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2007年11月29日

季節性うつ、なんて言葉もありますが
私も寒くなって日の短くなるこの時期は
基本的に気分が低めに推移する体質です。

今日あたりは実のところ目覚めていきなり動けなかったわけで、
本当に布団の中で悶々、という世界の住民で
具体的な欲求として、かなりお腹が空いていたんですが
何を想像してみてもどうしても食べたくなかったわけですね

お腹が空いてるんだけど
したいことは、食べることじゃなくて、ですね
正直なところ、誰かに連絡して
「ご飯食べられないの、やばいやばい、どうしよう、ギャー」
というようなことをひとしきり言いたくて仕方なかったわけです

いや、それにしても少々大がかりな欲求だよな
としばし考えていて思いついたのが
要するに、「食べたくない」わけではなくて
「作るなり、食べに行くなりをしたくない」ということだったんですね。
本当のところ、というのは
離乳食みたいないもの(おかゆが食べたかったんですけどね)を
誰かに作ってもらって
「さあ、どうぞ」というか、
なんなら「さあいい子ですね、ご飯食べましょうね、アバババ」
くらいの勢いであやしてもらいたかったんです
つまり私の状態というのは「食べられない」わけではなくて
「自分でなんて食べたくないモン、ふん」という
軽いハンスト状態だったようで。
実際人ってそういう時、あるんじゃないかな、と思うんです。

で、現実的に私の周辺には現在そういうことを交渉して頼める人、というのもいない状態で
つまり「機嫌とられて離乳食与えられたい気分」だけど
「現実的にはそれは無理」という状態を
さて、なんとして切り抜けようか、っていうのがとりあえずの課題

実は一日半くらいモノを食べてなくて
思考が悲観的になっていたのと肉体的に動くのがだるくなっていた、
というのがあったので
さしあたり最低限の努力ですむもので何か食べて身体を温めて気分をちょっと上げて、
それから「離乳食的欲求」については改めて考えよう
という結論に至りまして、
買い置きのラーメンを三分くらいで煮て食べました

あれは、ラーメン、ってのはかなり散文的な食べ物で
ハフハフズルズルやってるうちに
空腹による悲観的な思考の傾きというのは
わりと訂正されてしまったりしますね

食べ終わったときはかなり「いつも」に近いくらいになっていまして
「離乳食的欲求」そのものについてはラーメンの湯気の向こうに見えなくなっただけで
本質的にはまだあると思うんですが
「今すぐ」じゃないと「もう無理」という緊迫感まではすでにないわけです

「離乳食的欲求」があるけども「現実的にはそれは無理」というのは
おそらく春になって自然に気分が上がってくるまで
しばし付き合うジレンマになるでしょうから
そのあたりはまあケース・バイ・ケースでなんとか対応していこう、
ということで要注意の付箋を貼って脳内の「未処理」ファイルあたりに放り込んで置くとしました

栄養学的に、というか倫理学的にというのか、
「一日モノを食べないでいきなりインスタントラーメンとは何という食生活か」
と、叱られるのは簡単そうですが
私は非常にうまい具合に身体と想像力の両方に食事を与えたな、と
まあ、なんだか逆に満足までしてしまったわけで

ラーメンひとつでかなり思考が整理されたのが見事だったので
どういう気分の時であれ
やっぱり食べることは結構面白いではないか、ということは
まあ、思うわけですよね。

※そんなわけで、本当、いつもですけど、
コメントレスのタイミングにムラがあってごめんなさい※

2007年11月25日

摂食障害について関連する薬について調べています。

私自身がきちんと系統だった知識を持つ者ではないこと、
実際に薬剤による治療を受けている人に対してごく限られたルートから入る情報のみを
不用意にお伝えすることはできないことなどを考えると
きちんとまとめることができたとしても記事として公開できる可能性は
半分くらいかな、とは思うのですが、
それでもご協力くださる方いらっしゃいましたら教えていただきたいことがあります。

現在摂食障害の治療に関連して利用する薬として
抗不安剤、抗鬱剤、場合によっては食欲抑制剤などが処方されているかと思いますが
実際に服用した経験のある方、
薬剤の名前と、効果や副作用、処方時の医師の説明、症状の改善の有無、
などについて教えていただけますか。

また、巷に流通するいわゆる「ヤセ薬」の類について
個人輸入などのルートで利用された経験がある方も
よろしければ情報をお願いいたします。

もしかするとみなさんと情報シェアには至らず
私の個人的な「勉強」の範疇にとどまってしまうかもしれませんが
ご協力頂ける方、お願いいたします。

※私が直接お答えすることはできないのですが、
「この薬についてこういう疑問、不安を持っている」という方
いらっしゃいましたら、それに関してもお伺いしたいです。
回答できないため「こういう疑問、不安がある」ということを
私が把握するにとどまりますが、情報としてお待ち申し上げます。

2007年11月19日

ヘアスプレー DTSスペシャル★エディション (初回限定生産2枚組)
ヘアスプレー DTSスペシャル★エディション (初回限定生産2枚組)


「ヘアスプレー」見てきました。
ええとですね、とりあえず、
今公開されている地域の方は見てきてください^^

私、画面そのものの印象と
「ビックサイズの女の子のシンデレラストーリー」
という売り込みから考えて
「キュートなおでぶちゃんが魅力的に歌って踊る楽しい映画」
なんだろうな、というくらいの認識で見てきてしまったのですが、
単に「楽しい」「ワクワクする」を超えてぐっと来ました。

本当に全編楽しい雰囲気の、コメディなんですけども
なんとなく、何度か途中で泣きそうな気持ちになったんですね。
「楽しく生きようとする強い意志」って、感動するもんですね。
あまりにも個性的で魅力的なのでぐっときたわけです。
「楽しく生きていけたらいいなあ」と思う人、というのは結構いますけども
「楽しく生きる意志」を持つ人、って少ないように思います。

私、実はここでご紹介しようと思ってその参考にパンフレットを購入したんですが、
パンフレットを書いている人がどうも内容良く分かってないみたいなのでがっかりしたんです。
まず、いきなり書いてあるのが、
「ダンスだってオシャレだって申し分ない彼女の問題はただひとつ、その”Big”なサイズだけ」
「愛すべきカン違いヒロイン」
って書いてありまして、
この人は何を見てこういう文章書いたんだろうか、と思ったんですけど。

映画全編を通して”Big”なサイズが問題になっているところは一箇所もありません。
「痩せたスタイル」こそが流行であって、
太っている、というのを理由に嫌な思いをさせられる、
様々な不安を抱えなければならない人(主人公の母親はサイズを気にして何年も外に出ていない)
というのは映画の中で一つの大きな流れとして取り上げられているものですが
この映画を魅力的にしているのは
そのような環境の中で主人公のトレーシーが
「人と違うって素敵なこと」という確固たる考えを持っており
流行という風見鶏がどっちを向いていても自分が魅力的であることにはまったく影響しない
と素直に感じている点、です。

「太っている人に対する差別がある」ということを
「Bigなサイズだけが問題」という言い方はしないですよね。
問題なのは差別の方であってサイズではないですから。

周囲が「痩せているのが流行だから痩せているのがいいのだ」
という価値基準の中で動いていることに流されずに、
自分の信じる価値に基づいて積極的に生きることも
「愛すべきカン違い」とは言わないですよね。

むしろ「カン違い」であるのは、「流行」さえ守っていれば
自分の価値基準は持つ必要がないと考えることの方である、というのが
この「流行の教科書からは規格はずれ」であり
生き生きとして行動を起す主人公のもつメッセージであるように感じます。
その確固たる意志を「愛すべき」という言葉で
矮小化してしまってるあたり、すでに主題からずれてるような印象です。

パンフレットのくせにしょっぱなからおかしなことを書いてるもんです。

お話は
太っていることが自分の魅力を損ねることだとは全く思っていない主人公トレーシーと、
太っていることだけが自分の持つ問題であると考えている母親と
その太っている母親を太っているからこそ恋している父親、
という家族をひとつの軸として
当時(60年代)殆ど常識として認識されていた「黒人差別」というもうひとつの軸と絡み合いながら進んでいきます。
トレーシーは「とても魅力的に歌って踊る」という「楽しさ」を通して
「太っていることへのネガティブな評価」と「黒人差別」という
ふたつの「時代のカン違い」に、困難に見舞われながらもとても自然に突破口を開いていきます

この「黒人差別」と、
母親に象徴される「流行の規格外の身体を持つことの苦しみ」の、
からまり具合がまた見事なんですね。

トレーシーは黒人の差別抗議のデモを思いつき、自分自身でも参加します。
(差別への抗議の動機はもちろん「好きな仲間と楽しく一緒に踊りたいから」)
それに巻き込まれる形で、なぜか主張がおぼつかないままにうっかり参加している母親。
デモが町を行進し、目前にたくさんの警察が行く手を阻みます。
多くのテレビカメラの取材がきている、緊迫感のあるシーンの中で
母親が突然言います
「カメラに映るなら痩せなきゃ!」
(発言の記憶は正確でないです、ごめんなさい)。
これが、また場違いで素っ頓狂でいきなり日常の感覚に引き戻される
面白いシーンなんですけども、
このシーンはすごいなあ、と思いますね。

本当に、差別されること、ってこういうことですよね。
いかに「それが正当な理由のないこと」「抗議すべき、変わっていくべき事柄」
として認識していても
実際には傷つきやすい心を抱えて「今現在、改善されてはいないその現実の中」で生きている
というのが真実です。
大義を持っていても、
生きるということはもっと些細でデリケートな出来事の積み重ねであり、
「大義」と「傷つきやすさ」というのはひとつ心の中に収めると
場違いで収まりの悪い、時として文脈を壊すものなのですが、
それは実際ふたつながら心にあり続けるものです。
ふたつながらあるからこそ、行動が生まれ、それが人の心に訴えうるものになる

臆病なお母さんが、とても素敵なワンシーンです。

トレーシーがね、いいですよ。
スカートの中で目立つまるいお腹とお尻を
これでもか、と見せながら踊りまくるんですね。
それはもう、「太っているからこそ魅力的なダンス」で。
これは本当に可愛い。

「今まで普通にしゃべってたのに、突拍子もなく突然歌って踊りだすから
ミュージカルは苦手」という方(←私)
でも、楽しく見られますよ。
お勧めです。


映画「ヘアスプレー」オリジナル・サウンドトラック
映画「ヘアスプレー」オリジナル・サウンドトラック

2007年11月18日

17日23:50頃、参考文献の件でメールくださいましたA様、
確認メールをお送りしたのですが
こちらからのメールが送信できません。
パソコンからのメールが受信できるかどうかご確認いただいて
再度ご連絡いただけますでしょうか。

2007年11月14日

時々仕事を助けてもらっていた知人に
「君は本当に考え方がポジティブだよねえ。見習わないとな・・・」
というふうによく言われていて、
割と身近でその人のことを見ていた私は
「全くその通りだよ」とうそぶいたりなんぞしてまして。

これは結構
私自身が「ポジティブシンキング」っていう言葉が嫌いであることと、
もともとは「箸が転んでも死にたくなる」性格であることから考えるに
結構笑える現象でもあります。

その知人に対しては
「なんでこの人はわざわざ自分と人が嫌になる方向に物事を受け取りたがるんだろう」
というふうには感じていたんですが
自分自身を振り返るに、そういう思考回路がわからない、というわけでは全くなく、
むしろ、その人から見て自分が「すっごくポジティブ」に見えてることが
面白くって仕方なかったんですが。
でもそういうのってむしろ、自分が「箸が転んでも死にたくなる」性格であることと
深く関係してるんだろうな、っていう気もします。

思うにね、「箸が転んでも死にたくなる性格」って
変えられないんじゃないか、って気がするんですよね。
いつか変わっていくのかもしれないけど
どうも、そういうのって「意志の力」で変えるんじゃなくて
なりゆきで変わっていく以外には手の施しようがないような気がするんですね。

いくら自分が「ポジティブ」になりたくても
別の人間にはやっぱりなれないわけですから。
自分が「箸が転んでも死にたくなる性格」なんだな、ってのを
分かってしまえば、ちょっと面白いことも見えてくる、というのか
うん、少なくても自分が「ポジティブという別の人格」になろうとはしなくなりますよね。
「箸が転んでも死にたくなる性格」で、どうやって生きていこうか、って方に頭が向くわけで。
「箸が転んでも死にたくなる性格」ってのもそれを認めてしまえば
「こんなんじゃ生きていけない」ってほど酷い性格でもないような気がします。

なんてことを考えつつ生きていくようになると
「すっごいポジティブな人」とか見えるんですね、面白いですけど。
こうなると「ポジティブ」ってより
「オポチュニスト(きっかけをうまく利用する人、って感じ?
辞書をひくと”日和見主義者”という、あられもない日本語^^)」
だな、って感じしますけど。

過食症、というのも
今でこそ行動上はいわゆる「治った」といわれるジャンルに属してますが、
心の中では「過食症でも、残念だけど仕方ない」という開き直りがあるので
外からどう見えるかは別として
「過食症でも仕方ないという認識」の生活を生きてるという意味から言って
現象上治ってるのは意志の力ではなくて単なる成り行きです。

今「拒食症・過食症を対人関係療法で治す」という本を読んでいて
これはやっぱりとても面白いので、また全体を俯瞰するような解説を書きたいな、
って思ってるんですが、
この中では、「変えられること」と「変えられないこと」に注目して
「変えられないこと」を生かすために「変えられること」に取り組んでいくんですね。
たとえば、自分が心配性である、ってことは変えられないから、
じゃあそれはどうやって生かしていけるかな、とかね
そういうところに注目するわけです。

「ネガティブなことを言ったり考えたりするとそれは現実になるから、
弱気なことは考えちゃいかん」みたいな
スピリチュアルな要素が全然ないので、私好きなんです^^
「考えちゃいかん」で考え止むほど楽な話なんてないじゃんね。

理想どおりじゃなくても自分は自分だってことに諦めてしまえば
自分に何が起こっても結構対応できるような気がします。
過食してても死にたくなってても、
しんどいことは確かですけども、方法を考えることはできるんですよね。

そういうのって、
「すっごいポジティブ」
らしいですよ^^

2007年11月12日

生物と無生物のあいだ (講談社現代新書 1891)
生物と無生物のあいだ (講談社現代新書 1891)

このブログに掲載するとやや異色な本になるのだけど


私がこの本について知ったのは
たまたまビジネスホテルに宿泊して、のんびり深夜放送を見ていた時で
本当にたまたま見た番組だったのだけど
著者の福岡伸一さんがなんだか面白い話をしていたのだ

それはつまり「生き物ってなに?」
ということに関する話だったのだけど
その中で、実は聞き逃せないひと言があった

「摂取した食べ物はバラバラに分解されてそのまま今ある分子と置き換わって体を作る」
と、いうことを、著者さんは言ったのだな

私はビール片手に
「やっぱ、燃えてないじゃん」
とにたり、微笑んだわけで。

過去に食品カロリーの謎という記事で書いたことがあるのだけど
どうも、「食品カロリー」っていう概念はなんだかよくわからん、
ということに気づいて(気づきの発端は「ダイエットやめたらヤセちゃった」からです)
色々と考えていたんですね。

つまり、「この食品を燃やすと水の温度を何度上昇させることができる」という計算と
私たちの食生活を強迫的に支配する「太る恐怖」との間に
一体どういう関連があるのか、さっぱりわからん、
ということなんですが。

で、私たちがそれについて異常な恐怖を持ってしまうことの主な理由が
それが「さっぱりわからん」からじゃないか。
明らかにインチキなダイエット業界の言うことと
現実の生活の中での実感が違うからこそ
そこから、現実的でない、故のない不安感が生まれるんであり、
要するにその不安については、「もっと良く知る」ことで
なんぼか減るんじゃないかな、ってことを実は考えてたんですが
なにぶん私、ソッチ方面はあまり明るくないわけです。

で、今回たまたまテレビで聞きかじったこのお話。
こういう話を、ちょっと聞いただけで、よく調べもせずに
勝手に自分の畑に持ってきて流用する、ってのは
まったく誠実な話じゃないと思うんですが^^;;
ただ、私が面白かったので
「こういうことも言えたり、するんじゃないの?」
という、わりと無責任な発言であることを事前にお断りした上で
ちょっとコラム的に書いてみたいんですが。

※シェーンハイマーの実験について※

食物がどうやって身体をつくるか、
ということに関する非常に興味深い実験は
ネズミに重窒素で標識されたアミノ酸を含む餌を与える、
という形で行われます。
その後、重窒素の行方を、ネズミの全ての組織と排泄物から調べます。
どうなるか。

予想では餌は生命維持のためのエネルギー源となって燃やされる。
・・・と思われていた。

ところが実際には、燃やされて燃えかすとして排泄されたのは3割程度。
半分以上は身体を構成するたんぱく質のなかに「そのまま」取り込まれていた、
という結果になります。

窒素の含まれない体脂肪についても、重水素で標識することで
同様の実験が行われます。

(エネルギーが必要な場合)摂取された脂肪のほとんどすべては燃焼され、ごくわずかだけが体内に蓄えられる、と我々は予想した。ところが、非常に驚くべきことに、動物は体重が減少しているときでさえ、消化・吸収された脂肪の大部分を体内に蓄積したのである。

脂肪組織はそれまで考えられていたような
大量の仕入れがあったときはそこに蓄え、不足すれば搬出する、
という形でのエネルギーの貯蔵庫なのではなく、
貯蔵庫の外で需要と供給のバランスがとれているときでも、
内部の在庫品は運び出されて、一方で新しい品物を運び入れているのだ、
という結果だった、というわけだ。

生命が生きているかぎり、栄養学的要求とは無関係に、生体高分子も低分子代謝物質もともに変化して止まない。生命とは代謝の持続的変化であり、この変化こそが生命の真の姿である。

難しいですよね(笑)

でも、どうもね、
食べ物は、燃えないでそのまんま、私たちの身体になってる、らしいですよ。
生命活動を営むエネルギーを得るために一部は燃焼
(これももちろん文字どおりに炎でボーっと燃えるわけではなくて、
消化酵素とかによって燃焼に似た反応を起す、って意味)
されるけども、大部分は燃えないでそのまんま細かく分かれて
ピトピトピトっと、今の身体とまるごと入れ替わる、んですね。
燃えないで、身体になるんです。
しかも栄養学的に、余ってる、とか、足りない、とかそういうのとは無関係に
今の状態を保ちながら入れ替わっていこうとするわけですね。
それがずーっと続いているわけです

ほとんどが燃えないままに身体を作るんだから
「燃えたらどんだけの仕事をするか」
という目安である食品カロリーは、
私たちの身体がこの先どうなるか、っていうことと
因果関係ないじゃん、というふうに、
私はビール片手に考えたわけですね。

どうですか、これ。
あってるのか、私の理解(笑)

たとえば飢餓すれすれの状態を続ければ骨と皮だけになる、とか
食べすぎの状態を続ければ身体は大きくなる、とか
それは現実として確かにあるな、と思うんですが
あれは「食品カロリー」のトリックじゃなくて
今までとは異なる食生活を「続ける」ことによって
身体のバランスが組みなおされるってる、って感じしますよね
今日1000キロカロリー分を食べたから、
明朝には1000キロカロリー分太ってる、
とか、そういうレベルの話ではないように見えるわけ

低カロリー食品が大量に売られるようになってから
(知りえる範囲では)別に人類が痩せたわけではないし、
私もついつい「低カロリー」の方に手がのびていた時期と
「まともな食品」の方を好んでかう今とで
体重に差があるか、というと、まあ、
明示的にはまったくないし。
少なくても食品カロリーと体型に因果関係がある、って説は嘘だろう、
と実感として私は思うわけですが。

この本は勿論、そういう食品カロリーとか
人が太る謎、とかに肉薄しようとするものではなくて
「生命って何?」ということに関するかなり面白い科学エッセイです。
そういう主題で書かれたものに対して
ここに私が自分の好きな部分だけ持ってきて
自分の思ってる理屈に当てはめて流用したりするのは
冒頭にも書いたとおりあんまり誠実ではないなあ、と
まったくもってしみじみ思うわけですけどね^^

「食事による摂取エネルギーが、体で消費されるエネルギーを上回ると、
余ったエネルギーは脂肪として蓄えられる」
っていうお決まりの言説について、
もっと色々考えてみるとっかかりがあってもいいかな、とも思ったので
ちょっと気になった実験を紹介してみました。

※ここで紹介した実験は第九章「動的平衡とは何か」に解説されているものです

2007年11月07日

ギルバート・グレイプ
ギルバート・グレイプ

「ギルバート・グレイプ」は映画が有名ですよね。
映画の方も、結構好きな作品です。

分かりやすく書かれているので
映画「ギルバート・グレイプ」のamazonの商品紹介からあらすじを引用します。

身動きできないほど太ってしまった過食症の母、18歳で知的障害をもつ弟アーニーと、2人の姉妹。田舎町アイオワ州エンドゥーラで、亡き父の代わりに一家を支え、希望や夢を抱く暇さえない日々を過ごすギルバート。だが、自由で快活な旅人ベッキーとの出会いが、彼の心に少しずつ変化もたらした。
大切な絆だが、ときに束縛にもなる「家族愛」を切り口に、ギルバートの青春の一片をみずみずしく描いた感動作である。

これは映画版の解説ですが、小説で読むと、もっと人間関係も心の動き方も複雑で、
「ゆっくり窒息していく感じ」がじわじわ伝わってきます。

家族の形、を身体で表現しているのが、お母さんで
夫の死以来、知的障害の末息子を生きる希望としながらも
一方で自分自身の存在には絶望し、食べ続け、太り続けます。

その母と知的障害をもつ弟アーニーをギルバートと一緒に世話をしながら
何より家族が無事でいることを最優先として、自分のことに口をつぐむ長姉もまた
母の人生をなぞるように太り始めています。
精神的には家族の柱であるギルバートは、どこか拒食的な傾向があって
時々食べ物に異常な嫌悪をしめし、家族とものを食べることをしません。

絶望を口にしないでいるために食べ物が使われ、
自分の願望を忘れるために食べ物が使われ、
何かを拒絶するために食べ物が使われ、
密接な家族なのだけど、みんなが互いを見ないで
何か別の対象にそれぞれの感情を葬り去っている
だけど、それぞれが願っていることは
家族を守ること、家族の誰かを傷つけずにいること。
そしてみんなで静かに窒息している、という
読んでいてひたひたと辛い、
でも引き込まれる物語でした

突然話がとびますが、ジェニーン・ロスが「「食べすぎてしまう女たち」」という本の中で
「子供の頃自分の仕事は家の壊れかけている壁を支えることだという気がしていた」
と書いています。
家は今にもバラバラに壊れそうで
自分が家にいてそれを支えていなければならないのだと、思いながら子供時代を過ごした。
そうして「壊れかけている壁を支える」ために
友達からの誘いは断って、家に居る日々だった、と。

ちょうど、同じエピソードが、この物語の中にもあります。
どんどん増える母の体重のために、家の床が抜けかかり、
それを、ギルバートがこっそり下の地下室から材木で支えます。

周りの世界がどんな華やかに目に映っても
ギルバートはその古い家からでません
「私の食べ物はどこ?」という母に、時に借金をしてでも食べ物を運ぶために、
身体が大きくなり、次々危険な遊びをする弟アーニーを守るために
何かあると「ギルバート」と口々に呼ぶ家族に応えるために
ただただ、崩れていこうとする家を守るために。

ギルバートも、映画でみるほどただ優しい青年ではないんですね
母を嫌悪し、「浜に打ち上げられた鯨」だの、と陰で罵詈を吐き
そして、そう言いながら、自分の人生を棚に上げてその母のいる家を守ろうとしている
でも、そうすればするほど、嫌悪が募る

私は、どうしても
今を生きる勇気を持ちきれずに
食べ物を口に運び続けてしまうお母さんの存在に心がいくのですが、
この家族そのものが全部、この母の心の中だな、という気がするんですね
絶望から目をそらし続け、崩れ落ちる家から出られないお母さんの心も、
それが永遠に続くと予感させる姉の存在も
それを頑なに拒絶しながらやっぱりどうしても守らなければいけない、と感じているギルバートも
全部、この家の中心であるお母さんの心の中ではないか、と思います

実は最後はお母さんの死によって
衝撃と、それによって突然意識される愛惜の情によって
それぞれ家族の中に新しい何かが再生する、ということを予感させ
物語は終わるのですが
この家族そのものがほかならぬ母の心の中なのだ、というふうに読めば
それは希望でもあるように思います。
長い長い絶望からの逃避行が終わり
深い悲しみによって崩れ落ちてしまったものは、しかるべく崩れ落ち
その代わりに、その壁を支えるためだけに使われてきた
全ての心の声がそれぞれの生命力を取り戻して
今を生きる悲しみと喜びに直接向かいあうことができるようになる、という
そういうことがこの一人の過食症の女性の身に起こったのだと理解すれば
これはちゃんと、悲しみと希望で終わっているお話なんですよね

ちなみに原題は「what's eating GILBERT GRAPE」
何がギルバートグレイプを食べているのか・・・
ではなくて「苛立たせる」というふうに訳者さんは書いてますが
内容も考えると、やっぱり「食べる」という行為そのものは連想させます。
食べることは生きることの暗示だよなあ、と。


↓映画版です
ギルバート・グレイプ
ギルバート・グレイプ

2007年11月06日

伊藤ふきげん製作所
伊藤ふきげん製作所

私は斉藤学さんの本でこの伊藤比呂美さんの名前はお馴染みでした。
摂食障害であった人、そして詩人になった人、
という知識しか、実はなかったのですが。

食べないから、からだ全体が飢えている。 からだも心も、飢えに支配されていって、食べることに執着して、そこから離れなくなる。 食べたくないなんて意志なんか、とっくに食いつくされちゃっているんです。 寝ても覚めても頭にあるのは食べたい食べもののことばっかり。 そのうち、食べはじめて、そして、やめられなくなるんですね。 飢えに支配されたからだも心も、今までたべなかったぶんを取り戻したくて、食べ続ける。 もうコントロールできません。 食べちゃだめだたべたくないんだと思っている本人はあわてふためくんですが、 もはや自分のからだであって自分のからだにアラズ、 自分の意志であって自分の意志ではアラズ、っていう状態ですから、お手上げです。
苦しいんです。 食べたい食べたいという欲望に焦がれてくるしむ、 そして食べはじめてやめられなくなって落ち込む、 吐いてすっきりして自分を責めさいなむ、 もうしないと心に決めたものを、すぐまたくりかえしてしまって自分を憎む。 ・・・苦しいです、でもわたしはこれが、現代に、女として成長していくための、 通過儀礼みたいに思えてならないのです。 通過儀礼なら、苦しくなけりゃいけないんでしょう。

この迫力ある文章は
伊藤比呂美さんの娘さんが拒食症になった時期のことについて書いてあるもの。
読んでいて、なんかハラワタ引きずり出すほどの思いで書いたんじゃないか、
って気がしますが。
自分が拒食症であったことを考えて
自分の娘が同じ状態になったとき、自分を責めずに置くことって凄く難しいような気がするし、
あるいは当の娘さんを責めずにおくこと、
あるいは「摂食障害」という現象を責めずにおくこと、
そういうふうに、どこかにドカドカっと、
背負いきれない辛さを全部あいてるところに押し込んでしまうんじゃなくって
摂食障害と呼ばれるこんがらがった現象を今生きている一人の人とそのまま向き合おうとするのって
ナンボ大変なことだろう、
特にそれが自分自身であったり、自分と強く運命付けられた人であるならば、
と、この文章を読んで本当に思います。


拒食期から転じて過食を始めた娘さんに著者は
「いくら食べてもいいんだから、そのかわり、吐いちゃだめよ」といいます。

じぶんでやってるわけじゃないんだったら、 ひとつでも自分でコントロールできることがあれば、いいなーって思います。 やっぱり自分のからだですから。自信がつきます。 食べるのはコントロールできなくても、せめて吐く吐かないをコントロールできれば。 吐かなけりゃ、おなかがくちくなって、苦しくなって、やがて太ります。 それがほんとの自分ですから。 吐いてごまかすんじゃなく、食べて太ったっていう事実と向かい合う。 それさえできていれば、自分自身とも向かいあえるんじゃないか。 自分に向かい合ったら、なんかいい点をみつけて (自分だってこんなことはできる、あんなこともできる、と) そして自分っておもしろいやつだと思えるまで、あと一歩・・・。

私は、「吐く」ことが、そのときその人ができる唯一の選択だったなら、
もうそれは「吐く」より他に仕方なかったんじゃないか、
そういう時期というのも、やっぱりあるんじゃないか
みたいなことを思いますが
(いや、本当に一概には言えない、というのか、
本当に「一人の人」について考えていくと
そんなふうに言いきるのも難しいとは思うんですけども。)
でも「食べて太ったっていう事実と向かい合う。それさえできていれば、自分自身とも向かいあえるんじゃないか。」
という、この言葉って、凄くわかるなあ、と思います。

私も結局今から振り返って「転機だったのかな」という経験というのは
食べて太りながら、それでもその体の中に踏みとどまろう、踏みとどまろう、とした
自分が欲することというのは、結局は自分のために良いことなんだ、というのを
信じよう信じよう、としたその経験、でした。

私は吐けなかったので、代償行為は嘔吐ではなくて
絶食とか、運動とか、下剤とか、偏食、だったのだけど、
そういう今の自分から抜け出すために自分を苦しめるものをやめて
とにかく今の自分の体の中で今の自分と生きていく方法みたいなものについて考えていた、
それが結局今に至るまでヒタヒタと続いている道であるような気がしています。

思い通りにならなくても自分は自分で、
思い通りでなくても、できるだけありのままでいようとすることが
結局一番幸せの方に向かっていくような、
(幸せ、っていうとちょっとニュアンス違う気がするんだけど、なんていうのか、よくわかんない。
自分を生かして光の方に向かう感じです。)
なんだか、今となってはそういう気がしているんですよね。
そのためには「食べて太っている自分」という生き物のど真ん中で生きていく経験って
本当に通過しなくてはいけなかったような、気がします。
伊藤比呂美さんは「通過儀礼」って言葉を使っていますが
なんか、腹を括る、というか、諦める、というのか
「つまり、これが私なんである」というところで
自分と出会いなおす、というのか。

過去の記事に何度も書いてますが
私はその「つまり、これが私なんである」のあとで
「いやあ、私ってのは世間からカワイイカワイイ言ってもらえる優等生女の子じゃないんだ。
じゃあ、仕方ないけど、それでも人生って意外と悲惨じゃないな」
という感じがし始めたころに、なぜかタナボタ式に痩せだして
「世間的優等生女の子」くらいの体重になっちゃったんですが
それでその体重も居心地良かったので、普通に喜んだのですが
そうだとしても、やっぱり「食べて太っている自分」と向き合った、という経験は
すっとばすことのできないものだった、という感じがします。
その感じも含めて「通過儀礼」に、なるほど、と思いました。


伊藤比呂美さん、実は初めて読んだんですが、
言葉がとても身体に近いです。
凄く、意味が分かるんですね。
誰かが頭で作った物語、ではなくて、
身体の中で生まれてきた言葉、という気がします。
「摂食障害」ということについての文章も、もちろん。

2007年11月05日

--11月6日追記--
記事中の下線部分、著者の荒木先生よりアドバイスいただきまして、訂正、追記いたしました。
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もうひとつ、書籍の紹介です。

with (ウィズ) 2007年 12月号 [雑誌]
with (ウィズ) 2007年 12月号 [雑誌]

デルデル呼吸が4ページの特集で紹介されています。
特集タイトルは「デルデル呼吸ダイエットでらくらくやせる!」
という、なんかあんまりこのサイトっぽくないタイトルですけども^^;;
気にしない、気にしない。

デルデル呼吸については
摂食障害にお勧めするボディワーク
カテゴリで結構詳しくご紹介してきました。
摂食障害の回復期の胃部の不快感に効果があった、とか
無茶食いが減った、というのな体験を直接寄せていただいたことで
注目してご紹介してきています。

(実は過去にこっそり
「本をプレゼントするから体験記寄せてください!」
という、デルデルキャンペーン!を張ったんですが、
体験談、まだ寄せてくださってない方、いらっしゃいますねーー(笑)。
どうしてらっしゃるかしら。
コツが分からなくて本棚に埋まってしまっているんじゃないか、というふうに
私は推測していますが、
ちょっと、そういう方も、よい機会なので、もう一度
図書館か美容室あたりでwithを読んで
体験してみていただけないでしょうか?せっかくですもの。)

雑誌から「デルデル呼吸のメカニズム」を軽くご紹介します。

1、フーっと軽く息を吐く(目安として1秒くらい)
2、さらに深くフーッと吐く(目安として3、4秒)
3、自然にまかせて息を吸う(目安として2秒くらい)

基本はこれだけ。簡単です。
「吸うよりも、吐くがキモ!」です。
お腹が呼吸にあわせて動く感覚には注目しますが注意を向けますが
意識してお腹をふくらませたりへこませたりせずに
全身の力を抜き、特に息を吐くときに力を抜くように心がけます。

分かりやすいイラストを使った説明と、
体の中でどういう現象が起こっていて、
それが便秘や、あるいは体の不調に効果をもたらすのか、
という解説は雑誌の方にゆずります。

雑誌のほうは「デルデル呼吸ダイエットでらくらくやせる!」
なんて言ってますが、(別に言ってもいいんですけども^^)
痩せるかどうか、の話はさて置いて、
私自身は「呼吸に注目する」という方法が、
自分の体について色々な気づきをもたらすような気がしています。
何か効果があるからやる、というよりも
ただ心を落ち着けるためだけにやるのでもいいなあ、というふうに思っているんですね。

ところで、私もこのデルデル呼吸、サイトでご紹介してから
ずっとやってて良い感じだったんですけども
(別に痩せはしてないと思いますが、
強いていえば多少腹筋が鍛えられたような感触はありました。
あと、たんに時々座って何もせずに深く呼吸するのが気持ちよかった)
引越し騒ぎにまぎれて最近全然やってないことに気づきました。
時々瞑想したり、深く呼吸したり、
そういう意識って生活の中でちょっと持っておくといいですよね。

朝、窓の方に向かって座って深く息を吐いてると
自分が植物になったような気がして
気持ちいいですよ。
光合成できる気になってきます、ホント(笑)

----もうひとつ、追記------

著者様より頂いたコメントなのですが、
上記私の体験談「強いていえば多少腹筋が鍛えられたような感触はありました」部分について、
こんなことを教えていただきました。


深く息を吐くと、自然にお腹・腰周りの内側(奥)のが動く感じがわかる。
という風になればいい、と思っています。
この吐き方が出来るようになると、腹筋が鍛えられるのではなく、これまで殆ど使わなかった腹横筋が使われるようになる、のです。
このあたりが実感できるようになるといいのですが、ちょっと難しいですかね。
一般には腹筋を鍛えることが重要であると言われていますが、
私の考えでは腹筋は鍛える必要はありません。誰でも、女性でも
高齢者でも、すぐに出来るようになります。

私も納得しました^^。
鍛えられる、ってよりは「普段使わなかったところを使う感じ」の方が近いかもしれないです。
なんか、お腹の辺りが「シャンとした」っていうか、
お腹の背筋が伸びる、っていうかね(笑)
ピッとして平らになったような気はしたんですよね。
測ってないから分からないけども。
私結構姿勢悪くてくにゃっとしてるので^^;
「鍛えられた」ってより「どっか矯正された」感じだったのかもしれないですね。

2007年11月04日

拒食症・過食症を対人関係療法で治す
拒食症・過食症を対人関係療法で治す

摂食障害に関する名著(だと私は思う)
『やせ願望』の精神病理~摂食障害からのメッセージ
が絶版により手に入りにくくなっていて、このサイトでも復刊への協力を募っていたのですが、
(→参考記事:絶版になった参考文献の復刊リクエストのお願い 
内容を大幅改訂して、紀伊國屋書店から新しい本として出版されました。

実は「『やせ願望』の精神病理」、復刊なるか?
と思って著者さんのメルマガをとっていたんですが、
今回、新しい本として出版される、というお知らせを持って
メルマガは終了となりました。

以下内容紹介。
非常に興味深い内容なので、ここにお知らせします。

内容(出版社からの内容紹介)
過食嘔吐はがまんしなくていい、「すぐに」「完璧に」治そうと
するから治らない。治療をつうじて人間関係を楽にする---- 専門医
が教える摂食障害の「新しい常識」。 「対人関係療法」とは、数多
くの臨床試験でうつ病や摂食障害への治療効果が検証されているユニ
ークな治療法で、著者は日本での第一人者です。病気の背後にある生
きづらさや家族関係の問題を見ないで、表面的な症状だけを抑えても
治らない。摂食障害になったことをむしろ生かして、人生の質を高め
てほしい、と著者は言います。本書は、大学病院や患者団体などの紹
介で、全国から患者の集まる専門医である著者が、「わがまま病」
「母親のせい」といった多くの誤解や偏見を正し、患者さんと家族に
向けて「治す」ための正しい知識と、対人関係療法による治療の実際を、
わかりやすく語っています。

目次
第1章 回復を妨げてきた「常識」
第2章 摂食障害とはどんな病気か
第3章 病気を作る「性格」
第4章 過食のメカニズム
第5章 拒食のメカニズム
第6章 摂食障害の治療に必要な考え方
第7章 家族にできること
第8章 対人関係療法--摂食障害を本質的に治療する
第9章 摂食障害が「治る」ということ


私は今注文したところ^^
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