このブログの歴史
これは本当に、私個人と、このブログについてのお話です。

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このブログを立ち上げた時に思っていたことは
「摂食障害で悩んでいる人の役に立ちたい」ということだった
私は何か方法を知っていて、
それを知れば誰でも「治る」ことができるのではないか
と思っていたからで
だから最初の方の記事は結構そんな口ぶりになっている
今は読み返すのも恥かしいのだけど
「私は方法を知っていて、その通りすれば”治る”のに
どうしてこの人は私のアドバイスを聞いてくれないのだろう」
というふうなことを、私は実は何回か思ったことがある
そしてその中で気づいたことには、私はそうやって人を傷つけていたのだ
傷つけてしまったことだけはわかるのだけれど
どうして傷つけてしまったのかが、
本当に全く分からなかった
今になって、少しわかったような気がするのは
「治った人」と「治ってない人」という二分法そのものが
「治ってない人」という側に押し込まれてしまった人の気持ちをそもそも傷つけうるということだ。
「治った人」というのは、つまり「ノーマルになった人」であって
「治ってない人」というのは、つまり「改善の余地のある人」であるという
私は自分で知らないうちに、そうやって同じ悩みを持つ人を二種類に分けていたのだ
(私自身も「太りたくない」という気持ちを現在なお持っている「気持ちを同じくする人」なのに。)
傷つけてしまった人に対して、今でも恥かしく申し訳なく思っていて
でも、同時にとても大きなことを教えてもらって、
だからこのサイトは新しい可能性を見つけることができたんじゃないかって思っている
そうやってぎりぎりの思いで教えてもらったことはとても大切にしていたいと思う
でも、本当のところは
かつて摂食障害という苦しみを持っていて、そこから自由になった人が
今苦しんでいる人に手を差し伸べたい、というのは
それ自体、凄く自然な気持ちでもある。
過程がどうあれ、そういう自然な気持ちの発露がなければ今のこのブログも存在しなかった。
それにどんなものであれ悩みの中に居る人が
先行く人の話を聞きたい、というのもとても自然な気持ちだ
人を分断したくない、という気持ちを強くすると
その「自然な気持ち」の行き場が困る
「同じ仲間を分断したくないというあなたの気持ちはどこへ行きました?」
「同じ仲間の役に立ちたいと思ったあなたの気持ちはどこへ行きました?」
いつもどちらか一方に固執すると、必ずもう一方を傷つける
このブログに書かれていることは、私が思うにたぶん時々細かいところで少し矛盾している。
それは私が2つ抱えてきた「異なるもの」のそれぞれの側面で、
それはもう、そのままとっておくしかないような気がしている。
もしかしたら、時に誰かを傷つけながら気づき考えていくしかないのかもしれない
でも私が思ったのは
「一つを選択することによって、もう一つの選択もありえた、という事実を忘れてはいけない」
ということだ。
※
誠に私事ながら、このブログの歴史のお話でした。
おかげさまでこのブログも、色々な転機を迎えているなあ、と思う。
私がここで悩みながら、これからの歴史をみんなで作っていけたら、こんなに幸せなことはない。









