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2007年09月30日

「私たちの新世代」という記事で
ワタクシメが実はこんなことを書いたんですね。

「body freeing」っていうね、共有できるファッショナブルなバナー作ってくださる方いないかなあ、 って思ってたんです。 何に使うかっていうと飾るだけなんですけども、 ブログやサイトを持っている人って結構いらっしゃいますよね。 「body freeing」のバナーを飾っておくことで 他者による規定によらない、自由な身体を目指してるんですよ、私。 っていうのをサイトの主旨によらずあんまり押し付けがましくなくそっとアピールして置けたら、 最初は見る人もなんのこったか分からないでしょうが、 そういうサイトがちょっとづつ増えていき、 「身体を解き放つ」っていう概念に出会う人がちょっとずつ増えていき、 「なんだ、自由でいいじゃん!」って思う人がちょっとずつ増えていったら・・・ あるいは、「痩せられるといいねえ♪」っていうような、善意だけど快適でないコメントに対して ”バナーにあるとおり、このサイトは「body freeing」がセカンドポリシーさっ。” っていう風に落ち込まず、角を立てずに自分の主張をうまく伝えていけるようになったら。 っていうのをね、考えていたんです。

で、この呼びかけに答えくださった方がいらっしゃいまして、
なんと、すごく素敵なものを頂いてしまいました。

どうやったら、もっとも皆に使いやすい形でサイトにおいて置けるかなあ
としばらく考えていて、ずるずると公開するのが遅くなってしまったんですが、
いつまでも私ひとりが持っているのはあまりにも勿体無いので、
先に公開させてもらいます。
見て驚くな、凄くキレイだぞ(笑)

(↑この、真上に出てる宣伝バナーは違うよ(笑)これは私の下心見え見えの商用バナーです^^)


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banner2.jpg
banner3.jpg

こんなキレイなものを共有で使わせていただいて良いのだそうです。
凄く嬉しいです。素敵です。
ありがとうございます。感動です。


で、これを、何に使うのか、というと上にも書いてあるとおり
「私たちの立ち位置」を分かりやすくあらわすための目印として、
それから「ボディフリーイング」という考え方があるんだぞ、
ということを、ひっそりと主張していく手段として、
HPやブログをお持ちの方は、どんどん持ちかえって張っていただけたら、
と思うんですね。

ブログの本来の趣旨はどんなものでも、いいんです。
アンチダイエットのブログでなくても、
日々の日記のブログでも、なんでも、
わざわざ、興味のない人にまで無理に説得するために使うんじゃなくて
「ボディ・フリーイング」という考え方もあるんだぞ、
ということを、ただ静かにひっそりと広げていくための
小さな小さな力になっていったら、という願いです。

asaさんのご好意で、誰でも使うことができます。
賛同していただける方、単純にデザインがかわいーと思った方でも、
持って帰って貼ってくださいませ。
主旨に賛同していただける方の再配布も歓迎です。

もし、バナーに何か説明をつけるならば
「ボディ・フリーイング 他者からの規定によらない解き放たれた自由な身体を目指します」
というところになるでしょうか。
これも、もうちょっと柔らかい言葉で説明できたほうがいいかな^^
上手な利用法について、またアイディアある人、コメントください。

このサイト上でも、
後日、目につきやすいところにあらためて説明を入れてアップしておきます。
mixiでも配布させてもらいます。


いずれは「ボディ・フリーイング」の言葉も
ネットの世界を飛び出していきたい、と思ってます。
まずはネット上で、このバナーから、
小さな一歩です。

「この一歩は小さな一歩だが・・・」

2007年09月29日

レビュー1からの続きです。

「とにかく痩せてるといいことあるから痩せよう」という話が
本の半分ほど続いてから、
じゃあ、自分がやったレコーディング(記録する)ダイエットとは
こんなもの、という話に入っていきます。

食べたものを記録する、という、方法としては特に目新しくはないものです。
本屋さんに比較的よく置かれている摂食障害治療のマニュアル「過食症からの脱出―自分で治す実践ガイド 」などは、食べたものを記録することによって過食症を治そう、という試みなんですけど、
この手の方法は、私好きじゃないんですね。
食べることに強迫的になっている人が、自分が何を食べたか、ということばかりを
今以上に一日中気にしなければない方法をとる、ということ自体が、
そもそも続かないだろうし、続かない治療法って治療とはいえないし、
自分を「何を食べたか」に縛り付けておくことって
ほとんど自罰的なんじゃないか、と思って、発想として好きじゃないです。

が、この本で紹介されていることで面白かった箇所がいくつかあったんですね。
著者さん、もとは100キロを超えていた人なのですが
「食べたいものを我慢して生きるより、食べたいものを食べてグルメで幸せな人生を送りたい」
と思っていて、それまであまり気にしていなかった。
でも食生活を記録してみると、コンビニのサンドイッチと、柿の種とポテチとチョコレートと歌舞伎揚げとコーラで生きている、ということが明らかになってしまった
「太っているけど優雅でグルメな食生活」を送っている、という幻想がガラガラと崩れた、
と書いています。
これが、なかなか面白かったですね。

それから、「食べるものをメモ」している時に
「今口に入れているもの」をあやうく書き忘れそうになる、ということも書いています。
何かを食べながらメモを取っているのに、「今食べていること」に
ほぼ無自覚である、ということにも気づいたわけです。
それで、最初のうちは、
「記録をとるだけで、絶対に食べることを我慢しない」ということを勧めています。
最初のうちはこの自覚的になるということだけで痩せたのだそうで。

これが、ちょっと面白い気がしたのは、
私は「食べ物が持つ感情」というのに自覚的でいると、
色々と面白いことが分かる、と思っている人なんです。
例えば異常に甘いものが欲しいときは自分のうちにちゃんとその理由があるし、
例えば普段は欲しがらないような刺激の強い味覚を欲するときも、ちゃんとその理由があるし、
そういうのを自分のうちに読み取れるようになっていくのって
食べることと生きることのつながりを強くするよね、って思っていて
精神分析では見た夢を判断する、というジャンルがありますが、
私は食べ物からも同じくらい自分の心の深いところが判断できる、
というようなことを結構真面目に考えてます。
で、夢も記録することでどんどん深い夢を見るようになっていくようですが、
食べることも記録することで客観的になることによって
同じものを食べるのでももっと深く経験できる、
ということもあるかもしれないという気がしたんですね。

それで、
今までは「良し悪し」の価値判断が入ってしまいがちであるという理由で
食べ物をいちいち記録すること自体、反対派だったんですが
この本を見て、ちょっと食べ物記録、やってみようか、という気になりまして、
愛用のほぼ日手帳に書きこんでみました。

・・・半日で終わりました。
うん、面倒くさかった、というか、興味が持続しなかった、というか、
まあ、忘れたんです。半日で。
ある意味、凄く健康だな、と思いました。
今のところ、自分が実際に何を食べていようとも、
それに対する問題意識みたいなものを全く持っていないんだなあ、
というような感想により、「忘れた」ことの言い訳としたわけですが^^
まあ、食べるときは食べることだけを考えていて
食べ終わったら次にお腹がすくまで食べ物のことは忘れている、というのは
かなり健康的である気はします。

この本では、記録することによって自分の食生活をありのまま把握できたら、
今度は食品のカロリーも記録するようにし、
それから、一日のカロリー摂取量を決めて、その中に収めるような工夫をしていく、
という、まあ、普通のダイエット法へとシフトしていくわけです。

私は「食品カロリー」っていうのは趣味の悪い迷信だと思っているので
著者さん、非常に頑張ってはいますが、カロリー計算によって痩せたわけじゃないだろうなあ、
多分「食べることに自覚的になる」ということによって痩せたんだろうな、と思うわけです。
食欲を「頭だけが食べたがるもの」と「身体がたべたがるもの」の2つに分けたりしてますが、
このあたりの発想はジェニーンロスなど、アンチダイエット派に似てますよね。
カロリー計算は不要なつけたしだったんじゃないか、というのが正直な感想です。

そういったわけで、カロリー計算を筆頭に、色々と「?」と思われる部分も多いのですが
全体としては「普通のダイエット本と比べてもところどころ結構面白いことが書いてある」
という気がしました。
深夜営業のスーパーで菓子パンの棚の前に立ってメロンパンを見つめて涙を流した、とか
一般的にダイエット本では意図的に書かれてないけど、
「こんなの私だけだ」と思い込みながら実際はみんながやってることも書いてあったりします。

「食生活を変えるため」ではなくて
「自分が何を食べてるのかを知るため」に食べたものを記録をつける、という
このダイエット理論の前半の部分は、
食べたものを意識することに特に罪悪感などを持っていない人は
食べる経験を深めるために試してみると面白いのかもしれないなあ、
というふうに思いました。

いつまでもデブと思うなよ (新潮新書 227)
いつまでもデブと思うなよ (新潮新書 227)

2007年09月27日

いつまでもデブと思うなよ (新潮新書 227)
いつまでもデブと思うなよ (新潮新書 227)

結構、面白かったです。
著者さんのブログもありまして
レコーディング・ダイエットのススメ
50キロ減量して普通サイズの洋服が買えるようになって、
新しい服買ったり、髪を切ったり、眼鏡をかけたり、
というのを楽しんでいる様子が綴られているのがほほえましかったり、します。

内容をざっと見るために、目次です。


序 章 一年で五〇キロやせたよ  
  成功するダイエットは楽しい。精神力も我慢もいらない最高の娯楽である。
第一章 「見た目主義社会」の到来  
  学歴主義は終焉した。見た目重視の現代社会で確実に損をする存在が「デブ」なのだ。
第二章 ダイエット手段の格付け  
  MBAや英会話にあくせくするくらいならば、まず痩せるべきだ。それも楽しく効率よく。
第三章 助走・太る理由  
  デブの正体。それはカロリーという名の不良債権を増やし続ける多重債務者である。
第四章 離陸・カロリーを計算してみる  
  好物イコール高カロリー。ネットを駆使して判明したのは冷徹な事実であった。
第五章 上昇・カロリーを制御する  
  ついに浮上開始。一週間に一キロの驚異のペースで私は軽くなっていった。
第六章 巡航・いろいろやってみる  
  太ろうとする我が体との騙し合い、駆け引きが始まる。勝つのはどっちだ。
第七章 再加速・体の声を聞く  
  欲望型から欲求型へ。身体が本当に欲するものが何かが見えてきた。
第八章 軌道到達・ダイエットの終わり
  〇・五%の狭き門を突破。自己コントロールできる方法を手に入れた。
終 章 月面着陸・ダイエットは究極の投資である 
  重力から解放され新しい体を手に入れると、そこは別世界だった。

「なぜやせなくちゃいけないのか」
「あなたが太っているのには理由がある」
「レコーディング・ダイエットとは」
というふうに話は進んでいきます。

まず、「なぜやせなくちゃいけないのか」について。

どんなデブでも、デブの分だけ損をする。 しかもデブは、ファッションや持ち物、話し方といったその場の努力で、隠すことができない。 デブでさえなければ、自分を別の有利なキャラに演出することもできる。 が、デブはそれが不可能だ。デブという見た目のキャラが、なによりも優先されてしまうから。 「そんなことより、オレのキャラを見てほしい」 そう主張しても、キャラにあわないイメージは見てもらえない。 デブというキャラ付けをされても、仕事や作品で才能を認めてもらい評価される。もちろん、それも可能かもしれない。 しかし、そんな努力をするくらいなら、やせる努力をした方がよっぽど効率がいい。 やせることこそが、見た目主義社会においては、もっとも経済効率のいい対応策なのだ。
どうも納得できない、という人も多いだろう。 だが、もういちど、考えてみて欲しい。 これまでの家柄主義社会・学歴主義社会・ブランド主義社会と変化を続けてきた私たちの社会は、いまや見た目主義社会に突入した。 この大きな社会の変化をもとに戻すことは不可能だ。 いくら自分が見た目で判断されるのはイヤだと主張しても、仕方がない。

「むぅぅ・・・」と考え込むわけですね。
この説得力のありそうな、なさそうな、煙に巻かれた気分はなんだ・・・というふうに。

痩せてる方が便利なことが色々ある、っていうのは、本当だな、と思うんですよね。
なんとなく、ですけども「チヤホヤされる感覚」っていうのは
やっぱり痩せているときの方がある。
そういうことを言ってるのだとしたら、それは本当に「イヤだと主張しても、仕方がない」、
現実としてあるものだと思うんですよね。
確かに、人も物も、「パッケージ」の占める重要度が物凄く上がっているのも、
実感として分かる。

ただ、例えば、自分のことを考えたときに、太った人を見て
「デブという見た目のキャラ」を「なによりも優先」してその人のことを考えるか
というと、それは全然そんなこと無いわけです。
だから、そこでまずひっかかる。

「デブ」というキャラの中に「物書き」「知的」「評論」といったイメージは無い。 だから、私が本を出すときにどんなタイトルをつけようと、「なんか知的なことが書いてありそうだ」と思ってもらえない。

というふうに著者さんは書いてますが、はっきり言って私はそんなことはないぞ、と思うんですね。
「太ってるな」とは思うでしょうが、
それが、その人の知性と直接何か関わりがあるとはまったく思わないし、
私がそう思わない以上は、私と同じように「そう思わない人」って一杯いると思うんです。
もちろん、著者さんが書いているように「デブは知的じゃない」と思いこんでいる人もたくさん居る可能性もありますが、
そうじゃない人も、それ以上にたくさんいるんじゃないかと思う。

じゃあ「「デブは知的じゃない」と思いこんでいる人」の評価ばかりを
ことさら尊重して暮らす必要はないんじゃないの?
・・・ということも思うんですよね。
もちろん、そういうこと言ってる一方で
「どう考えても知的じゃない人から「デブは知的じゃない」呼ばわりされるあの理不尽極まりない不快感を取り払えるなら取り払ってしまいたい」というのも、凄く分かるのですけどね。

だから、結局は「割りに合うかどうか」ですよね、
「ダイエットする」ということが、「その結果手にするもの」とバランスが取れるかどうか、
そこが問題になると思うし、
著者さんは「ダイエットは楽しいし、ローリスクハイリターンの自己投資だ」というふうに考えてるからダイエットをすすめてますし、
それが本当に、リスクがなくて、楽しいことばっかりで、ついでに周囲の評価も上がる、
という良いこと尽くめだったら、確かに、躊躇う理由はないですよね。
そういう流れで話は具体的なレコーディングダイエットの実践法へとシフトしていきます。

やせなければダメだ、とは言わない。 「太っていると損をする」という現実さえ、見ていればいい。 そして、やせることがどんなに簡単か、それさえ知れば、答えはおのずと明らかだ。 やせることは、自分に対してできる最大の経済効果をもたらす。 そして、それはあたながいま思っている以上に簡単なことなのだ。

いやいや、経験的に言って「太っていると損をする」という現実だけ見てると
痩身崇拝の遠心力によって自分の人生の外側にぶっとばされるのはあっという間ですよ、
というふうに私は思って、眉につばをぬるわけですが。
でもこの本の主張も結構面白いので、次回へ続きます。

※というか、もっとぶっちゃけてしまえば
「自分が痩せたからっていきなりそんなこと言い出すことないじゃーん」
っていうのも正直な感想だったりしますが。
これは、著者さん、いわゆるダイエットハイなんじゃないか、ってのも、ちょっと思ってしまったり。
痩せただけでそんなにバラ色になるかなあ・・・。
第二章の副題「MBAや英会話にあくせくするくらいならば、まず痩せるべきだ。」なんて、完璧に手段と目的がそれぞれバラバラですよね。

※ちなみに読んでいくとわかりますが、この本
ダイエットしないで痩せる方法」がベースになっているようです。
読んだことある人は、「お、アレだ」と思うに違いない^^

レビュー2へ続く

2007年09月26日

私という病
私という病


「『ああ、お願い。誰か、私に欲情して』
女としての価値を確かめるため、私はデリヘル嬢になってみた」

という帯がついてます。

これがね、なんとも、私にとっても解けない謎、なわけです。
『ああ、お願い。誰か、私に欲情して』、という
言葉の意味そのものは凄くわかるんですけども、
その気持ちって、どっかで物凄く自分を傷つけるものである、
という感覚ももってるんですね。
でも、その感覚を手放したら怖いことになる、という気持ちも持ってる。
かなりこんがらかっているので、
普段あまり積極的には自分に問わないんですけども、
『ああ、お願い。誰か、私に欲情して』というコピーは
私にとって凄い謎かけです。
(これ、たぶんもっと刺激を抑えて言うと
女性誌に出てくる「めちゃモテ!愛されメイク!」とかいうのと、
同じ意味になってくるんですよね?違う?)

いくら金を稼いでも、ブランド物で着飾っても、「女」でなくなった時点で、私は世間から軽くつまはじきにされてる気がしちゃうのよ。 恋愛や性別マーケットだけが自分の居場所だなんて、思ってない。仕事の現場とか、家族とか、そういう中にもちゃんとアイディンティティは見出せるの。 でも「恋愛・性的マーケット」から外された途端、自分が大きな欠落を抱えてるような気がしてしまう。 大切な何かがボコンと欠けて、自分という存在にでっかい穴が開いているような、そんな切ない気分になっちゃうの。

ああ、お願い。誰か、私に欲情して。
ホントは恋愛して欲しいけど、そこまで高望みをするのが無理なら、せめて性的価値を認めてよ。
私にはまだ女としての価値が、ほんの少しでも存在する?
もしも存在するとしたら、それはどれくらい?できれば点数つけて欲しいくらいよ。
そう、わかりやすく数字で提示されたいの。私という女の価値を。

著者中村うさぎさん、47歳です。
このデリヘル嬢体験の前に、そこへいたる経験として
15歳年下のホストに「理性も客観性も吹っ飛ぶほど」惚れて、
「破産の恐怖にヒリヒリと身を焼かれながら彼の店にかよっ」た過去について書いている。
暗闇の中で目をそらせたままで行われる心のないセックスに感じる違和感。

別れてから、別のホストが笑い話に自分の色恋営業について話す言葉を聞くうちに
そのときの自分のセックスの光景がまざまざとよみがえって、
圧倒的な自嘲の念に襲われることになる。
金のためにする年上の女性とのセックスについて「カリスマホスト」はこう語る。

「辛いですよー。もうね、明かりを消して真っ暗にしても、ババアの顔が薄ボンヤリと見えるわけ。それ見ると、萎えちゃうからさ。必死でギュッと目を瞑って、アイドルの顔とか思い浮かべてさ。正常位が一番辛かったねー。ババアの顔の横にぴったり自分の顔つけて、枕に顔埋めるような姿勢でヤルの。途中で体勢変えるときは、パッとすばやく、目にも留まらぬ速さでね。モタモタしてると、ババアと目が合っちゃうから。」

この言葉を聴いていて生まれた「年甲斐もなく若い男に惚れ、相手から暗闇の中で目を背けながら金目当てのセックスをしていただいた、世にも憐れでイタいババアである」という自己認識を修復するという戦いと絶望の轍が、
美容整形で若さを取り戻すことや、「女としての価値の確認」のための性風俗の体験へと続いていく。

義務感からセックスしていただく立場に貶められて、女がどれだけ傷つくか・・・私には、それがよくわかる。私もまた、それに傷ついた女だからだ。私がデリヘルで働くほど「女としての価値の確認欲求」に迫られたのは、実にその経験が元になっているからなのである。
そう、もっとも私を傷つけたのは、ホストに愛されなかったことではない、セックスを「やってあげる」という彼の上から見下ろすような態度であった。美しいだけで愚かな男だと内心でバカにしていた相手から不本意にも「下位」に置かれた私のプライドは、自分より下の男たちに対して己の「上位」を確認することで、初めて満たされるのである。

私も、似たような体験をしたことがある。
「金を貢がせていただく」ために「セックスをしていただいた」
私の方が16歳も年下だったからさすがに「ババア」とは思われていなかったろうが
私が「ブス」だから、この男は私は傷つける権利があるんだ、と思っていた。
(ちなみに相手の男は物凄い不細工な人でした。
ところが、別れてずーっと後、数年たって自分が何をされたのかを理解できるようになるまで
そのことには全然気づかなかったんだな。自分をブスだと思い込んでいたので。)

「ババア」とか「ブス」とか「デブ」とかは、全部同じ意味の言葉だ。
普通はそういう自分に関係する人に当然の敬意を払うこともできない幼稚な差別というのは、
言った側の品位を落とすものであるのに、
「ババア」とか「ブス」とか「デブ」とかは、
言われる側が女である、という理由だけで、なぜか「言われる側の品位が貶められる」。
そして傷ついたそういう自己認識を客観的に再確認するための場は女性にとってきわめて少ない。
セックス産業?テレクラ?体重計の上?

我々の飢餓感と欠落感とは、何か。我々は、何を失い、何を取り戻したいのか。それは「金で男のチンコをしゃぶる下種な女」というレッテルを貼られることなんかより、もっと痛くて屈辱的な痛手を、我々の魂が抱えていることの証明ではないのか。
敵の正体がわかっていれば、もう少し冷静に戦うことができる。「やめられない、止まらない」状態の時は、自分でも理屈のつかない快感と恐怖に振り回されているだけである。買い物依存症やセックス依存症は「プロセス依存症」と言われるが、結論が出ないからこそプロセスに拘泥し、それが「儀式化」してしまうのだ。ブランド物が目的だったのではなく、売春が目的だったのでもなく、我々が目的としたのは「自尊心の回復」であった。そのことに気づかなければ、我々はプロセス地獄から永遠に抜け出せない。


本書の中には、摂食障害に関する記述も少しだけ、出てくる。
著者はそれを「女性性の否定」として捉えている。
そういう人もいると思う。
そうでない人もいると思う。
何かの「依存症」「強迫観念」にとらわれている女性が全て
女性という性に傷ついた経験がある、というわけでもないだろう。
ただ、私は摂食障害を「女性性の否定」とは思っていないけれども、
自分の経験を思いながら読んだときにこの本に書かれていることというのは
それこそしみじみとわかるし、
そういう感情は、間違いなく摂食障害と地続きのものとして体験されてきたものであり、
私と同じように感じる女性も、結構いるのじゃないかな、
という気がして、ちょっと紹介してみました。

2007年09月18日

しばらく前からとんとんとん、と生活のリズムが狂ってきてまして
ふむふむどうしたんだ、私
と思ってたんですが
昨日めでたくも完全にリズムが狂って一晩眠れなかったわけですね

で本日、身体がだるくて、頭は妙に冴えていて、でも集中力はまるでない
という、わりと良くあるちょびっと悲惨な事態になりました
すごく悲惨な事態ではないんですよね
頭も身体もちゃんと動くんですけども、
どっか微妙にやる気がなくていらいらしている、という
中途半端なね、そういうときってありますよね
別にわざわざ言うほど身体とか心がしんどいわけじゃないけど
ずーっと心の底の方に何か気になってるような、ね


コーヒーを飲もうとコーヒーを沸かしたら
お湯がわくまでいらいらして待てなかったんです
口つけたら、もの凄く温くて薄くて酸っぱい変な液体になってまして
私、お茶とかコーヒーとかを丁寧にいれるのが好きなタイプなんですけどね
そのコーヒーを飲んだとたんに「いかん、いかん」と思って

ひょっとして私落ち込みたいんじゃないかなあ、と思って
落ち込んでみました

延々とフォローなしで一人自分を責め続ける大会開催
「何やってもうまくいかない」とか
「依存ばっかりして自立できてない」とか
「優しさがない」とか
「結局楽してるだけじゃないか」とか
なんか、色々とそういうのをずーっとね、寝転がって。

私、面白いコツを知ってるんですけども
こういうのって「・・けど」とかで
なんとなくフォロー入れて一人水掛け論にしてしまうとループするんですよね
「何やってもうまくいかない」
「けど一生懸命やってるじゃないか」
「けどひとつもうまくいってないじゃなか」
「けど、しょうがないじゃないか」
とか、一人で責めとフォローを両方やりはじめると
延々続いて絶対終わらないんですよ。

ゆえに、今日は落ち込み専門と限定したんですが、
本当に「さあ、落ち込もう」って構えると、実はあんまり落ち込む理由ってなくて
数分で出てこなくなっちゃうんですね
こっちは「落ち込み瞑想体勢」なので
出てこなくなってもまだ頑張ってぐたっと考え続けるわけです。
考えれば考えるほど、内容も段々具体化してきて
「なにやってもうまくいかない」だったのが
「あれはうまくいかなかったな」
「これもあんまりうまくいってないな」
「あっちはこのままもう少し頑張ればなんとかなるかな」とか
うっかりするとポジティブ要素にまで足を踏み込みそうになったりなんかして
かなり頑張って長い時間落ち込むことに集中したんですけども
微妙に色々と新しいアイディアが湧いてきてしまったりしたので
「落ち込み瞑想」終了となりました。

意外と短時間しか落ち込み続けられなかった自分が面白かったんですけども、
なかなか気分すっきりしまして「落ち込み瞑想」いいな、と思いました。
何かの折にでもお試しくださいませ。

2007年09月17日

mixiでみんなで語りあいたい話題、っていうのを常時募集しているんですね。
(mixiご参加いただいていないみなさん、いつもごめんなさいね。
盛り上がった話題についてはこっちでもまったりと取り上げていきますのでお許しを。
そして、ご参加もお待ちしております。)

いつも結構悩んでいるのですが、
MIXIは参加者の方が自分の好きなように話題を立てられるようにもできるので、
自由にしたほうが楽しいいんだろうなあ、うじうじ・・・
って考えてるんですけどね。
ただ一方でそうしていないことの理由は
「こういう話題はこの人にとっては平気だけど、この人にとってはとても不安を煽ってしまう」
とか、そういうのも、ありますよね。
そういうのを、私が気づいてる範囲については、できるだけバランスとりたいなあ、
っていう思いもあって、今は私しか話題立てられないんです。

それで寄せていただいた「こんな話題を語り合いたい!」というご提案も、
いきなりmixiに出さずに、まず私がこっちのブログの方にもらったり、
トピックとして立てる時期をずらしたり、色々と小細工したりなんかしております。
ご不便かけてごめんなさい。

で、少し前に貰った話題が「ギャル曽根ちゃん」だったんですね。
おお、私では絶対出てこないテーマ、というふうに、
本当こういうのはコミュニティの面白さだと思いますけども、
ちょっと理由あってこの話はmixiではなくて、ブログでもらおうっ、と思ったわけです。

「ギャル曽根ちゃん」、ご存知ですか。
いっぱい食べる女の子なんですよね。
尋常じゃないほどほど食べるけれど細い、ということで人気のある
ギャルの風貌をした女の子です。
名前しか知らなかったので、YOU TUBEで実際にいくつか見てみました。
食べ方の綺麗な人なので、最初は結構小気味良い感じだったのですが、
やっぱりあまり延々に食べるところばかりは見ていたくはないですね、
そのうち、なんとなく、暗い気分になってきました。

これについてmixiコミュの話題とするのはちと抵抗あるな、と私が感じたのは
まず、番組を見ても、どこまでが真実でどこまでが虚構なのかの判断がまったくつかないこと。
虚構なのであれば、話す価値のない話題について真剣に話し合ってしまうことになるし、
真実なのであれば、番組の主旨そのものの是非は別として「痩せの大食い」という身体を張った仕事をしているたったひとりの女の子を闇雲に誹謗中傷することになってしまいかねないこと。
なんです。

ただ、話題として寄せてくださった方の
「私には、彼女がたくさんTVに出てるいう状況が不快なのだけど、
他の人がどう思ってるのか知りたい」という気持ちも
分からなくはないので、ここでちょっと、
前提として「一般視聴者である我々にはどこまでが真実なのか分からない」ということと
「特殊な仕事であるとは言え彼女も求められる仕事をしている一人の女性である」ということを踏まえて、なにか思うところある人がいたら語って欲しいなあ、と。
すません、私の腰が引けてて^^

私は、どういう演出があるにせよあんなにしょっちゅう内蔵圧迫するようなことを続けるのは
身体に良いことはないだろうから、
少しでも健康なうちにうまく他の仕事にシフトしていけるとよいねえ、というふうに
つい心配しておりました。


2007年09月15日

PHOTSHOP美女
DHCダイエットサプリメント
に続きまして、広告のお話です。

広告業界の裏側教えていただきました。
頂いたコメントから。

私が驚いたのは、雑誌でよく座談会ってありますよね(商品の使用感を話し合っているような感じのやつです)。 あれ、普通っぽく見えるモデルさんを何人か選んで、集まって話し合っているような図の写真だけ撮って、 会話の内容は、全部ライターさんが書いていたんですよね。。。

体験談や読者はがきは嘘物だとは何となく知っていたのですが、
座談会のからくりは知りませんでした。もちろん、そうじゃない場合もあるとは思いますが。
少なくとも、私がいた広告代理店では、そうした類のものは全て、文章はライターさんが書いていました。

あと、映像関係にも携わっていた旦那によると、よくテレビ番組の、視聴者からの投稿による再現ドラマとかあるじゃないですか、あれも、ほとんど放送作家がおもしろおかしく作っているのだそうで。
「だまされちゃだめだよ。テレビなんて本当にいいかげんなんだから。」といつも言われています。
そうしたことも、私は知らなかったので、そうだったんだーと驚くやらショックを受けるやら。

そうしたこともあり、今では、雑誌の言うことももテレビの言うことも、ほとんど信じなくなりました。
特に、美容関係と健康食品関係は、作り物コメントだらけです。
(私がいた広告代理店は美容関係と健康食品関係を取り扱っていました。)

楽天サイトのダイエット食品の派手な広告も、科学的なデータを乗せていたりしますが、
あれも適当ですからね。。。
現に私もあるダイエット商品の楽天サイトを依頼されて作りましたが、
商品の内容について何の把握もしていない私に、
「適当に『これは効果ありそう!』って思わせるような、説得力ある感じで作って」と丸投げされました。
しょうがないので、他の類似商品のうたい文句から似たようなものをつなぎ合わせて作ったのですが、もう自分では絶対にこういった商品の類は目にもかけない、と心に誓いました。

そうだろうなあ、って、本当に思ってはいるんですけども、
一応ショックは受けるので、
やっぱりモラルは存在していて欲しい、というふうに
心のどこかでは信じていたりするんでしょうね。
まあ、でも本当「当然そうだろうなあ」とは思うんですけどね。
脱力は否めないですね。
子供だって見るってわかってんじゃん、と、思ってしまう。

広告といえば、私もインターネットを使った提携広告をしてますが、
個人のクチコミ情報というのも、実はあまりあてにならないことがあるんですよね。
企業じゃなくて、個人が勧めているから安心、というイメージってありますが
裏からみるとクチコミ情報の多いダイエット商品は紹介広告料が高いものが多いです。
広告料の高いダイエット商品は検索かけてみると
「お勧め!」とか「○○ダイエット体験記」とかいう個人ブログがたくさん出てきて、
広告料を知ったうえで冷静に内容を見ると、やっぱり、
「本当は自分で試したわけじゃないだろうなあ」というものが結構あります。
(信頼できるものも勿論ありますよ。)
私もバシバシやっているので、
個人がネットで提携広告を展開することそのものを悪く言う気はまるっきりないですけども、
ただ、「企業はプロフェッショナルにやらせをするけど、素人の作ったものであれば大丈夫」
というふうには、ならない、っていうのは、見ていて気づくようになりました。

情報っていうのは、やっぱり「誰が」「何のために」流しているものなのか、
をということまで考慮にいれて、はじめて「情報」ですね。

ダイエットやめたらヤセちゃった」にも、ダイエット広告の裏話はでてきております。

2007年09月14日

mixiでお世話になってる方にはすでにご存知の内容となるんですが、
「ボディ・フリーイング・サミット」で話題として盛り上がったことのひとつに
mixiのサイト内に表示される広告があるんですね。

DHCのダイエットサプリメントの広告なんですが、
夏によくある短期決戦ダイエットを当て込んだバナーで
「彼氏から痩せろ痩せろ、といわれる彼女シリーズ」でずっと出ていまして、
図らずも「ボディ・フリーイング」のコミュにバンバン出てしまったDHCさんも
不幸なのかもしれないんですけども^^
「これはないんじゃないの~」ということで結構盛り上がりました。

一応この商品なのですが
ダイエットパワー

ところで、最近このサイト上で頂いたご提案の一つに
「遠慮しないで、メーカーにもバンバン意見言ってこうじゃないのっ」
というコメントいただいておりまして、
「そういえばそうだよね」って私もかなり遅ればせながら気づき
せっかくネットっていう「どこでもドア」に生息していて
何も自分が率先して内側だけにいることないなあ、というふうに
感心していたのですが、
ならば、とばかりDHC社あてにメールを送ってみました。

非常に手前味噌ながら以下ワタクシメの送信したメール全文です。


DHCお問い合わせ係様

突然のメールで失礼いたします。
私は「ダイエットをやめて自由になるhttp://antidiet21.com/」
というサイトを運営している
管理人ノラこと石澤道子と申します。

実は本日メールをさせていただいているのはmixi上にて表示されている
御社広告バナーについて、私の管理するコミュニティにて話題になったものですから、
消費者の意見としてぜひ届けさせて頂きたい、
と思いまして、突然ではございますがメッセージを差し上げております。

体型と食の強迫観念から自由になることを目指して
情報交換を目的としている上記ブログサイトと連動して、
体型や食べ物への強迫観念について人目を気にせずに
自由に話せる場を作ろうと、非公開mixiコミュニティ
「ボディ・フリーイング・サミットhttp://mixi.jp/view_community.pl?id=2546763」
という場がございます。
そのコミュニティ上で御社のダイエット食品のバナー広告が
女性の強迫観念を大きくしてしまうのではないか、と何度か話題に上りました。
具体的にあげさせていただくと下記のような文言の入った広告です。

○彼「お前夏までに5kg痩せるって言っただろ?!」

○彼「オマエ結局夏の間にやせなかったな」 彼女「うん、5日でやせる」

○「わぁ~い ヤセたら、彼にほめられたよン♪」

○「うう~つままないで!でぶでぶです。今すぐやせたい」


特に広告のモデルさんは太っている様子には見えないこと
「努力してないから痩せていない」というニュアンスを感じ、女性を追い詰めること、
数日で痩せる、というのは、健康上危険である、という事実を無視していること。
などが話題になりました。
実際に、パートナーに痩せるように、というふうに言われて辛い思いをしている人の意見もあります。

本当の意味で女性の美しさと健康について考えたときに
この広告の及ぼす影響というのは決して良いものではないのではないか、
というのが、現在私たちの間で出ている意見です。

50人程度の小さなコミュニティで静かに話題になっていることではありますが、
ダイエットをし、ダイエットに苦しみ、今後どうやって生きていこうか、
ということについて本気で考えている女性たちのコミュニティから出てきている
生活者としての女性たちの声です。
ぜひとも私たちのこの意見は聞いていただきたい、と思ったものですから、
管理人である私が代表し、メールさせて頂きました。

宣伝活動、また女性の「美」や「健康」を助ける商品の開発にあたられまして、
私どものように強迫観念と闘い、そこから自由になっていこう、という取り組みが実際にあることを
どうぞ少しでも思い出していただけたら、大変嬉しく思います。

長文、最後までお読み頂きまして、どうもありがとうございました。
文末にはなりますが、御社の益々のご発展を心よりお祈り申し上げます。

石澤道子

ブログサイト:ダイエットをやめて自由になる「http://antidiet21.com/」
mixiコミュニティ:ボディ・フリーイング・サミット「http://mixi.jp/view_community.pl?id=2546763」

すいません、変に訂正するとわかりにくいので、名前そのままですが^^
以上の文面を送ってみました。

まあ、一応翌日に返信が来まして、以下の内容。

いつもDHCをご愛用いただきまして誠にありがとうございます。

貴重なご意見ありがとうございました。

お客様のご要望は、関連部署にお客様からのお声として
報告させていただきました。

今後とも、皆様にご支持頂ける製品づくりを心がけてまいりますので、
引き続き弊社製品にご愛顧賜りますよう、何卒宜しくお願い申し上げます。

内容としては「届きました」という確認程度のコピペメールですね。
ちびっと脱力いたしました^^
本当に誰かに読んでもらえていると嬉しいと思いますが、
結構難しいのでしょうかね。

でも、自然に話し合いの中で生まれてきた主張を
自分たちの意見として伝える、という方法もあるんだな、
っていうのをメール書いてみて確認できたのはなんとなく嬉しかったですね。


2007年09月13日

また面白いサイトを教わってしまったのでご紹介です。

iWANEX STUDEO

画面下のポートレイトをクリックして拡大してください。
オンマウスにすると加工前の写真になります。
もう一回クリックすると閉じます。
沢山ありますが、面白いので全部見てください(笑)

シミ、皺を消すのはもちろんですが、
顔や体型そのものも変えるのですね、
ウエストを細くし、胸を大きくし、ヒップを持ち上げ、
肩幅を広くして、深すぎる鎖骨は埋め、お腹の上のたるんだ肉は消します。
目を大きくして、輪郭をシャープにして。
相当に変えているのがわかります。

噂では知っていたけど実際見ると凄いなあ、と感心しますね。

こういう写真を見て、つい
「もっと細くなってかわいくなりたーい」と思う女の子にとっては
完全にフェアじゃないですよね。

良いのですけど、こういう世界があっても。
でもタバコに「吸い過ぎると健康を害する危険がある」って書くなら
加工した写真にも「真に受けると健康を害する危険がある」って書いておかないと
情報の判断のバランスがよく分からなくなりますよね。

ダイエット食品なんかの使用前、使用後の写真も、
何もモニター頼んで何日もかけて痩せてもらわなくても、
写真一枚あれば、数分で出来るのだろうなあ、というふうに思うことです。

美しいポートレイトがどういった過程で出来上がっていくのか、
ということを示した動画がこちらです。
再生されない人は画面下の「watch the film」をクリックしてください。
Dove

綺麗な写真って鑑賞するのに楽しくて良いものですが
これらの写真がこうやって作られてるんだよ、っていうのは
もっと知られて良いような気がいたしますね。

ここさん、いつもありがとうございます。

2007年09月12日

ここさんが教えてくれた
ダヴのキャンペーン
を見て、ほつほつと思ったことを。

ちょっと面白かったのは、
この投票式広告
のページなんですけども

このアンケート調の広告文を見ながらおもいついた
私が最近考えていること、など少々。

【なぜ、女性は白髪になることをイヤがるのでしょうか?】

突然ですが、私、生涯ほぼずっとショートできたんですね。
なんか恥かしかったんです。
”若い”って派手じゃないですか。
それがね、髪長いと目立ちすぎて自分でどうしていいかわかんないわけです。
それでツンツン立つくらい短く切って、
全身色のない真っ黒な服を着て、まあ襟ぐりのところだけちょっと広めに開けておけば
肌の色が白いですから、顔が暗く見えることないし、ってんで
ずーっとそのスタイルだったんですね。

それでですねえ、もうすぐ三十路なんですけども
もう全身真っ黒とか、逆立つショートへアのイメージじゃなくなってくるなあ、
って感じがなんとなくするわけですよ。
「恥かしいほど若いオーラ」が減ってくるわけで、
あんまり恥かしくないかもしれない、私。ということを考えはじめるんですね。

服も色のあるほうが綺麗かも、髪も少し柔らかく見えるほうが綺麗かも、
とか思いはじめましてですね、
二十年くらいショート封印しようかな、って思ってるわけです。
たぶん次にショートカットが似合うようになるのは
髪が半分くらい白くなって全体が軽い感じになってからだろうなあ、と思って、
結構白髪楽しみにしてるんですよ。
で、白髪になるまでの間、どんな髪にしとこっかー、と考えておるわけです
ぐしし。

【ほんとうに”シミひとつない肌”だけが美しいの?】

私もこれは本当に昔から思ってたんですよねえ。
私、お化粧しないんです。
元は、お化粧すると匂いでクラクラするし、肌痛いし、ってことがあったのですが、
地下鉄とかで女性を観察してると、
「お化粧した女性」と「お化粧してない女性」を比べたときに
私は「お化粧してない女性」の顔の方が好みだったんですね。

お化粧って、薄いとは言え、顔の上の一枚の膜ですから、
なんか、ちょっとその人が遠く見える気がするんです。
表情の生き生き度も落ちてしまうよなあ、って。
私、本当に、「化粧よりシミの方がすきだ」と思ったわけで。
従いまして、クラクラを我慢して化粧をする、という習性をとうとう
身につけないままこの歳に至ってるわけです。

お化粧してないまま、鏡見てても、どう考えても自分の顔に何の不満もないわけですよ。
「シミのない肌」「皺の無い肌」への憧れは、
実は私もいまいちわからん、と思っていたことの一つでございました。

でも、最近思ってるの、ひょっとしたらこの歳だから、
そのうち化粧に興味持つようになるかもしれないね、っていう気もするんですよね。
ずっと、派手なものが似合わない歳できたけれど、
そろそろ似合うようになり始めるじゃないですか、
それこそ真っ赤ルージュとかに、興味持ち始めたら楽しいのかも、
なんてことも思いますわん。ぐしし。

【ダイエットしないと本当に美しくなれないって本当?】

これは、もう今更付け足すこともないともないと思うので(笑)



そういうわけで世間は「アレを隠せ、コレは醜い」と好き勝手言ってるけど
自分はどうもそうは思わない、という
美容談義も色々あるんじゃないかしら、と思うわけです。
そういうのを考えるきっかけに、このダヴのサイトは面白いかもしれないですね。

みなさんの超個人的「美人談義」はどんなでしょうか。

2007年09月10日

「服のサイズ考(1)」「(2)」より続いています。


それからもうひとつ。
これもmixiで出てきた話題から、ですが
「実際に似合うサイズよりも、ワンサイズ小さいものを買いたくなってしまう気持ち」
って、ありますよね。
今まで買っていたサイズよりも大きいものだと、一瞬「いや、そんなはずない」と思う。
洋服のサイズなんて、実際は持ってる自分にしか見えないものなのですが、
でも「なぜか」拘ってしまう気持ち。

気になるんだったら、家に帰って小さいサイズのタグを取って縫いつけちゃって
「私七号着てます」って思って街を闊歩してしまって全然構わないと思うんですが(笑)
「体型」って、精神性とか、道徳とかと変に結びついてしまって
やたらシリアスな問題になってしまっているから
「そんな自分に嘘をつくようなことできないっ」
「っていうか、そんな軽い問題じゃないっ」
って感覚、ありますけど
私は人生の中にそういうユーモラスな感覚あったら凄く楽しいなあ、って思います。
実際持ってる服は色々なサイズだけど、タグは全部7号、とか、面白いじゃないね^^

生活って、全然シリアスでもドラマチックでもなくて
大部分がただベタベタと日常の些事に埋もれていて、
時々「はーっ」と自分でもよくわからないため息をつくようなものですが、
そこからちょっと飛び出す飛び板って、ユーモアの感覚だと思うんだよな。
たかが服のサイズ、でもこだわってる私も可愛い、って、ね。

おっと、こんなご提案も頂いてました

サイズやデザインで「困ったな」という経験をしたら「おとなしく服に身体を合わせようとする」のではなくて、メーカー側に遠慮なくバシバシ要望を伝えませんか??それぞれに出来る範囲でいいと思うのです。売り場の方に直接言っても、置いてある「お客様の声お待ちしています」の紙にそうっと匿名で書いても。メーカーのホームページに書き込んでもいいと思うし。
 体型的に少数派だからってそれが何だというのでしょう??恥じることではないですよね!この身体で生きていくんだから。サイズだってデザインだって、出来るだけ自分に合う、素敵な服を身にまといたいですよね!「うちはMかSしか置かないんです」なんて店は無視!「買えない」んじゃなくて「買ってやらない」!

ちょっとジェニーン・ロスを思い出したんですが、
彼女が食べることと真剣に向き合うことを始めたとき
気に入った店が見つかるまで何軒もレストランを変えたり、
料理が冷めていたら下げてもらって温めなおすように言ったり、
積極的に「うるさい人」になってるんですよね。
それが彼女にとって食べる、ということに情熱を持っていくためにとっても重要なことだった。
「私がちょっと我慢したらいいんだから。」
という考え方を変えていく、っていうのも、確かに、大切なことですよね。
もちろん、最初は勇気要りそうですけど。
ビバ、解き放たれた体。


※私が推測するに、このサイト見てくださる方の中に、
おそらく20人くらいの男性がいらっしゃるんじゃないかしら、って、思ってるんですけど、
このあたりの感覚、「なんで服のサイズが疎外感になるの?」っていうところ、
きっと男性には不可解な部分なのじゃないかしらね^^
多くの女性にとっては何かしらの共感を得られる、お話なのですけども。

服のサイズ考より続いています

服のサイズ談義、mixi上でもりあがりを見せておりますが、
こちらだけ見てくださってる方のためにも様子お伝えすると
大きいサイズコーナーに関しては「いる」「いらない」両論がちゃんとあって、嬉しいです。

「自分にあうものが見つけやすくて便利だし、無きゃ困る」という意見
「一般コーナーで買うのは恥かしいから安心して買える場所があった方がいい」という意見
やっぱり一般コーナーで選べた方が楽しい、という意見
などなど。勉強になります。
本当に、あたり前ですけども、どういう気持ちでそこへ行くか、によって
同じ場所で同じものを買っても装う楽しさって全然違うんですね。

ところで、先日書かせていただいたヨーロッパ某都市だより
(参照記事:私たちの新世代
あんまり素敵なメッセージを下さるのでまた引用させていただいてしまいます。
いつもありがとうございます。

彼(ノラ注:前回記事で登場しましたダイエット反対論の男性です) はオーダーメイドのウエディングドレスをつくる仕事をしているんですが、 彼が、その女性の体も顔も雰囲気もすべてを考えて 式の日に一番きれいに見えるようにドレスをデザインするのに、 一ヵ月後の仮縫いの日にたいていの女性はダイエットしてやせてくるそうです。 スカートのボリュームや飾りにつけるリボンでさえも その子の笑顔とか二の腕のぽっちゃり感を頭でイメージしながら作ってるのに 3kgも5kgもやせて現れる女性が本当に頭にくるそうです。 15kgやせた女性もいたらしく、憤死しそうになったと言っていました。
どうして肉の量だけで美しさを計ろうとするんだ?
どうしてそのままでいられないんだ?
どうして今の自分の美しさをアピールしないんだ?
と、怒り大爆発でした。

読んで拍手しました私。
こんな、大人の感性を持ったデザイナーさんってちゃんといるんですもん。
凄いです。ボディ・フリーイングの顧問になってもらいたい(笑)

そうですよぉ、
一見物が沢山ありそうなこの国でほんのちょっと体重が増えたくらいで
「着る服がない」「可愛い服が着られない」ってなるのは、
女の子の身体が醜いんじゃなくて、デザイナーが幼稚なんじゃーん。

前回記事のコメントで初めて柳原可奈子さんという芸人さんについて教えていただいて、
私せっせとネットで調べて動画を見てみたのですが、
とってもキュートなのでうなりました。
彼女を見てると
太ってる「けど」あんなふうに可愛いんじゃなくて
太ってる「から」あんなふうに可愛いいんじゃないか
って自然に思えてきますね。
例えば座ったときに、お腹のところがぽこっと出たりするんですが、
それがいかなる負のオーラもまとっていない、
ほんとその「ぽこん」も間違いなく魅力的な彼女自身、なのですよね。
全身余すところなく生き生きして見えるのです。

たしかに彼女は特異な人であって
あれだけのオーラを持った人がごろごろいるわけではなく
また大柄な人が全てああいったキャラクターでなければならない、
ということでもないんですが
本当に「新しい魅力的な女の子」のひとつの方向だなあ、って思いました。

※長くなってしまうので分けます
服のサイズ考(3)

2007年09月09日

昨日、ちょこっと盛り上がりを見せた話、
「大きいサイズのコーナー」は必要なのか?
という疑問です。

私ね「大きいサイズのコーナー」に行くのがまず嫌だ、
って声を何度か聞いたことがあるんですよ。
女性が楽しみで服買いに行くのになんでわざわざ「まず嫌」なところで売ってるのか、
不思議なんですよね。
「ここまで細いのは、そんな何人も入らないでしょ」っていうくらい小さい服は
売り場にいっぱい置いてるんだから、
大きい服だって普通に置けるだろ、って思うんですけど。


「大きいサイズコーナー」にいきたくないから買い物に行くのがいや、
とか自分だけ売り場が違うから友達とショッピングに行くのがいや、
というような話、挙句の果てに
「私の身体が悪い、ダイエットしなきゃっ」となってくると
うーむ、それは「売ってる側が何か不自然なのではないか」という気がしてきてしまうんですね。
あれは、本当にそんなに分けないと不都合があるのかなあ。

「このショップは細いシルエットが映えるデザインが多いから私の好み」とか
「こっちは大柄なシルエットが映えるデザインが多いから私の好み」とか
そういう選ぶ側のセンサーでショップの好みが分かれる、というのならわかるんですけども
さらにそのうえで「大きいサイズを着る人に嬉しいセレクトショップ」というふうになって
たとえばアクセサリーでも、ゆったり作ってあるから私によく似合うの、
この身体でよかったわん、うふふん。
くらいなことに、当然なってていいのでは?
ということをね、うーん、と考えていたんですよね。

あの趣向を凝らして沢山売ることが大好きな業界が、
なぜ「行くのが嫌」という人がいるところで、わざわざものを売ってるんだろう、と。
純粋に不思議。
(というか、本当はもっと悪意の邪推してるんだけど、ぐっとこらえて言わない、笑)

しかし、実は私自身は「大きいサイズコーナー」に関して言えば
聞いた話から作るイメージがあるだけで
実際的な利便性、というのはいまいちわかってなくて。
実際に聞いてみると「やっぱりあった方が便利」という意見もあるんだね。
これはこれで、ああそうか、なるほど、とも思うのだけど。

ただ、その「大きいサイズ」以外で考えていっても
何か「着る」ことについて見えない不要な「壁」があるんじゃないかな、
っていう気はするんです。
「太ったからお気に入りのあの店にもう入れない」とか。
そういう思いって本当になきゃいけないのか、というのかな、
うん、まあ居直って言わせてもらえればショップ店員さんが全員SサイズとMサイズで立ってて、
そして「え?M以上のサイズってこの世にあるんでしたっけ?」
というオーラがなんとなく感じれらる、とか。あの演出いらんだろ(笑)
たかが洋服のサイズの何に拘ってるんだ君たちは。

林真理子さんもね「店員さんに「おサイズお探ししましょうか」って言われる」のが嫌だ嫌だ
って繰り返し書いてるんですよね。
「そんなん気にしなきゃいいじゃん」っていうのが、一番手軽なアドバイスだけど、
着ることとか、生活することとか、自分の身体と仲良くなるとか、
もっと柔らかい感性いっぱい含んでますよね。
で、そいうのを、「服を売る」という場においてあんまり大切にされてる気がしないんですよ。

「ちょっと太ったからあの店に入れない」とかって、
すでに「楽しみの場」じゃなくて「闘いの場」じゃんね。
それはそうでなくてはならんのか?
っていうふうに思うわけです。

※この話題はmixiで語りたい、というご希望あったので、mixiにもトピ立てます。

2007年09月08日

ヨーロッパ某都市より、面白いメッセージ頂きました。
「それ、面白いから記事にしていいですか?」
という返信しつつ、返事を待たずに記事にしてしまう、こらえ性の無い私です。
でもみんなの意見も聞いてみたい、って書いてくださってたから
変わりに書かせていただいてしますっ。

こんなメッセージです。

今日のお昼、女の子8人とおしゃれなゲイの男性一人と話していたんですが、
ファッションやダイエットの話になりました。
彼はもともと女性に厳しく、特にダイエットをする女性は大バカ者だ
とひまさえあれば主張している人なんですが、
その彼が、「ヨーロッパでは、肉体を賛美したローマ時代のあとに
禁欲的なカトリック時代が来て、その反動でまた自然な体を愛する文化が生まれた。
だから人間の本能として、
今の細ければ細いほど美しいっていう時代もいつか終わって、
またやわらかい女性らしさが憧れの的になる時代が来るはずだ。
マリアさんでさえ太ったりやせたり、デコルテ見せたり隠したり、
忙しくってしょうがないのに、おまえたち、そうは思わないの?
10年後も今みたいにダイエット、続けてると思う?
次の世代の女の子たちはおまえたちに続くと思う?」って聞いたんです。
そしたら、彼女たちが口々に、
「もう、流行は変わり始めてるよ。10年後じゃなく、5年後にはもう
理想体型は今とは違うと思う。」って答えたんです。

こちらでも摂食障害は問題になっているし、
雑誌やテレビの女の子たちは細い人が主流です。
でも、普通の女の子たちが生活している実感として
「今、流行の変わり目だな」っていう感覚を持っているんだなってちょっと驚きました。

--中略--

ついこの前、背の高いグラマーな友達が
「この前ショップに行ったらすごいかわいい服があったんだけど、
私のサイズがなかったんだよね。
まったく、ここにそれを着たい女の子がいるんだから大きいサイズもつくっとけ!って感じだよね。」って怒ってるのを聞いたときも新鮮でした。
日本だったら(私だったら)しくしく泣きながらダイエット開始です。

つい感動してしまった私。
もう流行を超えて
「もう身体でメッセージ伝えようとしたり、
自分の商品価値をあげたりしようって時代じゃないでしょ。
身体と直接関わるのが一番官能的にきまってんじゃん」
という時代に差し掛かれっ、と念じてしまいました。
うれしいわ、私。

ところで、お国柄、って、やっぱりありますよね。
どこがどう、っていうのは(海外経験も殆どないので)うまく言えないんですけど、
なんとなく、日本で「スリムブームおーりた」という動きが活発になるのは
結構難しいんじゃないかな、って思うところなんとなくあるんですよね。

本当に感覚的なことしか言えないんですけども
この国と、この国で生きる女性にとって
「自虐的なほど身体を細くしておく」っていうのが、
感覚的にどこか凄くぴたっとはまってしまうような、そんな気がするんです。
何かな、禁欲的なイメージがするところ、とかがね。
自分を小さく小さくしておきたい、という社会へのメッセージ性とか。
ちょっと不幸せそうに見える人の方が人間に深みがあるんじゃないか、という思い込みとか(笑)
うん、そんな感じが。<