテスクな仕掛けに対する告発です。
これはフェミニズム以外の見地からはなかなか出てこなかった立場ではないか、
と思うんですよね。
だから私にはとっても魅力的なんです。

誰が摂食障害をつくるのか―女性の身体イメージとからだビジネス
誰が摂食障害をつくるのか―女性の身体イメージとからだビジネス

「誰が摂食障害をつくるのか」関連記事一覧
1 紹介
2 拡がるスリム教
3 予習:家父長制
4 纏足、コルセット、ダイエット
5 からだビジネス
6 正しい身体になる
7 スリム教への入信
8 異常な食事から摂食障害へ
9 子供たち、男性たち
10 スリム教からの脱出 
11 私の感想

※この記事は「誰が摂食障害をつくるのか」より
第九章 スリム教からの脱出 を参照したものです※


長かったですが最終章です。

セルフヘルプ本は、フェミニズムの失敗の産物
というような評されかたであるのが面白かったですけど、
セルフヘルプ本って、どんなのかな
食べ過ぎることの意味―過食症からの解放
みたいなもののことでしょうかね

私は家父長制的文化、とか政治的抑圧とかがどうもピンとこないので
個人的な意見というのはこの本よりずっとセルフヘルプ志向
なんだと思うんですよね。
だから「うーむ、難しいなあ」とひたすら考えさせられるんですが。
でも非常に面白いですね。
そういう考え方もあるんだ、というのもあるし
そういう取り組みもありうるんだ、というのもあるし

自分の知識が少なくて判断基準がしっかりしてないので
ずっと、自分を「被害者」として取り扱ってしまいそうな
フェミニズムにあまり深くつっこむのが怖くて
結構周到に要所要所逃げてたんですけども
とりあえずここでまとめることでじっくり読ませてもらって
やっぱり面白かったです。

「むむむむ、ふーむ。うーん・・・」という感じでございます。

第九章 スリム教からの脱出


変化は「中から来る」のだろうか、
それとも個人を変えるためには社会を変えなければならないのだろうか。

セルフヘルプ本は「ありのままの自分を快適だと感じる」という哲学を伝える。
70年代にはフェミニスト運動が伝えていたこのメッセージが
80年代、90年代にはそこから「政治的問題としての個人の問題」の視点をなくして
全て個人的問題として、セルフヘルプ本になった。
このような本は自己受容を説き、自尊心の回復方法を提供しており、
女性が自分の身体に対して持つ不安と嫌悪を克服する援助となりうる。

「内面の子供」に着目するものもある。
少女たちの多くが大人の女性についての文化的定義に加わろうとするとき
大変な葛藤に出会い、定義された鋳型に自分を合わせようとする苦闘の中で
自信を持ち自分を信じていた子供時代の自己を失いはじめる。
この「内面の子供」を取り戻し、立ち直らせることから始めねばならない、
とするものだ。

フェミニズムの著者たちは、母-娘のきずなに注目する。
母親たちは失ってしまった自分自身の自己を取り戻さねばならない。
家父長制的な文化に直面して失ってしまった自己を取り戻すことで
母親たちは傷つきやすい娘たちに同じことが起こるのを防ぐ助けとなることができる。
自己を回復することが、社会変化のための中心的な必要条件である、とされる。

スリム教を「病気」とするモデルのうちの一つが中毒モデルで
女性の摂食問題と身体イメージの問題に病気というレッテルを貼る。
セルフヘルプ本と同じく、このモデルでは病気治療の責任は個人にあり
医学的治療、心理療法、セルフヘルププログラムの助けを借りてそれを克服すべきだとする。
体重と摂食の問題を持つ女性たちのための最大の自助団体のひとつ
オーバーイーターズ・アノニマス(過食者のための団体。日本にも地域ごとにあります)は
アルコホリック・アノニマス(アルコール中毒者のためのセルフヘルプの団体)が
開発したプログラムと同じ原理を基盤としている。
彼らは、女性が抑圧され搾取されていることから、
中毒という非政治的な見方に焦点を移し、政治的行動より
むしろセラピーが「治療」になると提案している。

フェミニストセラピー(女性解放の視点での心理療法)は
女性の摂食問題と文化的抑圧とを関連づけはじめている。
より広い社会的見解を支持するフェミニストセラピストたちが
いくつかのセルフヘルプグループを指導しており、
家父長制的な美の基準への強迫に代わる提案をしている。
女性たちにダイエットをやめ、
彼女たちにとっての食べ物の意味を吟味するように奨励している。

セルフヘルプ市場が作り出された理由の一つは
フェミニストが「フェミニズムの成功が女性の心に呼び起こした
自分が変わることへの願望」を達成する方法を提供できなかったからだろう。
今日ではセラピーや自己回復法の著者たちは「外部」を変えようとはせず、
個人「内部」の治療に訴えている。
セルフヘルプ本やセラピーの目的は、摂食障害や身体イメージ障害を治療することなので
個人を社会に結び付けている障害の原因に着目することは滅多にない。
その治療は実質的には私たちの文化に存在する支配と権力の構造に戦いを挑もうとはしない。
その代わり、女性に魅力的にみえるようになれという圧力も含めて、
ひそかにそういう抑圧を受け入れる。

年齢、ジェンダーなどのゆえに社会の変化に影響を及ぼすことができない女性にとっては、
個人的解決法が唯一の頼みの綱だろう。
ある人々にとっては、スリムな身体の追求をあきらめるのは賢いことではないのだ。
女性たちは文化的に正しい身体イメージを持っているかどうかで
報酬を受けたり、罰せられたりするのだから。

もし社会的、政治的、経済的勢力がスリム教を支えて持続させていることを理解するなら
一人一人の女性たちが体重と身体イメージの問題に対処するのを助けるだけでは
これらの問題を大きなスケールで解決できないのは明らかだろう。
スリム教から逃れるもうひとつの方法は、
個人よりもむしろ社会の構造上の特徴に注目する。
スリム教がはびこる風土を変え、その根そのものを切断することを狙っている。

資本主義企業とマスメディアが女性の身体不安から利益を得ているし、
超スリムな身体理想は、
女性がお金や時間やエネルギーを自分に力をつける活動から逸らすことによって
家父長制的利益集団の支配を助けてもいる。

宣伝に過度に細いモデルを使うことに反対する女性たちは
「拒食症的販売戦略ボイコット」として知られるグループを作った。
女性たちに、何を買うのかの決定を通して社会の態度を変える力を持っていると気づかせることにより、
スリム教を縮小させることができるかもしれない。

医療産業による支配も見なければならない。
製薬会社は過食女性のために抗うつ薬(フルオゼチン)を開発している。
製薬会社の理論によれば、
脳内の科学的アンバランスが女性の過食やその他の摂食障害の根本原因なのである。
しかし目下のところうつ状態と過食症状の結びつきに関して
そのような関連があるという主張は支持されていない。
利益の上がる「摂食問題に対する治療」をマーケットに送り出そうとしている
製薬会社や医学研究者の動機はチェックされるべきである。

地域的取り組み、公教育での取り組みも始まっている。

女性を第一にその身体によって定義することによって
女性を支配している社会システムは変わる必要がある。
男性を精神に、女性を身体に分類し、
精神を身体より上位に置く西洋社会の二元論を破壊するために、
私たちの社会制度が変わらなければならない

精神と身体の両方の側面を備えた「女らしさ」に関するより広い見方を認知する必要がある。
社会制度を変えることに対して女性が政治的に積極的になる必要がある。
身体に不安を煽っている産業には抗議が必要であり
社会場面においては現在の規範が耐え難いものであることを認め
女性らしさのイメージを書き直す必要がある。

社会変化はほんの少しずつしか進まないが
社会変動はわたしたちの「重要な他者」との生活の中から始まる。
自分や家族の外見についてあまりあれこれ言わないように頼んで、
彼らを変えようとすることができる。
母親がダイエットをやめて文化的要請から自由になったということを
身を持って娘に示すこともできるだろう。

「外部から始まって内部におよぶ」力
「内部からはじまって外部におよぶ」力
この両方のタイプの変化がスリム教からの救済のためには必要なのである。

自己を発達させる場所を見つけることが
若い女性が健康的に成熟するために決定的に重大であると思われる。
スリム教を客観的に見られるようになったと感じた女性たちに特徴的だったのは、
高められた自尊心の感覚だった。
彼女たちは個人としてありのままの自分を心地よいと感じるようになっていた。
もはや自分の身体にだけ専念することなく、その中に精神と身体の両方を取り込んでいた。
ある女性は「今日何を食べるかではなく、今日何をするか」に関心を集中したから
スリム教に抵抗することができたと説明してくれた。

女性が「自分の人生を生きる」ためには、
女性であることが何を意味するのかについての
伝統的な定義に縛られないアイディンティティを鍛える余裕が女性に必要である。
身体と精神の統合を基盤として、
新しい女性らしさを目指して努力すること、
そして女性を重んずる社会を創造することが、スリム教に対する最良の解毒剤なのである。

誰が摂食障害をつくるのか―女性の身体イメージとからだビジネス
誰が摂食障害をつくるのか―女性の身体イメージとからだビジネス

「誰が摂食障害を作るのか」関連記事一覧
1 紹介
2 拡がるスリム教
3 予習:家父長制
4 纏足、コルセット、ダイエット
5 からだビジネス
6 正しい身体になる
7 スリム教への入信
8 異常な食事から摂食障害へ
9 子供たち、男性たち
10 スリム教からの脱出 
11 私の感想

2007年07月11日

※この記事は「誰が摂食障害をつくるのか」より
第八章 スリム教への新人勧誘 --少女、男性、エスニック集団の女性たち を参照したものです※

この章は低年齢層、そして男性にも広がる摂食障害について見ていきます。

男性でダイエットや食事に関して悩んでいる人も、いらしゃるんですよね。
女性に比べると随分少ないですけども、
「稀ではない」という風に私は感じます。
でも、その悩みについては殆ど語らない、ですよね。

以前、掲示板ですみれさんが書いてくださった書き込み、
転載させていただきます。
(すみれさん、ありがとう)

日曜日に 友達の仲間と飲んで 恐ろしい出来事に出会いました。 男の子なんだけど がっつがつあたしの目の前で食べて おにぎり3個に ビールも何倍も 膨れたおなかを 自慢げに見せて 「吐いてくる」とにこにこしてトイレに向かう。 あたしに「はき方教えようか?」って言う。 「やめなって 病気だよ、それ!」って言っても 「みんなやってるもん」って言う。 そしたら 周囲の何人かの人が 「俺もやるから 大丈夫だって」って言う。 あたし 何も言えなかった。 これが現状?? 本当に怖かった・・・

私も本当に怖いですが、
実際にこういうことが起こっているのだと、思います。

第八章 スリム教への新人勧誘 --少女、男性

モデルのような体型はかなり稀なのだが、このイメージは世間一般に非常に良く知られているので、
女の子たちがそれと自分を比べて、自分たちが「間違っている」と思わないでいるのは難しい。
少女たちは美容雑誌、テレビ、クラスメイト、両親、医者たちから
痩せていることは価値のあることで、肥満は解消しなければならないというメッセージの
集中攻撃を際限なく受けている。

若者たちのような影響を受けやすい集団に、
身体に満足を与えるような商品やサービスを買う必要があると説得すれば利益があがる。
こういった製品の多くは、身体の不安感を促進させることを直接的に狙っている。
子供たちは仲間集団の圧力とメディアのメッセージに敏感になる人生の発達段階にいるので、
「どうすればいいのか」というメッセージを求めている。
彼らはとりわけ娯楽産業とファッション産業によて提供される価値観と理想像を
「若者文化」の中心的要素として受け止めやすい。

肥満恐怖は子供にも広がっている
1960年代に行われたネズミの摂食パターンの研究から
身体の脂肪細胞の数が小さい頃の過食に影響されることがあきらかになった。
医者と栄養学者はこの研究結果を人間に当てはめ、
親たちに乳幼児に食べさせすぎないように警告した。
その後研究者たちがネズミの研究から得られた結果を人間にあてはめるのは妥当ではない
ということに気づいた時には
すでに小児にたいするる肥満恐怖は新しいマーケットを作り出していた。

こどもたちにとって痩せたことのご褒美は、社会的に受け入れられること、
つまり「新しい姿、新しいあなた」になることであり、
「今までよりも細くすっきりした自分」に、今までよりよい気分になれることである。
しかし、自尊心をあまりにも密接に体重と肉体的な容貌に結びつけているので、
この態度はまた、心理的にダメージの大きい体重増加と自己嫌悪の悪循環に
入り込んでしまう下地ともなりかねない。
普通の体格のティーンエイジ前半の少女たちの間に
「太ることへの恐怖」は蔓延している。

肉体的に魅力的であることの報酬は、男性は女性よりも少ない。
ある肥満に関する研究によれば
男性は自分の姿形を「心理的な問題にする」ことはなく、
体重を個人的問題とも情緒的問題ともみなしていない。
男性たちにとって重要だったのは、太ることによってもたらされる健康上の問題だった。
しかし社会的な力は男性のこういう図式も変えつつある。

生産よりも消費により多くの関心を持つようになるにつれて、
男性もますます、仕事における業績よりも、
メディアが提供する魅力的であることのイメージにどれだけ合致しているか
という尺度で評価されるようになるだろう。
男性の身体への強迫観念と不安をあおることによって莫大な利益が得られる可能性がある。
男性の美容整形手術を受けるケースは年を追って増加している。
とりわけ太鼓腹と胸の贅肉に、彼らは強迫観念をもちやすい。

男性のダイエットと摂食障害も増加している。
しかし男性は自分の身体に不安をもつことを、
男性らしくないことと感じ、隠したがるため
医師や社会が認識しているよりもずっと多くの少年と男性がこの問題で悩んでいる、
と専門家たちは信じている。

(エスニック集団に関する記述については
日米の文化差が非常に多く現れているためここでは省略します。)

誰が摂食障害をつくるのか―女性の身体イメージとからだビジネス
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10 スリム教からの脱出 
11 私の感想

2007年07月10日

※この記事は「誰が摂食障害をつくるのか」より
「第七章 異常な食事から摂食障害へ--拒食症と過食症の文化的背景」を参照したものです※

いつも若く美しく
美しいことはあなたの務め
いつも若く美しく
もしも愛されたいのなら

もしもあなたが賢いなら、身体のあそこからもここからも
運動して脂肪を追い出して
帽子なしに見られるときは
髪をきれいにカールさせて
(アニー・レノックス「キープ・ヤング・アンド・ビューティフル」)

7章はこのポピュラーソングの歌詞の引用から始まります。

amazonで視聴できます(11曲目)
Diva [from US] [Import]

Real Playerが必要です
Real Player の無料ダウンロード&インストール方法はここ
(無料版は分かりにくい場所にあるので気をつけて。)

個人的にはこの曲の雰囲気好きです。
美しいことだけが起こる楽しい夢の世界の出来事、として
こういったメッセージを聞く余裕が私たちにあれば
こういうウキウキルンルンメッセージって凄く楽しいと思うのだけど
「これが私の最優先の真実の世界であらねばならない」
と思ったときに、私たちの内側に今まで培われてきた世界がひずむのかも知れないですね。

さて、七章では「摂食障害がいかに普通の行動」であるかを語られます。
面白いのは「性的虐待、機能不全家族、肉体的虐待などの重大なトラウマをうけた心理病理学的な摂食障害者」と
「痩身崇拝の文化的メッセージによって作られた摂食障害に似た症状を持つ、普通に起こりうる無謀な摂食行動」を陸続きであるとは言え、基本的には分けている点です。
この分類は初めてみたような気がしますね。
なるほどぉ、と思いましたが、難しいので私の意見は保留しておきます^^。

それから「無謀な摂食行動を起しやすい時期」として大学、という環境に着目しているのも
なるほどぉ、とおもいました。
これは、私心当たりありますよ。
私にとっても、がくんと自尊心が低下した時期でした。

第七章 異常な食事から摂食障害へ--拒食症と過食症の文化的背景

ポピュラーソングの歌詞にもみられるように
私たちの文化は美しくてスリムでいることだけに価値があり、
そういう人だけが愛されるという強力なメッセージを発している。
家族や仲間動詞や学校で何度も繰り返されるこの考え方は、
多くの若い女性に深刻に受け取られている。
その結果、拒食症と過食症は男性より女性に十倍も多い。

著者の調査に参加した多くの大学生たちは
拒食症と過食症に伴う多くの「行動上」の症状をみせていた。
「痩せよ」という文化的命令に従うために
ダイエットや、過食と嘔吐、浄化などに頼っていたが、
普通摂食障害に伴う心理的な特徴
--成熟恐怖、対人関係不信、完全主義--といったような症状を
かならずしも示しているわけではなかった。

つまりこれは文化的に引き起こされた摂食行動であり、
摂食行動以外の点については
心理学的に「正常な」女性たちにみられる摂食障害のパターンである。
無謀な摂食と食べ物への強迫的なこだわりは、
体重と身体イメージの問題に対処するために広く受け入れられている、
「スリム教の信者である女性たちにとっては規範的行動」なのである。

もっともこのような摂食行動は深刻な医学的危機をもたらし、
うつや心身症をともっなった長期にわたる摂食障害につながることがある。

調査の対象者の中には実際に摂食障害に分類される人たち、
つまり実際に性的虐待、機能不全家族、肉体的虐待などの
重大なトラウマを受けた経歴を持った人もいた。
彼女たちは食べることをトラウマに対抗して自分に力を与えるメカニズムとして用いていた。
ある意味で、摂食のコントロールは女性が環境に対して影響を及ぼすことのできる
文化的に認められた手段なのである。

例えば、食物を拒否することは、
問題を抱える家族に強力なメッセージを送ることになるだろう。
過食は情緒的な痛みを和らげる、安全な方法なのかもしれない。
食べ物を吐き出す行為は、ある女性たちにとっては
家族環境、性的虐待、あるいは社会からの虐待に対処する際に感じる
怒りや欲求不満を吐き出す手段なのかもしれない。
彼女たちは体重の減少といった副産物的な利益を得るかもしれないが、
それは主要な動機ではないだろう。
食べるか食べないかを決めることに、自分をコントロールしているのだという
重要な意識を感じる女性もいるのだ。
食物は自己を表現し力を持つための一つの手段なのである。
彼女たちは私たちの文化の、「細く見えねばならない」という命令を、
トラウマに徹底的に対抗するメカニズムに変更したのである。

しかし調査対象となった女性たちの大部分は
無謀な摂食行動を文化的に正しい身体イメージを維持する手段として用いてきた。
そのような摂食障害は危険はあるかもしれないが
「正常(普通の社会で普通に発生しうる)」という風に考えられる

女の子はまずはじめに家族から細い身体に関する文化的な価値観に関する
メッセージを受け取ることが多い。
女の子が成長し、家族を超えて世界が広がると、
友達や学校環境が、スリム今日を促進する重要な仲介者となる

多くの女性たちは自分たちの身体イメージと摂食パターンに
大学生活が重大な影響を与えたと感じていた。

大学環境が体重への強迫観念と摂食問題の発生を生む土壌になるのかについては、
いくつかの理由がある。
第一に中流階級以上の階層に属する人たちの領土だということである。
この階層の人々は女性が痩せていることに高い価値を置く。
第二に、大学生活は「順閉鎖的」環境を提供し、
このことが社会的文化的圧力を増幅させる傾向がある。
過食は「獲得的行動パターン」であり、大学生活のような環境の中で発生する
「社会的感染」現象であるという言い方もできるだろう。
仲間集団の文化が大学生年齢の女性たちにとっては一番重要であり、
女性が美人でスリムであってその結果男性にとって魅力的であるかどうか、
ということが仲間集団内での彼女の地位を決めるもっとも重要な要因である、
という研究者もいる。

高校から大学への移行期は女性たちにとって特別に傷つきやすい時期だと思われる。
彼女たちは親から独立すること、大人になること、
自己意識を確立することという問題と取り組まねばならないからだ。
そしてこの傷つきやすさが無謀な摂食行動の始まりと関係する。
学年が上になるほど身体的魅力、社会的な意味での自信、自己主張、
特に男性の間での人気に関する自尊心が低下したと述べた。
この低下傾向と、食事パターンが次第に乱れるようになることに
関係があることもわかった。

この大学時代の自尊心の低下の理由と、
なぜそのことが特に摂食問題と関係しているかについては
探求の余地があると考えられる。

以上をまとめると
無謀な摂食は心理病理学の兆候ではなく
女性であることを表現する「正常な」戦略の一つなのである。
摂食問題と関係する心理学的なトラウマや生物化学的な欠陥が生じている
という証拠があるかもしれないにせよ、
それらはもっと一般的な問題に目を向けていない
スリムであることへの文化的規範と個人との結びつきは、
家族、学校、仲間によって仲介されるのである。
彼女たちの問題はもっと広い。


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スリムの流行に関するアンケート、
とっても面白いことになってますね。

【質問】
流行が「超スリム」から「豊満」に変わって、 スーパーモデルも雑誌の表紙もみなぽっちゃりになり、 売っている流行の服はある程度太らないと似合わなくなったら、 「それでも私だけは痩せていたい」と思いますか? 」

今私が確認したところで総数24票なのですが

想像もつかない - 7 投票 -
私だけはなんとしても痩せていたい - 6 投票 -
今もダイエットしてないし、流行が変わってもありのままの身体でいたい - 5 投票 -
どれにもあてはまらない - 3 投票 -
流行にあわせて太ると思う - 2 投票 -
今はダイエットしてるけど、流行が変わったらありのままの身体でいたい - 1 投票 -

という結果になっています。

「そりゃ、太るでしょ」と言ったのは二人で、そのうち一人が私ですね(笑)
ああ、「太る」に投票してくださったもう一人の方、
読んでドキっとしてくれたかしら^^。

実はこの質問、いかにも私のオリジナルのような顔をして書きましたが、
実は「「やせ願望」の精神病理 摂食障害からのメッセージ
の中の一文にヒントを得て作ったものです。

高校三年のムツキさん。「ダイエットはしょっちゅうしている」といいます。なぜダイエットをするのかと尋ねれば、「やせるとプラス思考になれる」との返事。 外向的になって何でもできるというのです。「やせるといろいろな服が着られるし、かっこいいし」というムツキさんに、「もしも流行が変わって、太っている方がおしゃれになって、雑誌に出てくるモデルもみんな太ってきたら、どうしますか?」と尋ねると、「そうしたら私も太ると思う」と答えます。ムツキさんの友人たちも、なぜダイエットをするかと尋ねられると「太っているから」とか「今年こそは水着をかっこよく着たいから」とか「○○ブランドの服が着たいから」などと無邪気に答えます。そして「もしも流行が変わって、太っている方がおしゃれになって・・・」という質問に対して「それでもやせる」と答える人はいません。

書いてあることと、実際のアンケート結果が全く逆なんですよ。
やってみるもんですねえ。
私、この本に書かれている通りの結果になるもんだと思って
100の質問に入れたんですが、
寄せていただいた回答を見て、「どうも違うぞ」と思ったんですね。
それでもうちょっと答えやすいアンケートフォームで広くご協力をお願いした次第ですが
明らかに違いますね。

「やせ願望の精神病理」が出版されたのが2001年、
著者が実際に臨床でこういった質問をしていたのは
「厚底靴流行の頃」だそうですので、おそらく1999年頃と思うんですね。8年前ですよね。
8年で「痩せ」の価値観をもっと絶対的にするような事件があったかな、と思ってみると
「内臓脂肪」とか「メタボリック」とか
「健康」と「痩せ」を結びつける発想は強化されましたね
「痩せてることは健康にいい、とにかくいい」という動きが強化されて
「ファッション」という枠すら乗り越えたのかな、という解釈もできますね。
どうでしょうか。

この「痩せ」と「健康」の結びつきも実はかなり商業的な戦略で、
マーケティングということで言えば、
今人口が一番多いのが今60代の団塊の世代、という言われる人たちです。
企業的からするとこの年代をターゲットにするのが一番市場が広いです。
「ダイエット」も「ファッション」をキーワードにして若い世代を狙うよりも
中高年の悩みである「健康」をキーワードにするほうが儲かるんですよね。
ということで「ファッション」としての「ダイエット」がある程度飽和してきたので
「健康」の方にシフトしてきたんじゃないかって、思っていたりするんですが。
「体脂肪計つき体重計」とか「特定保健用食品」としてのダイエット用のお茶、とか
急激に市場に増えましたよね。

私は実は十代二十代の人からの方が、それより上の年代の人よりも多く
食生活と健康の不安について聞きます。
「病気になるんじゃないか」「糖尿病になるんじゃないか」という心配です。
普通に考えると
「あなたの年ならケーキワンホール丸齧りしていても不自然じゃないでしょ」
というかむしろ「孫子に語り伝える健康の証の武勇伝として多いにやるとよろしい」
というような感じではないかと思うんですよね。
だから(場合によってはまだ成長過程であるような年齢の)彼女たちの
生きる証である当然の食欲に対して「糖尿病」なんて恐怖を吹き込んだのは誰だ!
と思うと悲しくなります。


さて、とても暢気に「周りが太ったら私も太る」と、
つい投票したワタクシメの意見ですが
うーん、多分、無理に太ることは無理に痩せることと同じくらいしんどいですよね
だから苦しくなったら「ありのままでいいじゃないかぁ!」って言い始めるでしょうけど、
一応ベースとなる価値観は社会と一緒に動くような気がするんですよ。
「深刻にしんどくなくて太れるのであれば、できるだけ太っておこう」っていう。
社会が良しとしている価値観があって
それにあわせることが特にしんどくなくて、自己評価を下げるものでないならば
社会にあわせおいたほうが色々なことがスムーズですもんね。
そしてそこがスムーズな分、別の場所で自己表現に力を注げるでしょうから、
「それほどしんどくなければそれほどしんどくない範囲で社会にあわせる」
「人に合わせるとしんどいところで自分の価値観に拘る」
みたいな、ある程度のペース配分として、
価値観の移り変わりを考慮に入れると思うんですよ。

皆様の詳しいご意見聞けると嬉しいです。
あとアンケートで「どれにも当てはまらない」と答えてくださった方の意見も
聞けたらうれしいな。

アンケート、たまにやることにしますね。
とても興味深いです。

コミュニケーション不全症候群
コミュニケーション不全症候群


なかなか面白いのですけど、私には全編にわたってまとめきる力量がないので
(なにしろ手塚治虫からやおい小説から森茉莉 からおタク文化までを
理解できるまでの下地そのものが私にはない。)
7月10日までプレゼント対象にします。

興味ある人は読んで見てください。

オタク、ダイエット症候群、少女たちの少年愛趣味
について考察し、現代社会の生きづらさから身を守るための適応である、
とした論です。
とにかく「みんな病気」って言ってしまうところで賛否両論出てくるんでしょうし、
一部論旨がすっきり見えてこないところもあるように思うんですが
非常に斬新なことを言っていると思うし、
「なぜこの社会の内側にいてこんな凄いことがいえるんだろう」という感動もします。
私は好きです。

終了しました

単行本は絶版になってますので、文庫版のプレゼントになります。
代金分¥ 672 と送料300円を合わせて合計973円分のギフト券をお届けします。

欲しい方は下記バナーから資料請求して
ここから「資料請求おわったよ」とメールでお知らせください
文中に「コミュニケーション不全症候群希望」と、資料請求していただいた企業名を明記お願いします。


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ダイエット症候群という病
めちゃモテ考 
マトモって面白いですか?


※そもそもこのサイトのプレゼント企画をご存知ない方はこちら
ダイエットに悩まなくなる本プレゼント

2007年07月09日

※この記事は「誰が摂食障害をつくるのか」より
「第六章 スリム教への入信」を参照したものです※

100の質問を見ていて気づいたんですけども
「超スリムがいい」という価値観は社会的文化的に創られたものだ、
という風にはみんな思ってるんですよね。

でも、じゃあ今スリムになりたいと思っている人に対して
社会の方が「スリムがいい!」から「豊満がいい!」に変化したら
太ろうとするか、というと、意外と「太る」と言い切る人がいないんです。

(あ、もっともデータとしては回答数が足りないです。100の質問よろしく。
TB(http://nora.ddsystems.info/mt/mt-tb.cgi/1304)かメールで募集中。)

これ、理論で考えると
今現在「社会が痩せて居たほうがいいというから、自分がありのままの身体ではいけない」
と感じているのであれば
「社会が太っていたほうがいい」といい始めたら
「それでも私は太りません」というだけの根拠もない、
ってことになるんじゃないのかなって感じがするんですけども、
それが社会的に形成されたものである(相対的である)、ということを自覚はしていても
「痩せは良いこと」という価値観は心の中ではほぼ「絶対」に近いものになってる、んですね。
理論でいけばここでちょっと破綻してるんですけども
感情的にはまっすぐなんですよね。目指す理想に物凄く真剣で一途なわけで。

これが「スリム教」といえば、たしかにそういえなくもないのかな、って思ったりもしましたが。

うん、でも私の感じで言えば、もっと
「その人個人が痩せることや食べることに関してどういうことを感じ考えてきたか」
ということを知らないと、表面の行為だけ見て概論はできない気もするね。

ちょっと遊びでトップページにアンケートつけてみました。
リアルタイムで結果が見られるから、ついでに押していってもらえると興味深い。

アンケート一覧のページ
「スリムの流行に関するアンケート」あります。
ご覧ください。
アンケート解説はこちら→スリムの流行に関するアンケート

第六章 スリム教への入信

時にスリムになることは宗教的意味合いを帯びているように見える。
女性イメージの化身といえる雑誌の写真を崇拝し、
そこから理想的な身体を追求するための霊感を得る。
注意深く身体を調べ食べ物をチェックする様子は儀式的側面を持つ
鏡で点検することと、ダイエットとエクササイズという儀式を通じて
自分の理想を獲得できますように、と熱烈に祈る

身体は様々な方法で測ることができる。
体重計の目盛り、鏡に映る姿、スカートのサイズ、
友人や家族の感嘆の声、批難のまなざしやコメント、
身近な友人たちとの身体の比較、
マスメディアに現れる完璧なイメージとの比較、
男性たちから受ける注目、などである。
「理想の基準に達していない」ということは、
強い自己嫌悪の感情をもたらすことがある。

「私は鏡に映る姿には決して満足しないでしょう。他の女性をみると、 その人たちよりももっと良く、もっと細くなりたいと思います。 そうなれないなら、拒食症になったほうがましです。」
「自分の外見があるべきように見えないと、自分がひどいと感じ、凄く自分が嫌いになります。 家にいて体重がどんどん増えると、最低だって思う。」

両親や友人たちが自分をどう思っているか、ということも
自分で自分をどう理解するかにとても重要な影響を及ぼす。
母親は時に娘にダイエットを勧め、体型について褒めたり批判したりする。
友人たちは学校で大きな女の子をからかうこともよくある

彼女たちは鏡に誰が一番美人なのかをたずね
自分の身体が、その属する文化の基準に一致していないと感じると絶望する
女性たちは母や友人たちとの美人競争に巻き込まれる

儀式的な食物チェックは身体チェックの儀式と手を取り合いながら進む。
カロリー計算や、食品の種類、食べ方、食べる時間、
または絶食の期間などに関する厳密なルールが決められる。
食べ物は厳格に審査され、「良い食べ物」「悪い食べ物」に分類される
「良い食べ物」は栄養学的に健全な食べ物
「悪い食べ物」はつい食べすぎて、太りすぎになる食べ物である。
禁じられた食べ物を食べることによってダイエットをやめた人たちは
まるで堕落したかのように感じる、
そして特に翌日は何も食べないという苦行で罪を贖う。
この食べ方が極端になると、病気に近づいていく。

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9 子供たち、男性たち
10 スリム教からの脱出 
11 私の感想

2007年07月08日

※この記事は「誰が摂食障害をつくるのか」より
第五章 正しい身体になるを参照したものです※

ちょっと概念的なお話が続いていて申し訳ありません。
掲示板でご意見いただきましたが
話はちょっと「・・・ヒトゴト?」って方に飛んでいますね。

この著者は「スリムなこと、美人であること、結婚」の間に
密接な関係があると信じる女性たち、に比較的注目しているんですね。

ただ、私が見聞きするかぎりでは
現代の女性たちのヒロインのイメージってのは
「有閑マダム」ではなくて「バリバリのキャリアウーマン」ではないか、
と思うんです。
金持ちの男と結婚して働かないでいたい、という意見って
むしろ少ないように思うんですよね。

どう考えも金持ちの男を通して富を手にいれるという必要のない
ダイアナ妃やカレン・カーペンターが摂食障害に命を削ったことを
私たちはなんとなく「わかる」わけですし。

だからそういう点の違和感などは私もあるんですけども、
最後にちょっと私の意見も入れたいな、とおもいつつ
読み続けていきます。
ご意見あったら歓迎中でございます。

第五章 正しい身体になる

食品産業、ダイエット産業、フィットネス産業はシステマチックに
女性たちに自立的であるとは自己改良、自己コントロールをすることであり
超スリムな理想の身体を手に入る責任があるということを信じ込ませている。

私たちは当然ながら社会が価値あるとするものを
価値があると考えるように教えられる。
女性の身体に関する関心は
友人とのおしゃべり、家族や仲間集団とのやり取り、その他の親密な集団以外のところから
彼女が受け取るメッセージから生ずる。
そして身体は女性としてのアイデンティティにとって中心的なものとなる。

社会はどの身体が「正しく」
どの身体が「間違っている」かを決め、
それに従って女性を待遇する。
女性はスリム教にひきつけられてゆく。

美しさと可愛らしさが女性の社会的成功、結婚の成功、経済的成功に影響を与える社会では
太った女性は下の社会的階層へと滑り落ちる危険がある。
動揺に、男性は美しく、スリムな女性と結婚することによって地位を維持し、
向上させることができる。
一部の女性たちはスリムなこと、美人であること、結婚の間に
密接な関係があると信じていた。

女性たちは言う
「もしも細くて身体が引き締まっていたら、社会的にもっと受け入れられます。
そしたら自信がもてるし、自分のゴールをずっと簡単に達成できます」
文化は女性が生涯にわたって正しい体になるよう確実に努力するように
報酬と罰と用意していることを見てとることができる

太った人が語る、成長の過程で家族や、学校などから与えられる情緒的な痛み、
「やせなさい」というプレッシャーや、「デブ」というひやかしと
そこから受ける生活や学業や進路の選択に対する影響は
女性の自己概念の発達にとって身体や体重が大切であることを示している。
外見に高い基準の期待を持つ文化の中で成長していくのは難しいことだし
とりわけ肥満の人にとっては罰を与え続けられるような経験である。

女性たちは理想的なスリムな身体基準に従おうと努力する。
なぜなら正しい身体であることでどのような褒美がもらえるかが決まるからだ。
スリムな女性は数々の重要な資源を手にすることができる。
男性の注目、その保護、それについてくるだろう社会的、経済的利益も。
スリム教は正しい体は文化的に受け入れられる、
という素晴らしい褒美を用意しているのである。

誰が摂食障害をつくるのか―女性の身体イメージとからだビジネス
誰が摂食障害をつくるのか―女性の身体イメージとからだビジネス

「誰が摂食障害を作るのか」関連記事一覧
1 紹介
2 拡がるスリム教
3 予習:家父長制
4 纏足、コルセット、ダイエット
5 からだビジネス
6 正しい身体になる
7 スリム教への入信
8 異常な食事から摂食障害へ
9 子供たち、男性たち
10 スリム教からの脱出 
11 私の感想

2007年07月07日

※この記事は「誰が摂食障害をつくるのか」より
第三章/四章 「からだビジネスほど素敵な商売はない」を参照したものです※


女性たちが念入りに鏡を見ることは何を意味しているのかについて
それを「資本主義と家父長制によって作り上げられた鏡」ととらえる、批判的考察の章です。
問われるべきは
「理想的な基準に達するために女性には何ができるか」ではなく
「女性がほっそりした体に過度の関心を持つことから誰が利益を得ているのか」
「どのようにこの強迫観念は生み出され、促進され、維持され続けるのか」
である、という風にされています。

これらの観点はとっても興味深いのですが
個人的に言えば、私はここに
「彼女自身は、鏡にとらわれることからどのような利益を得ているのか」
「いかにして、彼女はそれを維持させるのか」
という謎もぜひとも入れたくなるんですけども
本書では個人的な原因に帰することは社会的な抑圧の構造を隠蔽する、として
ひたすら社会という規模での考察が続きます。

第三章 からだビジネスほどすてきな商売はない--食品、ダイエット、リカバリー

女性が自分の身体が美のテストに落第していると感じるため、
産業は絶えず女性の不安感に訴えて莫大な利益を上げている。
女性たちが自分の身体を管理することにいそがしすぎ、
それ以外の重要な要素に注ぐ時間と労力を減らされることによって
企業文化、伝統的家族、政府、メディアといった、社会を支配している
家父長制的利害集団も恩恵をこうむっている。

女性雑誌は彼女たちに「お手伝い」を提供しながら、
一方で、殆ど達成不可能な基準を示している。
食品産業はジャンクフードを低カロリーのライト食品を同時に生産し、
丸まる太らせ、ガリガリに痩せさせるために多額の広告費をかける。

ダイエット産業はどうすれば痩せられるのかを保証しており、
多くの女性は減量するには、錠剤であれ、ベストセラーダイエット本であれ、食品であれ
「より幸せでより健康な人生」が約束されている何かしらの商品を
「買わねばならない」と信じている。
その中には医学的な危険を伴うものもあるが、
しかし減量産業が主張する減量効果を裏付けるデータは実質的には何もない。

セラピー業界と医学業界は女性の接触と体重の問題を病気として分類する傾向がある。
しかしこの嗜癖モデルは、問題行動の原因と治療は個人の内部にあると考え、
社会が個人にたいして押し付けるより大きな圧力を見逃してしまう。
肥満は病気であり、過食は嗜癖を意味するという考えは、
女性たちが自分の身体について感じてる不安感を強化している。

第四章 からだビジネスほどすてきな商売はない--フィットネスと美容整形

1950年代後半ほっそりしたウエストラインの流行はガードルに頼っていた。
60年代を通してファッションは砂時計型に別れをつげ、
より細い棒のような形へと移っていった。
女性たちはガードルから解き放たれ、
下着で補正されていない形であるべきだと考えられているが
その代わりエクササイズとダイエットによって細く引き締まった体であることが期待される。
このように引き締まった「締め付けから解放された」身体を作るには、
大変な時間とエネルギーがかかる。

70年代以降フィットネスへの関心は増大を続け、
80年代にはより筋肉質の女性の身体が理想とされるようになった。
フィットネス狂信者たちは特定の苦痛を伴う儀式的行為をしばしば強迫的に追い求める。
私たちの現実の体型と憧れのイメージの間には大きなギャップがある。
それでも私たちはイメージを追い求めている。
企業はそれが利益を生む限り、喜んでその手助けをしようとする。

「女性が自分の容貌に対して配慮することの延長」とみなされる美容形成手術は
ますます可能な選択肢となり、さらには選ばなければならないものにさえなっている。
脂肪を取ったり、しわを取り除くことは高い利益を上げ、
時にそれは深刻な医学的危機を伴う。

女の子たちは日常生活の中で文化的価値や文化的態度をおうむ返しに言い聞かされて育つ。
女性たちはこれらの「力」によって「正しい体」になろうとし、
時として自分自身を受け入れるには、生まれ育った文化規範を拒否することが必要になる。

誰が摂食障害をつくるのか―女性の身体イメージとからだビジネス
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2007年07月06日

※この記事は「誰が摂食障害をつくるのか」より
第二章 男と女--精神と身体を参照したものです※

さて前回の予習記事3 予習:家父長制を受けての第二章です。

私はそもそも家父長制、にピンとこない人なので
第二章もピンとこなかったんですが
とりあえず忠実なまとめです。
「えー、それは賛成できないぞ」
と思った部分などあり、なのですが、
それはまた後でまとめないな、と思いつつ。
みなさんはいかがでしょうか。

纏足とコルセットが出てきますが
文学少女だった私としては
纏足の知識はパールバックの「大地」から
コルセットの知識は「風と共に去りぬ
から得たようなものですが
色々考えるためにまた読み直してみようかな、と思ったことです。
今思い出してみればコルセットした時のスカーレットのウエストは
43センチだったんですね。
太ももみたいな腰です。

第二章 男と女--精神と身体

西洋文化の中心的な概念は精神と肉体の乖離による二元論が基盤になってきた。
精神と身体の二分法のルーツは古い
アリストテレスは女性は「不具化された男性である」として
感情的でその身体機能の言いなりになる囚人である、と定義し、
キリスト教教義はそれを受け継ぎ、男性は女性に優っている、とした
17世紀啓蒙思想は科学的知識が求める対象、すなわち自然、は女性であるとして
それを支配する方法について追及した。

文化的ルールが女性の身体を支配してきた、
その歴史的な実例を見てみよう。

古代中国の纏足(てんそく)の習慣は千年以上続いた。
女の子は十歳くらいのころに足を押し曲げられ
布で固く縛って10センチ程度の固い靴に押し込まれた。
纏足をされたばかりの少女は夜毎苦痛に泣き
骨が砕けたまま固定された足は
生涯、付き添いなしでは長時間出歩くことができなくなる。

家父長制の中国社会の中で
女性の唯一の価値は結婚できるかどうかに掛かっていた。
裕福な一族と結婚できれば花嫁の両親は社会的、経済地位を獲得できたし、
花婿の両親は生殖と家事において追加的な働き手を獲得できた。

少女たちは纏足の苦痛と一緒に「女らしい性質」を身につけ、
その理想のために費やした膨大な時間とエネルギーと苦痛のために
確立された家父長制秩序に挑戦する脅威となることはもはやありえなかった
また一人で自由に歩くことがままならないということは
婚外の性交渉による家父長制への脅威をも制限することに役立った

こうして女性の身体は家庭の経済的財産として交換され
纏足は家父長的社会の経済的、社会的権力構造を支えた。

一方19世紀英国とアメリカの女性はコルセットを着用していた。
コルセットの習慣は資本主義の出現期に女性が消費者、および商品としての
役割を持つようになったことをよく示している。
美しさ、性格、気質が、財産としての彼女の価値を決め
ビクトリア朝の女性は夫の富を誇示する見事な展示品になった。
その家父長制的な関心は初期の資本主義を支えた。
新しい市場の殆どは身体とその機能に関する商品であった。
女性たちは良い妻、良い母親であることの重要なシンボルである
最新の家庭用品を購入するために殺到し、
男をひきつけておく能力をもっていることの証明である
コルセットを初めとする美容用品を買うために群がった。
女性が自分の身体をモノとみなしているかぎり、
彼女は支配可能で利益をうむ存在であった。

さて、コルセットという外面的なコントロールから
やがてスリム教という内面的なコントロールへと流行は変わっていく。
近代的家父長制といっしょになって
資本主義は痩せなければならないという圧力を通じて女性を支配し続けている。
女性は自立すべきだというイデオロギーは
コルセットによる外面的支配が内面的支配へ移行するのに一役買っている。
女性たちは行動的になり始め、きついコルセットを脱ぎ捨てた。
変わりに女性たちはダイエット用商品を買うようになり、
膨大な時間とエネルギーをその身体に費やした。

多くの女性は喜んでこの精神・身体の二分法を受け入れる。
それはしばしば膨大な報酬と利益を受け取るからである。
全ての女性を犠牲者と呼ぶのは難しいかもしれない
ある女性は目的の報酬を手に入れ
ある女性は男性と張り合う自身を手に入れているのかもしれないためだ。

誰が摂食障害をつくるのか―女性の身体イメージとからだビジネス
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※この記事は「誰が摂食障害をつくるのか
を参照したものです※

さて、困ったことに、
ここから本書は現在の女性の社会的立場を位置づける二大要素として
「家父長制」と「資本主義」を持ってきます。
何が困るかって、「資本主義」の方はたぶん実感で理解できるんだけどもも
「家父長制ってなんだっけかあ?」と思うわけであって、
ここでちょっと第二章の予習です。

第二章への予習:家父長制

「家父長制ってなんだっけかあ?」に対して
一番歴史的で一番大雑把な言い方をすれば
「常にゴットファーザーがその家を支配統制し、
ゴットファーザーの血を引いた息子がその家を継ぐという社会システム」
でほぼ良いのだと思うんですね。
社会学や文化人類学で「家父長制」という言葉を使う時は主にこの意味で使います。
ひたすら男の血がつながっていることが大事、
とにかくお父ちゃんが偉い、という社会の在り方。
(西洋では王権神授説の根拠になってるヤツですね。
すいません、自分でも何言ってるのかよくわかってないけど。
高校生くらいの時にそういう勉強したんですったら。)

ところがフェミニズムではこの用語が少し違った風に使われて
「男性による搾取抑圧の行われる悪しき習慣」
というニュアンスが出てくるんですね。
性差別を語るための用語に変化するわけです。
本書の中でも

現代という時代においては、家父長制は『男性が女性を支配し、抑圧し、搾取する、相互に関連しあうさまざまな社会構造と実践からなるシステム』と定義できる

とされています。

で、このフェミニズムの立場からの「家父長制」という言葉は
日本にも輸入されています。

日本で「家父長制」という言葉について言及したフェミニストは
上野 千鶴子さんが筆頭ではないかと思うんですが
家事というのは必要不可欠な労働であるにも関わらず
市場から締め出され誰からも賃金を支払われない、
それは賃金労働から女性を疎外し、
女性の労働を男性の労働より低くしておくための
資本主義と家父長制の戦略なのだ、と言ったんですね(多分あってると思う)

私はこれ、覚えてますがこれをきいたときに
「ああ、お母さんは誰かから給料を貰わなければならないのに
誰もくれていないんだ。だからお母さんは不幸なのだ、ああ悲しい」
という風に思ったんです。
とにかく母親は不幸で、
私はその不幸を解決してあげなきゃいけない
っていう気がしていたものですから。

ただそういう理論でいうと
今となっては私、父親についても考えざるを得ないんですけど
ただ毎日黙々と働いて
毎月母親からほんのちょっぴり小遣いを貰っていたんですね
そしてそうやって常に同じペースでほぼ生涯にわたって働き続けたんです。
疎外、という言葉をあえて使うならば
私から見ると、父も自分の賃金から疎外されてたわけなんですよね。
母から何かを取り上げることで自らの権威を保っていた、
という風にはまるきり見えなかったんです。

ところでそもそも日本って家父長制なの?
っていう議論もできると思うんですが
私について言えば
生育環境では、生まれたときから家に
父と兄という二人の男がいましたが、
少なくても彼らから抑圧されたり搾取されたり支配されたりした覚えがないんですね。
男の方が偉かった、ということはない。
(「女はアサハカだ」っていう雰囲気はあったけど、
実際に家庭の中にそれを適応して家族の間に序列を作る、
という発想はなかったんです。)
その上、自分の精神的な背景を探ると、
むしろ不自然なほど父親の影がないんですね。
はっきり言って家父長不在。

さらに、生家を出てからも
私自身がいわば「一人の女として」
男にモノ扱いされたこともあったし、
貢いだこともあったんですが、
でも実感としては「抑圧と搾取」をされたことはないんですよ。
あくまで「共依存」関係としてあった男女関係であって
誰からも抑圧はされなかった
だから「家父長制」「男の支配」というのは
感覚的にピンとこないんです。
だから自分の経験についていえば
精神基盤から言っても権力構造的にも家父長制というのはわからない。


もうひとつ、日本の「家」ということについて言えば
私は河合隼雄さんが大好きなんですが、
この方は、日本の社会は「母性社会」だと言っています。
日本の社会における精神的文化的基盤は母性原理であり、
父権の確立という社会的構造がそれを補償してきた、
というふうに考えるわけです。
それで亭主関白というのは男性の、母性に対する全面的な依存である、
というようなことや
グレートマザーという、抱き取って包み込んで圧殺してしまうような母、
という存在についてよく語っていらっしゃいます。
私には、どっちかというとこの方が理解できる。
父に抑圧され搾取される、という感覚は良く分からないんだけど
母に乗り移られて取り殺される恐怖、というのは分かります。

少し古くなりますが
ホームドラマの名手として有名だった
放送作家の向田邦子さんの作品には
威張り返った腕白亭主と
腰を低くしながら実は家の実権は全て握っていた母
というモデルがよく出てくるわけですが、
あのドラマが非常な人気があるのも、
あの形の家族のあり方に、
実際の自分の家庭はどうであったにせよ、
どこか原型を感じる、というのか
日本人にとって何かしら思い当たるフシがあるからこそではないか
という風なことも思うんですね。


そういったわけで、家父長制が出てくると
どうも私には「分からない」というのと
「疑わしいんじゃないか」というのがあるんです。
おまけに仮に日本社会を家父長制だと考えるにしても
欧米の社会と日本の「家」について
同じ理論で片付けようってのもどだいムリではありましょうし。

でも、疑うってのは凄く良いことだと思うし
疑う練習になればそりゃあ、視野も開けるでしょうから
「家父長制に関する論」はそのまま
ぐいぐい読みすすんでみます。
賛否両論聞けたらいいな、とか思いつつ。

あと家父長制についての知識は付け焼刃なので
間違ったところありましたら教えてくださいまし。


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2007年07月05日

※この記事は「誰が摂食障害をつくるのか」より
第一章 拡がるスリム教 をまとめたものです※

この章ではまずはカルト宗教と摂食障害の類似点に注目します。
女性たちがいかにして、崇高な目的を達成し選ばれたものになるために
自分の身体を道具としているのか、について見ています。

カルト宗教との類似点と言われるとうーむ、
と思いますけども、「スリム教」って言われると妙にわかるような気はします。
強迫的行動はせめて何かにすがっていたい気持ち、
でもありますしね、そういわれてみれば共通点があるのかもしれないです。

この第一章を通してモデルケースとして出てくるのが
「金持ちと結婚するためにかわいくなければならない」
と感じる摂食障害の女の子の話が出てくるんですけども、
私は今のところはそういう願望を直接摂食障害の人から聞いたことがないし、
私自身はそういうこと夢にも思ったことがないんです。
だから、「女性の富への接近は普通結婚を通して間接的になされる」
という解説はちょっとピンとこないんですよね。

そういった点なども含めてみなさんはどうでしょうか

第一章 拡がるスリム教

カルト宗教においては、信者たちはしばしば
自ら世間から孤立し、強い共同体意識をもち、
完璧な理想にいたる途上にいるのだという考えに取り付かれているように見える。
その思い込みが達成の見込みがなかろうとも、抵抗しがたい期待を抱き続け
自分たちの理想を追求しながら「選ばれた者」なのだと感じている。

摂食障害者たちはカルト宗教のように
ある一人のリーダーの要求に従っているのではないが、
その代わりに女性の身体的な特徴はこうあるべきだと定める
強力な文化の力に従っている。
信仰の目的は「完璧な」身体であり、
もっとも重要な儀式は進歩を強迫的に監視しながら行う
ダイエットとエクササイズである。

女性たちはときに、心理的、身体的に自分を傷つけていることを知っていても
医学的には「病理的である」とされる過食嘔吐、拒食などの行為を繰り返し
最終的には自分が「選ばれた人たち」の中に入っていると分析することで
この心と身体の痛みを正当化している。

摂食障害のある女性の言葉
「決定的なのは外見よ。
『私、五キロ太ったけど快調なのよ』って言っていられるかもしれないけど、
そんな女の子と誰がデートしてくれるの?」

彼女はある一定の身体の動かし方をし、
外見があるきまった風に見えなければならず
正しい服と正しい化粧をしなければならなかった。
そして他の女性たちが
この社会の褒美を求めて競争し、彼女のチャンスを危うくするのを
警戒しなければならなかった。

私たちの文化では今でも女性が自分を価値あると感じるかどうかは
男性を魅惑する能力によって大きく決定される。
社会的地位は大部分、収入と職業できまるが、
女性のこういう社会的資源への接近は普通
結婚を通して間接的になされる。
社会的地位が高く給料の高い職業についている女性でさえ、
自分の成功が女性らしさを犠牲にしていないかどうか恐れている。


さて、これまで行われてきた
摂食障害を解明しようとする理論と治療法には次のようなものがある

○まず、比較的初期の理論は個人主義的な説明によるものである。
・1つは、「女性の心理的性的発展が反映されたもの」だと仮定する説。
口からの受胎を恐れ、自分の女性らしさを拒否する行動である、などと解釈される。
これに対しては心理療法によって取り組みがなされる。
・2つ目には、生物学的原因だとする説。
科学的代謝的障害により引きおおされたうつと関係があるとして
薬剤やホルモンによる治療が行われる

○比較的最近のケースとして
・家族内の人間関係の結果起こる、とされるものがある
母親を役割モデルとみなすことを拒否した行為とされ
これに対しては家族療法が取られる

しかしこれらを考えた上でなお疑問になってくるのは
なぜ彼女たちは心理的な苦悩を自分の身体を通じて表現するのか、
なぜこの問題が今の時代の女性に急速に広まっているのか、
という疑問であり、
それを解明するには個人の持つ要因を超えた、
もっと広い環境に目を向ける必要がある。

一体何が女性を生命に危険な行動にいたるまで追い求めよう
というプレッシャーをかけるのか。
どうしてこれがそれほど「普通の行動」に見えるのだろうか
誰がスリム教から利益を得ているのだろうか

誰が摂食障害をつくるのか―女性の身体イメージとからだビジネス
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9 子供たち、男性たち
10 スリム教からの脱出 
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誰が摂食障害をつくるのか―女性の身体イメージとからだビジネス
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この本の目立った特徴は
摂食障害を「スリム教」というカルト宗教にも似た
美の文化的メッセージに対する信仰だと定義する点です。

摂食障害とカルト宗教の類似点をあげ
なぜ女性が自分の身体に極端に高い価値を置くのか、という考察
「スリム教」によって誰が得をしているのかという社会的な分析、
実際に女性たちが感じている文化的な圧力に関するインタビュー
そしてスリム教の犠牲になることに抵抗している女性たちの例をしめすことで
スリム教とは別の道への提案
などの要素からなる論文です。

実は私はこの本の論調から「コミュニケーション不全症候群」を思い起こしたんですが、
このコミュニケーション不全症候群では
「摂食障害」と「おタク」と「少年愛趣味の少女たち」の共通点について論じていて、
その「現実の世界の外に居場所を求める」という共通項から、
出版の数年後に起こる「オウム真理教事件を予言した」とも言われる一冊なんですね。

で、ここにカルト宗教と摂食障害の共通点についての考察の本が
実際あったので少し驚いたわけです。

通して読んでみたところ、なかなか濃い本であるので、
またここにまとめながら読み進んでいきます。
章ごとに読むので九回連載くらいになると思います。

第一章 拡がるスリム教
第二章 男と女--精神と身体
第三章 からだビジネスほどすてきな商売はない--食品、ダイエット、リカバリー
第四章 からだビジネスほどすてきな商売はない--フィットネスと美容整形
第五章 正しい身体になる
第六章 スリム教への入信
第七章 異常な食事から摂食障害へ--拒食症と過食症の文化的背景
第八章 スリム教への新人勧誘--少女、男性、エスニック集団の女性たち
第九章 スリム教からの脱出

以下は「はじめに」からの引用です

最終的には、スリム教から逃れて自由になる方法を探さなければならない。しかし最初に、私は女性が美しさとファッションの追求を完全にあきらめるよう説いているのではないということを述べておくことが重要である。身体を飾ること、美とファッションの儀式はすべての人間の文化に不可欠の部分である。しかし、どんな代償を払っても超スリムな身体を獲得しようとする今日の美とファッションのトレンドは現実的ではない。たいていの女性の身体は、自然な形ではスリムな身体の理想像に合致しないのだから、このようなトレンドは女性の健康、自尊心、そして社会における経済的、社会的な地位の向上にとって有害である。
女性は文化的なお荷物を投げ捨てることができる。女性は文化が押し付ける理想を拒否し、自分自身のイメージに作り変えることができる。スリム教とは別の道もある


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2007年07月03日

この時期、私の故郷では野外コンサートという楽しい音楽祭がある
今は結構離れた町で暮らしているのだけど
今年はぜひともその野外コンサートに行きたい、と思ったのだ
そして、できれば
そのコンサートに行くついでに
その街に暮らしていてずっと好きだった人にも
(こんなイイ女を振りやがった不埒な男でもあるが)
久しぶりに会いたいな、ということを考えたのだ

さて、
彼に会うかもしれない、ということを勝手に一人で思った時に
私がまず考えたことは
「会うとすればその前に服も靴も新調して美容室も行かねばならない、
どれだけの金と時間がいることだろう、困った」
ということであって
本当に私はそういうことを真っ先に考えたわけだ
滅茶苦茶だけど実際考えちゃったんだから仕方ない

ちなみにその街に暮らしていた時の私は会社員で
身なりには好きなようにお金をかけていた
今はまず収入が減っているので、かなり自由は利かなくなったし
人口3000人という凄い過疎地に住んでいて、
洋服なんて手に入らないし、ついでに言うと
手の込んだおしゃれして歩いていると明らかに不自然に見えたりもするわけで
だから私の外見はそれなりに変わっている

このまま、今のままで彼に会うとは想像もつかない、とはいかなることか?

つまり私は彼が好意を持ってくれていること自体は信じているのだけど
どういうわけかそれを「綺麗なラッピング」の故の好意だと思い込んでいる
ということだ
ラッピングが綺麗でないと好意は減るに違いない
(ちなみに「綺麗」というのは「充分に清潔な」という意味ではなく、
金と手間の掛かった「力を誇示するもの」ということだ)

一体どうして、私はこの交流に対してこんなに卑屈な見方ができるのか?
なぜ私は、ことさら彼に関して、
自分はラッピングにしか価値がないと自ら進んで思っているのか

私は自信がないのだ
私が彼に見られると思った場合に
当時よりも自分の外見に卑屈な印象を持つのは
「彼への想いを含めた一切のものを捨てた時」と
「全くゼロから何もかも新しいことを始めた今」とでは
暮らしの色々な面が、殆ど価値観そのものからして大きく変わっており、
私の過去の殆ど全てのメタファーである「彼」に見られることを意識した時
私はまだ「現在の自分の選択の方でよかった」と感じるだけの水準にまで
今の生活を持っていけていないのだ
「彼を思ってぐずぐずと泣いてとりあえず日を過ごしていた
あの頃の方がよかったのかもしれない」
という思いを、おそらくは今持っているからこそ
私は「あの頃と寸分たがわない外見」以外の風貌をして
彼に見られるのが怖いのだろう
ようするに多分私は
「落ちぶれたんじゃないか」という疑惑を持っているのだ

だけど、実際時は動いたし
私は選択をしたし
失敗する可能性をも含めて私はよくやっているではないか

まったくだ

結局私の想いというのが
一人の人間が一人の人間に対してどう向き合ったか、ということではなく
自分の存在証明として彼の目線が必要だったということしかないとしたら
それはまったくおかしな話だ

さて野山を駆け回れる格好をしたままで
芝生の上のピクニックコンサートに行ってこよう
それから時間があれば会えるように
久しぶりに連絡でもしておこう

私が今の選択に自信が持ててないならば
それはそれで仕方のないことだ
自信は経験にしかついてこないし
願って得られるものではない
しかしそれは私が今履いているごつい軽登山靴とは
何の関係もないことだ

一人の人間として向き合って
一人の人間とした振られたのだから
一人の人間として会ってきたら良いではないか

自分でやってみた。
これ凄い大変ですねー。
びっくりするくらい時間がかかりました^^
いやいや。
でもやってくださる方募集しております、トラックバック歓迎。

質問はこちら
ダイエット症候群の人へ100の質問

1:過去にどんなダイエットをしたことがありますか。

BOOCS、絶食、運動、グローバルダイエット(だっけ?)

2:そのうち効果のあったものはどれですか

よく覚えてないから、長期的には全部駄目だったってことだと思う

3:ダイエットをしたとき、どんなことがおこりましたか
 (リバウンド、体調不良、ダイエットハイ、摂食障害など)

体調不良、立ってるのも辛い、とか

4:今までに体重を減らすためにした試みの中で一番印象に残っているのはどんなことですか

下剤を飲んでいたときに「もう自分は駄目だ」みたいな感じがしていた

5:体重が増えると敗北したような気持ちになりますか

「女としての市場価値が安くなる」みたいな気持ちはあったんだよなあ。

6:「痩せる」ことは「成功する」ことだと思いますか。

そういうことを思わない精神状態でいたいけど、
「自分でやってることに自信がないとき」って
「気に入ってもらうことが全て→痩せるとうまくいく」っていう感覚が
ふっとよみがえってくることがある

7:ダイエットに失敗したとき、悪かったのはあなただと思いますか、ダイエット法だと思いますか。

ダイエットという発想が詐欺です。

8:自分にぴったりのダイエット法さえ見つければ思い通りの体重になれるような気がしますか

なれません。身体が太りたかったら、私には止められないでしょう。

9:理想の体型であるためにどんなことをすべきだと思っていますか

「理想の体型」の間口を広げる

10:理想の体型であるためにどんなことをすべきでないと思っていますか

「理想の体型」の間口を狭くしない

11:今の生活は楽しいですか

悲喜こもごもですけども、結構うまくやってます

12:痩せているとどんないいことがありますか

やっぱり洋服の選択肢が多いよね
あと、ダイエットが話題になってるときにびくびくしない
余計な人からいらん優越感を押し付けられないで済む

13:痩せているとどんな悪いことがありますか

「自分は勝ち組よ」という非常に怖い誤解を持つ
(本当怖い、凄い怖い、自分以外の価値観に対する想像力が死にます)

14:太っているとどんないいことがありますか

凄く自尊心を鍛えられるような気はした。
今の社会で、太っていて、それでも卑屈にならずに自分を受け入れる、って鍛えられると思う。
マイノリティがマイノリティであることに卑屈にならずにアイディンティティを持っていく、って凄いなあ、って思うし、そういう数によらない価値観って結構美しいことが多いよね。
(本当は太ってることって別にマイノリティではないんだけど。
それで良し、という価値観を持つことはマスメディア的にマイノリティかな、と。)

15:太っているとどんな悪いことがありますか

社会から阻害されているような
「人から愛されないために生まれてきたんじゃないか」みたいな気分になる。
弱虫だけどしょうがないでしょ、そう思うんだっば!(逆ギレ)

16:幸せになることと痩せること、どっちが良いですか

幸せになろうとすること

17:あなたが痩せたい主な理由は何ですか

結局、痩せていると色々便利なことが多い。
「太っていてかわいそうに」という視線を浴びせられるより、
「痩せていて羨ましい」という視線を浴びているほうが生き易いに決まってる。

18:この世に鏡と女性誌と体重計とテレビがなかったら、あなたの暮らしは今とどんな点が違うでしょうか

自分の身体が鑑賞されるものだなんて、思わないよね。

19:「太っていること」が流行し始めたら、あなたは太る努力をすると思いますか。

「太っている=美」となったら、抵抗はできないよね。
今と同じに「ありのままでいいじゃん!」ということを真剣に考えてはいたいけど、
でも弱虫だから「社会的基準」から漏れないような小細工はちょっぴりするでしょうねえ。

20:痩せている人は太った人よりも気分よく暮らしていると思いますか

社会的に良しとされているから便利なことは結構あると思います。
あとは生活していく中での嫌なことの数とかは変わらないだろうけど。

21:痩せていることは美しい、太っていることは醜い、と思いますか

思わない。
でもモデルの写真が綺麗だと、
この人が綺麗なのは痩せているからなのかな、とつい思っちゃうことがある
(本当は写真の技術が優れてるだけではありましょうが)

22:ダイエットを全部完全にやめてしまうとどんなことが起こりそうな気がしますか

快適ですよ。
自尊心は体重以外のところで見つけていかなければならないので
そういうところは孤独な戦いですけども。

23:自分の体の嫌いな部分を教えてください

あ、ないね

24:なぜその部分を嫌いなのですか

ないない。何言ってんの、私、かわいーもーん。(←スミマセン)

25:自分の体の好きな部分を挙げてください

目?

26:なぜその部分を好きなのですか

褒められるのよぉ。(←スミマセン)

27:自分の体に対してどんな感情を持っていますか

よく私を守ってくれてるなあ、って感謝します。

28:「自分に優しくする」ってどんなことだかわかりますか

最近かなり分かってきた。
自分の心と身体は「自分にとってよい方を目指しているんだ」ってことを信頼するってことです。

29:今日、自分を喜ばせるためにした行動を五つ、挙げてください。

いっぱい寝た
美味しいコーヒーを淹れた
美味しいサンドイッチを作った
良い匂いの石鹸を使った
旅行の計画を立てた

30:今日、自分を喜ばせるためにできそうな行動を五つ考えてください

ヨガをする
楽しいことを考える
ラベンダーの練り香をつけてゆっくり寝る
旅行の計画を立てる
この質問のQ.24に「私はかわいい」と書く(ヤッテシマッタ)

31:それをしたらどんな気持ちになりそうですか

わくわくする

32:あなたは食べること以外にどんなリラックス方法を持っていますか

アロマオイルを使ったマッサージ
銭湯に行く
好きな人のことを考える(さらに陶酔して泣く)
手帳にとにかく色々書く
散歩をする
絵を描く

33:あなたにとって「良い食べ物」はどんなものですか

そのとき本当に食べたいもの。

34:それはなぜ「良い食べ物」なのですか

凄く美味しいから

35:「良い食べ物」を食べるとどんな気持ちになりますか

生きててよかった、と

36:あなたにとって「悪い食べ物」はどんなものですか

食べたくないときに食べるもの

37:それはなぜ「悪い食べ物」ですか

美味しくない

38:「悪い食べ物」を食べるとどんな気持ちになりますか

今度はもっとうまくやろうと思う

39:今、一番食べたい食べ物は何ですか

今お腹イッパイだからおもいつかない

40:食べたらどんな気持ちになりそうですか

食べたいものを食べると幸せになります

41:食べたいものを食べることについてどんな不安を持っていますか

以前は止まらなくなるんじゃないか、って不安でした。
今は経験的に「満足したらいらなくなる」ってことがわかった。

42:あなたにとって「物を食べる」とはどういうことですか

食べることは生きること
それから心的生活の重要なメタファーって気がします。
自分を取り巻く食べ物の持っているストーリーを読んでいくことは
人生にとってとっても役に立つと思う。
ユングが夢の分析をしていますが、食べ物の分析も、充分深みがある、って思います。

43:「私は今○○キロです」とありのまま体重を口に出して言ってみてください。
   どんな気持ちがしますか

え、三キロくらい痩せたいかも(笑)

44:人生で一番最初に痩せなければならないような気がしたのは何歳の頃で、
 その時どんなことがあったのでしょうか

中学生のころだったように思います。
母親が痩せなさいといい始めた

45:母親はダイエットをしていましたか

してました

46:両親からスタイルや体重についてどんなことを言われましたか

母親は痩せるように言っていた
父親は無関心

47:言われたことについてどんな気持ちがしましたか

何か悪いことをしたような気持ち

48:それは現在の生活にどんな影響を及ぼしていると思いますか

体重のことを考えていくと、母という存在には行き着きますね。
ただ、あまり結び付けて考えたくはないんですけど

49:母親のような人になりたいですか

価値観が違うので、私は私、母は母でいたいです

50:「オバさん」になることについてどう思いますか

嫌な言葉ですよね。普通に年を取りたいです。
ありのままの自分でいる以外のことを望みたくはない

51:父親のような人になりたいですか

価値観が違うので、父は父、私は私でいたいです

52:自分が女性であることについてどう思いますか

あまり「女性」という枠組みで考えたくなくて、ずっと避けていたんですよね。
最近考えますが、うーん、どうも自分を女性だとは、思ってないです。
「中性になりたい」ってずっと思ってたんですが、未だにそういう気分があります。

53:いつもついつい食べすぎてしまうのはどんなときですか

ストレスがたまるときです

54:食べ過ぎるとどんな気持ちになりますか

ちょっと食べ過ぎたな、と思います

55:自分を太っていると感じるのはどんな時ですか

劣等感を感じるとき
自分の「していること」に自信がないとき

56:太ったね、といわれるとどんな気持ちがしますか

言われる人にもよるんですけども、
こちらが劣等感を感じている人から言われると凄く決定的に否定されたような気がします。
なんとも思ってない人が悪気なく言うのだと
「そういう話題はあんまり楽しくない」ってことをさし障りない程度に言ったりもしますけど。

57:痩せたね、といわれるとどんな気持ちがしますか

条件反射でとりあえず嬉しいですよね。(嬉しいことがなんか悲しいっちゅうねん。)

58:人に隠れて物をたべる習慣がありますか

6歳くらいから数年前までありました。

59:誰から、何のために隠れているんでしょうか、隠れなければどんなことが起こりますか。
 隠す習慣のない人は、隠れて食べることについてどう思いますか。

本当の自分は隠しておかなければ誰にも認めてもらえない、っていつも思うんですよ。
自分なんかが何かを欲しがってはいけない、とか。
そういう気持ちです。

60:人生で一番痩せていたとき、何歳でどんなことをしていましたか

22歳のときかな。人生の楽園を求めて沖縄に移住して、やたらモテました。

61:もう一度その体重になったらどんな気分になると思いますか

まあ、嬉しいかもしれないですね。

62:人生で一番太っていたとき、何歳でどんなことをしていましたか

19歳くらいです。
大学に入った直後で自分が何をしたらいいのか見当もつきませんでした。

63:もう一度その体重になったらどんな気分になると思いますか

やっぱり試練だな、と感じるでしょうね。
自分に自信を持つ、ということについて真剣に考えます。

64:今、何歳でどんなことをしていて、どんな気分ですか

29歳で、摂食障害者のなれの果てで、ネオニートで、
現代社会の価値規範から落ちこぼれた人間だぞ文句あるかコラ、
というアイディンティをもとに
SOHOでスズメの涙ほどの収入を得る方法を日々模索しています。
社会不適応万歳。

65:あなたは不安を感じたとき、どういう行動をよく取りますか

意識してメモをよくとります。
最近は軽いヨガという方法も編み出した。

66:それは不安にたいする効果的な対処法だと思いますか

今のところ私が知る中ではベストです

67:今後不安になったときに試してみられそうな対処法を考えて教えてください

もっとヨガを知ると面白いかもしれない

68:あなたは「空腹」以外のどんな理由でものをたべますか

人とのつきあい、仕事の息抜き

69:空腹を感じるとどんな気持ちになりますか

何食べようかな、とわくわくする

70:満腹を感じるとどんな気持ちになりますか

幸せになる

71:自分のサイズにぴったりのお気に入りの服を持っていますか。

ありますよ。

72:細く見せようとしてワンサイズ小さい服を選んでしまうことがよくありますか

ありません

73:クローゼットの中にサイズの合わない服がありますか。
 ある人はなぜ捨てないのでしょうか。

ありません。

74:ダイエットについて二度と考えなくて良い人生を送ることができたら今より快適になれそうですか

快適ですよ。

75:なんでも好きなときに好きなものを好きなだけ食べることができる人生を送ることができたら
 今より快適になれそうですか

快適です。

76:今より5キロ太っている、と想像してください。どんなメリットができますか

む、難しいね。
新しい自分の姿として受け入れる。そうすると自信がもてる(理想論気味かな?)

77:今より5キロ太っている、と想像してください。どんな点がデメリットになりますか。

洋服を買い換えるのが億劫だよね。

78:今より5キロ痩せている、と想像してください。どんなメリットができますか

洋服を買い換えるけど、うきうき買い換えるだろうな。
世間が「より良い」というまなざしで見てくれる

79:今より5キロ痩せている、と想像してください。どんな点がデメリットになりますか。

それにとらわれてしまう、二度と太っちゃいけない、とか思うようになったら不自由になる。

80:この社会に暮らす殆どの女性が「あと五キロ痩せたら何もかもうまくいく」と考えていることについて、
 どう思いますか

こうなってくると個人の問題ではなくて社会の問題なのかな、という風には感じるよね。

81:自分の体型についてどう思いますか

なかなか悪くない

82:それってちょっと自己イメージが歪んでると思いますか

あはは、いや、実際悪くないって。

83:太っていることと痩せていること、どちらが良いですか

ありのまま、が一番幸福に近い

84:「協調性がない」と思いますか

今は「協調性」を欲しいと思わないから、「ない」とも思ってない

85:「自己評価が低い」と思いますか

基本は低めですね。でもかなり育ってきたのじゃないかって思います。

86:周りの人には簡単にできることが自分だけはいつもできない、と感じますか

方向感覚、とか、手際よい仕事、とか、計算、とか
実際に周りと比べて私だけが極端にできないことはかなりあるけど、
私の方がまわりの人よりよくできる分野もあるし。
まあ、色々個性的です、ワタクシ。

87:「自分の体は男性に見られるには太りすぎている」と感じますか

いや、下世話な話ながら脱ぐと一瞬、すわ、と思いますよね

88:「痩せてることは男にモテること」だと思いますか

もてる、というのか、実際ちやほやされていたと思います

89:「太っていることは性的な関係から遠ざかること」だと思いますか

うーん、思っているのかもしれない。
痩せているときの方が「チャラチャラした」関係を多く持つので。

90:正直言って、モテたいですか

モテたいかもしれないですね。
いっぱいナンパされる、とか、正直嫌な気分ではないです。

91:モテるどんないいことがありそうな気がしますか

認められてる、求められてる、居場所があるって気になります。

92:太っていて魅力的な人を知っていますか

知ってます

93:あなたは太っても魅力的な人になれそうですか

ぜひなりたいです。

94:巷に溢れる「スリム→美しい→幸せ」という百億個のスローガンに対して、何か意見をお願いします。

スリム「も」美しいとは思いますが
スリム「だけが」美しいわけではありません

95:「ちょっと痩せたら?」という余計なお世話に対して効果的な対処法を何か考えて教えてください

「私はこれで満足してるの」

96:痩身崇拝は自分に不利な社会のルールだと思いますか

自分に、たくさんの人に、不幸な社会のルールですね

97:「女性は選別される性」だと思いますか?

うーん、ずっとそういうふうに思いたくなかったんですけど
でも「痩せること」って考えるときにはたいてい「男性の目」ってやっぱり意識してるんですよ。
そういう意味では、見られたり選ばれたりする対象として身体を考えてるってことになるんですよねえ・・・。

98:今よりもっと女性が生きやすい社会を想像してみてください。どんな点が変わったら
良いでしょうか

「私たちが美しいのは私たちが美しいからであって、誰かに見られるからではない」
という感じで女性たちが街を闊歩する社会、素敵です。

99:リバウンドなしでダイエットに成功するのは200人に一人というアンケート結果
 (「ワシントン・ポスト調べ」)もあるそうですが、それが正しいとしたらどんな気がしますか

199人になる確率よりも、残りの1人になる確率の方が高いですよね。
こういう調査はもっと欲しいね。

100:正直言って、ダイエットは努力と成果、割りにあってる気がしますか

もともとの骨格がよほど細くない限りは、おっそろしく割に合わないと思われる。

2007年07月01日

流行に乗っかって作ってみました。

やってみてくださいな。
やってみたら共有してもらえるとアンケートとして興味深いのだけど
誰にも見られないでこっそりやったほうが良い回答ができそうな気がするので
あんまり晒したくないところは「黙秘!」に変えるか
それともここのコメント欄だったら完全に無記名でも投稿できるので
匿名でコメントに入れてもらえると嬉しい(長くなるけど、入ると思う)
これ、統計、というのかちょっとまとめて分析できたら面白いんじゃないかなあ、って思うんだけど。

自分のところでやっていただいてTBも歓迎でございます。

疲れるけど、ぜひやってみてくださいませませ。
あ、あと女性を想定しています。男性の方、すみません。

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