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ギルバート・グレイプ
ギルバート・グレイプ

「ギルバート・グレイプ」は映画が有名ですよね。
映画の方も、結構好きな作品です。

分かりやすく書かれているので
映画「ギルバート・グレイプ」のamazonの商品紹介からあらすじを引用します。

身動きできないほど太ってしまった過食症の母、18歳で知的障害をもつ弟アーニーと、2人の姉妹。田舎町アイオワ州エンドゥーラで、亡き父の代わりに一家を支え、希望や夢を抱く暇さえない日々を過ごすギルバート。だが、自由で快活な旅人ベッキーとの出会いが、彼の心に少しずつ変化もたらした。
大切な絆だが、ときに束縛にもなる「家族愛」を切り口に、ギルバートの青春の一片をみずみずしく描いた感動作である。

これは映画版の解説ですが、小説で読むと、もっと人間関係も心の動き方も複雑で、
「ゆっくり窒息していく感じ」がじわじわ伝わってきます。

家族の形、を身体で表現しているのが、お母さんで
夫の死以来、知的障害の末息子を生きる希望としながらも
一方で自分自身の存在には絶望し、食べ続け、太り続けます。

その母と知的障害をもつ弟アーニーをギルバートと一緒に世話をしながら
何より家族が無事でいることを最優先として、自分のことに口をつぐむ長姉もまた
母の人生をなぞるように太り始めています。
精神的には家族の柱であるギルバートは、どこか拒食的な傾向があって
時々食べ物に異常な嫌悪をしめし、家族とものを食べることをしません。

絶望を口にしないでいるために食べ物が使われ、
自分の願望を忘れるために食べ物が使われ、
何かを拒絶するために食べ物が使われ、
密接な家族なのだけど、みんなが互いを見ないで
何か別の対象にそれぞれの感情を葬り去っている
だけど、それぞれが願っていることは
家族を守ること、家族の誰かを傷つけずにいること。
そしてみんなで静かに窒息している、という
読んでいてひたひたと辛い、
でも引き込まれる物語でした

突然話がとびますが、ジェニーン・ロスが「「食べすぎてしまう女たち」」という本の中で
「子供の頃自分の仕事は家の壊れかけている壁を支えることだという気がしていた」
と書いています。
家は今にもバラバラに壊れそうで
自分が家にいてそれを支えていなければならないのだと、思いながら子供時代を過ごした。
そうして「壊れかけている壁を支える」ために
友達からの誘いは断って、家に居る日々だった、と。

ちょうど、同じエピソードが、この物語の中にもあります。
どんどん増える母の体重のために、家の床が抜けかかり、
それを、ギルバートがこっそり下の地下室から材木で支えます。

周りの世界がどんな華やかに目に映っても
ギルバートはその古い家からでません
「私の食べ物はどこ?」という母に、時に借金をしてでも食べ物を運ぶために、
身体が大きくなり、次々危険な遊びをする弟アーニーを守るために
何かあると「ギルバート」と口々に呼ぶ家族に応えるために
ただただ、崩れていこうとする家を守るために。

ギルバートも、映画でみるほどただ優しい青年ではないんですね
母を嫌悪し、「浜に打ち上げられた鯨」だの、と陰で罵詈を吐き
そして、そう言いながら、自分の人生を棚に上げてその母のいる家を守ろうとしている
でも、そうすればするほど、嫌悪が募る

私は、どうしても
今を生きる勇気を持ちきれずに
食べ物を口に運び続けてしまうお母さんの存在に心がいくのですが、
この家族そのものが全部、この母の心の中だな、という気がするんですね
絶望から目をそらし続け、崩れ落ちる家から出られないお母さんの心も、
それが永遠に続くと予感させる姉の存在も
それを頑なに拒絶しながらやっぱりどうしても守らなければいけない、と感じているギルバートも
全部、この家の中心であるお母さんの心の中ではないか、と思います

実は最後はお母さんの死によって
衝撃と、それによって突然意識される愛惜の情によって
それぞれ家族の中に新しい何かが再生する、ということを予感させ
物語は終わるのですが
この家族そのものがほかならぬ母の心の中なのだ、というふうに読めば
それは希望でもあるように思います。
長い長い絶望からの逃避行が終わり
深い悲しみによって崩れ落ちてしまったものは、しかるべく崩れ落ち
その代わりに、その壁を支えるためだけに使われてきた
全ての心の声がそれぞれの生命力を取り戻して
今を生きる悲しみと喜びに直接向かいあうことができるようになる、という
そういうことがこの一人の過食症の女性の身に起こったのだと理解すれば
これはちゃんと、悲しみと希望で終わっているお話なんですよね

ちなみに原題は「what's eating GILBERT GRAPE」
何がギルバートグレイプを食べているのか・・・
ではなくて「苛立たせる」というふうに訳者さんは書いてますが
内容も考えると、やっぱり「食べる」という行為そのものは連想させます。
食べることは生きることの暗示だよなあ、と。


↓映画版です
ギルバート・グレイプ
ギルバート・グレイプ

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コメント

私この映画大好きです。
摂食障害(過食)の母親が出てくる云々以前に・・・(笑)レオナルドディカプリオの演技に衝撃を受けました。

母親を家ごと葬るシーンも衝撃でしたね。でも、「閉鎖された息の詰まる家」「父のトラウマのある家」からギルバートも、弟たちも解放されたのですね。
原題初めて知りました。一家の母親は、精神的に兄弟すべてを飲み込み、つなぎとめていた気がします。

のらさん☆

この映画を見た当時は 幼かったし、過食症とは無縁の自分だったので、この映画にこんなに深い意味がこめられていることに気付けずにいました。もう一度みてみようと思います。

のらさん、「美しい人」っていう映画見たことありますか?2005か6年の映画で9人の女性の人生の一片が、少しずつ取り上げられているオムニバス映画です。

その中の1つに「サマンサ」という女の子のお話があるのですが、なぜか今でも胸に残っていて、ふと思い出すと辛くなります。 

サマンサは高校生くらいなんですが、父親は障害があって家で生活していて、母親は看病疲れからか、その父親と話そうともしません。 本当に狭い家のなかで サマンサは母親のグチを聞き、数分後に父親に呼ばれ父親の話を聞き、部屋に1人でいようと思えばまた母親が来て話し…。彼女自身の尊厳がないような状態にみえます。彼女が、夫婦の間をとりもって、「家族」という形を保っています。その「家族」という場所は、彼女を本当に思いやってくれる愛が存在しなくて、でも彼女はそれがほしいから、父や母の間をひたすら行ったり来たりしているようにも見えました。

なぜか私はその女の子と全く違う家庭環境にいるのだけど その子の気持ちが分かるような気がしてしまうのです。 

その女の子も ある意味壊れそうな家庭を必死に支えていました。
(その女の子は 摂食障害ではないようだったけど。 そのまま自分の気持ちを抑えていけば、何らかの形で表にでる時がくるだろうなぁ・・・という生き方でした。)

過食症になった自分の今までの人生を振り返ってみると、家庭でもそうですが 色んな場面で「崩れそうな壁」を必死にとりつくろう役目を 身を削ってこなして生きてきたような気がします。

だから サマンサの姿をみていると 辛くなってしまうのです。

機会が会ったら この映画、見てみてくださいね☆

ノラさん、おかえりなさい。

この映画、ジョニー・ディップでしたっけ。「もっと我侭になれよ~!」と拳を握り締めて見た覚えがあります。印象に残る、好きな映画の一つです。

 5歳の長男。あまり我侭を言わない「結構いい子」なので、心配しています。「パパが居ない時は僕がパパの代わりをする」と3歳の次男の面倒を見ようとしたり、買い物をすると私の荷物を持ってくれようとしたり、私が新しい服を着ていると「ママ可愛いよ!」と家族の中でただ一人ほめてくれたり。

 母親として、甘やかな悦び、のようなものがあるのは確実なんです。それが怖い。小さなコザコザはあっても、総合的にうまく行っている今は大丈夫。でもたとえば夫が何かの拍子に居なくなったら?経済的に困ることになったら?健康面で辛い状態になったら?
そんな時、自分がズブズブと子供たちを飲み込んで、取り込んでしまわないか、自信がない。
想像しただけで、そんなことになる前に「あたしから逃げて~~っ」って思いっきり叫びたくなったり。

 親子関係に限らず何事も、普段あまり意識しないようにしているけれど、じっと目を凝らして見つめると怖いことって結構ありますね…。自分の中の魔窟、を意識してしまうようなこと。

 二人の息子たち。ある程度成長したら、とっとと追い出そう、と改めて決意したレビューでした。

doglinさん
このときのレオナルドディカプリオは素晴らしい、と私も思いました。

映画には、確か出てこなかったセリフだと思うんですが
お母さん、椅子に座ったままうとうとするだけで寝室で眠らないじゃないですか。
「家を見張ってる」んだ、って言うんですよね。

外から何か危険がやってきて
家がばらばらになってしまわないように、
お母さんも、そう思ってずっと座って、食べ続けてるんですよね。

なかなか、単純ではないお話ですけども、
不思議とさわやかですね。
映画の上でジョニーディップと、ディカプリオが残してくれた印象のおかげも、
多々あるのかもしれないですが。

Anonymous さん
(ごめんなさい、お名前入ってないですーっ。
気づいたら入れてくださると嬉しい)

「美しい人」
図書館のAVコーナーへ行って探してみたんだけど、
入ってませんでした。
また、ちょっと探してみますね。
ありがとうございます。

映画、といえば、最近「ヘアスプレー」が面白い、
って紹介してもらったんです。
ちょっと探したんですがこれも近所では上映されてなくて
さて、どうやってみようかな、と思ってるんですが(笑)

ビッグサイズのヒロインのシンデレラストーリー
面白いらしいですよ^^。

本の方が手に入れやすいので映画はあんまり取り上げてないですが、
映画の話もいいですね。
わくわくします。

Eさん

五歳の男の子ってそんなに優しいものですか。
涙ぐんでしまいますね。
「ママ可愛いよ!」って・・・・アタシも言われたい・・・

ああ、愛情って確かに難しいですよね。
私は子供を持ったこともないし
長い伴侶すら居たことないですけども
それでも「愛情を深める」ことと
「個と個の間の距離を縮める」ということとの間に
差を見出すのって難しいなあ、って
かなりしばしば思います

「私があんたを愛している」ということは
「あんたは私の庭の中でだけ遊んでなさい」というふうに翻訳されて
行動に現れてしまう、というのを
私は本当に良く思いますねえ。

これが「守ってあげなくてはいけない」親子関係だったら
もっと頭抱えるのかもしれない。。

でも、きっときっと、起こっていない未来の不安に怖がるよりも
「今」総合的にうまくいっていることが意味があるんじゃないですか?
未来でもし何事かの悲しみがあっても、
「ママ可愛い」と思って暮らした楽しい日のことをきっと思い出すのでしょうし。

優しいお子さんなんですね、本当に。

のらさん、 名前なしのコメントわたしmimiでした~!ごめんなさい!

「ヘアースプレー」楽しそうな映画ですよね♪

私は今日DVDで「マイ・リトル・サンシャイン」という映画を見ました。2006年の映画です。

見ていてとにかく色んな感情になったことはたしかです。

悲しいけど おかしいし、 素敵だけど かっこわるくて・・・人生ってたぶん みんなかっこ悪くて大変だけど、でも いい意味で開き直って何とか生きていけば希望があるかもなぁ・・・ってぼんやり思えた映画でした。

(ちょっと ぽっちゃりした 女の子が家族を巻き込んで ミス・カリフォルニアの子ども版のコンテストに向かうお話なんです。お父さんとお母さんはしょっちゅうケンカで今にも離婚しそうで、そんな環境で育った高校生の息子は学校もいかず、家族とも話さず 質問には筆談でしか答えないし。おじいちゃんはエロで麻薬常習。おじさんはゲイで自殺未遂をして生還。 そんなメンバーが1つの車にのって旅をするから大変なお話です。)

上のコメントの映画のタイトル、「リトル・ミス・サンシャイン」でした!ごめんなさ~い!

mimiさん
ありがとうございますっ^^

「リトル・ミス・サンシャイン」
聞いたことあるような・・・?

一般的には、はじっこに隠れてしまいそうな人が
真ん中に出てくる映画って物凄く面白いですよね。
図書館にはなかったような気がするから
やっぱりレンタル屋さん開拓しようかなあ。

ヘアスプレーをね、見に行けそうなので
ちょっと楽しみにしてます。

映画は見始めると、きりがないですよねえ^^
良いのいっぱいある。

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