今日は一旦連載中の本の説明からそれます。
私ではない人の文章のご紹介です。
実際にお会いして、お話をお伺いしました。
とても有益な話だったので、ここで紹介したくなり
頼んで書いていただきました。
(誰の文章であるか、ということに興味を持つために掲載するものではありません。)
ちょっと旅行中です。
宿泊先のホテルに居て何もすることがない、っていいですよね。
私大好きです。
自分でやってみた。
これ凄い大変ですねー。
びっくりするくらい時間がかかりました^^
いやいや。
でもやってくださる方募集しております、トラックバック歓迎。
質問はこちら
→ダイエット症候群の人へ100の質問
子供のころの記憶だ
私は小学生だった
テレビのニュースで死刑廃止論をたまたまやっていたのを見て
幼いながらに「人間が人間を極刑で裁く」ということに対する不安を
おぼつかなくも口にしたことがある
一緒に見ていた母が答えた
「でも生きていてもしようがないようなやつは殺したほうがいいのじゃない?」
そのとき感じた漠然とした暗い気持ちを
どうやって言葉にしたらよいのかわからなくて
私はずっと長い間、そのときの不安だけを覚えていたのだけど
今ならあのとき感じたことを正確に把握できる
ちょうど私が18,9歳のころ、思春期やせ症のことがようやく話題になりかけたころで新聞に記事が載ったんです。
その記事には、この病気は極度に容姿を気にする若い女性が、やせたいという一心でムチャクチャに減食をする結果、後もどり不可能なくらい体を壊してしまう、とあったんですね。
私自身そういう思いは少しもなかったんですが、そこに描かれる少女は否定的なイメージでしたからね。
非常にショックだったんです。
その日に書いた日記をいまでも覚えています。
それは差別と偏見に満ちた言葉ではありますが、そのままいいますとね
--愚かな女のかかる病気にかかった--とあるんですね。
私はこの愚かな思い込みを乗り越えるのに半年、いや一年はかかりましたね。
いや、今も完全には乗り越えられず、私の人格構造の中にきちっとはまりこんでいるようです。
「私の嫌いな私像」の根っこになっていますからね。
そういう形で、周りから自分像を作られる。
しかも悪しきイメージをもったおしきせの像ですね。
(「「女」なんていや!―思春期やせ症を追う」より引用)
摂食障害から離れていける人というのは
いったいどうして回復できたのだろう、という疑問、というのがあって
それはもう考えれば考えるほど謎だ
もし摂食障害が「愚かな女のかかる病気」であれば
「愚かだった女が賢くなったから治った」ですむ
とっても簡単な話になるのだけどね。
でもそれは自分自身の経験を考えてみても
自分以外の人を見て考えても
明らかに正確ではないわけで。
私はずっと小柄でやせっぽちの子供だった
その頃はだいたいひとクラスに一人ずつくらい恰幅のいい子がいて
他の子より成長が早かったり、力も強かったりして、
ちょっと目立つ存在だった
自分自身が太りやすい体質だった母はよく
太った子はそれを「気にしてるかもしれない」から
からかってはいけない、と私に言った
そんなもんかな、と思った
「太っている」というのは単に「太っている」ということでしかなく
それを「気にする」というのはどういうことなのか
その頃の私はまるで見当がつかなかったのだ
「私はこんなにも自殺したいのに、どうしてみんなは許してくれないんだろう」
というようなことをある年齢まで結構本気で考えていた。
今思うと随分見通し悪い思考回路だったなあ、と思うけど
でも、とにかくそういう風に、かなり長い間思っていた。
「お前は頭が良いのだから、人前でものを言うときは気をつけろ」
ということを、私は母親からしばしば言われた
十歳になるかならぬかの頃からだ
分からない顔をするとこう言われる
「お前は頭がいいのだから、意味わかるだろう」
それ以上の説明はしない、ということだ。
頷く。
不吉な宣託はそれで終わり。
脅迫、というには確かに
そこには愛情が混じりすぎてはいた
ほぼ日手帳という手帳を愛用しています
この手帳はページの一番下に一日一言、みたいなのが、
格言ではなくて、わりと面白い一言が書いてるのが
結構好きなんですね。
それでですね、5月15日にこんな事書いてありました
「世の中、金だけで動いてるわけじゃねぇよ!」っていうのも、
簡単には言いたくないんだ。
「オレはもう、金が大好きだ」ぐらいのことを500回くらいは先に言っときたい。
で、言っといたうえで、「・・・でも」って言いたい。
500回ぐらい言ったあとで、はじめて言える「・・・でも」があると思うんです。
<糸井重里が『「MOTHER3」の気持ち。』の中で>
「何キロまで太ったら私と別れる?」
と聴いたことがある
「うーん、俺より重くなったら考える」
そのときの恋人は答えた
「・・・何キロ?」
「○○キロ」
男として小柄で華奢な彼は
半年も過食を続けていれば楽に超えてしまいそうなくらいの体重しかなかった
私は人の哀しみに凄く心惹かれてしまうところがあって
哀しみってというのは本当にユニークで多彩で繊細でオリジナルで
そして、そのうちに明るい方へ向かって伸びていくための種子をすでに含んでいるという点において
感動的で美しいものだなあ、
みたいな、そういう感傷的なことをよく考えている
自分自身の哀しみの出し方のひとつとして
かつて過食、というものがあったわけで
それからもうひとつ、私の意識の中で過食とセットなんだけども
リストカット、というのもやっていた
長くなったので分けました
→大学卒業後のこと1
症状が出たり、消えたりした私の過食症は
その時々の愛情関係とも密接に関係してきた
愛が満たされるときに過食の症状は収まることがあるし
何かが違う、と思いながら関係を手放す勇気が無いときには、
欲しくもない食べ物を手放す勇気もまたもてないようになる
摂食障害真っ盛りだった大学生の頃
精神科の薬を貰ったりしながら、
特によくなる見込みもなかったある年の秋に突然
「ああ、この冬は越せないな」と思った
当時月一万五千円の貸間に住んでいた
部屋に日が射すのは朝の30分間くらいで
20センチ程度の幅の光の帯が差し込むだけだった
冬になると日差しはもっと弱くなる
部屋の中はもっともっと四六時中暗くて寒くなる
「この冬が終わる前にきっと自殺するだろうな」と思った
摂食障害にまつわる言説で私が嫌なのは
摂食障害になる人というのは
「自我が未発達で」
「成熟拒否願望があって」
「完璧主義で」
「生育時母親の愛情が足りず」
「家族の機能になんらかの問題があった」
という類の解釈がまかり通っていることで
たまには過去を思い出して独り言で。
ブックスダイエットというダイエット法があります。
初めてみたときにこれは画期的だなあ、と思って熟読しました。
過剰ストレスが肥満の主原因なのだから
好きなことはやる、嫌なことはやらない、我慢もしない
と決めてストレスを軽減するってのが原則で
食事法は大雑把にいうと
一日一回(夕食で)制限なしに好きなものを食べて脳を思い切り満足させる
それ以外はつなぎ程度に軽く食べて、お腹が空いたらりんごか黒砂糖を
食べる、という感じのものだったんです
19歳の、大学に入ったばかりの頃でした
食パンを買ってくると
それを一回で全部食べてしまうことに気づいたとき
なんだかおかしいぞ、と思いました
いくら何でも食べすぎだろうと思ったので
一枚だけ食べよう、と決めるのですが
どういうわけか一袋食べ終わるまで止まりませんでした
過食症をやって良かったな、と思うのは
無意識というものが自分にどうやって語りかけてくるのか
ということを感覚として学べた、ということが大きいです
十代から二十代の初めごろ
私はテレフォンクラブに電話をかけては知らない人と良く会っていました。
私自身は自分が何をしたいのか良く分からないままに
漠然と何かを期待する気持ちだったのですが、
男性の方はたいていもっと明確に自分の希望をよく承知していて
殆どの場合はホテルへ行くことになりました。
もちろん私もそうなることに対しては驚きはしませんでした。
どうやって治ったのか具体的に知りたい、
と何度か言われていて
もちろん、それを知りたいという気持ちは良く分かるし
私も読むほうの立場だったら
「それであんたはどうやって治ったの?」
と真っ先に言うと思うのだけど
食べてはいけないものを
何か言い訳しながらほんのひとくち口に入れ、
それが2口3口と加速しながら増えていく瞬間に
「さあ始まってしまった。
コトはもう私の手に負えない」と思ったとき
自分自身の厳しい束縛から逃げることができた喜びと
自分を手放してしまったような絶望感
その二つを感じていました
こんなことを思い出します
道をあるいていて
急に食べたくなりました
その頃はよく、歩きながら食べていました
ポケットや鞄などに食べ物を隠して
こっそり口に運びながら歩いたものです
そのときも
道を歩いていて食べたくなって
たまたま目の前にあったコンビニに猛然と押し入りました
過食したくなったときの気持ちというのは
自分と食べ物の間にあるもの
たとえそれがどんなものであってもなぎ倒してやろうと
固く決心した荒々しいものです
それから、たぶんチョコレートか何かを選んで
レジの前まで来ました
絶望的なことに
レジには三人ほどの人が並んでいました
仕方なく一番後ろについて並ぼうとしてみました
駄目でした
私はまた猛然とした勢いで
手にしたチョコレートをもとの棚に戻し
どこにあるか分からない次のコンビニをめがけて
足早にその店を出ていったのです
街中のコンビニでしたから
レジ待ちの時間もひとり一分程度でしょう
すぐ終ります
私はそんなにせっかちな方ではないんです
あんまり暢気に信号待ちをしていて、青になっても渡ることを忘れたりするほど
どちらかというとぼーっとしています
それでも
私は普段ならなんとも思わない
その「推定三分」が絶望的に待てなかったのです
外へ出て、詳しくも無い街の道を
またコンビニを探しながら歩くほうが
ずっと時間がかかるということは理解していました
それでも悩む余地すらなく
苛立ちながら店を出たのです
そのときの私のしたかったことが
「チョコレートを食べる」ということであれば
多分ちょっと待ってレジで支払いをするという
より最短で確実なほうを選んだでしょう
ただそのときの私がしたかったのは
「チョコレートを食べる」ことではなく
「感情を食べ物の中に隠す」ことだったのです
怒りだったのか、悲しみだったのか、孤独だったのか
もう今では忘れてしまいました
ただ、街の中を歩いていて
何かが私に過去の思い出したくない感情を思い出させたのです
私はそれを、その心の中の金切り声を沈めるために
食べ物で口を塞いでしまいたいと思ったのです
猛然と食べ物に向かって進んでいく
その行動は心の金切り声を鎮めるのにとてもふさわしいものでした
ただ
レジで待つことは
心の中で竜巻が次々とやってきて
稲妻が光り
雨あられが降り注ぐなかで
静かに前の人を待つことなど
できるはずはなかったのです
そんなところにお行儀良く並んでいては
きっと心の金切り声はますますよく響いて聞こえてきてしまうでしょう
私はこの「待てなかった三分」という出来事をよく覚えています
過食という心の動きを
とてもよくあらわす行動だと
思うものですから
過食症の人って勉強家さんが多いような気がします
治りたくて一生懸命たくさん本を読んだりしませんか?
私も随分読みました
摂食障害の本も読んだし
栄養学の本も読みました
どういう人が過食症になりやすいとか
どういう症状になるとか
どんな薬、どんな食べ物、・・・・
なんだかダイエットそのものみたいですよね
結局私たちはノウハウコレクターなのかもしれません
どうするのが正しいのか
を自分ではないほかの誰かに決めてもらいたいんです
私は
諦めた時に治ったんだと思います
過食症は人生の長い期間潜伏して
症状は出たり消えたりしましたが
愛されたい人に、どれだけつくしても愛してもらえなかったとき
どんどん症状が悪くなりました
そして私は自分で見ていました
「仕方ない」
と思ったんです
「仕方ない、今の自分に過食が必要なのならやろう」
「過食をしながら考えていくしかない」
と思ったんです
太って醜いから愛されないんだろう、って
それももちろん思いました
でも食べながら考えました
「私についている何キロかの肉の為にあの人は私を愛することを保留にしているのだろうか」
答えは、ちゃんと初めから知っていたのです
だけど自分でそれを認めるのが辛かったから
過食症の闇に隠れたんです
私は最初から愛されてなどいずに
利用されただけでした
尽くせば尽くすほど
私は軽んじられるだけでした
あまりにも傷ついていたので
今更そんなことに気づくわけにはいかないと
私は目をそむけていたのです
食べながら
泣きながら
私は最初から存在しなかった愛情を諦めました
「今私にとって必要なのことが過食症ならば、仕方ない、それをやろう」
と腹をくくった、あの瞬間は、私のターニングポイントだったように思います。
私は過食症の向こうにある、自分の力を信じ始めていたのです。
痩せたら服を買おうと思っていました
今は不本意な体重だから
服なんて買っても仕方ないと思いました
どうせ今は醜いのだから
美しくなったら
何もかもきちんとはじめようと思っていました
痩せたら自分の人生が始まるのだと思っていました
出かけてください
今のあなたが一番美しく見える服を買ってください
あなたの人生はもう始まっています
一瞬一瞬、全ての時が
できるだけ幸福であるように努力する必要があります
あなたは今のまま美しくある必要があります
あなたの全ての肉も骨も血も
全て魅力的なあなたです
「肉だけは私じゃない」なんて
おかしな理屈です
「太ったね」といわれると
その人を許すことができません
「魅力的じゃなくなったね」
「君はもう駄目だね」
「怠けものだね」
「醜いね」
と聞こえるからです
もう一度、
考えてください
あなたはただ「太ったね」と言われただけなのです
言った本人は
天候の話をするくらいの気持ちで言っただけで
あなたを批評するつもりは
まるでなかった、と
思いませんか?
あなたに「君は駄目だね」と言ったのは
あなた自身の心の声だったと
思いませんか?
うまくいかないとき
誰かに受け入れらなかったとき
受け入れてもらえなかったのは
私自身ではなく
私の贅肉なのだと
思う方が楽だったのかもしれません
ダイエットというのは
思考を閉ざす
癇癪だったのかもしれません
人と一緒にとる食事に興味はありませんでした
ただただ独りで隠れて食べたかったのです
誰にも知られずに独りで
作ったり後片付けしたりしなくてよいもの
だらしなく、行儀悪く食べてよいもの
手軽なお菓子を食べたかったのです
もう取り繕いたくありませんでした
もう動きたくありませんでした
独りで気ままにゆっくり休みたかったのです
栄養バランスの良いものではなく
気持ちを休めるものが欲しかったのです
賢くマメで人に尊敬される女性のように食べたかったのではなく
奔放で我が儘で自由でひと目を気にしない女性のように食べたかったのです
私は人前で食事ができませんでした。
特にご飯などの一般に「太る」といわれているものを食べられませんでした。
私は自分が太っていると思っていたので食べる権利がないと思っていたのです。
私が人の前で食事をすれば太っていることがばれてしまうと思っていたのです。
「そんなもの食べるから太っているんだ、自制心の無いやつ」と思われるのが怖かったのです。
あのころ
私と一緒に食事をすることで
”こいつには食べる権利がない”と思った人
”こいつは太ってるな”と突然思った人
”こいつは自制心の無いヤツだ”と思った人が
居たでしょうか。
聞いて廻ったわけではありませんが、
間違いなく、独りも居ません。
なぜなら
私には「権利がなく」「太っていて(醜く)」「自制心がない」と思っていたのは
ほかならぬ私自身でしたから
私自身がそう思うのをやめたら
「誰かがそう思っている」という気もしなくなりました。
私は私自身をそう評価していたんです
そしてそのことを自分自身から必死に隠していたんです。
人生というのは
内面外面ともに完璧になり
決して傷つかないような人間になってから
始まるものだと思っていました
だから私は準備をしながら待っていたのです
でも、いつまで経っても準備は終わりませんでした
私は唯一安全なお菓子の砦の中で気づきました
もう人生は始まっていたんだと
内面も
外面も
傷つきやすい
世間の風に丸裸で晒された、
この状態のまま
人生に取り組まなければならないのだと
けれど
確かに、人は傷つきやすく
ちょっとしたことで大きなダメージを受けてしまいますが
でも世界中の人たちが機関銃を持って私を待ち受けているというわけでもありませんでした
確かに人生とは全力で取り組まなければならないものですが
でもそう怖いところでもありません
もしかしたら私たちは過去の人生の中で
完全な孤立無援の経験をしていて、
その記憶が、
私は自分を守り通すことはできないにきまっているという
恐怖心を育ててしまっているのかもしれません。
確かにあなたの過去の中に
痛ましい不運があった可能性はあります。
でもそれが未来も続くとは限らないのです。
この世界で生きている殆どの人は
傷ついて弱って泣いている生き物には
駆け寄って手を差し伸べて暖めるという
本能を授かって生まれてきていますから
「食べ終わってしまう食べ物など意味がない」と思っていました
永遠に食べ終わらないものが欲しかったのです。
私にとって大切なのは
食べ物の味や雰囲気ではなく
「食べている」という状態でした
食べている間は
私は物を考えないですみ
野獣のように欲しいものを手に入れ続けることができ
自分のために自分の手を使うことができたのです
さて
それは食べることによってしか、叶えられないことでしょうか
食べることによってしか
悩みごとから一時逃避することはできないのでしょうか
欲しいものをなりふり構わず欲しがることができないでしょうか
自分のために自分の手を使うことができないでしょうか
ずっと下を見ていました。
人に顔を見られたくなかったからです。
見られたら「太っているな」と思われるだろうから、
だからずっと下を向いていました。
問題なのは
あなたが誰かから「太っているな」と思われたかどうかではなく
あなた自身が「この人に太っていると思われた」と感じたことです
どうしてそう思いましたか
誰に対してそう思いました
どういう瞬間にそう思いましたか
「太っていると思われた」という気持ちになった
その瞬間、何を考えましたか
何をきっかけにそう思ったんでしょうか。
必ず理由があります。
考えてください。
「太ってるなと思われてる」と感じたら
「なぜ今そんなこと考えたのだろう」と
ちゃんと考えてください
なぜ、今、突然あなたは劣等感の大波に襲われたのですか?