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2007年07月31日

「美容体重を諦める必要はないけど、身体が太る権利を認めるってどういうことだーっ?」
というメッセージ頂きました。

前回記事はこちら
アンチダイエットと美容体重

この話題の加熱ぶりって凄く興味深いですよね。
色々、意見質問くださってる皆様ありがとうございます。
返事追いついてなくてごめんなさい。
話の流れから考えて分かりやすい順に取り上げさせてもらってますが
頂いたご意見については全部参考させていただいています。


「私はどうしても○キロになりたい」という気持ちを
もし諦められられるのであれば諦める方が良いですよ、きっとね。
完全に太っても痩せても本当に心からどっちでもいい、ってなると
その方が楽だし、わりと主張として一貫してますよね。
人に対しても自分に対しても「体型なんて関係ないじゃん!」って
心から言えたらやっぱり凄いと思います。
現代社会を生きる女の悟りの境地?って思う。

ただ、実際問題になるのは、
諦めることができるかどうか、だと思うんですよね
例えば私なんかは莫大な時間を使って
自分の摂食障害の道を辿りなおして言語化して
消化しきれなかった食物にまつわる色々なことを
言葉の世界でもう一度消化していこうとしているわけで
だから摂食や体型にまつわる諸々の痛みが
単に摂食や体型に関することだけを表しているわけじゃない、
社会との関わりかたとか生き方とかそういったものを表しているんじゃないか
というようなことを完璧に信じているわけですけども
それとは別のところで
「まあ、それでもやっぱどっちかというと私は痩せたいね」
という風には思ってるわけですよ

「美容体重を諦めないとダイエットをやめられない」というのであれば
またここで堂々巡りになりますよね
「諦めなきゃいけない」「諦められない」
「でも諦めなきゃいけないのよ」「でもやっぱり痩せたいの」
という風にやり始めるとまたこれは永久に続いてしまうと思うんです

諦められるのであれば諦めた方が楽だと思います

でも諦められないのであれば、そういう自分、
「痩せたい」でも「ありのままの自分を受け入れたい」という
その相反する二つの気持ちをどうやって一つの胸に収めていくか
というところに取り組んでいくしかないんじゃないかな
って思うんですね。

「痩せたい」という気持ちはどこにもやらなくても
ダイエットをやめることも自分を信じることもできますよね。
「怖い」というのは「不可能」ではないし
「難しい」というのも「不可能」とは違うと思うんです。

「私の気持ちとしては痩せたいけれども
身体が今チョコレートのドカ食いを必要としてあるのであればしょうがない」とか
「太ることはいやだけども、太っても私は私なんだからこれはしょうがいない」とか
「どうなるのか分からないのは怖いけれど、自由に生きたいから試してみよう」とか
そういうアプローチもあると思うんですね

本当に大事なのって、
どっちか片方にだけ決めてしまってもう一方の気持ちを排除して
「理論的にすっきりすること」、ではなくて
自分の心の中の二律背反を無視することなく
どれだけ一生懸命にありのまま抱き締めていくか
というところなんじゃないのか、という風なことを思いまして

そういう思いで書いているんですが、
どうだろうか。

もうね、私の言ってること、
もしかするとどこかとどこかで首尾一貫してないところあるかもしれないですけども
それしょうがないです
私がありのまま抱えようと必死に取り組んでいるアンビバレントであって
嘘ついてるわけではないです。
もう、なんか必死^^;

最終的には体重が減るなんてどうしたらわかるの?」という
記事で身体を外側から見てどう見えるかという話はしたくない、
というようなことを書いたんですが
その記事に関して頂くメールを見ていて、
どうもいたずらに不安を煽っているような気がしてきたので
ここであっさり節を曲げてちょっと具体的にアンチダイエットと体型の話をします。
言ってることが一貫してなくてすいません。えへ。

(・・・でも体重とか体型の話って、
あんまり気持ちよく素直にできないような気がするのは気のせいなのか?)

私がダイエットやめて、なぜか知らないけど体重落ち始めたときが
いわゆる「美容体重」といわれるところで安定したんですね。
(その道のオタクだけが知っているBMI値19という数字です)
何を飲んでも食べても太らない、ので
たぶん一生この体重のままなんだろう、とそのとき思いました。

あんまり意識してなかったですけども、色々楽だったですね。
私ってモテるよな、と思いましたし
(↑こういうのって一回ギャフンってなんないと分かんないよ、馬鹿だから)
「太っている」という悩みを持つ子に「気にしなければ痩せるよ」ってアドバイスするのも余裕でしたし
(↑これが回りくどい「自分の痩せた身体の誇示」であったことに気づくのはずっと後のこと)
大好きな興福寺の阿修羅像に顔が似てくるし
(↑マニアックですみません。昔から少年になりたかった私。)
「痩せてていいねえ」って、言われて特権階級意識もてるし、
どこで売ってる服でもだいたい試着の必要もなかったし
本能のままに何でも食べられるし、
まあ、相当に居心地良い体重でした。

でも美容体重で安定しているからその人生に満足するわけでは勿論ないので、
三年たったときに「生まれ変わる」くらいの決心をして生活の全てを急激に変えます。
環境が何もかも変わって、経済的不安を含めて
「どうにもならない不安」というのがぐっと増えたときに、
面白いことに体重も増えまして
いわゆる医学的な「健康体重」といわれる体重になったんです。
(ダイエットオタクは知っている、BMI値22とかいうやつです)
美容体重とは五キロくらい差があるんですよね。

五キロ増えると、「えー、増えちゃったよ」という気になりますので
過食症以降の骨肉の半分がジェニーン・ロスでできている私としては
きっと不安とか怒りとか、そういうものが体重を増やしているんだな、と思って
「そういう自分を直視」したらまたも体重も元に戻るかな、と、
「食べ過ぎることの意味」を思い出しながら食べることに意識を集中するようにしたんですね、
やや減りましたが、もとのところまでは戻らなかったです。

それでまあ、
要するにそういうのが今の私です
不満であれ、満足であれ、私はこの身体で生きてくわけです。

私の身体が今の生活を続けるのに「安定感」を必要としているのであれば
不安に対して太ることで生き延びようとするんじゃないかなって思うんです。
増えた体重に対して私や周囲の人がどういう感想を持つかということとは関係なく、
身体が必要なものを私が取り上げることできないですもんね。

「健康体重以下ならいいじゃん、私の痛みはあんたにわかんないわよ」
とか言わないでくださいね、
1キロ太っただけで罪悪感を抱えて人の顔を直視できなくなる、というのは
いかなる体重の女性にでも平等に起こりうることですから。
「健康体重以下ならいいじゃん、あんたは人に身体のことで馬鹿にされないでしょ」
とか言わないでくださいね。
はっきり言ってこの世に生きている女性はいかなる体重でも身体のことで理不尽に嫌な思いしてますから。
「健康体重以下ならいいじゃん、少なくても”健康”でいられる体重なんでしょ」
って言わないでくださいね
”健康”と”体重”が密接な関係がある、っていうのだって単なる迷信かもしれないんですから。

全ては、多分、そういう問題じゃないんです。
「不安」や「不満」や「自信のなさ」を身体に託すのに、
健康体重も美容体重も関係ないはずなんです。

「ダイエットやめたら、やっぱり美容体重はあきらめなくちゃいけないのよね。
わかってます、でもせめて健康体重になりたいんです。」
というような感じのメールをいくつかいただいたんですね。

うーん、まあ、別に諦めなきゃいけない、っていう根拠はないんじゃないですかね。
私はわけもわからず「美容体重」でしたし、
メール頂いたアンチダイエット派の方の体験談も、
(前は数字は書きたくない、と濁しましたが)
はっきり言って「美容体重」の範疇だと思います。
(メールくださった方、こんな書き方してすみません!
というか、変な言葉だね「美容体重」って。)
たしか祭子さんも「美容体重くらいにはなると思う」ってmixiで書いてらっしゃったように思うんですね
ログが見つからなかったので、不確かな発言で申し訳ないんですが。

ただね、思うんですよ。
それでも相変わらず、体型と体重のことが
頭と生活の中の中の大部分を占領しているのであれば
ダイエットやめる意味なんてなんにもないじゃないかって。

相変わらず体型がアイディンティティの大部分を占めるのであれば
ダイエットをやめて美容体重になったとしても
「ダイエットやめたら痩せちゃった、わーい」と思うよりも、
「こんなに簡単に痩せられるなら、完璧になるためにあと2キロ痩せよう」
と思ってまたダイエットを始めるんですよ。(って断定しちゃうけど、本当ですよ)
本当に何も変わらないですよね。
「痩せてるから自分を好きになれる」っていうんじゃ、
「太ってしまったら自分を好きで居られなくなる」という不安と隣あわせじゃ、
せっかく好きなときに好きなものを食べられる生活を手に入れても意味がないって、
そういった束縛の全てから自由になれるのでなければ何の意味もないんじゃないかって
私思うんですよ。

「痩せることを諦めなきゃいけない」とは思ってないんです。
(私からして生活が落ち着いたらまた体重も減るだろう」と無邪気に信じてますから)
ただ「身体には太る権利もある」し、
理想ほど痩せてなくても「やっぱり私」だし、
「私」ってのはいかなる状況下でも「私にとって大事な私」なんです

・・・というところから、出発したくて、ですね。
だから「私も、あの人も、この人もアンチダイエットで美容体重になりましたー!!」
って言いたくなかったんですよね。
でも「美容体重は諦めてください」っていうことを言いたいわけでもないんです。

2007年07月30日


他サイト掲示板で「ダイエットをやめたらヤセちゃった」
という話題が出てるのを教えてもらいました。

ちょっと興味深かったので、ご紹介したいのですが
リンクはってもログが流れそうなので、引用してしまいます。
(2ちゃんねる掲示板/スレッドタイトル「ダイエット やめ たら 痩せ ちゃっ た」
掲示板に独特の言語表現のされている部分のみ、
文意を損なわない範囲で、言い回しを変更させてもらいました。)

以下の引用はダイエットをやめることで痩せた人と
それについての情報を求める人との対話の部分です。

「まさにやめたら目標体重まであっさり落ちた ダイエットで食べちゃだめってされると余計食べたくなる不思議な心理 」



「ダイエットやめるってどういうこと? 食への執着が消えない・・・ 」


「飽きるまで食べ続けてみたら?私はそう決めた途端に食への執着が薄れて痩せた。 極端な食事制限→ドカ食いの繰り返しで2年で15kg太ったけど、3ヶ月で戻ってさらに痩せた。 その代わり、どうしても飲みたい・食べたいものは何であろうが我慢しないよ。 運動(有酸素と筋トレ)も一生続くぐらいのペースで楽しんでやってるけどね。 」


「飽きるまで食べ続けるということは毎日・・・? 太るのが怖い・・・。何でそういうこと出来たの? 」


「友人の「明日死ぬなら、美味しいもの食べてデブデブで死んだほうがマシ」という一言がきっかけだったなあ。 明日死ぬ(と仮定する)→美味しいもの食べたい→どうせなら自分が本当に食べたい美味しいものを食べよう、に変換された。 そう思うと安物のお菓子やジャンクフードじゃなくてデパ地下の高級惣菜なんかを食べるようになって、ウマーイと満足するから量も適度でOKに。 実際、安物を飽きるまで食べるもやったけど数日で飽きたよ。何やってんだ自分、て苦笑いだった。 」

面白かったのは
「目の前にあるこれを食べるか食べないか」とか
「ダイエットをやめるかやめないか」
とか言うところで完結している話ではなくて、
表現こそ軽い感じで書かれてはいるもののの、
「どう生きるか」というところまで話が深められていますよね。
「明日死ぬとしたら、今日はどう生きるだろうか」という
かなり必死の問いから出発してダイエットという荷物をおろすに至った感じがします。

今のこの社会で生きていて「2年で15kg」太ると
本人の希望によらず否応なく向き合わされるものって相当に大きいですよね。

これ、私もわかるんですけども
そういう時のまず最初の反応が「否定すること」であって
「こんなの本当の私じゃない。今より15キロ細いのが本当の私」
と思い込んで、自分にとっての現在を丸まる無視して(「だってこんなの私じゃないもん!」)
ダイエットを自分の生活の最優先事項に組み込み
そうして現在の自分は
「食べる権利がないし」「束縛されている」という思いを深めていくんですよね。

「15キロ少ない未来の私」だけが全ての権利を持っている
と思って「現在の身体」から全てを取り上げること
何か起こるといつでも「15キロ少ない未来の私」像の中に安全な避難場所を求めること

この体験談の人も
「生き生きと今を生きたい」という思いと
「こんなの本当の私じゃない」という思いの、葛藤って
相当大きかったのじゃないかな、って思うんです。
だからこそ、出てきた問いが「明日死ぬとしたら、今日はどう生きるだろうか」であって
現在の自分を認めることの結果としてついてきたのが
「ダイエットやめたらヤセちゃった」ということだったんじゃないか、って思うんですよね。

普段なかなか近寄らない掲示板ですが
書いてある体験談が非常に面白かったため
ご紹介まで。

2007年07月28日

たまには淡々と脱線しようと思うんです

私、ただ今「ド」の付く田舎に住んでいるんですが
この季節、夜に散歩すると
人間は歩いてませんが
クワガタが道を歩いてるわけです

ひっくり返ってるのは、放っておくとアリに襲われてしまうので
助けてやるんですが、今度は手から離れないのがいまして。
そんなこんなで縁の強いやつは
指にくっつけたまま連れて帰ってきたりするんですね
大きい虫かごに入れてスイカの皮与えてたりします

そんなクワガタたちがこの季節になると4,5匹にもなってたりして

クワガタって、特にメスなんかは
小さいし、ただ黒いだけで取り立てて特徴もなくて
ゴの付く虫に似てたりするんですよね
別に綺麗とか格好良いとか無いわけで
実は最初あんまり触りたくなかったんです

でも連れてきた子だから
毎日餌やってかごの中に木の枝でブランコとか作って
それ乗ったの落ちたの、スイカが酸っぱくなったのと
一日なにくれとなく世話をしてやるわけです
結構顔もわかってくるんですよね
今でもそんなに積極的に触りたいわけじゃないですけど
でもうちに居る子らは可愛く見えるようになってきました

だから
なにさっていうと

だからようするにですね
綺麗でも格好良いわけでもなく
何かの条件において他より優れているということもなくて
ただうちに居て私が大事にしてやってる、という、それだけで
「うちのクワちゃん」なんであって
「ちょっと怖いかも。あいや、でも可愛いかも」とか思ってるわけです
可愛いような、でもゴのつく虫に似て怖いよね、というのかね
それでも連れてきたし、長生きさせたいわけです

ただ私が大事にしようと決めたことと
ただ私がそれのために時間をかけている
ということ以外には
大事であることの根拠って何もないんですけども

そういうおとぎ話は「星の王子様」で読んだからもういいよ、って言われたら
まあ、その通りなんだけど^^

でも「大事」とか「かけがえのない」とかいう感情って本当に
「他より優れている」とか「何かの理想にあう」というところからくるんじゃなくて
殆ど根拠もなく「大事なんだ」って決めて
それに対して闇雲に時間を使う、という、
ただそこからだけ来る、ってのは確かですよね。

いっつも何に対してもそういう気持ちでばかり居られるわけでもないですし
それで全てが語れるわけでもないですけども
でもやっぱり生きていて「かけがえのなさ」ってのは
「理想」に宿るわけじゃない、って
わりと日常レベルで思うんですよ。

これまで生きてきて
もっとも長い時を費やした対象って
結局は「私」なんですよね

それで充分じゃんか、っていうふうに、
思う日もあり

もちろん
心が波立つ日もあり。
それで
ええじゃないか。

2007年07月25日

asaさんへ

-----------
こんにちは。アンケート結果、興味深く拝読しました。

ひとつ、個人的に非常に知りたいのですが、
上で言う、
「ダイエットをやめること」で体重(体型)が安定してきた」方たちの、維持されている体重(体型)というのは、自分の納得ができる美容体重(体型)なのでしょうか。
(こんな質問自体が摂食障害っぽいですが)
「やせ願望の精神病理」の中で、
「三食を気持ちよく食べて自分の生活をして落ち着く体型が自分の自然な体型だと思うべき」とのくだりがあったのですが、
全くその通りだと思いつつ、その「落ち着く体型」が、自分の望む体型と食い違っていたら・・・ということを考えてしまうのです。
「自然な体型」というのは、皆さんはどのような感じになられたのでしょうか。
若干太めくらいに落ち着くのでしょうか?
中肉中背?
それとも割合ほっそり?

そこら辺のことが非常に知りたいです。

宜しくお願い致します。

------------

asaさん
ストレートなご質問どうもありがとうございます。
真剣な問いかけだと思います。
asaさん以外の多くの方も気になっていることでしょう。
お返事、回りくどくなってしまいます、ごめんさない。
望んでいらっしゃるような回答ではないこと、わかるんですけども、でも一生懸命考えました。
よかったらちょっと一緒に考えてみてください。

「自分の望む体型」にはなれません。
ダイエットによってもなれませんし、
ダイエットをやめることによってもなれません。
あるがままの体以外のものにはなれないはずです。

ダイエットによる飢餓状態から新陳代謝が落ちて脂肪が増えているひとは
ダイエットをやめてしばらくたつとその分の脂肪は落ちるのが一般的だと思いますが、
(「ダイエットやめたらヤセちゃった」「ダイエットしないで痩せる方法」「on eating」などが参考になると思います。)
結局のところ、生まれつきがっちりしている人はがっちりした体のままでしょうし、
華奢な骨格の人は華奢に見えると思います。

ダイエットをやめることで減量してそれを維持している、という体験を教えてくださった方の中には
実際の身長と体重を書いてくださった方もいました。
でも私はそういった話をこのサイトでしたくありません。
「外側から見て」どういう体型に見えるのか、という話も、できればしたくないんです。
体重や、見た目で、分断されたり、成功度や社会的ステータスを測られたり、ということに
私はもう飽きてしまったのですね。

「ダイエットをやめる」ということが意味するものは
「自分の望む体型」になるか、ならないか、ということではなく
むしろ「体型」に何かを望むのをやめること、
こうありたいという自己イメージと現実の自分の間のギャップを「体型」に託すことをやめる
ということではないか、と思うんです。


私の好きな、おなじみジェニーン・ロスの抜粋です

ワークショップでアビーはこう言いました。
「この飢えはいつ止まるの? 私は毎週、貴重な禁じられた食べ物を買うの。買っても食べないこともあって、今もたくさんのアイスクリームを一週間放ってあるの。全部食べちゃうこともあるわ。 だけど、自分が食べ続けたいわけじゃないなんてどうしたら分かるの?最終的には体重が減るなんてどうしたら分かるの?

彼女は分かっていません。 危険です。彼女は食べ続けるのをやめないかもしれません。 体重が90キロにもなり、ドア、椅子、バスに入り切らなくなるまで食べ続けてしまうこともあり得ます。 自分では何も決められず、すること、言うこと、着るもの、食べるものを他人に決めてもらっている自分に気づくとき、彼女は自分を信じるか、自分をほろぼすかの選択のリスクを負うのです。
--「食べ過ぎることの意味」より引用--

この文章、私ずっと気になっていたんです。
ありのままの自分を受け入れることについて考えていたとき、私も思ったんです。
「最終的には体重が減るなんてどうしたら分かるんだろう」って。

そして、このアビーの問いにジェニーンはなんと答えているのかと思って一生懸命読んだんですけど、
ジェニーンの書いていることの意味が分からなかったのですね。
アビーは何を分かっていなくて、何が危険なんだろう、って。
分からないんだから私もきっと危険なんだろう、って思いました。

私やアビーが「最終的には体重が減るなんてどうしたら分かるんだろう」と知りたかったのは
「自分を信じるか、自分をほろぼすかの選択のリスク」を負いたくなかったからじゃないかと思います。
終始安全なところに居て「安全だよ」と言ってもらったことだけやって
不安を伴う「生き方の変化」なんてものを経ないで、
ダイエットの束縛から逃れ、尚且つ痩せたい、
ふたつ良いことが欲しい、と思ってたんですね。

ふたつ良い事ないです(たぶん)。
「ダイエットをやめたら本当に痩せるのか」というのは誰にも分かりません。
私は太っていたところでダイエットをやめました、そしたらもっと太りました、
太ることによって自尊心が嵐の中の笹舟みたいなことになりました。

それで震える笹舟になって、なぜ真夜中の荒れ狂う海(!)を耐え抜けたかというと
やっぱり「今自分を受け入れられるようにならなければこれから先の人生なんともならん」
という、生き方に関する問題があったからです。
その後、自尊心がなんとか耐え抜いた後には、知らない間に随分痩せましたけど、それはおまけです。
たぶん「痩せる」ことが目的でダイエットをやめてたら、
太った時点で耐え抜けなかったでしょうし、
一見安全なことを言ってくれるダイエットに戻っていたでしょう。
そして「安全なこと」を言ってくれる人を求めてウロウロし続けたと思います。

ダイエットをやめるかどうかの選択は
太るか痩せるか、という選択ではなく、
自分を信じるか、人の言うなりに物事を選ぶか、
という選択なんじゃないかって思うんです。


----------
asaさんが望んでいる回答じゃないよなあ、って書いてて思うところが悲しいですけど。
asaさんが聞きたいこと、じゃなくて、私が言いたいこと、なのかもしれないですよね。
asaさん、コメントありがとうございます。こんなんでごめんなさい。


夏目祭子さんのmixiにも同じトピックを作っていらっしゃるようなので
こちらもどんなレスがつくか興味深いですね。

他にご意見あったら、みなさんにもお伺いしたいです。
アンチダイエット体験談なども含めて。

2007年07月24日

「ダイエットに関するアンケート」で
「ダイエットに成功し、一定期間維持している」という回答を下さった方に
「どんなダイエットをして、その後どんな生活を教えてください」と呼びかけてみたんですが
2票あって、嬉しいことにお二方ともご連絡くださいました。
凄く嬉しいです。
ありがとうございました。

まずはもう一度、投票結果から見てみます。

質問:ダイエット暦について教えてください。

7月24日現在の回答です(総投票数:42件 )

ダイエットし続けて目標体重を維持できているが摂食障害の自覚がある - 13 投票 -
どれにもあてはまらない - 6 投票 -
ダイエットし続けて目標体重を維持できていないが摂食障害の自覚がある - 5 投票 -
ダイエットに成功したことがあるが三年以内にリバウンドして元に戻った - 5 投票 -
年季の入ったヨーヨーダイエッターである - 5 投票 -
ダイエットに成功したことがない - 3 投票 -
ダイエットに成功した事があるが三年以内にリバウンドして最初より増えた - 3 投票 -
ダイエットに成功して現在まで半年以上維持している - 1 投票 -
ダイエットに成功して現在まで三年以上維持している - 1 投票 -
ダイエットに成功して14年維持した後で摂食障害になり、現在回復(リバウンド?)過程-コメント-
ダイエットはしたことがない - 0 投票 -


成功して、維持しているお二人についてなのですが、
まず私が拝見したかぎりでは「ダイエット」ではなくて
「ダイエットをやめること」で体重が安定してきたアンチダイエット派であるように見えるんですね。
やっぱり「アンチダイエットで痩せた」という回答欄をつけるべきだったな、と思いました。
ちょっと判りにくい選択肢になってしまいましてすみませんでした。

摂食障害で身体を壊したのをきっかけに
それを乗り越えるために自分の身体の声に従って物を食べる、ということを実行するようになったら
ベストの体重で安定して三年以上維持できている、という方。
同時期に食事に関してストレスの多かったバイトをやめたり、
ご結婚されたりという心的状況にも変化があったようです。
食事についてはこのように書いてくださいました。

全ては「自分の胃に聞く」だけ。
「1食に何品目必要だ」とか「おやつをご飯代わりに食べてはいけない」とか「 みんなと同じ時間に食べなくてはいけない」という規制がとれて、元の自分のペ ースで食べています。
体に合わないものは食べない。気分じゃない時は無理して食べない。これくらい でしょうか。

多少食べ過ぎたり、食べ忘れたりしても体型は変わらない、
歯も爪も髪も肌の状態も良い、とのことです。


それからもう一方、摂食障害の症状が消えるのと一緒に体重が安定した、という方ですが
その方も一部転記させていただきますね。

・「絶対に太らない」という思い込みが、過食に対する興味を失わせた
・お菓子以外のまともなものを食べていると、お菓子を食べたくなくなった
・たまに自分の感情を解放してあげることによって、過食の原因となるイライラがなくなった

あとは「買い物をするときに、製品のカロリーを見ることと、
あと、食べ過ぎた日には次の日の食事を軽めにすることくらい」ということです。
(私が思うに、この方はこれしなくても殆ど体重変わらないような気がしますが。)

だいたい、お二人とも同じですよね。

ダイエットという制限や束縛がなくなったら
(それからおそらくは心理的な制限や束縛もシンクロしているように思いますが)
自然と自分の身体に良いように食べるようになっていった、
ということのようです。

そういったわけで、今のところ42票中で
「ナントカ式ダイエット」で成功している人、というのが皆無です。
ワシントンポストのダイエットに成功するのは200人に1人、という調査は
真実なのかもしれないなあ、と思うことです。

成功したのもしなかったのも含めて、
ダイエット体験記、記事にしてもいいよぉ、
という方他にもいらっしゃいましたら、ぜひ教えてくださいませ。
アンケート一覧

2007年07月22日

リラックスYOGAブック―こころとからだに効く
リラックスYOGAブック―こころとからだに効く

地味地味地味~っと反響いただいていますので、もうひとつYOGAのご紹介。

「なんとなくやる気が出ないとき・・・」におすすめの「こどものポーズ」。
膝をかかえてごろんと横になって、ただ呼吸を味わう。

私が、これ凄く安心するのですよ。
もともと、体育座りというやつですか、膝を抱えて小さくなる、という
隙あらばあの座り方をする癖があるんですが
こういうふうに小さくなる姿勢全般に、私は凄く安心します。
「これもヨガ」って言われると、堂々とやれるので嬉しかったりして(笑)

森川那智子さんの別の本「みんな、やせることに失敗している」という
摂食障害に関して書かれている本にも実はこのポーズは紹介されているのですが、
過食浄化に悩む人は普通の人よりずっと長くこのポーズのままでじっとしているそうです。
「体が、この姿勢のもたらす『安心感』をそれだけ必要としている」
というふうに解説されています。
以下は「みんな、やせることに失敗している」からの引用。

就寝時の姿勢(スリープ・ポジション)を研究しているS・ダンケルは、 この「完全なる胎児」のポジションで眠る人は 「今まで、自分の人生に起きた出来事に対して自分自身を広げるとか、 あからさまに表すことを許していない。
人生の喜び、または苦しみというものを、とことん、かつオープンに経験することに抵抗している」 と言っています。
 過食症やダイエット中毒者は、食と身体のコントロールに没頭することで、人生の喜び、または苦しみを、 とことん、かつオープンに経験することに抵抗している--。
だったらそうした抵抗やためらいを、「完全な胎児のポーズ」によって表現してもいいんじゃない?
こちらの方がずっとストレートで気持ちがいい。
だんだん心の深いところがやわらぎ、くつろいでくるはずです。

それから摂食障害に悩む人に向けて、このポーズをお勧めする件です。

危ない時間帯には「自分の体を抱き締めるポーズ」をやってみてください。
そうして自分の内側からのメッセージに耳を傾けます。
「本当はどうしたいの?」「食べたいの?どんなものが欲しいの?」「何を感じているの?」
って、優しく訊いてみてください。
もっとゴロゴロしていたかったらゴロゴロしていましょう。

どういう姿勢もありです。
私がよくやる体育座りは「自分を抱き締めるポーズ」だし
正座してそのまま上体を倒すのは「うずくまるポーズ(子どものポーズ)」
体を丸めてごろんと横になるのが「完全な胎児のポーズ」

そうやって、ただじっと安心していたらいい、
それがヨガ、って。
ゆるめでやりやすい感じですよね。

・・・私これやると結構寝てしまいます^^;


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ヨガのすすめ
レビュー

2007年07月21日

一度ご紹介したものですが調子が良いのでもう一度ご紹介してみます。

リラックスYOGAブック―こころとからだに効く
リラックスYOGAブック―こころとからだに効く

たまにしているんですよ、毎日ではないんですが。
奇抜な格好で固まってるわけではなくて、ですね。
一番やっているのが「大の字になって寝る」というヤツで
これを「完全なくつろぎのポーズ」という風に言うのだそうです。

大したことなさそうですが、
普段の生活の中で大の字になって何もせずに寝転がる機会がどれくらいありますか、
と考えてみれば、ほぼ皆無、ではないですか?
何もしないで寝転んでみて、その新鮮さが、まず驚きです。

簡単そうなんですけども、
結構続かないもので、何もしないで寝転んでいると
いろいろな思いが頭の中をやってきては去っていきますから
飛び起きて何かしたくなるんですよね。
「あ、あれやらなくちゃ」と言って起き上がりたくなる。

何でも集中するのって難しいなあ、って思います。
食べることに集中するのも難しいですよね。
つい、手近にある雑誌に目を落としたくなったりして
食べ続けることに心の焦点を合わせるのって難しいですが
何もしないことに集中するのも本当に、
やってみると難しいです。

この「くつろぎ」を少し楽にするのが、色々なポーズで
寝たままあちこち伸ばしたりねじったりして
普段使わないところをじわーっと伸ばすんですね
伸ばして、その延びた感覚に心をつなぎとめて十呼吸味わってから
またくつろぎのポーズに戻る
そうやって呼吸を整えながらあちこちほぐします。
そうするとリラックスの状態になりやすくなるんです。
そのじわーっと伸ばす簡単なポーズが、この本の中にいくつか書かれているわけですが。
じわーっとなるんであれば、柔軟体操でも何でも良いらしいですよ。
じわーっと伸ばして呼吸を整えればそれでヨガ、だそうです。

で、寝転がってですね、
自分を観察していると、頭の中ってとっても忙しいのですよね。
次から次と、殆どどうでも良いようなことが浮かんでは消えていきます。
あれしなきゃこれしなきゃ、とか
あれはどうしてああなってるんだろう、とか
そういうようなことを。

でそういうのを「あ、今はこれについて考えているな」というふうに
ちょっと離れて飛び起きるのを辛抱して観察しておくわけですが
そうすると結構、とりとめもなく色々考えているようではありながら
結局はいつも2つくらいの考えに戻ってきたりするみたいなんですよね。
自分の心の大部分を、今何が占領しているのか、っていうのが判ったりします。

「何もしない」を続ける、というのも苦しいんですが、できるだけ辛抱して
自分の取り留めのない考えに付き合います。
辛抱が限界になると体が反応するんですよね。
私は目を閉じてやってるんですが、自分では気がつかないうちに勝手に目が開いたり、
動かしたつもりがないのに勝手に手足が動いたりするので
そうしたら、限界なんだな、って思ってやめます。

不思議なんですけども、これで頭と体が軽くなるんですよね。
それから生活の中に意識的に「何もしない」時間を作っていくようになると
「何かする」時間が濃くなります。

「無意識になるために」だらだらと何かをする、という必要があんまりなくなるんですね。
「無意識になりたい」のであれば、
「漠然と何かをする」のではなくて、「何もしない」をしよう、
という選択肢があることによって
「無意識になりたい」という自分の欲求に対して効果的に対応できるようになります。

そんなわけで「最近ヨガやってます」って言ったって、
あんた寝転がってるだけじゃん、
・・・というミもフタもないこと言わないで、
なかなかお勧めです。
漠然と「時間がない」ような気がしているような方に特に。

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レビュー

2007年07月19日

アンケート回答ご協力ありがとうございます。
きちんと考えられたり、調べられたりした上で書かれた
しっかりした本を読むのはとってもためになりますが、
ある部分、アンケートの結果を見るのは本よりもっと興味深いところがありますね。

アンケート一覧にて
過去のアンケートもまだ回答できます。
宜しくお願いします。

前回実施のダイエット暦に関するアンケートで
摂食障害でなく、ダイエットに成功して維持できてる方がお二方いらっしゃいますね。
ぜひ、詳しいお話をお伺いしたいです。
もし見てくださってたらどんなダイエットをして、今どんな生活をしている、
というようなことを知りたいのですが
差し支えなければ参考までに教えていただけないでしょうか。

ふたつの質問をあわせて見てみます。
まずは前回の質問から。

質問:ダイエット暦について教えてください。

回答です( 7月18日現在 総投票数:38件 )

ダイエットし続けて目標体重を維持できているが摂食障害の自覚がある - 13 投票 -
どれにもあてはまらない - 6 投票 -
ダイエットし続けて目標体重を維持できていないが摂食障害の自覚がある - 5 投票 -
ダイエットに成功したことがあるが三年以内にリバウンドして元に戻った - 5 投票 -
年季の入ったヨーヨーダイエッターである - 3 投票 -
ダイエットに成功したことがない - 2 投票 -
ダイエットに成功した事があるが三年以内にリバウンドして最初より増えた - 2 投票 -
ダイエットに成功して現在まで半年以上維持している - 1 投票 -
ダイエットに成功して現在まで三年以上維持している - 1 投票 -
ダイエットはしたことがない - 0 投票 -  

今回実施のアンケートはこちら

質問:ダイエットをやめたらヤセちゃったことがありますか

回答です(7月18日現在 総投票数:30件 )

怖くてダイエットをやめられない - 14 投票 -
ある - 8 投票 -
ない - 7 投票 -
どれにも当てはまらない - 1 投票 -

この2つの質問を並べて見ると
「ダイエットで痩せる可能性」よりは
「ダイエットを止めてやせる可能性」の方がとりあえず高いですね。

「効果があるからやる」ということではなくて
「怖くてやめられないからやる」
という状態で続けていらっしゃる方が沢山いるようですが
不安が人を動かしてしまうところはまさしく「スリム教」と呼べる状態だと思います。

少なくても、減量という点についてだけ考えれば
このアンケートを見る限りでは、摂食障害になりたいのでなければ
「ダイエットなんてやってもやらなくても、結局はなるようにしかならない」
という結果にはなってますよね。

同じ「なるようにしかならない」のであれば
ダイエットをしないで「なるようになってる」方が
ダイエットをしても「なるようにしかならない」と感じるよりも
ずっと人生に対して主体的に関わることができたりするんじゃないかな、って
やっぱりそういうことは思いますけども。

だから、もし「単に減量のためだけにダイエットしてる」という方がいらっしゃったら
このアンケート結果って(勿論母数が少ない貧弱なアンケートではありますけども)
「あ、ダイエットって意味ないんだー。やめよう!」
と考えなおすきっかけくらいにはなるはずの数字だとは思うんですが
実際問題としては「単に減量のためだけにダイエットしてる」人の方が少ないんですよね。

過去に「あなたはなぜやせたいと思うのですか」というアンケートをとりましたが
「健康のため」とか「流行の服が着られるようになる」とか
一応理論的に「減量」ときちんと結びついている、と思われる結果ってむしろ少なくて
「受け入れられたい」という思いだったり、
「自信をもちたい」という思いだったり
「判ってもらいたい」という思いだったり、
理屈で考えると「それはダイエットとは関係ないんじゃないの?」というふうにもいえる
非常に込み入った感情がダイエットとして現れている場合が多いです。

だから多分、「ダイエットでは痩せられない」としても
すぐにはやめられない人の方がずっと多いんじゃないかな、って思うんですよ。

それで、ですね
怖くてダイエットがやめられない皆さんにひとつ提案なんですけども、
例えばチョコレートが食べたいのに
「駄目駄目、生キャベツを食べて我慢しなくちゃ」と思うとき、
お腹が空いているのに食事を我慢してダイエット用プロテイン飲料を飲もうとしているとき
あるいは絶食しようと決心するとき
ちょっとだけ考えてみて欲しいのは
「こういうことをして減量できた人は殆どいない」ということですね。
「こういうことは減量とは全く無関係であるという可能性は高いけれども、
それでも私はこれをしたいのか」というのをちょっと考えてみて欲しいです。

「痩せないとしてもこれがしたい」というのであれば、構わないと思うんですよ。
決められたとおり食べていればなんとなく安心するから、
という理由でダイエットをする権利だって、誰でも持ってると思うんです。

ただ「実際は痩せない」ものを「痩せるかもしれない」と思って続けてしまうと
凄く混乱すると思うんですよね。
自分は何の目的があってこの行為をしているのか、
というのははっきりさせておいたほうがいいと思うんです。
その行為をする「目的」と、その行為が招く「結果」がきちんとつりあっているのかどうかを
考えて自分で「選択する」という意識をもつということは大切なことです。

それからアンケート結果から少しそれますが、ひとつ気になることは、
「過食をなくす」ということと「ダイエット」ということが
頭の中でイコールになってしまっている人がとっても多いんです。
「何かのルールに従って決められたとおりにだけ食べていれば過食しないし体重も減る」
という風に考えていて、
「過食をやめる」ということが
「自分にあったダイエットを探す」ということだと思い込んで居る人や、
「ダイエットをやめたらもっと過食が酷くなる」と思い込んでいる人、
が凄く多いです。
そういう人は、「ダイエット」という束縛、剥奪の感覚そのものが
過食の引き金である可能性もとっても高いと思いますよ。

過食って意志とか我慢とかで、なんとかなる問題じゃないですから、
当然ダイエットでなんとかなる問題でもないです。

2007年07月16日


アンケートご協力ありがとうございます。
今回はダイエットに関するアンケートについてでした。

質問: あなたのダイエット暦を教えてください

総投票数:21件 (7月16日現在)です

ダイエットし続けて目標体重を維持できているが摂食障害の自覚がある - 8 投票 -
どれにもあてはまらない - 4 投票 -
ダイエットし続けて目標体重を維持できていないが摂食障害の自覚がある - 3 投票 -
ダイエットに成功したことがない - 2 投票 -
ダイエットに成功したことがあるが三年以内にリバウンドして元に戻った - 2 投票 -
ダイエットに成功した事があるが三年以内にリバウンドして最初より増えた - 1 投票 -
年季の入ったヨーヨーダイエッターである - 1 投票 -
ダイエットに成功して現在まで半年以上維持している - 0 投票 -
ダイエットに成功して現在まで三年以上維持している - 0 投票 -
ダイエットはしたことがない - 0 投票 -

このアンケートはどこから着想したかというと
ダイエットしないで痩せる方法」という本の中に
1980年にワシントンポストが行った調査として
「ダイエットに成功して一定期間以上それを維持できているのは200人に一人である」
という報告がある、ということが書かれているんですね。
これは本当なら凄いことだ、と思ったんですが
さすがに古いですし、アメリカ人と日本人では食べてるものも身体つきも随分差があるので
もうちょっと身近な範囲で行ったこういうアンケートがないかなあ、と思ったんです。

このサイトが「ダイエットをやめて自由になる」ということを目指すサイトである
という自体ですでにバイアスが掛かってる、
ダイエットがうまく行っていて順風満帆
やっぱり幸せになるための基本はダイエットでしょ、
というような人はそもそもここに来ないよ、
ということもいえるとは思うんですが
それにしてもあまりにも綺麗に酷い結果が出ていますよね。

実はダイエットがうまく行って一定期間以上維持できている
という人がいたら、ちょっと詳しく話しを聞いてみたい、
お話を記事にさせてもらえるようにお願いできたらいいな、
という風に思っていたんですが、
そもそもうまく行った人が今のところ皆無です。

ダイエットというのはうまく行かないか、減量できたとしてもすぐに元に戻る、
戻ることに抵抗すると、その抵抗が実現できているにせよいないにせよ
とにかく摂食障害になるしか道はない、という結果になっています。

摂食障害になる人は「極端なダイエット」とか「間違ったダイエット」とか
とにかく何かしらの間違ったことをしたんだ、と言われ、
(誰に言われるかって、もちろんダイエット産業に、だ。)
あるいは「成熟拒否」とか「自我未発達」とか「機能不全家族」とか言われ、
(その人の心的状況をとりまく要素のひとつとして言われるのでなく、
摂食障害の原因そのものであるといわれたりするわけで
「摂食障害を発症させるような家族」なんてものがこの世に存在するんだ、
ということがまったく何の悪気もなく言われたりする)
そしてこの嘘っぱちのダイエット自体は
まったく誰にそしられることもなく繁盛し続ける、というのを考えると、気分悪いです。
責めやすい人から順に責めるという発想はなんとかならんのか、と思う。

ただ、このアンケート自体に微妙なところがあるのは
ダイエット、という形をすでに失っていて非常にオリジナルに儀式化された習慣
というのを慢性的に持っている、という感じの人が多いような気がするんですが、
そういった人にとって回答がしっくりこないんじゃないかということも思ってるんです。

「何かを買うときは必ずカロリー表示をチェックして一番数字の少ないのを買う」
という習慣だと、いつはじめて、いつ終わって目標体重がどう、という話ではなくなってるわけですし
「トーストにはバターは塗らない、コーヒーには砂糖は入れない」
という感じになると本人も好みなんだか、何かの刷り込みによる行動なのかもう分からないし
「肉を見ると吐き気がする」くらいまでいくと
さすがにダイエットとすら呼べなくなってくるけども、
でも考えてみればダイエットを始める前にはそんな症状はなかった、というような例もあるだろうし。

回答を作成してから自分も答えようと思ったときに
なんかすぱっと当てはまるものがなくて自分で困ったんですけどね。
ふたを開けてみると、やっぱり「どれにも当てはまらない」が多かったですよね。
状況が多彩なので掬いきれてないとは思うんです。
どういう表現がそういう状況を言い表せるかなあとそのとき凄く考えたんですけども、
ちょっと今回はこれ以上どういう切り口があるのか思いつかなかったのですみません。
少しずつずつ視点を変えてまたアンケートしていこうと思います。

でも、ちょっと、もうちょっと公平になるために
もう少し投票欲しいです。
未投票の人、ぜひお願いします。
8月12日までです。
アンケート一覧

2007年07月15日

ちょっと旅行中です。
宿泊先のホテルに居て何もすることがない、っていいですよね。
私大好きです。

ところで、この滞在中に非常に会いたい人が居たのですね。
どうやら会えないらしいことが発覚しつつあるんですけども。
そうなると私はどうなるか、というとホテルのベッドに斜めに身を投げ出して
ばったり倒れたまま堂々巡りをするわけです。
「なぜ、なぜ、なぜ、なぜ・・・」という。
そして頭の中はそれ以外は何もなし、という状態になります。

考えてみればこちらに来る前も頭の中は殆どそのことばっかりだったわけで
昨日あたりはそわそわして何も手についてないですから
丸2日間、完全にたった一つのことしか考えてないんですよね。

私はかつてこの街に暮らしていたときは三年間それを考え続けて、
つまり三年もの時間をひとつことにかまけてまったく上の空だった
という恐ろしいことに気づいたのでこの街を出たのですが
人はあまり急に変わらないもので
相変わらず貴重な「今」をうわの空で2日目です。

気づいてみるとですね、
「なぜ会えないか」っていくら考えても絶対分からないんですよね
なぜなら私が決めたことではないから。
ただ、これに関して私がわかる可能性のある「なぜ」がひとつあって
「なぜ私はこうまでそのことばかりに気を取られているのか」
という、「私」のことであればわかる可能性があるわけです。

いったいなぜ、一つ思いにこうも頭を占領されてしまうのか。

答え
多分、占領されたいからですね。
私にとっての「会いたいけれど会えない人」というのは
「今生きている人生とは別の人生の可能性」ということのメタファーです。
「今の生活はどこかうまく行っていない」
「今の生活に不満がある」
と思うよりは
「あの人に会いたい」という風に思う方が抵抗がないから
だから今の私にとっては現実ではない「あの人」に執拗に固執します。

「あの人」という言葉の読み替えが
「別の生き方」となるとすれば
「あの人に会いたい会いたい会いたい」というのは
「生活を変えたい変えたい変えたい」になり
問題としては明らかにそうたやすくはないので
方向をずらして逃げてる、んだと思うんですよね。

こういうことって私は過食から教えてもらったことであって。
あの、考えてできることとできないことがあるんですよね。
「過食を我慢で治したい」とか
「ダイエットで理想の体型になりたい」とか
これはできないこと。
できないことっていくら考えていても
延々に続くだけでできないことには変わらないのですが
「なぜ、私は今このとき食べたいのだろう」とか
「なぜ、私はあの時過食になってしまったのだろう」とか
「なぜ、私は執拗に体型に拘るんだろう」とか
その「できないこと」にとらわれている「私」のことについては
考えていけば分かる可能性のあるものです。

「できないこと」と「分からないこと」を考えていて手詰まりになったら
「できること」、「分かること」を考えてみればいい。

というようなことを多分過食とかダイエットとか
そういうあたりからじわじわと経験的に教えてもらったのだと思います。

考えても考えても分からなくて苦しいときは
分かることを考える
「会いたい気持ち」が減るわけではないけれども
それは「どうにもならないもの」ではなくなるわけです。

2007年07月13日

アンケートにご協力くださった皆様ありがとうございます。

前回実施(まだ投票受付中)スリムの流行に関するアンケートと、
結果を合わせて、みてみます

まずスリムの流行に関するアンケート

質問:流行が「超スリム」から「豊満」に変わって、
スーパーモデルも雑誌の表紙もみなぽっちゃりになり、
売っている流行の服はある程度太らないと似合わなくなったら、
「それでも私だけは痩せていたい」と思いますか?

回答です(7月13日現在 42票)

想像もつかない - 11 投票 -
私だけはなんとしても痩せていたい - 8 投票 -
今はダイエットしてるけど、流行が変わったらありのままの身体でいたい - 8 投票 -
今もダイエットしてないし、流行が変わってもありのままの身体でいたい - 8 投票 -
どれにもあてはまらない - 4 投票 -
流行にあわせて太ると思う - 3 投票 -


痩せたい理由に関するアンケート

質問:あなたは、なぜ、痩せたいと思うのですか。

回答です(7月13日現在 35票))

脂肪は醜いと思うから - 8 投票 -
自信がつくから - 6 投票 -
運動ができる、または健康的だと思うから - 5 投票 -
社会から受け入れられ、差別を受けなくてすむから - 3 投票 -
流行のかわいい服が着られるようになるから - 3 投票 -
弱くなって誰かに守ってもらいたいから - 3 投票 -
病気になることで誰かに許してもらいたい、または罰を与えたいから - 3 投票 -
どれにも当てはまらない - 2 投票 -
とにかく痩せることが楽しみだから - 1 投票 -
女性または大人になりたくないから - 1 投票 -
同性の間で優越感を感じられるから - 0 投票 -
異性にもてるから - 0 投票 -
母親のようになりたくないから - 0 投票 -
ずっと痩せ方だから、太ったら自分じゃない気がする- コメント-
体重や体型の話題で居心地の悪い思いをしなくて済む- コメント-
何れにもあてはまる- コメント-

スリムの流行に関するアンケートの時に私は、
「健康」と「痩せ」のイメージの結びつきが強くなったので
「痩せ」に対する価値観が「流行」を超えて絶対化されてきたのかな、
というような感じのことを書いたんですが
健康志向が一番多いわけでもないですね。

むしろ美意識として「痩せ」が絶対化されてしまっているようにも感じられます。
だからおそらく「豊満が流行るなんて想像もできない」という意見が圧倒的多数なんですよね。

でも、殆どの女性は本来脂肪はつくものですから
「脂肪は醜い」というのはある意味
「私はありのままでは醜い」というようなことも意味しうるわけで
これは女性にとって非常に生き難い状態だなって思います。
理不尽な身体に閉じ込められてしまったような感じがしますよね。

じゃあ、太っていて魅力的、という状態はありえないのか、というと
100の質問で寄せていただいた回答を見る限り
「太っていて魅力的な人を知っているか」という質問に対しては全員yesなんですよ。
「魅力的な人は魅力的だから太っていても魅力的だけど、
私はそうではないから、せめて痩せていなくてはならない」
ということなのかな、というふうにも思えます。
そうなると二番目に多かった回答「自信がつく」というところにもつながってくるように思うんですね。


いわば「ありのままの今の自分の否定」ともいえるような理由が上位2つを占めている、
というのは象徴的な感じがしました。

それからあと顕著なのは
「許してもらう、罰を与える」「守ってもらう」というような
メッセージを伝える、コミュニケーション手段としての痩せ願望も6票で、多いですね。

「痩せることが楽しみ」「大人/女性になりたくない」というのは
”心の安全地帯”としての痩せ願望、という側面かな、という気がします。

「母親みたいになりたくないからやせたがるんだ」
というのは時々本に書いてあることですが、この結果を見る限りはゼロですね。
多くの摂食障害の本に書いてあるよりは母親の影響って少ないのかな、というようなことを思っています。
勿論、もっと突っ込んで深い話を聞くと違ってくるでしょうし、
食べ物に関する記憶、という点については母親って絶対に重要な役割を占めている要素だと思うんですが、
とりあえず、表層のレベル、というのか、ぱっと思いつくレベルで
母親と痩せ願望を一番に結び付けて考えている人は(今のところ)居ない、みたいです。

「異性にもてるから」がゼロ、というのも実は意外でした。
これ、でも「痩せ」と「モテ」を組み合わせて考えるのって
それこそダイエット食品の広告と女性誌によって刷り込まれたようなものですが
実際はどうもそういうレベルの話ではないようです。
もっともっとずっと深く内面的な感じですね。

このアンケートは複数回答ができないのですが
複数回答可能であればまた違ってきたと思うんですよね。
コメントで頂いたとおり、どれも当てはまるような気がする方もいらっしゃると思うんです。
「現状否定としての痩せ願望」
「コミュニケーション手段としてのやせ願望」
「心の安全地帯としての痩せ願望」

それから「流行の服」とか「運動、健康」という言葉に見られるような
「具体的な理由あっての痩せ願望」というふうに
一人の人の心の中で幾層もの理由があって
「とにかく痩せたい」というところに心が向かう、という状態だと思います。

結果を見てて、とても孤独な感じがしました。
ちょっと最後に話それてしまうんですけども
このサイトは掲示板がついてますから、よかったら利用してくださいね。
「痩せたってどうにもならないってわかってるんだけど、それでもどうしようもなく痩せたい」
とか、そういうことは人に言っていいと思うんですよ。
自分ひとりでそういうことは背負い込まなくていいんじゃないか、と思います。

※このアンケートは8月10日まで投票できます。
まだ投票していない方いらっしゃいましたらお願いします。
過去のアンケートはこちら
アンケート一覧

なんにもしたくない!―ちょこっと、自分を、休ませてあげる本
なんにもしたくない!―ちょこっと、自分を、休ませてあげる本

みんな、やせることに失敗している」の森川那智子さんの本です。
デザインが白く飛んでしまっていて残念ですが、装丁もかわいい本です。

なんにもしたくない!って魅力的な言葉ですよね。
でもなんにもしないのって難しいです。
いつもいつもとにかく何かをしていることに
慣れ過ぎてしまっているなあ、としみじみ思うことです。
でもヨガなんかで意識的に何もしない、という状態を作り出してみると
ビックリするほど心と身体が軽くなったりしますね。

今日はこの中から、私が面白いと感じたエピソードを
概要にしてご紹介します

「職場になじめない。いつも緊張していて、自分の意見をはっきり言えず、
新人でもできるような仕事ばかり押しつけられてしまう」
という悩みを持って著者の元を訪れたかよさんの話です

著者との対話の中で
「そのときどう感じたの?」聞かれても
かよさんの答えは要領を得ません
「何を考えているかわからない」
「自分の考えを言わない」と職場でもよく言われます

カウンセリングの中で何度も
「そのときどう感じたの?」と聞かれるうちにかよさんが気づいたことは
何かをしているときに「頭の中で音楽が鳴り始める」ということです。
それまでは自分が「音楽が好き」なのだというふうに思っていましたが
なんか変だ、ということに気づきます
「何か紛らわすみたいにやっているような」気がしはじめました。

頭の中で音楽がなり始めた瞬間、何をしていて、何を考え、何を感じていたか。
音楽が鳴り始める前にプレイバックして、ふたたび今やっていることに集中するようにしました。
ちょっとした不適応感、緊張や不安、焦りなど嫌な気分が起こりそうなとき、
自分ではそうと意識しないまま自動的に頭の中で音楽がなり、ハミングし、リズムをとり、
こころを、ここではないどこかへ逃がして、何も感じないようにしていました。

かよさんは子供の頃自分を見失いそうになったとき
自分を取り戻すために独創的だったその方法が
大人になった今では、自分を周囲から隔てる障害物になってきていた、
ということに気づきました。

「逃げる」は人生のどんな局面でも重要な選択肢のひとつです。
でも逃げてばかりいるというのは、
何から逃げているのか、逃げる必要があるのかどうかも
分からなくなってしまっている、ということでもあります。

かよさんは言いました。
「逃げてもいいんですよね。
でも、そう、逃げたいという気持ちから、逃げないことにします。」

この話はもう少し深い話なんですけどもかなり短くまとめています。

音楽、ではないにせよ、
心が勝手にどこかに逃げること、ありませんか
「私は太ってる、醜い醜い醜い」とか
「食べたい、食べたい、食べたい」とか
「ODしたい、ODしたい、ODしたい」とか
「切りたい、切りたい、切りたい」とか
うわーっとひとつの考えだけが頭の中を占拠してしまって
それ以外の思考が締め出される状態、って
やっぱり何かから心を逃がしているんですよね。

それでジェニーン・ロスなんかは
「食べることに逃げずに向き合う方法」ということについて
細かく書いていますが
私はそれを読んで凄く感心したのと同時に
「これはきついな」って思ったんですよね
逃げたいんだもん^^
逃げたいものと片端から全部向き合うだけの精神力って
はっきり言って莫大ですよね。
「そうするより他に仕方ないときは食べなさい」というような感じで
ジェニーン・ロスも何かから気をそらすための過食、というのも咎めていないんですが
その力加減、というのがずっとわからなかったんですね。

このあたりを、
実は最近私はぐっと自由にできるようになったような気がしてるんですが
自分が何から逃げているのか、が分かっていると
凄く自由に逃げることができるようになります。
「自分が今こういう状態で、
そこにこういうことが起こって、
それに対して自分はこういう気分で、
そして自分の精神力の限界はだいたいこれくらい」
っていう、自分の筋がわかっていると
いや、これは今は逃げたい、とか逃げるしかない、とかいうのが
結構客観的にわかるんですね

それで酒を飲んだり
ネット依存症になったり
失恋に酔ったり
色々やり放題しています

逃げ始めると止まらない気がするのは
おそらくは自分が逃げちゃいけないと思っていて
だから「逃げている現実からも逃げる」ために
もっともっと大事になっていかざるを得ないんじゃないかなって思います。

「三十六計逃げるに如かず」
というお話


※森川那智子さんの名著「みんな、やせることに失敗している」の復刊リクエストを出しています。