治るか治らないかにこだわる
なだいなださんの「人間、とりあえず主義」という本を読んでいたんですよ。
で、面白かった一文。
神経症の治療は、すべてを医者に任せておけば、医者が治してくれるという病気ではない。患者自身が努力しなければ進まない。 しかもその気持ちになっていない人ほど、治るか治らないかにこだわる。
これは、しみじみとわかる文章だなあ、と思いました。
神経症、という言葉に捕らわれずに、自分勝手に読めば、ですけども
何かにこだわっているときほど、本当は「その気持ちになっていない」、
んだろうなあ、というのは
わが身を振り返った時にすごく思います。
一番わかりやすいのは、自分にとっての過食症なんですけども、
「これさえ治れば」って思っていたときというのはやっぱり
「治れば今の自分ではない別の自分になるのだ」
というファンタジーをもっていたからこそ
治るか治らないかに執着したし、
その執着のために目の前の生活を丸ごと投げ出していたんです。
投げ出していた生活が、本当にいよいよどうしようもないことになって
とりあえず「今の自分ではない別の自分になる」時を待っていられない
これは緊急事態であるぞ、となったときに初めて
「治るか治らないか」というのは
気にはなるけど、とりあえず、
「目下一番最初に解かねばならない課題ではない」
ということになって、
それはだんだん
「治っても治らなくても私は私であって、それが”理想の私”じゃないことは仕方ないんだ」
というふうに、なっていったんですね、たぶん。
まあ、そうしたら症状の方が不要になって消えていったんだと思うのですが。
で、過食症が消えても「別の自分」にはならない、
ということの証明であるかのように
私は、ほとんど過食症と同じような
こだわり、っていうのをちゃんと形を変えながらその後も繰り返して生きているわけで。
割りに分かりやすい形で出てたのは
「男性関係」と「お金」だと思うんですが
男性関係については過去にちらほら書いてるような気がするので
ここでは、お金の話なんぞ。
私は今の仕事(自営業)を始める前に
三年ほど会社づとめをしてるんですね。
で、そこにいるのはあまりにも自分にとって
”そもそも不幸”なことだったんです。
もともと、冬になると軽く冬眠してしまうような体質なので
いつも同じペースで働く、ということを要求される時点で
すでに不幸の要因になる、
という、まあ、なまけものとでも何とでも言ってくれ、という体質なんですが。
「とりあえず、明らかに不幸になると分かってることはしないでおこう」
と決めまして、会社員をやめて今の仕事を始めたんです。
当然ですが、いきなり生活できるほどの収入になる、
なんてことはありえないですよね。
家をシェアして仕事をしていた同業者から
ほとんどおんぶに抱っこ、くらいの援助を受けながら
ほんの少しあった貯金と、失業手当をちびりちびりと使って
しのいでいたんです。
で、その時にずーっと頭にあったのが
「お金がないから」
ってことでした。
「お金がないから、自分の意見はいえない」
「お金がないから、自分の思ったような生活はできない」
「お金がないから、自分の好きなものは食べられない」
「いつか、きちんと収入が安定したら・・・」
というのをずっとずっとずーーっと思ってまして、
そう思ってる一方で、こんなことを思ってる自分は少しおかしいぞ、
という想いがありました。
具体性がないんですよ。
「お金がないから、必要なコレが買えない。
これだけの金額必要だから、そのためにこの仕事をしよう」とかね。
「月に○万あれば、自分の思った生活をできるから、
何年後にこれくらいの収入になるような計算で仕事を計画していこう」
とかね、
そんなに金が必要なら、当然出てくるべき具体性ってもんがまるでなくて
ただ、「金がないから自分の好きなようにはできないんだ」
というところで縮こまってたんです。
で、そういう「お金がないから・・」ということで
頭がいっぱいになってる一方で、
「この感じって身に覚えがあるなあ」と思ってまして。
過食症の時のことです。
「自分の好きなことをできるほどは、痩せてないから」
という、あの感じとほとんど一緒なんですね。
面白いのは、ちょうどその時
ずーっと収まってた「体重気になり癖」もちょっぴり復活しましたね。
今の自分を気に入らないのは
「最近ちょっと体重が増えたからじゃないか」
ということもちらっと考えたりしました。
ちょっと余談ですが、
このサイトはそういう中でできたサイトなんですよね。
まず「金」のことに関して、
「体重」の時にやったのと、同じ課題をまた解いている、
という感じがしたのと、
何年も気にならなかった体重がいきなり気になり出したのは
「自分の今の心の問題である」
という感じがしたから。
だから「もう一度あの過食症ってやつをたどりなおしてみよう!」
ということではじめたサイトなんだと思います。
はじめたときはそこまで意識してなかったですけども。
で、金の話に戻るんですが
いつかはゼロになる不安に怯えつつも
ちびちびと遣っていた貯金が、
今年の冬の冬眠期間中にとうとうゼロになりまして。
どうだったか、というと
なんとなくせいせいしたんですよね。
「なくなるという不安」がなくなったんですよ。
毎月これだけの金額が必要だから最低これだけ働けばいいんだ、
というのが明確になって、
「なんだかよくわからないものがいつかなくなって、そうしたら自分はえらいことになる」
という現実味のない不安の方は消えました。
お金がなくなったら困る、という不安は
お金がなくなると消えるんですねーーー(笑)
「お金がないから好きなことができない」という苦しみは
私が薄ぼんやりと気づいていたとおり、
「お金がないから」こその思いではなくて
「好きなことをしたくなかった」からこそのなんだと思います。
言い訳として、身近だったのが、「お金」だっただけでね。
過食症がなおる時に「不安」が「現実」に追いつかれて
もう、理想の話なんかとりあえずおいておいて
「現実」の方に取り組まなくてはいけなくなったときと同じように
「金がない」という現実に追いつかれた現在、
心おきなく現実に集中しております。
いや、金がないのは、嫌なことですよ。
美容室にもいけない、とか、
新しい服がなかなか買えない、とか
納豆ばかり食べてる、とか
それ自体が快適とまではあえて言いませんが
「金がないから好きなことができない」
という想いよりは、軽いですよね。
不安より、現実の方がずっと軽いです。
「それがいくらなのかははっきりしないけど、
とにかく収入が安定することにこだわった自分」と、
「過食症が治ると何が変わるのかはよくわからないけど、
とにかく治ることにこだわった自分」って
やってることは一緒だったと、思うんですよね。
だから、文頭の
「その気持ちになっていない人ほど、治るか治らないかにこだわる」
って言葉、よくわかります。
逆からいうと、本当に”その気持ち”になるために
”治るか治らないかにこだわる”、
いわば自分と向き合うための準備期間みたいなものが
必要だった、とも思うんですけど。
非常に、面白いなあ、と思った文章でした。



コメント
なだいなだは面白いです(断言)。
昔のものから最近のものまで。たぶん、絶版本も含めて全部読破しているユキでした。
薬がなかった時代から精神科医をやっている人だから、なんていうか、最近精神科医になった人よりはいろいろ修羅場もあったのではないかと想像したりします。
投稿者: yuki | 2008年04月07日 13:25
今の私にすごくダイレクトに響く言葉でした。
私は今、パニック障害を治そうと治療法を躍起になって探してるところでした。
鍼灸、漢方、まだ試していないものを探し、今飲んでいる薬を断薬して完治するのだと。
最近はそればかり考えていました。
理由はまた太ったからでした。
ウエストのサイズがまたワンサイズ上がってしまったからです。
そして、パキシルが飲む人によって太る副作用があると思ってパキシルを断薬してやせたいがために。
娘のためにとか色々、それらしい理由をつけているけれど、本当の理由は痩せたいからなんです。
でも、今日パニックのコミュテニィサイトで、「パニックになる人はエネルギーが有り余ってて、パニックになるとパニックを治そうと深みにはまっていく」というパニックを克服された方の書き込みを読んで、ハッとしたところでした。
その方は治るには、とりあえず行動することだと。
薬を飲んで発作がおきにくい状態になったら行動するべきだと。
パニック以外のことに没頭できるものがあればいいですねとも書いてありました。
つまり、パニックが完治するかはとりあえず置いといて、それよりは目の前のことに取り組むべきだと。
そのうち、パニックのことを徐々に忘れていって、気づいたらなんか発作も予期不安もなくなっている・・。
3年前、私が一時的に断薬できたときも過食が治った時もそうでした。
過食で籠もっていた日々からお菓子教室に通い、バイトを始め、そのうち過食するのもパニックの薬を飲むのも忘れがちになって気づいたら治ってた。
治そう治そうと躍起になっていた時よりも、治すことを忘れて日々のやるべきことに集中していたときの方が治っていた。
そのことを忘れていました。
今でもすごく痩せたいし、痩せるためにパキシルも断薬したいからパニックも治したい気持ちも強いけど、そう思っているうちはダメなんだと気づけました。
投稿者: kiki | 2008年04月07日 21:04
私は4ヶ月ほどずっと憧れていたアパレルのバイトをしていたんですね。去年の11月末から初めて、4月で体重があまりにも減ったため、親の説得もあり、4月をもって、休職(役職についていないので退職という形になりましたが)しました。
当時は仕事を覚えるのに必死で、認めてもらいたくて、そして何より自分がしたかったものをしたということで、摂食障害ということを忘れていました。
(それでも、体重はきになっていましたが。)
辞めてから、少し元気がなくなったように思います。
当時を振り返ると、治そうと躍起になっていると空回りしていた自分が、仕事をしていることで全部忘れられて、一時的に治っていたのかもしれません。
現在私は大学生なのですが、4月から学校が始まり(しかし、まだ1回も授業に怖くていけていませんが)今はまた無茶食い嘔吐や、拒食症が再発しています。
なにか自分に対して奮い立たせるものがあったからこそ、華やかに見えて重労働でもやりたかった事ができていたからこそ、あのときの自分は生き生きしていたと思います。
投稿者: Naru | 2008年04月13日 09:33
初めまして。いつも読ませて頂いています。さるきちと申します。
すごく感慨深い言葉ですね。
そして、耳に痛い言葉でもありますね。
さるきちも本好きなのですが、
なだいなだ先生の本は読んだことありませんでした。
早速探してみようと思います。
投稿者: さるきち | 2008年05月02日 14:35