HOMEダイエットという不自由>あえてアンチダイエットを疑問視してみる

私自身がダイエットをやめて快適な状態でいるものですから
「ダイエットをやめよう!」というのが
このサイト上で発信してきた情報の大きな柱のひとつにもなっているんですけど

あえて考えてみる
「ダイエットをしていてなにか不都合があるか?」

いや、無い人はそのままで結構です、
というふうに言ってしまえばそれまでなんですけども^^
そのあたりにまつわるモヤモヤというのもあろうかと思うので
モヤモヤに突入してみます。

「ダイエットにとらわれることから卒業しても
今度はダイエットをしてはいけない、
ダイエットをやめなければ痩せられない
ダイエットをやめなければ自由にはなれない」
というようなことにとらわれてしまっては
看板をすげ替えただけで何も変わらないのじゃないか、
たとえば今ダイエットにとらわれて苦しい生活をしているのであれば
ダイエットをやめないでその苦しみから解放される道はないのかな?
ということを考えるのも、もっとも感覚ではないのか、ということですよね

たとえば
少なめに食べる、とか
何時以降は食べない、とか
甘いものは一日一個まで、とか
ジャンクフードは食べない、とか
そういうことは続けていないと不安、という人も多いですよね。

それで、そういうことについて
まず先に今までどおりの私の立場を言ってしまえば
そういう「理想の身体を保つため」の規制の意識というのは
「自分は常に手綱をしめておかなければ底なしに貪欲で
身体を台無しにしてしまうものばかり欲しがる信用ならない人間である」
というような感覚をどこかで培ってしまうんじゃないか、
というようなことを、やっぱり自分の経験を通じて考えているんですね。

そうではなく「自分の身体の声に耳を澄まそう、それに従おう」
という意識が、自分を信じることにつながっていき
身体を解き放つというところにつながるんじゃないか、
っていうのが、今まで考え、言ってきたつもりでいることです。

ただ「自分で自分の手綱をしめておくことが出来る」とか
ある程度「自分の身体の声を操作できる」
という感覚そのものが自由の感覚に近いという人が居る可能性というのも
考えてみれば確かにありますよね。

それを考えていくときに行き着いたのは
そういう自分自身に対する食べ方などへの規制が
「どういう動機から出てくるものなんだろうか」
というところに注意してみることなのかな、
というふうにも思うんですね。

たとえば、「腹八分目に食べることにしよう」
というふうにしたい、と思ったときに
それが「規則どおり食べてないと何か恐ろしいことになる」
という不安から出てくるものなら、
私はやっぱり思い切ってやめるべきなんじゃないのかなあ、って
それについては、やっぱりどうしてもそう思うんです。

ただ、その動機が自分で決まりを作って
ある程度破ったり守ったりしながら生活していくことがなんとなく気持ちがいい、
というのであれば、それはもしかしたら
自由と共存できる自分の規則なのかもしれない。

っていうふうに考えてみました。

このサイトで言ってることも
もしかして私は自分の体験に固執しすぎて排他的なのか?
という不安もちょっとよぎりつつあるので
初心に立ち返って考えてみた本日です。

※ところで、最近頂くメッセージから非常に考えることが多くて
考えが全然追いついていないものもあるんですけども、
あえて難しい意見を、口だけ達者な頑固者に届けてくださる皆様には本当に感謝してます^^;。
時々、力量不足で理解することから逃げることもありますが、
一応は序々に追いついて行く心積もりで逃げております。
どうぞよろしくお願いします。

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コメント

久しぶりにコメントさせて頂きます。10年近く摂食障害で、ここ2~3年は30~35キロ位をうろついていました。春から、意を決して病気と決別する為に吐くことを止め、痩せている姿をあきらめました。夜(中)は考えられないほどの食欲で、意に任せ食べています。いつかこの食欲も収まるのかと思っていましたが、未だに止まらず、毎日、夜考えられないほどの食べ物(甘いもの)を食べてしまっています。あきらめている反面、いつになったらこの食欲は止まるのか・・・と不安と恐怖で一杯です。
自分が怖いです。
もう、痩せたいとは思いませんが、太っていく自分の姿、ありえない食欲が怖くてしかたありません。

うるさん

「決断」から、半年くらいなんですね。
辛いところですよね。

もう少し、うるさんの状況が分かったら良いんですけど・・・。

もし極端な低体重からの回復中なのであれば、
ある程度健康を維持できる体重まで順調に増えていくのは普通のことなんですよね。
だからそれは「怖がらなくて大丈夫」っていうふうに断言していいと思うんですけども。

それが単に「過食嘔吐」から「嘔吐なしの過食」に移行したんだ、
というような感覚をうるさんが持っていらっしゃるのであれば
もう少し状況を整理して考えて見たほうがいいことがあるのかもしれないですよね。

「怖い」という気持ちのほかに、
まだ何かうるさんご自身でわかっていらっしゃる事実、感情があったら、
もしよかったら、話してみていただけたら、と思います。

身長は160センチないくらいなので、多分低体重をずっと維持していたという事になると思います。嘔吐をやめてからはかなりたちます。今まで、ずっと食欲をコントロールしてきたのですが、回復したいと思って食べ始めてから、週に2度位夜(中)に大量に食べるという状態だったのが、最近では毎日です。どこかで、こういうきっかけがなければ永遠に太らないだろうと初めは諦めていましたが、最近は食べても食べても意、止まらず、昔過食嘔吐していたときを思い出して・・・
過食後、お腹と背中が痛くて・・・(食べすぎで)それでも毎日続くので、ずっと内臓がいたい状態です。
やっぱり、嘔吐なしの過食のまま、止まらないって言う不安が一番あります。
どうしたらいいのでしょう?やはり、コントロールは無理なのでしょうか?体重は一切量っていませんが、服がどんどんきられなくなってきています。

うるさんへ

※私は治療者でも専門家でもなく、ただ摂食障害について多少調べたり、
体験者の方のお話を聞かせていただいたりしてきた人間に過ぎないので、
何かお役に立てる情報をお伝えできるかどうかのお約束はできないのですが、
もしうるさんさえよろしければメールでお話をお伺いした方が、しっかり状況はお伺いできるし、
こちらでも、私が見聞したことのある話などについて多少詳しくお伝えできると思います。
もしよろしかったら、画面右下の方に私のアドレス表示してますの、メールでお話しさせていただくことも考えてください。

拒食症から回復していく過程での、「食べる量がコントロールがきかない」とか「内臓の痛み」とか「不安感」というのは、他にもお伺いしたことがあります。
少しずつ少しずつ、かなり長い時間かかって回復していくようなのですが、
「不安感」については、体重が増えるのと一緒に薄れていく、
というふうなことを私はお伺いしました。

で、以前このサイトでデルデル呼吸というものをご紹介させていただいたことがあるんですが、
うるさんのような拒食からの回復期の方が効果があった、としてご紹介してくださったものなんです。

もちろん、これですっきり治る、というわけにはいきませんが、
もしかしたら低下した内臓機能を向上させるのと、
心を落ち着けるのに訳に立つかもしれないなあ、
というふうに思うので、もしこういったものにも関心があったら試してみて欲しい、と思います。
(書籍プレゼントについてても必要であれば応じられますので、その場合もメールくださいませ)

もし、うるさんにとって「我慢」か「過食」か、どちらかの選択の余地しかない状況があったとして、
長期的に見て、心と身体により悪影響を及ぼすのは「我慢」の方だと、私は思います。
今まで食べてこなかったのであれば「食べる」ことそのものに身心両面での不快感が出てしまうのは充分考えられますが、できるだけ体の声に注目しながら、やっぱり「食べる」ことになれていこうとするのが良いのではないでしょうか。

回復の目安として、今「甘いもの」だけが食べたいのがやがて「炭水化物」を必要とするように自然と変わっていく、という例が多いようです。

>「自分は常に手綱をしめておかなければ底なしに貪欲で
身体を台無しにしてしまうものばかり欲しがる信用ならない人間である」
というような感覚

この、感覚、ものすごく、わかります。

最近、痛感させられているのは、
私は、食べることだけでなく人生全般において、
そして自分だけでなく近しいパートナーにまで、この信念をもとに、管理をゆるめることができない、ということです。
各種さまざまなルールや規則を、取っ払うのが怖い、という問題。。。
ルールや規則で縛り付けておかなければ、
いつも規制していなければ、
とんでもなくいいかげんでルーズになってしまう。身を滅ぼすような行動を取るに決まっている。
自由にしてしまったら、だめな人間になってしまう。
甘やかしたらだめになってしまう。
そういう恐怖が、あるのです。
自分だけでなく相手に対しても。
それは、食べることにも通じています。

この信念のせいで、自分自身も人も息苦しくさせてしまっています。
けれども、どうしたら各種ルールをはずせるか、自分でもわからないのです。
自分を、人を、ルールから自由にするのが、怖い。

匿名様(どなたか分かるような気がしますが、人違いだったら失礼なので^^)

お気づきになりましたら、お名前入れてくださいませ。
うっかり匿名になっちゃうんですよね、ここ。私も何度かしてますが。

私もずっと、
自分はギリギリ頑張ってないとダメになる悪い人間だと思ってたんですが、
もう、「このままでは苦しくてとてもやっていけない」と思って
やみくもに全部はずしてみたら、意外と何もおこらなかった、
という感じでした。

「自由にしてしまったら、だめな人間になってしまう。」という恐怖から自由になるには
「自由にしてしまって」本当に「だめな人間」になるかどうか、
もう、どっぼーん、と飛び込んで試してみるしかないんじゃないのかなあ、
って私は思うのですよね。

「このままぎりぎり手綱をしめていく方が生きやすいか」
(それなりに安心、とかメリットはやはりあると思うので)
「どっぼーん、と飛び込んで新しい生き方を試してみる方がいいか」
(生き方を変える、という、リスクは伴いますよね)
という、そういう選択に、結局はなってくるんだと思うのですよね・・・。

すみません、名前を入れずに投稿してしまいました。
Anonymous=私ですm(_ _)m

ノラさん、コメントありがとうございました。

>やみくもに全部はずしてみた

とありますが、具体的に、どうやってノラさんは自分自身に対する規制をはずしたのでしょうか。(食だけに限らず人生全般、生き方において。)
私は、自分があまりに多くの規制に縛られてルールが先に立って身動きがとれずにいることはわかっているのですが、じゃあどうやってはずせばいいのか全くわからないのです。。。
「手綱をはずす」って具体的には一体どうすることなのか、わかっていなかったりするのです。。。

asaさん
・・・やっぱりasaさんですよね。うん、やっぱりそうだ(笑)
すいません、名前入れ忘れてもエラー出ないんですよね、このシステムm(_ _;)m。

自分の欲することは全て自分のためにイイコトである、と
「ただ信じた」だけですよ^^
人を信じるのとまったく同じで、何かやり方があるわけではなくて
ただ、人を信じるのと同じように「自分を信じよう」と決めただけです。
別の考えが起こったときは「もう信じると決めたのだから」というふうに
それを追い払って。
・・・ようするに「ただやみくもに」決めたんです^^;。
(なんか禅問答っぽくなっちゃったけど・・・)

親切なコメントありがとうございます。時間に余裕があるとき、メールをしたいと思います。

横から失礼します。
たまたまノラさんのコメント拝見して、「ああ、いいなぁ、そういうの」って思って、それを伝えたくなりました(^^

>自分の欲することは全て自分のためにイイコトである、と
>「ただ信じた」だけですよ^^

このコメント、額に入れて飾っておきたいです(^^ゞ
一度欲したものはやってみないと、ずっと頭の中に残ってしまうんですよね。
で、それが積み重なって頭の中は実現されない想いで一杯になる・・・。
だったら消化していったほうがいいですよね。
うん、とってもいいことを聞きました。
ありがとうございます(^^
(by ちゃぴい)

moomi さん
ちゃっぴいさん

これは本当に経験から得た実感、って感じですね。
頭よりも身体の方が賢い、って^^

もう身体がやろうとしてることの意味がわからなくてもいいから
大船に乗ったつもりで任せておけば
結果的には一番うまくいくようだ、ってのが分かるのは、
物凄く自由になれるもんだなあ、って思いました

えへへ、照れます。

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