うさぎの行きあたりばったり人生 レビュー
面白いのでまた中村うさぎさんを読んでます。
すごく面白いんだ、この方。
華々しく買い物依存症をやり、
借金ばかりふくらんで
それでも買っちゃう、止まらない、というときに
なんと、自宅から五分のところにある斉藤学さんのクリニックに行くんですね。
そこで「摂食障害」「アルコール依存症」「薬物依存症」「ギャンブル依存症」「セックス依存症」「テレビゲーム依存症」などなどの人たちとともにグループセラピーに参加します。
で、結局、「合わない」ということで一ヶ月でやめるんですけど
その時の文章です。

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んもう、皆さん、語る語る。
そしてまた、聞いてる人が泣く、泣く。
思わず、「これって、自己啓発セミナーなのかっ!?」などと疑ってしまいそうな異様な雰囲気だ。
室内に充満する負のエネルギー。
何人もの傷つけられた人々の恨み節。
私はたちまち、辟易としてしまいましたよ。
この人たち、私とは人種が違う!うまく言えないけど、とにかく違うーー!
それでもまぁ、一ヶ月くらいは通っただろうか。
--中略--
しかし、「これって、私に向いていない・・・」という思いが日に日に強まって、結局は通院を中止するコトとなったのである。
何が向いてないかって、さっきも言ったように大勢の他人の前で自分の話をしたくないってのもあったし、何より私がウンザリしたのは、人々の間に漂う「何かの新興宗教」みたいな雰囲気なのであった。
傷ついた人たち、求める人たち、すがる人たち。
悪いけど、ハッキリ言って、ウザイ集団だ。
彼らは自分の苦悩に「アダルト・チルドレン」というレッテルを貼ってもらうや、俄然張り切って「私の物語」を語り始める。
それは、被害者意識と自己陶酔と奇妙な優越感(私がこんなに傷ついているのは、私の感受性が繊細だからなの、ってな感じ)に裏打ちされた、とてつもなくナルシスティックな物語であり、申し訳ないが私には共感できない・・・いや、意地でも共感したくないタイプのキャラクターたちなのである。
どう思いますか。
私は「買い物依存症真っ只中」という精神的危機にいつつも
水平線のしっかりした健康な感性だなあ、と思って関心しちゃったんですよ。
自助組織、みたいなものはじゃんじゃんできればいいと思ってるんです。
グループセラピーってのも、気楽に参加できるようになればいいと思います。
私が管理人させてもらっているmixiコミュニティ「ボディフリーイングサミット」
なんかもがんがんのさばって欲しいなあ、と思うんです。
でもこの文章の言いたいところもすごくよく分かるんです。
で、この二つの一見相容れないような気持ちって何?
みたいなことを考えるわけですが。
とりあえずまず、著者は「書く」という言語化の方法を持っているから、
グループセラピーのいらない人だったんじゃないかな、というのは思う。
一人で自分の言語化されていない心の部分と向き合うってことに対して
かなり訓練されてるんじゃないかな、っていうのは思うんだ。
書いたものを読んでくれる人、というのも確実に居るしね。
それを、誰にでもできることだと思うのは危険じゃないかという気がする。
人それぞれ、魂の体力みたいなものがあって
自分の体力を超えるものと向き合うときは
やっぱり一人じゃなくて、
そばに人が居なくちゃいけないんじゃないかなあ。
だから一時的には言ってることは多少むちゃくちゃでも
そういうことを安心して言える場所の存在っていうのは
あってしかるべきでしょうし、
少々筋通ってなくても喜怒哀楽出す場所はなきゃいけないでしょう。
(いきなり思ってることを思ってるとおりの言葉にはできないもんね。
やっぱり無茶言ったり、自分に甘い嘘ついたり、責任転嫁したり、とか
そういう道をぐにゃぐにゃ通っていかないと、本当に自分の思ってることには
なかなかたどり着かないと思うんだ)
だから多少異常な雰囲気に見えるくらいは別に
あはは、と笑っておけばいいんでないのかな
とは思うんだ。
ただ、私は中村うさぎさんの
「うまく言えないけど、とにかく違うーー!」
って言いたい感じは、わかるし、すごい健康な感じがした。
うさぎさんで、「うまく言えない」んだから
私にはもっと「うまく言えない」んだけど。
うーん。
言葉って獲得してみたら
それは自分自身にとって嘘じゃないかどうかを
自分の魂に聞いてみる段階って必要なんじゃないかと思うのね。
その確認の段階を「仲間意識」の中でぱーっと雲散霧消してしまうと
「何かの新興宗教」みたいな雰囲気になるのじゃないかなあ。
「自分ではちょっと分からないながらも口に出してるけど
周りの人が共感してくれるから、これはきっと正しいんだろう」
みたいなところに流れてしまうとかね、
言葉にするという作業を自己確認のための作業じゃなくて
仲間意識を求めるための作業としてしまうと
何か違和感が出てくる、気がしている。
それの何が悪い、って言われると全然何も悪くはないんだよね。
「一時すっと心が晴れる浄化作用としての仲間意識」もいいんだけども、
私もうさぎさんと同様「ちょっと違う気がするな」って思うタイプで
何が「ちょっと違う」と思うのかなあ、ってのを
自分でもずっと知りたかったのでここに書いて整理してるだけなんだけど。
書けばかくほどわからなくなってます(笑)
「仲間意識」みたいなものは、あるんだ、私。
今この時代を生きている女性(少数だけど男性も)が共通して持ってる心の闇
みたいなものの一つの表現形として
摂食障害ってものがあるんだぞ、というのには
すごく注意がいくんだよね。
「私たちが苦しんできたものの正体は何なのか知りたいよね?」
っていうふうに声をかけあいたい気持ちって持ってる。
でもあくまで言葉は「仲間意識」ではなくて
「自分の心」を通過させる形で語りたい、
っていうのがあるんだ。
「期待されることを言いたい」んじゃなくて
「言いたいことを言いたい」んだけど
「誰も傷つけないように言いたい」
さらに
「誰からも非難されないように言いたい」
とか思いはじめると
どんどん何もいえなくなってくるんだけどさ。
さて、中村うさぎさんのほうは、
一ヶ月でグループセラピーをやめます。
結論はこんなこと。
そんなワケで、私は、決心したのである。
「買い物依存症」という宿題に、私は自分ひとりで取り組むわ。
どうしても克服できなきゃ、共存の道を見つけるわよ。
そう、「買い物依存症」は私の、心の一部なの。
自分の一部として受け入れて、時には戦いながら、時には手をつないで、一緒に生きていくしかないんじゃない?
うーん、この人ね、結局、ユーモアのあるところで生きたい人なんじゃないかと思うんだ。
だから「恨み節」が嫌いなんじゃないかなあ、って。
私もそういう感覚あるんだけど。
ユーモアって結局客観性じゃない。
なんか変なところで滑ったり転んだりつまずいてる自分を本気で苦しみつつ
一方で「こんなところで転んじゃったぜ、へへ」っていう目を持つのが
たぶん、ユーモアってやつでしょ。
一生セラピーの空間だけで生きていくのでない以上は
そのへんの「えへへ」という「素」の感覚も持ち合わせていなきゃいけないだろうに、
っていうのが、「違和感」なんじゃないのかなあ。
で、この人が最高にすごいのは、そのユーモアの目線が
エッセイをたくさん書かせて、ちゃんと売れる、ってことだよね。
ユーモアの目線ってそういう転換ができるんだと思うんだ。
うさぎ女王様の前借りとブランド買いあさりの日々の中の素晴らしき一言。
いざとなったら、シャネルスーツを着たホームレスになってやるもんねっ!
・・・すばらしい。
書いててわかってきました。
私、もっとユーモアが欲しいらしいです。
みなさん、もっとバカな話しませんか?
(どういうシメだ)
※自助組織みたいなものはいらない、とか
そんなところに通わないで治る人の方が偉い、とか
所詮はナルシストの集まりでしょ、とか
そういうことを言ってるわけでは全くないですよ、念のため。
そういう「つながり」は必要だと思っている、その上で
私はうさぎさんの感じる違和感ってすごく意味がわかるので
そのあたりの「謎」をといてみたかっただけで。
あんまり解けてないですけど。
そのうち解きたい謎ですね。


