HOME摂食障害と一緒に生きる>自分の身体を受け入れられないとき 1 掲示板から

掲示板に頂いた書き込みを引用させていただきます。

女の人が、怖いのです。
太るとそれだけで非難される要因が自分にできてしまう。
自分が軽蔑・侮蔑・非難の対象となってしまう危険性ができてしまう。だから太りたくないのです。
旦那と二人きりで他に誰とも会わない引きこもり生活ができるのなら、食べ始めてもいい、たとえそれで太っても耐えられると思うのですが、それ以外の人の前にはとても出られる強さは持ち合わせることができない。
何でなんでしょうね。。。

家族の中にいるのであれば自分のありのままの身体を受け入れることができるけれど、
家庭から外へ出ることを考えたときにそれができなくなる、
という葛藤についてちょっと考えてみたいと思います


掲示板の書き込みでは「同性の軽蔑・侮蔑・非難」に対する恐怖、
という風に書いてくださってますが
それは分かりますよね。

不美人論」という本を読んだときに納得したので覚えている言葉に
「ブスとデブは差別してはいけないという社会的コードがない」
という文章があったんですね。

いわれのない差別、偏見、というのは実際に凄くたくさんあって
「差別はいけない」と建前を言ったところで
実際に生きていく上で何かが楽になるわけではないんですが、
ただ一応は私たちの社会というのは前提として「差別はいけない」というのを持っていて
差別に対しては「差別するほうの人間性の問題である」というルールが、
まあ建前ですけども一応ありますよね。

ただどういうわけか「太っていること」に関しては
差別される側の人間性はあんまり問われないんじゃないか、
というのは、感じます。
むしろそういう問題は真剣に考えられるものとして捉えられていない、というのか
太っている人は「デブ」といわれて明るく笑っていなければならない、
そんなことに傷つくわけがない、傷ついちゃいけない、
「太っている人は太っていることについて色々言うんじゃない」とか
そういう押し付けの雰囲気ってあるんじゃないかと思うんですよ。

差別というのは基本的に「弱いものがさらに弱いものをたたく構造」ですから
やっぱり「デブ」に対する差別を一番公然とするのって
「太る」という強迫観念に苦しんでいる女性たちなのかな、っていう風に思うんですね。

だからそういうことを考えたときに
「軽蔑・侮蔑・非難」をしない、とわかっている家族の前では
自分の身体を受け入れることができて、
でも「太っていることに関する差別がいけない」というコードのない社会の外に出ていくのは
ありのままの身体では怖い、という、
掲示板に頂いたメッセージは実感としてわかりますよね。

ただ、これとかなり違う視点から同じことについて書かれた文章があって
私は視点を変えて見てみる上で面白いと思ったので
長くなってしまいますが、ひいてみます。
ハングリーセルフ」という少し古い文献(1989年)です

本当に長くなるのでいったんきります。
2 ハングリーセルフへつづく。

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コメント

私が思っていることが「掲示板から」の趣旨と違っていたらごめんなさい。
私も、もし引きこもっていいなら、だれにも会わなくていいなら、あるいは明日必ず死ぬと分かっているなら、思いっきり食べたい物を食べて思いっきり太るのに・・・と、一日1回は想像します。最後の晩餐、という言葉もありますが、明日死刑が執行されるなら、あの菓子パンとこの菓子パンと・・・などと想像してお腹を鳴らせています。(キャビアやフォアグラではなくて菓子パン、というところが私なのです)
自分的には多少太ってて良くても、同窓会がある、結婚式がある、会社の制服がある、そういう「他人の目」があって痩せないといけないのは辛いです。

あゆさん

「他人の目」があると「痩せないといけない」というのは、どういう感じですか?

太っていると思われるような気がする、とか
実際に過去に身体について何か言われたいやな経験を思い出す、とか
あるいはこの次の記事に取り上げたような「場違いな感じ」からくる不安
が「痩せないといけない」という強迫観念に結びつくとか・・・

どういう理由で「他人の目」が「痩せないといけない」に結びついてくるのか
よかったら教えていただけないでしょうか。

他人の目があるとやせないといけない、というのは、他人の言葉、他人の口、ですね、もっと具体的に言うと。太ってしまった自分に対して2カ月ほど前、久しぶりにあった同僚に、「○○さん?どうしたの?太っちゃってわかんなかった」と言われ、頭が真っ白になりました。とはいっても拒食から立ち直り始めたころで、33キロが40キロになったころでした。でも、太った、という言葉をいわれると、どんなに自分が普通の体系であろうと嫌なのです。太ったね=醜くなったね、なのです。私にとっては。答えになってないですね、つまり自分だけが太ったという事実を知っている分にはいいのだけレと、あゆさん太ったね、と他人に移り、思われるのが許せないというか・・・うまく説明できません。太った自分の姿を人にさらさずに済むのなら、太ることなんて何ともないことなのですが。

あゆさん

答えてくださってありがとうございます。

あの、客観的に言うと
33キロから40キロになった人に対して
「○○さん?どうしたの?太っちゃってわかんなかった」というのは
悪意なくて、「元気そうだね」といいたかったのかもしれないし
そういう話題を避けることがわざとらしいみたいでイヤだったとか、
そういう可能性もあると思うんですが
でも普通に考えてかなり無神経なんじゃないかな、というのはありますよね。

そのあたりは
「ああ、この人は随分無神経なものの言い方をするんだな、いやだな」
みたいな感覚っていうのはなくて、
「太った→醜い→痩せたい」みたいな自動思考にいきなりポン、と飛ぶ感じなのでしょうか。

ってまた質問になってしまいましたけども。
もしあゆさんにご負担なかったら教えてくださると、嬉しいです
最近そのあたりを凄く考えているものですから。
あんまり考えたくないところであれば、普通にスルーしていただいて大丈夫です^^。

こんにちは。
33キロから40キロになった人に対して、元気そうになってよかったね、というほめ言葉だと、私も思おうとしました。普通になってよかったねと。でも、やせる=善、太る=悪い、と21年間も考えてきたのでなかなか切り替えができないです。ずいぶん無神経な言い方するなとは思いませんでした。正直な気持ちなんだろうなと思いました。だって自分で鏡見ても「太ったな~何これ」って感じでしたから。ただ一つだけ、太った→醜いは思ったけれどそのあとは痩せたいとは思いませんでしたし今もです。なぜなら太った自分の方がホントの自分で、痩せていた自分はうその自分だと、思うから。

すみません。反映されないと思って押しすぎてしまいました。削除できますか?

あゆさん

最近重くてコメント反映されにくいんです、ご迷惑おかけしてごめんなさい。
近いうちに直します。

「ホントの自分」になることは「悪いこと」
「うその自分」になることは「善」

っていうことになるのかな。
でも「ホントの自分」でいたい気持ちはあるけど、
他人の前ではホントの自分は悪い自分だから隠しておかなくてはいけない、
みたいな感じなんでしょうか

お話しにくいところを聞かせていただいてありがとうございます。

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