デブのひがみ (「女はなぜやせようとするのか」より)
実は前にも一度こっそり書いたことがあるんですが
私は「ダイエットをやめて自由になる」という主旨のサイトを運営するのに充分なほど
痩せてないんじゃないか、とずっと思ってた、わけです
あまりにも取り組むのがややこしい矛盾なのであまり意識には上らせないようにしてたんですけどもね
「ダイエットをやめて自由になる!」と、充分な説得力を持っていうには
(いや、説得したいわけじゃないけども、話をちゃんと聞いてもらうためには、だね)
「美容体重」で、私が「美人」で、そういう余裕(「私は完全に満足していて幸せよっ」)
をたっぷり漂わせてないといけないでしょう、
と思ってたんですね
だから論理的には言ってることと思ってることが完全に破綻してるわけで
でも、そういう矛盾を抱えたままものを言う権利もあるでしょう、
と思ったからサイトを続けたわけですけども。
みんなは凄く興味を持っているのに、
私がこのサイトであんまり具体的な数字というのを取り上げたがらないのは
ひとつには過剰に数字に拘るのが(何キロで何センチでBMIがいくつで今日は何をいくつ食べました・・・など)それ自体強迫観念的だから、
と思っているところがあるんですけども、
もうひとつ、数字を扱わなければ自分のボディサイズについても触れなくていいから
っていうのは、はっきり言ってあるわけですよね。
なんだ、この人私よりデブじゃん、と思われたら私の言ってることの半分くらいは信憑性がなくなるでしょう、
という観念もどこかにあったわけで。
そういうことを考えたときに思い出した、ひとつ面白い文章があるのでここに引用してみます
フェミニズムっていっちゃうと、むかしすごくイヤだったのは、ブスな女ががんばってムキになってやっているというイメージがあったこと。
自分もやっぱりブスだからそういうのにくわわるのはみっともない。
むしろ努力して、男の子に近づいて対等に扱ってもらったほうがいいって思っていた。
すごく興味があったのはたしかなんだけどね。
これのどこが面白いかっていうと
「フェミニズム」を「ダイエットをやめる」
「ブス」を「デブ」、
「男の子」を「痩せた女の子」
というふうに勝手に脳内変換して読んだから、なんですけども。
だからひと言で言ってしまえば
「私が真剣に言っていることに対して『デブがひがんでる』って馬鹿にされたらどうしよぅ」
という気持ちですよね。
この文章は「女はなぜやせようとするのか-摂食障害とジェンダー」という論文の中のものです
摂食障害を経験したことのあるFさんという女性が
フェミニズムに出会うことで精神的な回復に向かっていく過程を
著者が直接インタビューしてまとめた部分なのですが、
これについて続きをもう少し見てみます。
このように自分自身を差別し、おとしめる価値観に対して、Fさん自身が「異議申し立て」をすることをはばむ社会的な力が強く働いてもいた。
たとえば<ブスのひがみ>といわれても、自分がなかなか言いかえすことができない社会的なカラクリを理解していったという。
--中略--
そのような自分自身のうまく表現できない感情や違和感こそが、じつは「性差別」に起因しているものなのだということを、Fさんは認識していったのである。
Fさんはその発見を次のような言葉で表現している
「ひがみとかをふくめてものをいってもいいし、そういうことをふくめて問題にできるんだっていうことに気づかされたというか。
私はひがまされているんだ、からかわれているんだっていうふうに思えたことかなあ。」
それまでのFさんは<ブスのひがみ>という言葉に象徴されているように、自らの感情や経験をまっこうから否定させられるような解釈をあたえられていた。
摂食障害になってしまった原因についても<やせることがすべてを解決してくれるかのように>信じ込んでいた<自分の思いこみのはげしさ>によるものだとFさんは解釈していた。
このように<理不尽さ>や<もどかしさ>といった自らの感情を否定して、それをたんなる<ひがみ>や<思い込み>にすぎないのだと考えているかぎりは、人々の自分に対するあつかいには問題があることを、Fさんはハッキリと主張することができなかったのである。
それに対して<ひがみとかをふくめてものをいってもいいんだ>という発見は、そのような閉塞的な状況を打開する力をFさんにあたえてくれた。
いわば、Fさんは自分自身の感情をよりどころにしながら、自分のおかれている社会的状況を読みとくための認識の道具を獲得したのである。
「自分自身の感情をよりどころにして、自分のおかれている状況を解釈する権利が自分にはあるのだ」ということを主張することによって、Fさんは自分自身の感じてきた<理不尽さ>や<もどかしさ>といった感情を言語化する道をきりひらいたといえるのだろう。
そして以下はこのFさんから、この本の著者への手紙の中の文章、Fさん自身の言葉です。
結局、「私はブスだ」というコンプレックスは、ずっとうすいベールのように、私にまとわりついてきました。
悩んだり、ゆきづまったりするたびに、「私は美しくない」ということが大きな問題として浮かび上がってくるのです。
昔ほど病的にとりつかれているわけではないけれど、長びいた鼻カゼのようにすっきりしない、というった感じです。
私は、女として価値がないのだと思わざるをえなかった文化を認識できたとともに、そのような価値基準に自分をあてはめたくないと強く思っているはずなのに、なぜ容姿に関するコンプレックスをぬぐいきれないのか、ずっと自分でも不思議に思ってきました。
ましてや、私のことを人格も容姿も含めてあるがままにうけとめようとしてくれた人をみつけたにもかかわらず、私はこのコンプレックスを克服できなかったのです。周囲の人間はいろいろな形で私を認めようとしているのに、なぜ私ひとりが容姿にこだわるのか・・・?
そんな逆転した状況さえ生まれました。
ここ一年でなんとなく見えてきた答えは、私には「私はブスである」というコンプレックスが必要不可欠になっていたんだ、ということです。
私は自分をブスにしておくことで、何らかのメリットを受けていたのです。
すいません、この「メリット」がどういうものであるかについては、きちんとした分析が書けないのですが、私はいつの頃からか自分のおかれたマイナスの環境を糧に前身するというエネルギーの出し方をするようになっていたのは確かです。
(--中略--)
自分はみんなより一段低いところから出発したという自己陶酔が必要だったのかな?
こういうマイナスのエネルギーは初めは愛されない(もしくは愛された記憶のない)子どもの自己防衛策だったんでしょうけど、いつからか、「ブス」というのは私のアイティンティティの重要な一部となっていたみたいです。
解放されたいと思いながら、その特権(私の場合は何になるのかしら?)は手放したくないという、
一部の被差別者に見られる現象ですよね。
<ブスのひがみ><デブのひがみ>についてちょっと考えたわけです。
この社会にいて、(まあ殆どいかなる容姿であれ)
そういうことを言われる可能性がある、という事実はあると思うんですね。
じゃあそれらがあるとして、その可能性を引き受けた上で私たちはどう生きていくんだろう、
っていう、やっぱり話はそこにいくんじゃないか、っていうことを思ったんです。
で、このFさんのように「社会」という視点でものを見て、それを変えていこう、というふうに取り組んでいく、という方法とか
それから完全に「個人」の内的な問題として取り組んでいく方法もあると思うんですけども。
そういうことについて、何か思うところ在る人がいたら意見を聞きたいな、と。



コメント
ノラさんの記事やコメントのとのやり取りで、最近ずいぶんいろいろと考えています。もやの中にあったものがクリアになってきている感じで、とてもとても感謝しています。
私は、デブとか、ブスとかそう
いったことを理由として「○○する、○○言う資格や権利」がない。といった考え方は完全に否定します。外見や立場がどうであれ、人は人として尊重されるべきで、からかわれたり貶められたり、意に沿わない役割を押し付けられたりするべきではない。したいことをし、言いたいことを言おうではないか。自分を大切にしよう。心からそう思います。
ただし、現実問題として何か言ったり行動したりする場合、社会の、相手の受け取りかたは外見の違いでずいぶん変わってくる、ということはあるだろうなあ、とも思います。
(だから、ジェニーン・ロスについても、痩せていて言う場合と太っていて言う場合では、「社会からの受け取られ方」が違うだろうなあ、ということを言いたかったので、資格云々ではないのです。)
私はまず、「社会に対してどう振舞うか」ではなく自分自身の内面に目を向けたい。違う問題を外見を理由にごまかしているのなら、切り離して考える。(わかった上で利用するのは良し。デブでいることのメリット、確かにあります)自らの問題の一つ一つを率直に切り離した上で社会に目を向ける。そこでまた選択。この外見でそういったことを言う場合、このような反応が予想される。それでも言いたいか。
私の場合は「デブのひがみ」といわれそうなことは言いません。論理的に正しくても、結局は相手の考えは変わらないと思うから。「根拠のない上から目線」は根拠がないだけに変わらず、いっそうの攻撃を誘うだけだと感じるのです。でも「黙って食べ物と共に飲み込む。期待される立場に甘んじる」こともしません。そうやって誤魔化して、自分を粗末にしていたことに、ノラさんのおかげで気がついたから。
掲示板とコメント欄で
1)デブは軽蔑、侮蔑、嘲笑され、
2)「外見なんて関係ないよ」と声を上げるデブは冷笑、憐憫、無視されるのではないか。
と書きました。ほとんど似たようなニュアンスですが、感覚としては2)のほうがさらにバッシングされているイメージです。「デブはだまっておとなしくしていろ」という感じ。
これ、ノラさんとNokoさんのやり取りを読ませていただいていて気がついたのですが、今現在の感覚、というより子供の頃やずっと若い頃の過去に言われたり扱われたり、というのがず~っと尾を引いていての受け止めかたなのです。我ながら執念深いなあ、とあきれています。
考えると今現時点では、ほとんど誰も私の体型や顔立ちに悪意を持ってからかう人などいない。むしろこの体型を自分で利用していることの方が多い。親しみ易さの演出だったり、誰かの問題がうまくいかないことに対しての共感に使ったり。歳を取ったせいなのか、それなりに家庭や仕事上の役割、を得たためかはわかりませんが。
それはそれとして「標準体重でありたい」という気持ちはやっぱりあります。何の矛盾も感じないくらい自然に。それこそ「身体がそうなりたがっている」のに「うまくいっていない」という感じです。
ピント外れだったらごめんなさい。つらつらと書いていたらまた長くなってしまいました。
投稿者: E | 2007年08月03日 14:25
Eさん
ご意見ありがとうございます
勝手にコメントの中でコメントを引用してしまってすみませんでした。
迎合はしないけども、抵抗もしない、というような解決法もありですよね。
なんというのか、人生のペース配分の問題として
「苦しくない程度にそういうところはそっとしておく」
みたいなのって、確かに選択肢のひとつですね。
2)「外見なんて関係ないよ」と声を上げるデブは冷笑、憐憫、無視されるのではないか
という、でもこれについては、実は私、疑問なんですよね。
ジェニーンが100キロ超えてても変わらず支持されるんじゃないかっていうのを
私は結構普通に思うんです。
(「身体の声に従って食べたらやせる」、という主張はできなくなるでしょうが
「食べ物や体型に関する強迫観念から自由になる」という点については、ですね)
それから前に出した実際に100キロを超えたカウンセラーの方についても、
実は私が見たところではイロモノ扱い、とは思わなかったので、
(私は彼女の主張に賛同してるわけではないですけども、普通に面白いなあ、と思いましたし)
その点においてちょっと「?」と思ったんですね。
だからそれについては、実際Eさんのように考える人の方が多いか、
私のように考える人の方が多いか、
ってのはわからないところだとは思うんだけど。
うん、Cafemmeさんのところのファットフェミニストのお姉さまたちとかもね。
私は凄く普通に興味を持って、普通に耳を傾けたくなるんですよね。
自分が周囲からどのような扱いを受けるべきなのかというのは
かなりの程度まで自分自身が決めるんじゃないかって、
これは私、摂食障害ではなくてモラルハラスメントの経験から感じたことなんだけど。
そういう側面もあるんじゃないのかなあ、ってことも思ったりして。
うむ、色々問いは深くなるんですが・・・。
投稿者: ノラ | 2007年08月03日 17:44
ああ、おっしゃるとおり、確かにそういう側面はありますね。
自尊心についての本(「人生がうまくいくとっておきの考え方」ジェリー・ミンチントン著)の中で「どの程度の自尊心をもっているかによって、世の中は冷たくて敵意に満ちた場所にもなれば、温かくて愛情に満ちた場所にもなる。」「自分に対してどうふるまうかによって、他人は私たちに対してどうふるまえばいいかを判断する」と書かれているのですが、これは私の経験からも真実だと感じます。だから今現在他人からいろいろ言われることはほとんどないのでしょうね。
大柄な方の主張に対して、私個人的には「聞いてみたいし、面白そう」とは思うのですよ。当然その方々を「冷笑、憐憫、云々」という目で見るなんて(私がたとえ痩せた身体を手にしたとしても)ありえないわけで。
ただ「痩せ」にこだわり、体型にアイデンティティをたくし、ダイエット症候群ともいえる人々が多くいるであろう世間一般からはどうかな、と思ったのです。いや、本当はどうなのかわかりません。 結局は私自身が「痩せたいという心を抱えている一肥満者」だからそのように感じてしまうのかも。
ここまで文章を書いてきて、一番の収穫は、過去にあった体型に関する嫌な思い出が、言語化したことで「過去のこと」として整理できたこと。
そしてその記憶は変わらなくても体型について「からかったり見下したり」したほうこそが自らの品格を貶めたのであり、自分の体型そのものに非があったわけではない、非があるとすれば無意識の内にとはいえ自分自身を肥満のために被差別者、そうされても仕方が無い存在だとみなしていた、その点によるところが大きい、ということにはっきりと気がついたこと。
うまく伝えられたかどうかわかりませんが、ここ何日かでずいぶんすっきりしたのです。おつきあいいただいて、本当にありがとうございます。
投稿者: E | 2007年08月03日 19:11
Eさん
いいえ、私もかなり脳みそ振り絞って考えました。
ありがとうございます。
私はわりとこういう話を真剣にできることそのものが嬉しかったりします。
こんなメールをいただいたんですよ。
「やせている人は太っている人に外見で勝っていると思い込み、
太っている人はやせている人に中身で勝っていると思い込み、
なんだか両者とも変わらないと思うんです。」
この社会で「太っていると感じるというのはどういうことか」ということについて
差別意識も被差別意識もなしで語れる機会って不思議なほどないんですよね
どういう形であれ、とりあえずそこに差別的構造がないとみんな落ち着かない、という
そういう状況から、そろそろみんなで楽になっていきたいね、
という風に、思うんですよね。
Eさんとお話させて頂くといつも二人とも長くなりますね^^;
投稿者: ノラ | 2007年08月04日 11:23
antidiet21.com is very great. I loved your blog a lot. Thank you.
投稿者: payday loan | 2010年06月28日 14:44
Thanks for such a great post and the review, I am totally impressed! Keep stuff like this coming.
投稿者: payday loans | 2010年08月29日 06:27
vyflotfbzmauzrsvkkqradztlxwaofrgcot
投稿者: bc loans | 2010年09月02日 02:37